カセットと紙

最近、カセットテープを20年ぶりくらいに買いました。マクセルがUDを復刻生産するので、カセットテープ世代の私は「記念品」として、使うあてもないですが、買っておきました。

 

 

現在のデジタルデータの音楽に慣れた人々には「音が太い」など評判もあり、カセットテープが再評価される向きもあるようです。

 

「音が太い」?‥‥恐らく、テープコンプレッションと記録上の周波数特性が、聴感上の「太さ」を生み出しているのだと思います。私は70〜80年代に少年時代を過ごした人間なので、そのキモチはわかります。ネバっこいコンプの音は大好物です。

 

たっぷりとしてふくよかで粘りのある音と、JBL製スピーカーの心地よい味付けの出音との組み合わせは、当時のフュージョン(ロック・ポップス・ジャズを混ぜ合わせた音楽ジャンル)を体現しています。聴いてるだけでポジティブな気分になってきます。

 

‥‥というわけで、私がカセットテープを今買ったのは、完全なノスタルジーです。WiFiやBluetoothで音楽を各部屋のオーディオ機器に飛ばせる現在において、「思い入れ」以外の実用性は何ひとつありません。

 

実際、LogicやAdobe AuditionやNIのプラグインでダイナミクス(コンプ・リミッター)やイコライジング、エンハンス、オーバードライブ(わざと歪ませる)などをかませば、似たような「太い音」は作れます。自分の好みに合わせて、「宅リマスター」をすれば良いのです。音を出すときに真空管をかませば、さらにええ感じになります。つまり、デジタルの音源でも、アナログっぽい音は出すことができます。

 

カセットテープは、その存在自体が「あの当時の音のプリセット」を体現しているようなものです。ゆえに、カセットに音源を録音するだけで、「70〜80年代のアナログ風のエフェクトプリセット」を適用したような効果が得られるわけです。

 

しかし、その代償は大きい。

 

現在はオートリバースのデッキやラジカセなんて新品は皆無ですから、ごく普通の片面再生のラジカセしか手に入りません。よって、90分テープでは45分で再生が終了します。つまり音楽をループで流すなんてことは出来なくなります。数十分ごとにいちいちカセットを裏返して再生する必要があります。

 

そして「何曲目」「次の曲」「前の曲」を再生したい時は、地道に早送りか巻き戻しをしなければなりません。現在の「ランダムアクセス」になれた人間には、かなり面倒で苦痛な操作です。

 

そして何よりも、ノイズがすごい。今はもう、ハイポジションやメタルポジションのカセットはプレミアム価格の貴重品ですから、かろうじて生産しているノーマルポジションのテープを、何のノイズリダクションもなしに使わなければなりません。ドルビーCやdbxなんてはるか昔、今はドルビーBすらないのです。つまり「サーーーー」というテープヒスノイズ(高周波ノイズ)が絶えずまとわりついています。

 

私は70〜80年時代にカセットテープを使いまくった人間ですから、テープヒスノイズなどは「味」として許容もできますが、現在の品質基準で言えばかなり前時代的な品質です。

 

まあ、それでも、個人的な骨董趣味として考えれば、どんなにノイズがのろうが操作が煩わしかろうが構わないのです。骨董品を愛でる時の「儀式」みたいなものだと思えば。

 

 

しかし、何だ。‥‥これって、制作現場の未来を暗示するかのようですネ。


仕事の作業システムが骨董品になるのは、正直、困りますよネ。現場は今でも、立ち位置的に「磁気テープ」と等しい、「紙」をたくさん使っています。

 

今までは、ペンタブには移行しにくい面が大きく、都合、紙を使い続けてきた現実があります。ペンタブそのもののスペックが、アニメーターのニーズを満たしにくく、価格もかなり高価だったがゆえに。

 

しかし、2016年現在はiPad Proもあるし、12月にはCintiq 4Kが(スペックから見て)恐らく10万円台くらいで発売されるでしょう。来年は、より一層、コンピュータで作画する環境が充実します。

 

一方で、もし、紙と鉛筆のポテンシャルを真に引き出せるのなら、骨董品とは言わないまでも、伝統的手法としてマイノリティ=希少価値を発揮して生き続けていく方法も見えるかも知れません。二値化のインプットメソッドに甘んじるのではなく、真の鉛筆の表現力が活きる、作品を作れるのならば‥‥です。

 

でもそんな「紙の表現力が活きる」なんて、どうやって見出せば良いのでしょう。少なくとも、今のワークフローではレタス線に終始するでしょうし、そもそも「紙の表現が魅力となる作品企画とはなんぞや?」を考えなければなりません。

 

 

紙にしても、コンピュータにしても、「絵を描くことを仕事にして、流通させる」には、もうひとかわ、ふたかわ、剥けていく必要があるでしょう。今までの慣習が未来に永続的に引き継がれていく‥‥なんて考えること自体に、無理があります。

 

コンピュータで絵を描いてワークフローに組み込むなら、それ相応のフローの改良・改革は必要でしょう。私は新技術を最大活用するにはゼロから組み直すのが良いとは思っていますが、「デジタル作画」においては、まずはファイル形式とタイムシートの標準化から取り組むのが良いと思います。「デジタル作画」で一番危うい部分はタイムシートと流通のファイル形式ですもんネ。

 

紙と鉛筆を使い続けるのなら、「紙と鉛筆でしか、このクオリティは実現しない」と自他共に認めさせるだけの「オンリーワン」的アピールを考えていかねばならないでしょう。「昔から紙で描いてたから」なんていう理由は、今後、通用しなくなっていくでしょうし、もし現場がそんな理由で紙を使い続けるのならば、「時代に取り残される現場」「進化できない現場」と言わざる得ません。紙と鉛筆の性質・特質と未来予測を十二分に精査した上で、「紙と鉛筆」か否かを選ぶべきでしょう。

 

70〜80年代にカセットテープを使っていたのは、そもそも当時は、音楽を自宅で聴くには、アナログレコードかカセットテープしか選択肢がなかったからです(オープンリールもありましたが、やはりテープメディアです)。同じように今まではアニメ制作現場は紙を使うのが実質的な有効手段でしたが、iPad Proも出て、MobileStudio Proも出て、Cintiq Proも出て‥‥となると、状況は変わってきます。「それしかなかったから、仕方なく」という理由は、2017年以降、あまり通用しなくなります。

 

 

現代テクノロジーに同調して進むのか、あえて踏みとどまって希少価値を売りにするのか。

 

どっちも苦しい戦いが待っていますが、みんなはどっちを選ぶ?

 

 


Mac mini

現行のMac miniは、形こそ2012年後期のモデルと同じですが、総合性能は大きく損なわれており、何とも皮肉なことに中古の2012年のモデルの方が現行モデルよりも高い値がつくような状況です。

 

Appleの主戦場は、もはやパソコンではなく多機能電話に移行している感がありますし、何だか、皆がパソコンに夢を抱いてMacやVaioやらを買っていた時代が懐かしいですネ。

 

今までMacを使ってきた人に「今はMacは何を買えば良い感じ?」と聞かれると、オンボードメモリで拡張性がほぼゼロに等しい(開腹すればドライブくらいは…)Mac miniは、正直、薦めにくいのですよネ。

 

ちなみに、Amazonやヨドバシで現行のMac miniを買うのは、お勧めできません。現Mac miniは、オンボードメモリゆえに、後でメモリを交換して容量アップ‥‥という定番の自己カスタムができません。必ず、AppleストアのBTOでMAXの16GBにしておく必要があります。

 

ちょっとでも映像や画像を扱おうと思うのなら、今は最低16GBのメモリは必要です。‥‥というか、16GBでも少ないくらいで、標準は32GBと言っても過言ではありません。下図は、私のiMacのメモリ使用状況で、PhotoshopもAfter Effectsも使用していない状態ですらコレ‥‥です。

 

 

まあ、自宅マシンなので、ルーズに色々と起動しているので、こんな感じですが、でもこのくらいは平気でメモリを消費するのです。

 

今後、Mac miniも32GBのメモリは必須になると思います。16GBがMAXメモリで、4K出力が24〜30fpsなのは、あっという間に古びた性能になってしまうでしょう。

 

16GBモジュールはまだまだ高価なので、現在にiMacを64GBにするのはキビしいですが、いずれ64GBがごく普通になる時は来ます。世間のメディアが高品質に移行していく中、メモリの絶対量は必須ですもんネ。

 

iMacやMac miniが、タブレットではなく、パソコン=パーソナルなコンピュータを自負するのなら‥‥です。

 

Mac miniは静かで省電力でコンパクトで、良いマシンなんですけどね。Appleの今後の「パソコン」戦略は如何に?

 


ブルーカラーの我慢の限界

大方の予想に反して、トランプ氏がアメリカの大統領に選出されましたネ。

 

私は、アメリカにおける「現体制に対する民衆の不満」のボルテージが「そこ」まで高くなっていたことに、素直に驚きました。

 

現社会体制に閉塞感や行き詰まりを感じる人が、なんやかんや言っても安定路線を支持する人を上回った‥‥というのは、なんだか、明日は自分たちの番かもな‥‥と感じ入る次第です。

 

連日聞こえてくるアニメの「放送延期」「現場の悲鳴」は、決して一時的なものではなく、小さな破綻がどんどん水かさを増して、堤防を超え、いよいよ溢れ出してきた結果だと感じております。

 

この内容をこの値段で描かすか?‥‥とか、このスケジュールでこの作業内容を要求するか?‥‥とか、山ほど積もり積もった状況は、現制作システムを今、急速度で損傷させているのかも知れません。

 

業界の知り合いには、今年の風邪が引き金なのか、何人も長期の体調不良を訴える人が多く、例年より異様な雰囲気を感じます。本当に、現場は限界に近づいているのかもな‥‥と。

 

巷ではアニメーターの窮状云々と言いますが、アニメーターと言っても、動画と原画と作監ではまるで待遇が違いますから、ひとくくりにアニメーターなんていうのは誤認識の元です。そして、アニメーターばかりが辛いわけではなく、特に最終工程に近ければ近いほど、色々な無理難題を強要されたりもします。

 

目に見えないだけで、アメリカのブルーカラーにひけをとらないくらい、アニメ制作現場のブルーカラーの閉塞感とフラストレーションは極まっているのかも知れません。

 

私はもう現状のテレビの撮影なんて無理だと思いますし(今度、同じ不健康状態に落ちたら、間違いなく死ぬ)、紙の作画もあまりにも手がかかりすぎて非能率的で無理だと思います。ぶっちゃけ、紙の作画に関しては、この1〜2週間で「もう引き受けるのはやめよう」と決心しました。なぜ、非効率な作業に自分の休日の時間を削らなければならないのか、何よりも紙ベースの作画を引き受けた自分自身が愚かだと悟りました。紙が好きな人が紙の作画をやり続ければ良いのだと、完全に冷めて達観しました。

 

「デジタル作画」は旧来の作画を踏襲したものとはいえ、非効率極まりない紙での大判作業をしなくて済むことや、撮影へのカメラワークがシームレスなだけでも、はるかに紙よりも合理的だと思うようになりました。私はコンピュータの能力をふんだんに利用した作画技術をどんどん推し進めますが、「デジタル作画」陣営が旧来方式の非効率さ(=旧来方式の高コスト構造とデジタルにかかるイニシャル&ランニングコストのバランスの悪さ)に限界を感じた時に、もしかしたら利害が少なからず一致し、合力できる可能性も感じています。

 

合理的な制作手順、制作技法、制作システムを、貪欲に追求すべき‥‥でしょう。非合理、非生産的、非効率な状態を野放しにしていて、「作業が辛い」なんて、「非」を許容する人間も悪いのです。作業を発注する側だけでなく、作業を請け負った人たち、私も含めて、です。

 

非合理なことをヒューマンパワーでゴリ押しして、「ああ、ピンチを乗り越えられてよかった」なんて、ゴリ押しの矢面に立たされた人間は決して思わないものです。

 

トランプ氏はぶっちゃけ、何をしでかすかとても恐ろしいですが、トランプ氏を支持した人々の心情はわからなくもないかな‥‥と思えます。まあ、私はアメリカ社会の雰囲気を知らないのであくまで憶測ですけどネ。

 

アニメ業界も現システムと現場に対する閉塞感がどんどん濃くなっていることを考えると‥‥です。

 

 


白兵突撃の無理

絵を1枚1枚丁寧に何千枚も描いて動かす作業。どう考えたって、手間もお金も時間も必要だよネ。

 

特に今は、キャラを描くのに、昔のメカなみに線が多い場合もあるし。

 

線の多いメカが3DCGに分担作業となったとて、昔も今も、大変なことには変わりないです。

 

 

何千枚、何万枚と絵を描く作業。その夥しい作画枚数に対し、マンパワーだけで突撃する戦法。

 

ロシアの平原でソビエト兵が銃剣を構えて大声を上げて白兵突撃し、ドイツ軍の機関銃陣地に怒涛のように攻め込む光景が目に浮かびます。そんな方法を延々と続けていたら、そりゃあ、累々と犠牲者の屍は積み上がっていくわな‥‥。ちなみにソビエトは軍属だけで1000万人、一般市民も含めると総死者数は2000万人‥‥でしたっけ。桁が違いますよネ。一方、戦争をやらかし始めたドイツは総死者800万人、日本は300万人ではありますが、国土を考えればかなりの死者数ではあります。

 

やっぱりさ‥‥戦い方を大きく変えないと、「犠牲者数」なんて減っていかないって。

 

白兵突撃、バンザイチャージで、犠牲者数を抑えようとすること自体、無理があるって。

 

‥‥そう思いません?

 

 

キャラクターの線なんて、今以上に増えることはあっても、減ることはないんだし。

 

世の中がUltraHDへと以降していく中、アニメの8fpsの動きは相対的に古めかしくなるわ、画面の解像度は耐えられなくなるわ‥‥と、何もかも、守勢に転じていくさまが、今から予想できませんか?

 

 

未来の高品質映像フォーマットでアニメを作るためのアイデア、どんだけ溜まってますか? ノーアイデア? じゃあ、未来に何かプラスに展開することなんて、ありえようもないじゃないですか。

 

 

種を蒔き、水をやらないと、どんなに待っても、土から芽は出て来ないのです。

 

種を蒔いた翌日に実りを収穫できるなんてこともないのです。

 

小学校の時に学んだこと‥‥ですよネ。

 

実りを収穫したいのなら、蒔いて、育てれば、良いのです。

 


バッグにチプカシ

私はカバン・バッグ・車などに、必ず1つのカシオの安いデジタル腕時計を忍ばせています。通称「チープカシオ」「チプカシ」と呼ばれるカシオの安価な腕時計は、「チープ」だなんて失礼なほど、出来が良いのです。

 

100円ショップや無名メーカーの時計は、はっきり言って、いつでも止まる準備OKな感じで、全く信頼できません。以前に海外に作業で行く時に慌てて買ったデュアルタイムの無メーカーの時計は1年で動かなくなりましたし、100円ショップの時計は100円だからしょうがないですけど作りはいかにも雑です。

 

雑な品質と聞くと、浅はかな人々は「中国製でしょ」と言いますが、エレガントな品質のApple製品も中国製ですし、カシオの安価モデルも中国製ですから、要は現地の生産管理と環境による差であって、中国製云々は関係ないと言えます。日本が設計して生産工場の品質管理をすれば問題ないです。普及価格帯のドイツ製品も今はほとんどが中国工場製ですしネ。

 

御多分に洩れず、チプカシも中国工場製ですが、品質は良いですよ。

 

カシオの時計で、私が信頼しているのは、通称「ビンラディン・モデル」‥‥‥オイオイ‥‥というニックネームですが、F-91Wという1000円以下でアマゾンやヨドバシのネット通販で買える製品です。

 

 

 

「古ッッ」とか言う人は、「昔のデザイン」を知る人ですネ。私も、こう言うデザインを見ると、反射的に懐かしい感じがします。

 

しかし性能は今でも超一級品。これぞ日本メーカー製品の鏡という「地味なのに高性能」という素晴らしい製品です。

 

なぜ、F-91Wをバッグに入れておくか‥‥というと、時計であると同時にアラームにもなるからです。これが最大の理由です。

 

「いや、だからさ。そんな機能はiPhoneで十分じゃ‥‥」と言うセリフを喰い気味で遮らせて頂くと、iPhoneって「アテにならない」じゃん?

 

バッテリーを湯水のように消費して、いつの間にか電源が切れていることもありますよネ。私は特にそんなことが多いですが、私だけでなく誰でも一度は二度は経験していると思います。

 

時間で動くことも多い職業柄、iPhoneの残りバッテリーの数値が少ないと、途端に不安になる人生なんて、イヤなのですヨ。

 

そんな時、いつも持ち歩くバッグにF-91Wをはじめとした、カシオの安価なデジタル腕時計を忍ばせておけば、少なくとも、時刻の把握に関しては不安から解放されます。

 

*「イルミネーター」の文字が誇らしげな、ELバックライト仕様のチプカシ。私は都合、2つ持ってます。

 

どんな高機能なスマホも、バッテリーが切れれば、ただの箱。しかし、よほど運がない限り、F-91Wのバッテリー切れの瞬間が重要なイベントの瞬間と一致することはないでしょう。

 

F-91Wには伝説的とすら言っても大げさではない逸話があります。イギリスの人が子供の頃に無くしたF-91Wを、20年後に庭で発見したらまだ動いていた‥‥なんて言う他にも、何度もポケットに入れたまま洗濯したけどちゃんと動いている‥‥とか。

 

そりゃあ、まあ‥‥アブナい人たちも使うわな。。。信頼性がスゴいよネ、実際の話が。

 

 

で‥‥です。そんな感じの高性能な製品が、アマゾンで実質900円以下。しかも重量は20グラムちょいで、軽くて薄くてほどほどに小さくて‥‥とベストセラーになる理由が有り余るほどです。

 

 

私は今ではF-91Wをはじめとしたチプカシがきっかけで、時計に関してはすっかりカシオ党になってしまいました。セイコーの時計も良いですが、必ずカシオ製の時計をネット通販では検索します。

 

INOXとかも魅力的ですが、私はカシオやセイコーの1000〜30000円くらいの幅で十分です。

 

ちなみに、カシオと言えば、G-Shockですが、現モデルはファッション性ばかりが強調されて実用性に乏しいのは、ちょっと寂しい感じがします。質実剛健な時計として選択するのなら、56009052あたりでしょう。

 

*地味なG-Shockですが、F-91Wの信頼性に耐ショック性能が付加されたと思えば、中々に味わい深いモデルです。

 

 

まあ、「地味系デジタル時計」のF-91Wや5600が、どんな服にでも合うとは言いませんし、いつも身につける時計は他のでも良いと思います。しかし、時刻を知りたい時に時刻を示す何かがない時、バッグに入れておいたF-91Wが役に立つこともあります。

 

私は以前、早朝の車の中で数時間待機しなければならないことがあって、ウトウトし始めたのでiPhoneでアラームをセットしようと思ったら、バッテリー残り十数パーセントになってて信頼できずに、眠いのをガマンしていたことがあります。コンビニで目覚まし時計でも売ってないかな‥‥と物色しましたが、有料駐車場の近くのコンビニには売っておらず、「寝たら最後だ」と言う緊張感とアホみたいに一人で苦闘したことがあります。あの時に、F-91Wが1つあれば、余裕でアラームをセットして、仮眠を取れたのに‥‥。

 

まあ、今は車の中には充電ケーブルもあるし、F-91Wもありますから、何の心配もないです。急いで家を飛び出した時は、腕時計をつけるのを忘れることが多いのですが(そもそも腕時計の習慣が希薄)、流石に財布を入れたバッグまで忘れることはなく、そのサイドポケットにはF-91Wや84Wが入っているので、「今日1日はF-91でいいか」と応急の腕時計として使います。

 

iPad作画の一式を詰め込んだインナーバックもこの通り。

 

*入っているのはF-91Wの発展型(?)のF-105Wです。この一式で原画作業が可能‥‥というのは、テクノロジーの進化以外の何物でもないですネ。写真ではたまたまKindleが入っていますが、中ポケットにはFire(7インチ)も入ります。大ポケットはFire HD 8ではかなり隙間があり、iPad Pro 9.7インチやAirでもケースに収納したまま入るので、何だか「作画一式用インナーバッグ」というほど、ぴったりです。フラップ付きのポケットには大容量バッテリーや、USB充電器、ケーブルなどがスッポリ入ります。

*ちなみに、Apple Pencilのキャップはどうせ失くすだろうから、最初から外して持ち歩いています。見てくれのキャップなんて、描くのには全く関係ないですからネ。

 

 

 


デジタルから紙への難しさ

‥‥を痛感する今日この頃です。

 

紙からスキャンしてデジタルデータ化し、そのあとはずっとデジタルデータでの運用ならまだ良いのですが、紙→デジタルデータ→紙→デジタルデータを繰り返すのは、ホントに時間とお金とヒューマンリソースの無駄だな‥‥と感じております。

 

私は最近ではiPad作画で色々な「描き」の仕事をこなしていますが、紙ベースの作品ではどうしても「紙提出」の形態となります。

 

すなわち、データを出力して紙にプリントアウトし、タップ穴をあけねばなりません。

 

これが実際に、ものすごく面倒です。

 

まず、精度。

 

紙にプリントアウトする時、必ず紙が印刷ユニットに正確にロードされるとは限りません。見た目に大きくズレなくても、確実に各枚数がズレて印刷されます。でもまあ、この時点ではまだ許容範囲にあるプリンタも多いです。

 

問題なのが、タップ穴の精度。まず、紙を揃える時点で精度が落ちます。そして台座へのセットでも精度が落ちます。最近、60枚越えの原画を描きましたが、60枚を一気に貫通できるタップ穴あけ器など個人はおろか会社にも存在しませんから、都合5枚程度に分割して穴空けしますが、その時点でより多くの精度が落ちます。タップ穴開け器のあのテキトーな紙止めの機構で、正確な穴なんて開くわけがないよな‥‥。

 

書いてて嫌になる程、億劫で不毛な作業を、「デジタルto紙」では必要になります。

 

 

デジタルデータをプリントする際のデータフォーマットは、ルーチンワークでかなり効率化できます。After Effects(私はペンシルテストをする際に、After Effectsを使ってBGやBOOKまで仮組みします)で出力する際のピクセル寸法やPhotoshopのバッチ処理、「プレビュー」(Macの画像ビュワー)の印刷機能などを駆使すれば、印刷実行までの段取りは円滑です。

 

しかし問題はプリンタ本体のランニングコストとメンテナンスです。紙詰まり、インク切れ、インク詰まり、トナー切れ。

 

加えて、スタンダード作画用紙ならまだしも、大判なんぞは、分割印刷して貼り合わせて‥‥みたいなことまで必要になりますが、それをまた、仕上げさんが分割スキャンするのって‥‥‥‥どう考えても‥‥‥‥‥‥‥。

 

色々と工夫して対処することも考えられますが、私が思うに、工夫するコストを背負ってでも、デジタルデータから紙に戻す必要があるのか?‥‥ということです。

 

 

一旦デジタルデータになったものは、二度と紙に戻さないくらいのフローを徹底しないと、もうアホみたいにコストがかさみます。

 

進行さんや作画した本人が、紙に印刷してタップ穴を開ける作業だって、れっきとした労働のコストです。うまいやり方があろうがなかろうが、デジタルデータをまた紙に戻し、さらに仕上げ時にまたスキャンしてデジタルデータ化するなんて、やっぱり馬鹿げています。

 

 

iPad作画は快適です。しかし、紙ベースの作品とは、どうしてもウマが合いません。

 

そして、私自身はもう視力的に紙には戻れないので、紙の作品は実質上できないことになります。‥‥今後、私のような人はどんどん増えていくと思います。しかも4K時代も確実に近づいてきます。

 

4Kなんて普及するのかね‥‥なんて言っている人は、黒電話で通話し、連絡事項を手紙で送り、VHSの水平解像度240本の世界で満足していれば良いのです。時代のテクノロジーは足並みを揃えて進行し、人間は快適でストレスのないフォーマットにどんどん流れていきます。アニメはDVDの解像度で十分‥‥なんて言葉、2007〜8年前後に山ほど聞いたけど、また同じことを言うつもり?

 

まあ、4Kの話は置いといても、「デジタルと紙の行ったり来たり」はダメっすネ。金と時間に余裕のない業界の現場だったら、なおさら。

 

 

しかし、物事、ダメだと打ちのめされない限り、妙な希望の幻を追い続けることにも繋がります。私にとっては、もう紙は過去のものと覚悟して、未来の設計図をより明確に見据えることが必要でしょう。

 

紙と鉛筆が良いものなのは、解りきっています。鉛筆の微妙なニュアンスにデジタルデバイスは匹敵しません。‥‥でも、時代の性質が紙と鉛筆を許さない方向へ、どんどん流れていきます。

 

現在、金融機関や店舗で手書きの明細や領収書を渡されたら、「古風だな」と思いますよネ。ATMでの入出金を中央のデータセンターで人間が手書きで書き写しているようなこと、あるわけないですよネ。

 

Cintiqの4K 16インチも発表されましたし(CPUもGPUも持たないので、さすがに35万円もしないはずです)、多少の蓄えのある人は、そろそろコンピュータでの描き仕事に着手しても良い時期とは思いますヨ。アニメの現場での責任職=監督・演出・作監が変わっていかなければ、現場の技術も高コスト構造も改善されることはありません。動画や仕上げの単価に言及するよりも、まずソコ=中心人物たちの技術改革‥‥だと思います。

 

 

ただ気がかりなのは、紙と鉛筆の「即効性」があったがゆえに、新人は真綿のように基礎技術を習得できた‥‥という事実です。キャラクターの目を細かく描くとか、中3枚の歩きのポーズを暗記するとか、影付けの流行とか、そんな業界特有のテンプレ技術ではなく、形を捉える基礎的な能力についてです。

 

観察力を高め、丁寧に物体を捉えつつ、描くときはまるで3分クロッキーのように速写で形を捉える能力は、必須だと思います。3分かかってキャンバスの上で基本的なフォルムとマッスを捉えられない場合は、そもそも自分の頭の中で形を捉えていない証でしょうが、そうしたことをシュッシュバッバとこなすのに、今のデジタルデバイスの反応速度はいかがなものか。

 

MobileStudio Proは、OSとソフトウェアの影響なのか、iOSとProcreateほどには反応が良くない印象です。そしてiOSとProcreateは、反応速度の点で紙と鉛筆に明確に劣ります。

 

新人の基礎能力育成において、紙とデジタルのmissing linkをどうすべきか。実はとても頭の痛い問題ではないでしょうかネ。

 


アマゾンプライムビデオ

私はつい最近まで、アマゾンプライム会員だと沢山の無料ビデオが観られるのを知らずにいました。知った今では、Fire端末で夜中の独り仕事の際に、以前書いたJBLのスピーカーで鳴らして楽しんでいます。JBLのスピーカーがこれまた、セリフが聴き取りやすいんですよネ。

 

999、うる星やつら、ガンダム、Zガンダムなどの旧作もあります。高校時代に、Zガンダムで出てきたサイコロみたいなガンダムを友達の手伝いで動画で描いた覚えがあります。サイコガンダムでしょうね、おそらく。サイコってpsycho、psychicのことかと思ってましたが、今考えると「さいこガンダム」だったのでは‥‥。ZZガンダムもアマゾンで観れますが、ZZガンダムは私の駆け出しの頃の、苦い記憶満載なので、私的な理由で見る気がしないのです。ちなみに、エンドクレジットで名前が初めて世に出たのって、ZZガンダムだったような気がします。最初に関わった話数は高校3年生卒業間際でしたが(時効だからいいよネ)、ほんの数年前の中学生の時にはレイアウトもタイムシートも全くわからなかったのに、人って変わるもんですネ。

 

私はわりかし、五社英雄監督の日本映画が好きなのです。出てくる人間の存在感がエロい‥‥というのも理由でしょうが、なんとも切ない筋立てが魅力です。

 

四国弁(?)で啖呵を切る女性たちも、たまらなすぎる魅力です。夏目雅子さんとか岩下志麻さんとか浅野温子さんとか、五社作品に出演すると、一層美しさが増すように思います。

 

五社作品の世界観は、原作ゆえかも知れませんが、男は極道、女は女郎‥‥のような一般人からかけ離れた人物像が中心で、システム化が進んだ平成の今では得られない、荒削りでむき出しな群像劇が魅力です。(今回、「魅力」を連発してますネ)

 

池上季実子さんと浅野温子さんの、「陽暉楼」での長回しの喧嘩シーンは、6+0のシートに慣れたアニメ関係者には、とても新鮮(心配?)に目に映ります。「まだ続くの?」と思うくらいの長回しって、実写だけの専売特許だと思います。ちなみに、アニメでもスカイクロラでは120秒のカットがありましたけどネ。

 

五社映画は乳がすぐ出るので、まるでエロ映画のように思われがちですが(宣伝の影響もあって)、実際は人の情念が渦巻くドラマです。単なるエロ観せの映画に、仲代達矢さんや緒形拳さんが出演するかいな。

 

そういえば、アマゾンビデオには、「薄化粧」がラインアップされてないですネ。

 

「薄化粧」は大好きなんですよネ。緒形拳さんが、とにかく最高です。

 

「薄化粧」で表現された「人間の闇」って、2016年の今でも全く同じでしょうが、現在はあえてその闇をダイレクトには表現しませんし、「共感」や「癒し」という鎮静剤で闇を鎮めているような現代社会においては、表にだしたくもない‥‥のでしょうネ。

 

 

五社作品のような方向性はともかく、アニメにはもっと表現の広がりがあって然るべきとは、思うんですよネ。

 

例えば「萌える」という感情にしても、アニメではかなり狭められたフィールドに押し込められている状況が昨今あって、童顔のキャラに固執する傾向に埋め尽くされていますよネ。そんなにみんな、おしなべて、幼い顔立ちのキャラが好みなのかなぁ‥‥。アニメの女キャラはなんでもかんでも幼女風に仕立てないと成立しないのかなあ‥‥。

 

 

アマゾンプライムビデオでいろんな作品を見ていると、色々な感慨を得ます。アニメばっかり作っていると麻痺しがちですが、世の中には過去から現在に至るまで、本当に、いろんな映画、作品がありますよネ。

 


シェルター

検索欄に「アニメ業界」と入れると「崩壊」と検索候補が自動入力される、2016年11月の今。

 

まあ、アウトサイダーから見れば、「他人の不幸は蜜の味」、退屈しのぎのイベントのようなものでしょうが、そんな簡単に何か大きなものが一度に崩壊することはないものです。ノアの箱船の洪水のような劇的なものではなく、もし滅びが訪れたとしても、徐々に浸水、もしくは砂漠化して、民は順次移動して、かつて繁栄した集合体が寂しい小規模へと推移する‥‥という感じじゃないでしょうか。

 

みんな映画の「インディペンデンスデイ」みたいな展開、好きだよねえ‥‥。「崩壊」っていう言葉を選ぶあたりで、ハデなルックが好きなんだよな。

 

2017年にもっと深刻になる‥‥なんていう文言も見かけますが、もしそうだとしても、近年の異常な膨張がしぼんでいくだけの事と思います。現業界の老朽化したシステム構造で、100本作っていること自体が深刻ですもんネ。

 

崩壊云々よりも、アニメ業界に含まれている技量の高いスタッフ、若くても才気に溢れる人材を、どのようにアニメ業界とは別枠のムーブメントに取り込んでいくかのほうが重要です。

 

結局はアニメ業界が滅んだからといって、アニメ会社は残るし、アニメのニーズも依然として存在するわけです。‥‥というか、アニメを制作する会社組織が存在して、ニーズもあるのだとしたら、「崩壊って何?」って話ですよネ。

 

要は、無理していた会社が耐えきれなくなって倒れ、その数が平年より多くなる‥‥というだけの事だと思います。

 

私は20代の頃に、メカ・エフェクト作画監督をしていた作品の会社が倒産したことがあります。前にも書いたことがあるかな‥‥。外注ではなく、中に席を置いていたので、人聞きではなく、リアルに事の成り行きを体感していました。‥‥なので、「倒産の雰囲気」を知っておりますが、無理をごまかしごまかし運用していたのが、とうとう進むも退くもできなくなって、最後はあっけなく「その日」を迎えるのです。1945年の8月14日と15日の境みたいに。

 

 

ですから、私が仮に「業界崩壊」を想定するとしたら、「終戦の混乱時」のように、制作陣と連携をとってどのように新制作システムを整えるか‥‥です。時間はいつもと同じくあっけらかんと過ぎていきますが、「有事」には淡々と「すべきことをなす」だけです。

 

でもまあ、ホントに崩壊なんていう事態が発生するのなら、逆にチャンスだとすら思いますけどネ。でも、それはないだろーなー‥‥。衰退のシナリオは思い浮かびますが、崩壊のシナリオは思い浮かびませんもん。

 

そんな業界内輪のことでなく、私が本当に怖いのはリアルな「戦争」です。何らかの理由で戦争が始まったら、世の娯楽産業は壊滅的な打撃を受けます。戦時でもアニメを作り続けるために「戦意高揚のアニメ」に加担する? ‥‥人生、狂っちゃいますよネ。

 

私にとっては、隣国の核武装のほうが、よっぽど懸念事項です。

 

 

でもまあ、もし業界のライフラインが崩壊すると想定して、いろいろな準備をしておくことは結果的に良いことだとは思います。以前に書きましたが、洪水がこなくても、箱船を作っておくのは、未来へのプラスになると思います。

 

崩壊なんておきようがおきまいが、業界のシステムに依存せずに、4K8K時代のアニメを独自生産できる仕組みを得られれば、色々な方角のビジネスチャンスが得られますもんネ。

 

キューバ危機、冷戦時代のアメリカのように、シェルターをつくるのも一興かも知れませんが、そこで問われるのは、どんな仕様のシェルターか‥‥ですネ。


前回、質よりも量を優先するスタンスは、何らかの理由で行き詰まる‥‥と書いた直後でナニですが、新人の頃から質だけを求めすぎると「手が遅くなる」という弊害も出てきます。

 

今はどうか知りませんが、私がフリー原画マンのキャリアをスタートした1980年代後半は、「最初はテレビのローテーションに入って、とにかく数を上げる」というのが、上達する常道でした。新人のまだ右も左もわからないうちから、「どう進めば良いんだろう」と立ち止まるよりは、「とにかくそこらじゅうを走れ! そうすれば地形を覚えるだろ?」という理屈で、「習うより慣れろ」という習得方法でした。

 

私が18〜19歳の頃に上げていた原画カット数は、最低70カット、多い時で120カットくらいでした。120カットは相当キツかった覚えがありますが、でもまあ、平均で90カットくらいは原画をコンスタントに描いていました。作品は線の多いロボットものもあれば、線の少ない可愛らしいキャラ、日米や日仏合作などのいかにも外国風のキャラのアニメなど、色々な種類をこなしていました。

 

前回書いた通り、19歳・20歳の頃に、「農閑期」1月に仕事がなくなるミジメな思いはしたものの、数を上げる自信はそこそこついた2年間でした。

 

「数を上げる自信」はすなわち、「食っていける自信」と同義でした。

 

ちなみに、1987年ごろの駆け出し原画マンだった私の平均的な収支は‥‥

 

  • 収入
    • 原画作業費・源泉抜いて手取りが15〜20万(当時は1カット2千円台前半)

 

  • 支出
    • 家賃35000円(水道代込み)
    • 電気代5000円前後
    • ガス代3000円未満
    • 電話代10000円以下
    • 食料費30000円前後(記憶が曖昧)
    • 交通費10000円以下
    • 書籍などの資料購入費〜覚えておらず
    • etc...

 

つまり充分「やっていける」収支でした。家賃が35000円というのが、今の物価からすれば、最強ですよネ。家賃がこの金額で済めば、家計は楽だよね‥‥。ちなみに「風呂なし」物件でしたが、4畳半2部屋で、広く使えました。2010年代の現在、風呂なし物件なんて、あるんかいな‥‥。

 

私は高校時代から動画・原画(は少し)も作業していて、「業界のお金の実感」を既に把握しており、「数を上げなければ、絶対に食っていけない」とわかっていました。ゆえに、月70カットは絶対に死守する覚悟で作業していました。

 

数を上げられる自信は大きく、その後の私の固い足場となりました。

 

家賃を払っていかなければならない、食っていかなければならないという必然性により、数を上げられる足場を自然と形成できたわけです。そして、「量だけで自分をアピールする虚しさ」ゆえに、前回書いた「質」への挑戦が始まったわけです。

 

一方、数を上げられない友人たちは、業界をやめていきました。当時は80年代のアニメブーム中盤でしたから、アニメーターを目指す友達は多かったですが、結局、地元で残ったのは私ひとりになりました。

 

数を上げられない人は食っていけない。作業スピードについていけなければ、仕事から外される。‥‥これって、他の業種でもあることですよネ。

 

 

‥‥で、私の同年代の人の中には、2010年代の若い人たちに対して、1980年代当時の状況で諭す人もいるかも知れませんが、それは酷というものです。

 

まず根本的に、生活にかかるお金が違いすぎますし、80年代のロボットアニメとは違う神経質さで今のキャラは描くのに時間がかかります。2010年代の「量」は、色々な「現状」を鑑みて語らなければならない話題と言えます。

 

スマホを持つな、パソコンを持つな、風呂なしの安アパートに住め、エアコンなんてもってのほかだ‥‥なんて言う奴、どこにいる??? もしそれが可能だというのなら、言った人間が実践して、夏場に熱中症で救急車のお世話になればよいのです。

 

昔の練馬は涼しかったけど、2010年代の今は、周囲の様々な熱風が淀んで、クーラーなしでは住めないでしょう。

 

ただ、どうな状況であれ、今昔に関係なく、量をこなせる作業力は、いわば基礎体力のようなものです。基礎体力による基礎トレーニングの下地があって、様々な技巧を積み重ねていけます。

 

私としては、新しい作画法も準備する中、量に対してタフな人材を得るために、どのような方法があるのか、考えていかねばなりません。

 

 

一方、私のメイン作業であるコンポジット。いわゆる「アニメの撮影」は、2008年くらいの頃から、本撮3日なんていうスケジュールにまで劣化しており、個人の作業スピードや技能が云々なんて挟む余裕もありませんでした。原画で言うところの「最低限の原画しか描かずに、書きなぐって数を出す」的な作業で、スケジュールのしわ寄せを一気に解消するセクションと化しています。

 

腕前がどうこうなんて言ってる余裕もなく、不本意な出来栄えの上がりをどんどんテイク1で出して、どんどんリテークが出て、どんどんテイク2テイク3を出して‥‥という、濁流のような作業が続きます。‥‥まあそりゃ、体も壊すって。

 

しかし、コンポジットのキャリアをゼロから積むときに、現在の過酷な撮影状況を生き抜いた経験は、「基礎体力」として相当な自信にはなるはずです。

 

まさに「Fucking Hell」、撮影地獄を生き抜いたんだから、今後の多少の困難なんて、ライトテイストだ‥‥と感じている撮影スタッフも多いのではないでしょうか。

 

 

ただ、今のアニメの撮影に欠けているのは、「ステップアップ」の伸びしろです。

 

下手をすると、アニメの撮影になったら、おじいちゃんおばあちゃんになるまで、今の地獄の撮影スケジュールにつきあわされるかも知れません(そんな乱作バブルの状況は続かないという予測もありますが)。

 

撮影スタッフの次は撮影監督。‥‥で、その次は? 

 

同期の人間がみんな撮影監督になったら、現場は撮影監督だらけになりますよネ。しかも、若い中堅などは、才能があっても、上が詰まっているから撮影監督に一向になれない‥‥とか。

 

それに、「時間とお金はたっぷり用意しますから、最大限に美しい映像を表現してください」と言われた時、テレビシリーズの撮影メソッドでは対応できないことも多々でてくるでしょう。実際に、「品質に対して、テレビシリーズとは比べものにならないほどの、お金と時間を用意する」作業は、ちまたにはあるものです。

 

もし、アニメの撮影でなく、コンポジットを基軸とした映像表現の大きな広がりに自分の身を投じたいのなら、ある一定期間を経たらアニメの撮影を辞めて、他の職種やジャンルへ転職しなければならないでしょう。

 

ビジュアルエフェクトやグレーディング、様々な映像開発、作品企画、様々なプリプロ、実写映画、実写ドラマ、実験映像、2D&3DCGの映像作りこみ、モーショングラフィック、欧米の企画物‥‥など、実はアニメの撮影と同じ機材を用いても、「アニメの撮影」ではなく「コンポジット」という大きな枠で考えれば、大きな伸びしろがあります。私が今メインで作業しているのも、「アニメの撮影」ではなく「コンポジット」を中心として派生した様々な映像制作です。

 

アニメの撮影部署の中にいると、その作業枠から抜け出すことは難しいですから、「量に対応する実戦経験」を積んだ後は、自分の未来を見据えて行動する必要があります。

 

 

 

量をこなせる実力は絶対に必要。

 

しかし、いつかは、「量から質へ」シフトする時期を迎える。

 

このことを、自分の成長戦略に見定めておけば、フレキシブルに自分の境遇を操作することもできます。

 

 

 

まあでもね‥‥。作品の監督が欲するのは、なんだかんだ言っても「質」なんだよネ。

 

だから、作品を制作する上で、自分の中に「質」のジェネレーターを用意しておくことは、とても重要なんですよネ。

 


技術力で身を立てる

この10年間は、まさに「デジタルアニメーション」が量産化されて、大量生産のニーズにも応えた10年だったと思います。

 

ゆえに、大量生産向けの技術しか持たないスタッフも相応に増えたことでしょう。実際に、現場を見ていて、実感します。

 

まさに労働力を要求された10年だったかも知れません。しかし、労働力のニーズは、生産数の規模が減少すれば、当然のことながら減っていきます。

 

つまり、質より量で稼いでいた人は、生産数の減少とともに除外されていくのです。

 

 

質で稼いでいる人は、量を必要とされる場面でも必要とされます。質を買われて、仕事がなくなることはありません。

 

しかし、その逆はないのです。量で稼いでいる人は、量を必要とする場面では重宝されますが、量が少なくなって質を問われる場面では、仕事を失います。

 

 

構造は簡単です。以前より量が減って、質が重要視されるようになった場合、わざわざ、量だけが取り柄で質の悪い人間に仕事を依頼しなくても、質の高い人間だけを人材として選べるのです。

 

残酷な話ですよね。でも、現実にあることです。

 

 

私は18歳でフリー原画マンのキャリアを本格スタート(動画は16歳で在学中に)したのですが、19歳になった新年1月にちょうどテレビアニメのプリプロ期間となって、原画作業の依頼が全くなくなったことがあります。

 

一方で、技量の高い方々は、オープニング作画や他のOVAなどの仕事を依頼されるなど、いわゆる「スキルに応じて、制作の対応が変わっていた」ことを知って、我が身をとてもみじめに思ったものです。そして何よりも「このまま依頼が無かったら‥‥」という恐怖も感じたものです。

 

幸い、翌月2月には他社から作業依頼があり、仕事は再開しましたが、「下手=干される」の恐怖感が植え付けられました。フリーランスだから、なおさら‥‥ネ。

 

「原画を上手くなろう」と思いました。‥‥今考えればアホみたいですが、当時はそう思ったものです。「原画が上手くなる」って何なのかも見えていないのに、漠然と上手くなろう‥‥って言ってもさ。

 

そして20歳の新年1月。やっぱり、1月に仕事がない。‥‥すごくみじめでしたが、その1ヶ月に色々なことを考えました。

 

自分なりに結論したことは、「この人に仕事を出したい」と感じる魅力が、自分の絵にはないのではないか、「うまい、うまくない」なんていう漠然とした基準ではなく、他者のココロをくすぐる要素が自分の絵に表せていないのではないか、そもそも独りよがりの「原画風の絵」を描いていただけでは無いのか‥‥という自己批判をしたのち、頭を切り替えて、「原画」ではなく「かっこいい絵」「かっこいい動き」を描こうと心に決めてみました。

 

そして、21歳の新年1月。私は何本かの原画作業を掛け持っており、仕事がなくて干されていた頃が懐かしいくらいでした。

 

‥‥なんでしょうか、この状況の変わりようは。

 

その後、めでたしめでたし‥‥で終われば安易な感動ドラマみたいですが、実は真逆で、今度は「かっこいい絵」「かっこいい動き」にこだわるがあまり、原画枚数がどんどんかさんでいって、全く数が出せなくなって、アパートのライフラインが停止するなどのド貧乏に陥る‥‥という、これまた無残で長期間の苦悩へと突入するのですが、その話はまたいずれ。

 

しかし、私の命運を最初に分けたのは、確実に「クオリティ路線へのシフト」です。

 

クオリティへと路線変更せず、絵コンテで指示されただけのことを最低限描くだけの原画マンだったら、私はこの業界を20代で辞めていたと思います。

 

「この人に原画をやってほしい」

 

「この人に作品に参加してほしい」

 

‥‥そう、周囲に思わせる必要があるのです。

 

そうでなければ、仕事の依頼なんて、「誰か、手空きで余っている人、いる?」的な雑な人材配置に翻弄されるだけです。

 

「あなたにやって欲しいんです」と言わせるだけの、自分の技量で身をたてなければ、遅かれ早かれ、悲しい思いをするでしょう。悲しいだけならまだマシで、未来の自分の行く先さえ、危うくなります。

 

「このカットの場合は、原画何枚で中何枚で」‥‥なんていう、決まった描き方のテンプレートで仕事をしている原画を最近はよく見ますが、そんな「描いた人間の顔が見えない」描き方をしていると、3DCGのトゥーン処理に今から負ける準備ができている‥‥ということです。

 

 

こういったことは、「アニメの撮影」でも同じことが言えます。ただし、何も無いところから描く原画と違って、撮影時には基本的な絵の素材が揃っているので、どんな出来栄えでも、皆「そういうものか」と受け入れているだけです。実際は同じ素材を用いても、コンポジット技術によって、大きな表現力の差が映像に現れます。刺激的なシーンになればなるほど、コンポジット技術力の差は一目瞭然です。

 

でもまあ、「アニメの撮影」の場合は、スケジュールのしわ寄せが酷すぎて、技術力を導入する時間もないのが現状です。アニメ業界の状況はまだ当分変わらないでしょうから、自分の未来の危機を感じた人間だけが、自己投資して違う未来の可能性を見出すしか、現状脱出の手立てはないでしょうネ。

 

 

「量が必要な時に、自分たちは寝る間も削って、命もすり減らして、最大限貢献したんだ。‥‥なのに、量が必要とされなくなった途端、お払い箱か?」

 

‥‥そう言いたい気持ちはわかります。でも、アニメ業界に限らず、世の中の産業構造というのは、似たようなものです。上述した通り、私も若い頃に苦くみじめな経験をしました。

 

しかし、「量だけで生きていけると思ったのか? 量で稼ぐ構造にやがて限界がくるとは、予測できなかったのか? 質で稼ぐ方法を全く模索してこなかった自分にも責任があるのではないか?」‥‥という自己批判も必要です。

 

量の反動として、今度は質を求められる時が来る。‥‥そうは思わなかったのか?‥‥ということです。

 

 

それに人間、だれでも老いるのです。

 

量で稼ぐ方法なんて、いつまで保つんでしょうか。20代の人間でも、30年後には50歳なんですヨ。20代の意識と同じまま50歳になったら、老いたカラダが大量生産についていけなくなるだけです。

 

いつかは、クオリティで自分を周囲に認めさせるフェイズが到来するのです。もちろん、「認めさせる=相応の報酬で」‥‥です。

 

 

まあ、今のアニメ業界、どんなモノ造りの役職についても、貧乏神と同居しているようなものかも知れません。よっぽどの「スター作監」でもないかぎりは。

 

だからと言って、自分の「技術品質」をおろそかにしていては、より一層酷い状況においこまれるだけでなく、何かしらの新しい技術で未来への道が開けた時、未来へ向かって歩き出す事もできないです。

 

 

自分の技術力で身を立てるということは、映像の表現に実質的に関わる人間ならば、避けて通れないことです。今はテレビシリーズの乱作に付き合っていたとしても、心の底では理想を持ち続けて、実際にチャンスがあれば実践して、周囲の油断している人間たちとの差を表すべきです。

 

「あなたに作業をお願いしたい。相応の報酬はお支払いするから。」

 

‥‥こう言わせる人間になっていくことが、どんな時代のどんな現場でも通用する事だと思います。

 

 



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