コストと表現技法

『ペーパーレス作画の現状と未来予測』寄せられた質問」というアニメ業界向けのフォーラムの記事を読んでて、少々奇妙に思ったのが、「カットあたりの制作コスト」と「新しい表現技法」に関する質問がほとんど見当たらなかった点です。かなり扱いが小さく、そのほとんどは「現制作技法の移行」に関する事で占められていますね。

私が最重要視しているのが、まさに新しい「表現技法」と「制作コスト」の2つなので、‥‥なるほど、今の「デジタル作画」の話題とどうも噛み合わないは、致し方ない事か‥‥と感じた次第です。私にとって「制作コスト」と「表現技法」は、まさに「作って売る」ための主軸なので、そこを抜きに未来の展望を論じても、接点は発生しないわけです。

業界の人々が、今の制作システムを「デジタル化」した結果、好転なり改善する‥‥とホントに考えているのか、とても疑問に思うのです。「4Kでオールデジタルなら、何か良い未来が待っている」と思い込もうとしているようにすら、見えます。

私はアニメ業界とは違うやり方で「4Kのアニメ」を作ろうと研究していますが、研究すればするほど、困難にブチあたります。「技術開発レベル」の取り組みでは瑣末な技術見本市に終始してしまい、「今までの思考では、戦いには勝てない事」がひしひしと実感できます。根本的なバトルドクトリンの変革が必要なのです。

技術屋の殻を破り、技術とビジネスを結びつける、またとない機運なのです。4K8Kの新しいアニメーション映像技法は、困難もリスクも伴いますが、従来のアニメとは違う表現手法も数多く導入できるので、「ピンチはチャンス」でもあるのです。‥‥ですが、そういう意識は旧来技法に足場を置いた「デジタル作画」の話題からは感じません。

アニメーション制作統合環境のソフトウェアにしても、レタスやアニモの事例を今一度、思い起こしてみるべきです。私が2003年前後にAfter Effectsオンリーで撮影一式を請け負う試行錯誤を繰り返していた頃、周りの多くの人々は「デジタルのアニメ撮影はコアレタスやアニモのディレクターじゃないとできない」なんて言ってたのです。‥‥よく覚えております。

しかし、現状はどうでしょうか。

After Effectsで撮影作業を請け負うのが一般的になってから現場に入ってきた人は経緯を知らないでしょうが、今と似たような状況は前世紀末・今世紀明けにもあったのです。では、何が理由で、そうしたアニメ制作統合環境が廃れたのか、経験のある方は思い起こして分析すべきですし、経緯を知らない人は調べてみると良いです。

少なくとも私は、現在のアニメ制作統合環境ソフトウェアの傾向は、「以前と同じ穴」にハマっていると感じます。私がコアレタスに興味を全く抱かなかったのは、妙な言い方ですが「アニメ用に作られていた事」です。新しい可能性を求めてコンピュータを使っているのに、当のソフトウェアが「アニメってこういう風に作ればいいんでしょ」とばかりに作用や表現を押し付けてくるのが、たまらなくイヤだったのです。

外国製の統合環境のエフェクト紹介で「グラー」とか書いてありますけど、グローとブラーが合体した新しい用語なのかな‥‥。私にしてみれば、「光らせ方は作り手が工夫して決めるから、アニメ風の「T光」プリセットなんてノーサンキュー」なんです。悪意はないだろうけど、ショボいグローフィルターを見ると、アニメってそんなにチープなイメージですかね‥‥とちょっと悲しくなります‥‥。そりゃあ、みんなTrapcodeを使いたくなるよね‥‥。

今までは、旧来の制作システムを踏襲する必要がありました。それはフィルム撮影台時代のワークフローの「一部差し替え版」だったからです。しかし、ワークフロー全域をコンピュータベースに移行してもなお、昔の方法に固執するなら、言うなれば、そうはもう、自動車やバイクではなく「4足歩行にこだわって、機械の馬を作る」ような行為です。新しい動力源に切り替えたのなら、それにふさわしい最適な設計・運用と販売戦略がある‥‥と思うのです。

一生懸命作っても報われるとは限りませんし、丁寧に作った品質の良いものが無条件に売れるなんて事もありません。万歳突撃して玉砕なんて、誰も望んでないと思うのです。だったら、昔ながらの「アニメ業界の戦陣訓」なんて踏襲し続けることはないです。しかし、どうも「デジタルで万歳突撃をする方法」を一生懸命模索しているようにも思えるのです。

作業内容がよりレベルアップして、機材もより高性能なものにリプレースすれば、コストが上昇するのは誰でも判る事です。「4Kになりました。細かい絵を動かす大変な作業になりました。時間はもっと必要になりました。制作費が全然足りなくなりました。」という状況を、今まで通りの運用理念で支えられると思っていますか? 出資者が金に糸目をつけずにどんどんお金を出してくれると思いますか? 細かい絵にかわっただけで、話も絵柄も代わり映えしないアニメに、どれだけお客さんが高いお金を払ってくれるのでしょうか?

ゆえに、制作コストと表現技術は、「オールデジタル」に移行する際の、最重要のキーワードだと思っているのです。技術の見本市って、その後の商談のためにあるわけですよネ。学業の集大成たる卒業制作とは趣旨が大きく異なるのです。「作る」ではなく、「作って、売る」事をいつも頭にイメージしておけば、未来の技術へのスタンスや考え方、取り扱いも相応に変わってくると思います。

 

デジタルほにゃらら

「デジタル何々」という言葉の胡散臭さや大雑把さは、もう随分昔から指摘され続けている事ですが、「デジタル作画」という言葉もこれまた謎の多い言葉です。でもまあ、「コンピュータで何をどこまでやったら良いか判断できない」状況の表れだとも思いますので、ことさらに目くじらをたてるほどではないです。「デジタルTU」とかに比べれば、まだ心情的には理解できます。

「デジタルTU」‥‥に関してですが、旧撮影工程がコンピュータに置き換わった時点で、カメラワークは全て「デジタル」になったわけですから、わざわざ「TU」「TB」と分けて「デジタルTU」「デジタルTB」なんて記述する必要はありません。今までの用語を踏襲するならば、それぞれのセルを別のフレーム指定で「TU」「TB」記述すれば良いだけです。なぜ、そんな無駄な文字「デジタル」を付け加えたのでしょう?

「今までは、セルごとにTU・TBをつける事ができなかったので、それと差別化するため」だとは思います。TUとは文字通り「トラックのアップ」の事で、素材を配置した台とカメラレンズとの距離を操作して図像を拡大していたのが、用語の本来の意味です。コンピュータには「撮影台」は無いですが、「ログ」(丸太)「セル」(セルロイド)同様、「昔の用語を慣習として使い続ける」事自体は、私も構わないと思っています。
*コンピュータの「処理記録」「通信記録」などの総称「ログ」は、その昔、船速を計測記録するために「丸太」を流したことに由来するようです。

要は、現場の実際として、画面全体に対するカメラワークと、セルごとのカメラワーク(コンピュータ導入後にふんだんに活用できるようになった)を、言葉で明確に分別したかった‥‥のでしょう。そして、その分別に用いられたのが「デジタル」だった‥‥という事です。撮影工程が全て「デジタル」〜コンピュータ環境に移行したのに、わざわざ「デジタル」などと付記するあたり、安易な発想と計画性皆無(=場当たり的な問題回避措置)のもとに命名された言葉だった‥‥と推測します。

‥‥でもね、その安易な用語が、普及してしまうあたり‥‥も、業界の特質を端的に表していますよネ。

つまりは、冷静に「デジタルTU」という用語を見つめると、「アニメ業界の行動パターン」が端的に浮かび上がってくる‥‥とも言えます。「デジタルTU」という言葉の周辺・過去と現在を深く分析すれば、実はアニメ制作現場の未来もあらかた予想がつく‥‥のでしょう。

業界の未来が良き方向にいくのなら、10年後には「デジタルTU」なんて言葉は廃れていて欲しいですが、意外に「デジタル何々」の習慣は生き残ったりする‥‥のかも知れませんネ。

ちなみに‥‥ですが、TUは崩した記述で、一般的な常識から言えば、「T.U.」(ドットが略を表す)ですネ。業界では「TU」「T.U.」「T.U」の3種類の略字を見かけます。ドット「.」はプログラム言語では結合演算子として用いられる事もあるので、"Track"."Up"で、「T.U」もアリなんでしょうかね。よくわかりません。その他、Black塗り、黒ベタ(トレス色ベタ)は「BL」ですが、たまに「B.L」と書くのも見かけますし、レイアウト〜「LayOut」を「L/O」と書くのも昔からあります。‥‥もう30年近く在籍していますが、まだまだ謎が多いですネ‥‥。
 

パーティクルを作画する

「何をとぼけた事言ってるんだ」と嘲笑されそうですが、私にとってパーティクルは「作画カテゴリの技術」です。

タイムシートに「パーティクル」と書いておけば、撮影さんが何でも引き受けてくれる‥‥と信じている事のほうが、スッとぼけた認識だと思っています。昔は作画でやっていたような事を「誰か」に任すのであれば、それは「作画スタッフ同等の技量と責任」を内包するからです。

「でもさ、何かプラグインとプリセットを使って、誰でも簡単に出来るんじゃないの?」と考えている人もいるでしょう。確かにそういう仕事をする人もいるでしょうし、まさに「プラグイン開発元がアニメーター」だと思うような使い方もたまに見かけます。現場に表現者不在‥‥という状態です。しかし、多くの場合、パーティクルの制御は「誰でも簡単に」できるようなものではありません。

「絵として成立している状態」をパーティクルで作るには、それ相応の知識が必要となり、さらに「自分の思うがままの絵を作る」のであれば、絵(と動き)の才能がどうしても必要になります。

After Effectsをモーション(アニメーション)に用いる時、アニメーター同等の技量を持った人間が必要となります。「アニメーター至上主義」を唱えたいわけではなく、たとえアニメーターの役職を通過してこなくても、「絵を動かすのであれば、絵を動かす技量は必須だ」‥‥という当たり前の事を述べたいわけです。

絵は、絵を描くだけでなく、絵の仕事を引き受けた責任も負うのです。パーティクルの撮影上がりを見て、「もっと、絵と動きをかっこよく」みたいなリテークを撮影さんに出すのだとしたら、どんな責務を撮影さんに課した事になるのか、よくよく考えたほうが良い‥‥ですよネ。

私がここで書く事柄は、鉛筆もコンピュータも自分の手のように扱える、未来のアニメーターに向けた内容です。要は、鉛筆線もベクター線もパーティクルも、自分の手のうちで同列に扱う能力を持てば良い‥‥だけの話です。コンピュータの中に入った途端に、自分の管轄外だと敬遠する意識とキッパリとお別れすれば良いのです。

「パーティクルを作画する」とは具体的にどういうことか、炎のサンプルで説明してみます。(ちょうど別で使った教材があるので)

炎の描き方には様々な方法がありますが、今回のサンプルは「変形した三角形の集合体」でマッス・フォルムを捉える方法です。

このアプローチでは、炎の最小単位を三角で捉え、その三角が集合して炎全体の姿を形成します。アプローチはこれだけではないですが、今回は三角形で捉える事にします。ひし形や四角形も、三角形が2つ組み合わさったものだと考えれば良いですし、円状のアウトラインは三角の一辺が丸く湾曲したものだと考えれば良いです。

今回のアプローチを一文でまとめますと、「湾曲した三角形の集合体が、気流に煽られて、ちぎれて変形しながら、上昇し消滅する」‥‥となります。



海中のワカメみたいなビラビラを漠然と描くのではなくて、何かしらのメカニズムの基にして、炎を描くわけです。



三角の集合体も、輪郭線をなぞれば、炎のように見えてきます。



色がつけば、さらに炎っぽい感じに。



‥‥ということは、幾つもの三角形をパーティクルで生成して、自分の思うように変形させながら飛ばせば、「作画の時に想い描いていた炎のプロセスと似る」のでは?‥‥と思いつくわけです。After Effectsには「パーティクルシステムズ」というシンプルなパーティクル生成のエフェクトがありますので、それで実践してみます。



こんなの炎じゃない‥‥と思うかも知れませんが、絵を描いて動かしている人の中には、「極端に言えば、そういう事だ」と理解できる人もいるんじゃないでしょうか。実際に、湾曲させて色をつけると‥‥



随分と炎っぽくなり、さらに手を加えると‥‥



‥‥ほぼ完成形が見えてきましたネ。フォルムの推敲にもうひと踏ん張り必要ですが、プロセスとしてはこんな感じです。

パーティクルを作画として扱う場合、手で描くのではなく、頭で描くのです。鉛筆で描くのではなく、プロセスで描く‥‥とでも言いましょうか。

さらに作り込んで、実際に動かしたものをGIFFで書き出した動画は以下です。10秒のムービーが、3種類あります。
*60fpsでも動かせるんですが、GIFFには荷が重そうだったので、とりあえず24fpsで書き出しています。


アニメのT光風〜やや大ぶりなフォルムにまとめたもの


もう少し細かいディテールにしたもの


背景美術を動かしたようなテイストに仕上げる事も可能〜元が三角形の単純なネタでも


このように、如何様にでも炎を表現する事が可能です。三角形でアプローチする方法だけでなく、ひも状に描いたり、透明感のある描写にしたりと、まだまだ色々な表現や方法があります。元は単純なパーティクルの粒でも、作画的思考を当てはめれば、その自由度は計り知れません。実写作品ではないので、作品のイメージに合う「絵の世界」を展開していけば良いので、「リアルに見えれば正解」というわけでもありません。パーティクルの扱いが、まさに「作画管轄の技術」だと言う理由です。

私は上の3種類の炎の作画を、手描きでも描けますし、パーティクルでも作れます。手描きのほうが圧倒的に時間を要しますがネ‥‥。要は、作品制作に最適なツールと技法のチョイスをすれば良いだけです。もう20年前の「ジョジョ」で似たような思考で炎を描いてましたしね‥‥。

でもまあ、今のアニメ業界の「面倒なものは作画以外のCGに‥‥」という風潮はどうにもならんとは思います。この風潮が行き着くところまで行って、色んな作画要素をコンピュータを扱うスタッフに投げて放棄して、アニメーターの能力がどこまで減退するのか、見届けてみれば良いと思います。

あくまで私の考え‥‥ですが、アニメーターがペンタブレットを含めたコンピュータ環境で作業をする意義は、「紙からデジタルへ」なんて瑣末なポイントではなく、「デジタルの機能をアニメーターが使いこなす」点にあります。他人事のコンピュータから、自分事のコンピュータへと、意識を変える事です。

デジタルを「紙と鉛筆の対極として」とらえている限りは、先には進めないのです。アニメーター像を旧態依然としている限りは。

アナログだデジタルだとゴタゴタ言わずに、手描きもベクターもパーティクルもタービュレントも三角メッシュも、全て同列に作品作りのジェネレータとなる状態。コンピュータが当たり前のように存在する未来において、「アニメを作る」とはそういう事だと私は考えています。

読書の時間

何か1つの作品を作ろうとする時、それがどんな題材であっても、多かれ少なかれ「人物と世界」に対する何らかの描写は不可避となります(‥‥当然といえば当然ですが)。しかしながら、日本の、しかも限定した区域で生活していると、人物に対しても、世界に対しても、狭い範囲内の知識にとどまり、物語の広さ・深さも相応に狭く浅いものになりがちです。

ゆえに、取材や資料集めがどうしても必要になります。資料集めがままならない場合は世界観を「ファンタジー系」(空想・架空が前提〜便利な言葉ですネ)へとシフトして逃げる事も可能かも知れませんが、引き換えに真実味を損なう事になります。

「真実味」の扱いは難しく、「作品はどうせ作り物なんだから」と開き直り、「真実味なんていい加減で良い」とばかりに手を抜いたら、「手抜きの茶番劇にお金と時間を割いてまで見る意義あるの?」と「鑑賞の根底」が揺らぎかねません。しかし、作品は真実味を追求するためにだけ存在するのではないので、「さじ加減」がムズいのです。

つまり、作り手側は、「真実味をコントロール」するために、より一層の幅広い知識・見識が必要となるわけです。解らない事だらけの一杯々々な状態ではコントロールなどできませんから、「実際に使用する知識の数倍を備蓄しておく」ことが必要となります。

最初のうちは描写のための「ディテールの資料」集めが主となりますが、やがて「物事の成り立ちに関する情報」、つまり「テキストの資料」も必要になってきます。

要は、写真資料だけでなく、文章の資料、すなわち「読書」も必要だと言う事ですネ。

現在は、旧書の市場(Amazonのマーケットプレイスとか)に加えて、マニアックな専門書も発刊されており、さらにはトピックを絞った安価なKindle本もどんどん増えているので、少なくとも10〜20年前よりは資料集めがしやすい世の中になっています。特にKindle本はどんなに買ってもKindle端末やiPadの中に収まるので、いつも資料を携行できるのが何よりも心強いです。

近頃の資料本(と私が感じている専門的な本)は、ネット検索に負けない独自コンテンツを目指しているのか、突っ込んだ内容のマニアックな本が増えているように思います。例えば、最近買った本では‥‥



‥‥という、濃い内容の本も出版されています。クランクシャフトやコンロッド、ピストンやシリンダーヘッドなど、大戦機のエンジン分解の見たこともない写真が満載です。DB601とかマーリンエンジンの鮮明な分解写真を見れるなんて、思いもしませんでした。レストア(修復)の職人さんが自ら執筆しているので、テキストも興味深い内容です。「コマンド・ゲレーテ」と呼ぶ「集中制御ユニット」がフォッケウルフ(Fw190)の空冷エンジンに付いてたなんて、全然知らなかったなあ‥‥。付録DVDはまだ見てません。テキストだけでお腹いっぱいで‥‥。

また、Kindle本では、去年末にこれまたマニアックなショートテキストのシリーズが発刊され、思わず数冊買ってしまいました。「戦争に勝った負けた」「死傷者は何人だ」「使用された兵器は何だ」みたいな、大掴みのよくあるテキストではなく、「構造」について解説した稀有なシリーズです。


 


「ファミコンウォーズ」みたいに戦争を描くのであれば、このようなテキストは知識として保有しなくても良いでしょう。しかし、何らかの「戦い」にドラマを絡めるなら、主人公を絶叫させるだけでは薄っぺら過ぎます。兵器の稼働率100%で燃料弾薬の補給も無尽蔵、新兵器や秘密兵器が味方に用意されているなら、どんなに登場人物が「葛藤するふり」をしてもウソになり、ドラマなんて生まれないわけです。そもそも戦争描写をストーリーに組み込むことが「甘たるいクレープのトッピング」になってしまいます。

昔、若いプロデューサーで「戦争なんて首都を制圧すれば終わりでしょ」なんて言い放ったヤツがいましたが、‥‥まあ、そういう無知を作品上に曝け出さない為にも、知識は必要なんですよネ。

さらにこの「デミヤンスク包囲戦」の紹介文には、

”多くの社会的事業と同様、戦争においても「成功経験」は必ずしも組織の強化や判断力の向上に繋がるとは限らず、逆に特定の条件下における「成功経験」に惑わされてそれを一般化することで、後により大きな「破滅」を生む温床となることもあったのです。”

‥‥ともあり、‥‥う〜ん、歴史はためになるなあ‥‥と感じ入る次第です。

とまあ、写真を眺めるだけの資料だけでなく、文章を読む資料も等しく必要‥‥なんですが、読書って時間をゴッソリ消費しますよネ。読書は「ながら」ではできないので、そこだけが「時間の足りない」現代人のネックなんですよね‥‥。

ちなみに、全てのジャンルにおいて知識豊富にはなれないので、自分の得意分野を形成する事になります。私は未来の制作現場が少人数になろうと「工房型」を形成・維持したいのは、様々な知識を持った各個人を結束するためです。人物の表現に重要な服飾やメイクの知識まで、私は深く切り込めませんしネ。

地ならし

YouTubeが60fpsに対応したことは、単に60fpsのモーションに人の目が慣れていくだけでなく、再生環境の底上げも即す効能もあるでしょう。4Kの48〜60fpsを再生するには、そこそこの環境が必要ですから、まずはYouTubeのHD60pが「地ならし」してくれるのは、とても好都合です。

2K以上で60pが再生できるか否かは、結構幅広い分岐点があります。
 
  • 動画がちゃんと60pでエンコードできているか
  • そもそも動画のオリジナルが60pの内容か(30pをアップコンしてもフォーマット上は60pになるので)
  • 映像再生ソフトウェアの設定は60p対応になっているか
  • PCのシステム上におけるディスプレイ・モニタの環境設定は60Hz以上になっているか
  • モニタ本体は60Hz以上で動作できる性能か
  • PCとモニタを繋ぐ形態は60Hz以上が可能な接続方式か(2.5KでDVIシングルリンクだと30p止まりです)
  • そもそもPCが2K以上の60pを再生できる能力を有しているか(上記の全てをクリアしても再生落ちする‥‥など)
    • CPUの速度
    • データストレージの転送速度(ローカルデータの場合)
    • ビデオ性能
    • メモリの容量
    • システムのバージョン(機能拡張のライブラリなど)

‥‥まだあるかもしれませんが、ざっと挙げただけでも、これだけのトラブルシューティングの項目が思い浮かびます。少なくとも、上記全ての項目をパスしないと、2K以上の60p動画は再生できません。マシン本体で言えば、5年前くらいの低価格PC向けのCore2Duoくらいの性能だと恐らく脱落すると思います。DVIはガッチリとしたケーブルとコネクタで安心感がありますが、どんどん時代から取り残されているので、DisplayPort系(Thunderboltなど)かHDMIに切り替わっているかもポイントです。一体型の端末(ノートPCやタブレット)はそれそのものの基本設計が問われます。

普通に考えて、各家庭に2K60p以上の互換環境が浸透しているとは思えないので、閲覧ユーザ数の多いYouTubeで暗黙のうちに環境の性能アップを即す事になるのは、少なくとも私にとっては「良い流れ」です。

物事は最初と最後に用心しなければなりません。4K60pのアニメーション作品の「威力」を、ちょっとずつ更新してダラダラと公開するのは、戦略的には「最悪」です。故意に膠着状態を作り出すのらともかく(それも戦術のうちですが)、打って出る時にはエネルギーを極めて集中させて突破するのが勝利のパターンです。始まり方と終わらせ方で、物事の趨勢は大きく様変わりし、ずっと尾をひくことになります。

世のインフラが都合良く「大攻勢」のタイミングと合うとは限りません。戦術・戦略に例えると、インフラは地形や町並み、世情は天候といったところですが、インフラが進化していけば、「新勢力」にとっては有利な展開となります。逆に、旧式装備の勢力は新しい地形の資質を活用できなくて、相対的に苦戦する(=今まで通りにやっても、見劣りする)‥‥かも知れません。

こうして色々考えると、2014年はまさに4K60pなどの「新世代映像制作」が産声を上げた「元年」だったのでしょう。各所に「新生児」が誕生しているとは思いますが、わたし的には、「今度生まれてきた子は、ちゃんと育てたい」と思っております。

 

YouTubeが60fps対応‥‥してたのね

YouTubeをダラダラとハシゴして見てたら、60fpsと思われる映像に遭遇しました。



調べてみると、今年の10月に60pに対応し始めたそうな。‥‥まるで知らんかったです。

全ての環境で60fpsで再生できる保証はありませんが(モニタの設定が30pの場合とか、マシンの処理速度が足りないとか)、このキレと生々しさは60fpsの特徴です。720p60か1080p60という設定で、データがある程度プリロードされた(=タイムラインのバーが赤くなる)のを確認して再生するのをおススメします。(即座に再生するとフレーム落ちしやすいです)

ただ、「YouTubeが60fpsに対応した」と思って、60pや60fpsで検索したものをみると、今でも明らかに30pかそれ以下の動画も多く紛れ込んでいるようです。YouTubeの「画質」プルダウンメニューが「1080p60」になっていても、本当に60pで動いているかは、自分の目で確かめるしかないです。

上に貼り付けた動画は、最初のカメラブレだけでも60fpsなのがすぐに判ります。手持ちの荒いPANでも、滑らかなのが特徴的ですネ。

60fpsの動きに目が慣れた後で、30fpsの動画を見直すと、30fps映像の世界がかなりモッサリしているのが実感できると思います。そして、60fpsが決して人の目に対してオーバースペックでないことも実感できますよネ。‥‥見慣れると、これ(=60fps)がごく普通になります。

ちなみに、この60fpsの動きの特徴は、アニメにもそのまま反映されます。私は4Kの48〜60fpsで動かすアニメに以前から取り組んでいますが、絵とは言え、60fpsフルで動かすと妙に生々しい動きになります。動きの密度が高くなって挙動が格段に滑らかになるので、絵にもそれ相応の密度が要求されます。(=リアル寄りのデザインだと‥‥です)

なるほど。YouTubeもいよいよ、60pに対応したか。‥‥どんどん、準備が整っていきますネ。

余談‥‥ですが、ベビメタのバンドの方々って、ホントに超々テクニシャンの人ばかりですよネ。なんで、こんなメンツを揃えられるんでしょう。ヤングギター繋がり? 本物志向のイギリスの人たちにウケるのも判ります。Sonisphereのゴツい大観衆を前にして動じる気配のない女の子たちも、相当キモが座っててスゴいですしネ。

iMac 5K、2ヶ月目

先週に4本の仕事をフィニッシュしましたが、今でもまだ数本の仕事が同時進行中で、中々に忙しい日々が続いております。ただ、特殊なニーズとミッションによる技術的・メンタル的なビッグウェーブなので、私の性には合っています。量のプレッシャーは歳を喰ったら心身ともに堪えられないものがありますが、質のプレッシャーなら全然平気ス。

今の私の「悪魔くん」(=前回ネタ)は、ゴミ箱MacProと2.5K EIZOモニタ、そしてiMac 5Kなのですが、両方とも「契約内容」に違わぬ働きを見せてくれています。MacProは最近60K(何かにつけて「K」を用いるのは、やや辟易気味ではありますが)の仕事をごく普通にこなしましたし、iMac 5Kも4Kムービーを「当然の事のように」サクサク処理しております。

ただ、EIZOモニタが繋がっているMac Proはともかく、iMac 5Kは、モニタの基本性能に若干の心許ない要素があります。フォーカスはカッチリしているし、色は無理にケバくないし、画面隅が変色したり明るさが変わる事もないし、もちろん60pは確保されているし‥‥で、一見「十分な性能」のように感じられます。

しかし、諧調表現に少々「息切れ」が見え隠れし、EIZOや(今は亡き)三菱のモニタと比べて、プロ用途での一定条件下で「弱点」がちらほら表れます。私のようにプロダクションでの最終出力を担当している人間の目から見た際に、「シビアな場面でちょっとヘタり気味の傾向にあるな」と解る程度の僅かな弱みなんですけどネ。

諧調の狭い箇所(うっすらと明るくなるグラデとか)に明暗の変化があると、トーンジャンプがやや目立つ傾向にあります。まあこれは、iMac 5Kだけの責任とは言えず、各色16bit演算10bit出力の段階で既に「キワキワ」な画像・映像にしちゃってるのも原因です。画素の色相・輝度の拡散が単純になりやすいアニメや3DCGなどの映像に発生しやすいです。

考えようによっては、iMac 5Kでトーンがジャンプする映像は、相当ギリギリな状態とも言えますので、「映像の耐障害性」を自分らの作る映像クリップに持たせる事も考えた方が良いとは思います。iMac 5Kでトーンジャンプしている映像は、EIZOなどのモニタで見ても、「よく見ると元から出てるね」と確認できるので、iMac 5Kのモニタ性能はトーンジャンプを「強調」する傾向にあるのでしょうネ。

とまあ、色々とあるものの、今のところの総合判断では、iMac 5Kにコスト面で勝る4K制作環境は思い浮かびません。EIZOの20万円の4Kモニタは魅力ではありますが、マシン側のスペック(特にビデオ性能)と繋ぐ形式(4K60pが最低確保できる形態)で不安要素がつきまといます。少なくとも2014〜2015年前半は「買えばそのまま、4K映像制作がすぐに始められる」安心感を持つのは、iMac 5Kだけだと思います。買い揃えてみたものの、30pまでしか再生できなかった‥‥なんてオチは、多額の銭失いになりかねないですもんネ。

iMac 5KにEIZOあたりの10万以下エントリクラスの2〜2.5Kのサブモニタを繋いでおいて、「何か変だな」と感じたら5KとEIZOで確認する‥‥というのが、当座はてっとり早い対処法でしょう。私の自宅では、1920x1080のパネルを持つモニタがゴロゴロと余りだしているので、それを使えば良いかな‥‥。

一方、4Kそのもの‥‥についてですが、4K60pは一度馴れてしまうと、もう1920x1080のHDには戻りたくなくなります。正直なキモチとして。

絵がボケて見えるので、まさに「古い」感じがしちゃうのです。何よりも、頻繁に目視するテキストフォントがボケているので、ストレートに不快感を感じてしまうのです。ボケていない適度にシャープなフォントは、格段に目の疲労を軽減してくれる事がわかりました。

今の1920x1080のHDが出始めた時、SDとは言えVHSテープより格段に奇麗になったDVDを基準として、「HDなんてオーバースペックだ。SDのDVDでも十分奇麗だ」という文言を、私は何度も耳にしました。しかし、今、SDオンリーの世界に戻れる人はごく僅かだと思います。‥‥それと全く同じ構造が、今度は「2K to 4K」で繰り返されるのだと思います。「画面密度が高くなって、動きがちょっと細かくなった程度」のように思う人もいるでしょうが、そういう思考もHDへの移行期の再現です。

4K環境を使い続けてみると、当初のプレミアム感などさっさと忘れ去り、身体が馴染んでしまうようです。これは、私だけでなく、4K環境を手にした他の人々も等しく感じる事だと思います。‥‥常識なんて、簡単に塗り変えられていくもの‥‥なんでしょうネ。

 

Fire

ここ数回、受け取る人によっては「ネガティブ」的に響く事を書き連ねましたが、私は「ネガから美しい情景が生み出される」構造を学んできたので、逆に「ポジティブ」だけで飾られた状況は非常に胡散臭いと思うのです。

強烈なネガティブ要素があるからこそ、等しく強烈なポジティブパワーを発揮するのです。

コンピュータを使いこなして踏み込めば踏み込むほど、実は、天使と悪魔は同一人物だったことに気付くと思います。

そのあたりがどうしても受け入れられない人は、コンピュータとは「パソコン程度」のお付き合いにとどめておいたが無難ですし、幸せでしょう。私がここ数回で書いた内容で怖気付く程度の覚悟なら、ほぼ確実に道半ばで心折れ、頓挫し挫折する事になると思います。ネット検索やメールチェックくらいにしとけば、怖い思いをせずに済みます。
*‥‥といっても、今はコンピュータのウィルスがあるから、メールチェックだけでも災難が降りかかる事もあります‥‥ネ。

コンピュータは「火」でもあるのです。

火を使えば様々なことが可能になります。火を怖がって遠ざけて触れずにいれば、自宅で美味しい献立を作って食べることはできませんし、温かい湯を張った湯船に浸かる事もできません。火を使いこなせば、人はより多くの幸福を手にすることができます。しかし、火を身近に感じすぎて見くびると、火が暴走して家を燃やしてしまうかも知れませんし、最悪の場合、火を使った本人を焼き殺してしまうかもしれません。

火の恩恵と厄災。コンピュータにも同じことが言えます。

「デジタル」は今後のアニメーション作品制作全域における「火」の役割を担うのかもしれません。今までは一部だけで「火」を使っていましたが、あらゆる工程で「火」を使い出すと、「火の持つ、メリットとデメリット」を全域で抱え込むことになります。

火をうまく使う事まで、他人に頼ることはできませんから、結局は「各々がうまくやる」しかないのでしょうネ。

「デジタル」との契約

紙と鉛筆に変わる作画の手段として、タブレット作画が最近持ち上げられていますが、当座の利便性だけでなく、長期的な視野での総体コストを「納得」し「覚悟」した上で、導入の是非を検討する必要があります。

紙と鉛筆の比べて、一見、利点が多いようにみえるPC環境は、10年20年規模で見ると、大きな代償を「支払い続ける」、ある種の「悪魔の契約」が必要だという事を理解しておくべきです。

透過台付きの机、鉛筆削り、定規、デスクライトは、一度買ってしまえば、10年くらいは平気で保ちます。可動部品の多い椅子やモーターを使う電気鉛筆削りを除けば、それこそ30年は現役で使えるのです。私が今でも使っている机は、10代最後に購入して30年経過した今でも現役です。

一方、パーソナルコンピュータ=PCは、映像制作用途基準では6年でリサイクルごみになります。標準的なリプレース期間ですと、3〜4年で買い替えが必要になります。4K8Kが迫る現在は、もしかしたら3年以下で急速に旧式化する事すら、予測できます。20〜40万円もする「道具」が5年もしないうちに「大幅に古くなる」のです。‥‥と言うことは、3〜4年の買い替えを見越して、「買い替え積立金」を毎月積み立てていかなければ、PCが旧式化した数年後に進退窮まる‥‥というわけです。

さらにいくつかのアドビ製品、その他の絵を描くソフトウェア、エントリークラスの3DCGソフトウェアを、「古くなりすぎないレベルに維持」するためには、1ユニットあたり年間5〜20万円の出費が必要となります。今でもアドビのCS5やCS6を使い続けている現場を目にしますが、それはすなわち、ソフトウェアと追加のプラグインのバージョン更新の「台所事情」の表れでしょう。私は個人(=自宅のプライベート環境)で2ライセンスのAdobe CCを運用していますが、それだけで年間12万円のコストを支払っています。個人でも会社単位でも、ソフトウェアのバージョン更新、最新版の維持は、相応に重い負担なのです。

そして、何よりも、「デジタル」を使う限り、その維持費を未来も延々支払い続ける事実‥‥‥に、注目しなければなりません。

設備投資の資金を用意し、機材を揃えて、心も晴れやかに「デジタル」アニメ制作に突き進むぞ!‥‥と意気揚々としたキモチが、4年後のリプレース時期にどのような事になっているのか想像してみて、それでも「オレは(ワタシは)やる!」と言い切れる人は、まさに「覚悟ができている」人なんだと思います。

‥‥え、うそ、そんなエゲつない「裏」がデジタルにはあるの?‥‥なんていう人は、間違いなく挫折するので、もっと他の切り口を見つけた方が良いでしょう。

言うなれば、「デジタル」はまるでメフィストのような悪魔で、ファウストに大きな力を与える代わりに、命〜人生長期に渡る代償を要求するわけです。

であるならば、代償を要求された代わりに、「悪魔をこき使う」くらいの豪快さが必要なのです。

でも、まだまだ、デジタルの「悪魔っぷり」は続きます。

「デジタル」に移行する予定の人の中には、「データは置き場所に困らない」「HDDに大量に保存できて、紙より楽」と考えている人も多いのではないでしょうか。‥‥しかし、これは非常に誤った認識です。たしかに紙は無くなりますが、代わりにデータファイルが現れます。

現在、ZIPやJAZZドライブを現役でデータ読み出しできる人はどれだけいるでしょうか。SCSIのHDD、IDEのHDDは? 日本で皆が使っていたMOは?

今使っているデータ保存メディアが、10年20年後に読み出し可能、再生可能だという保証は全くありません。

保存とは「存在を保つ」事です。読み書きできない記録媒体をいくら倉庫にしまっておいても、それは「保存」ではなく「死蔵」であって、倉庫は「2度と生き返らないデータの墓場」です。作品の制作が終了し、その当時の記録メディアを倉庫にしまっただけでは、未来は間違いなく「記録を喪失」します。

紙に描いた絵は、ダンボールにしまって暗い倉庫に押し込んでおけば、50年後でも「再生」できます。しかし、20年も経過していないJAZZやMO、8mmテープ、DAT(データ記録用の)は、そう簡単には再生できませんよネ。CD-Rに至っては記録層が経年変化で変質し、読み出しは永遠に不可能な事だってあります。

紙は取り出して閲覧できますが、データはそのデータフォーマットを再生するソフトウェアとハードウェア一式が必要です。2050年はおろか、2014年の現在、After Effects 4.0(CS4ではなくバージョン4.0)のAEPデータを、プラグインの動作も含めて再生できますか? 当時の環境を残していますか?

「デジタル保存メディア」のどこが、「楽」なんでしょうか。

もし、データを「保存」し続けたいのなら、メディアを乗り換え続けるしか方法はありません。私は1996年のプレステゲームの攻殻機動隊のイメージボードや、翌年のガルムのイメージボードのデータを今でも保持していますが、それは何度もメディアを乗り換えてきたからです。当時はFDやMOに保存していましたが、今はSATAのHDDの中に居ます。

データは、時代とともに、住処を変えなければ、生きていけないのです。そして、PC作業環境は、確実に10年にも満たないうちに再現が効かなくなります。

つまりデータは、数年の保管期間ののちに消去・廃棄するか、相応の長期にわたるコストを覚悟して保存し続けるか、キツい二択から選択することになります。「とりあえず保存しておけば、後でなんとか」ならないのが、データファイルなのです。

いやもう、聞くのもウンザリ‥‥でしょうか。でもそれが、「デジタル」の真の姿の、半身〜ダークサイドです。

私はもちろん、重々覚悟して取り組んでいるので、このような「体(てい)」です。デジタルという名の悪魔と絶賛契約中で、悪魔を酷使している最中です。コンピュータなしでは、いち個人の生産力なんて高々知れていますが、「デジタル」と「契約」することで、数千枚相当の動画を1人で動かせたりします。

「デジタル」の美辞麗句は、趣味で絵を描く素人さんには心地よく響くでしょう。しかし、プロのフリーランスの人生や会社の命運がかかっている‥‥となると、話は別です。半年、1年、2年、6年、12年、18年‥‥くらいの展望を思い描き、ロードマップを敷いた上で、ようやくハード・ソフトウェア、システムの是非を問うことができると思います。

「デジタル作画に乗り換えれば」云々という話題は、実は、その後の長期にわたる「悪魔との契約のきっかけ」であることも、充分に頭にイメージしておいたほうが良い‥‥と思うのです。

SDとしての4K8K

4Kそして8Kは、今でこそ「超高画質」に思えますが、2KのHDがそうであったように、近い未来にやがて「標準画質」となることを目標としているのは明らかです。超高画質の超高額商品のままでは、いつまでたっても普及しないですから、放送業界や家電業界はあくまで「未来のSD」として4K8Kを見据えていることでしょう。

つまりは、映像制作業界も「4K8Kの制作には格段に大きな予算が必要だ」とばかり言ってはいられないのです。現在の「プレミアム期間」はともかくとして、未来には「標準的な予算」で制作することが求められるでしょう。もし2020年に至って、「2Kに比べて高画質なので、数倍の制作予算が必要だ」なんて言ってたら、「じゃあ、アニメを作る事自体をやめましょう」となりかねません。仮に1本1億でテレビを制作してたら、13本で13億円スよ。画面をデカくする事をメインにコストを割いて、内容はあまり代わり映えしない‥‥、そんな商品に超高額の予算がつくのでしょうか。アニメ業界の人々は予算は「あればあるだけ良い」かもしれませんが、周囲が許容しませんよね、普通に考えて。

そのあたりの経緯は、ここ10年の「SD/DVDからHD/BDへの移り変わり」で経験した通りでしょう。同じ構造が、4K8Kでも再演されると思います。

なので、4K8Kを高画質でプレミアムなものとして捉えるのは、私は避けています。もちろん、現在においてはプレミアム感を売りにするでしょうが、それが未来も続くとは思っていません。あくまで「未来の標準」として考え、段階的に制作体制を経緯させる事を考えています。

それに、現在の制作現場では、昔ではスーパーコンピューターと呼ばれるような高性能のPC一式を、20〜40万円で導入して使っているわけです。途方もない技術革新を成し得てきたコンピュータを使ってアニメを作りながら、自分たちは技術革新の意識も意欲も乏しいまま「4K8Kは膨大な予算が必要」だと言うのは、「自分らの状況を棚上げ」するにもほどがある‥‥と思うのですよ。画面が大きくなった、人手を増やした、だからコストがかかる‥‥なんて、「あんたらの業界には工夫も知恵もないのか」と他業種の人々から思われても仕方ない‥‥かもです。

仮に4K8Kへと画面が大きくなったなりに予算を比例させて増大させた場合、アニメの「商品としての競争力」は格段に下落することでしょう。日本がダメなら世界で売れば‥‥的な発想も、野放図に拡大する制作コストを抑制する事とは無関係・別カテゴリの話題です。売り方と作り方をクソミソ一緒に考えてはならず、売り方は売る人の技術革新、作り方は作る人の技術革新、それぞれが別動力として作品を牽引していくのです。

だからと言って、コストを下げるために各スタッフのギャラを据え置き、もしくは減額するような事があったら、作り手によって支えられているアニメ作品制作への根本的な破壊行為、まさに「ネロ指令」です。HD制作費を鑑みた上で、現状が許容する4K8K制作費にとどめつつ、しかも各スタッフのギャランティは作業内容に合わせて向上させるような「マジック」が必要なのです。まあ、実はマジックなんて胡散臭いものではなく、単に「人海戦術からの脱却」、レッドからブルーへの構造改革に対し真剣に取り組めば良い‥‥だけなんですけどネ。

ただ、ブルーオーシャンへと現場を変えるには、プロデューサーやシステム管理者のアクションだけではなく、聖域なき改革、つまり、監督・演出、アニメーターから編集に至るまでの、意識と技術の改革が必要となるでしょう。‥‥まあ、だから、今まで改革できなかったんですけどネ。旧来のアニメを作り続ける場合にも、私のように新しいアニメーション作品を作る場合にも、共通して必要な事だと思います。

2015年〜2016年は、まさに「知恵を絞る」時期でしょうね。4K8Kはコストが増大するは当たり前です。その当たり前の状況を指をくわえて見ているのか、知恵と工夫で状況を変えていくのか。極端に言えば、死をじっと待つのか、生き残るために行動するのか、実は、とてつもない究極の選択が水面下に潜んでいる時期なのかもしれませんネ。


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