サンダーボルト

Cintiq Pro 16が発売(予約開始)されて、色々判明してきた事の中で、一番イタタの部分は、Thunderbolt3(USB-C)でしか4K表示ができない点です。つまり、出力側のビデオ性能が4Kスタンバイでも、USB-C/Thunderbolt3を装備していなければ4Kタブレットにはならないということです。

 

これは「現在の観点」で言えば、中々にキツい条件ですネ。

 

 

Thunderbolt3。USB-C

 

一部の最新型Mac(MacBook)やWindows機がようやく搭載し始めた高速転送の規格です。

 

Thunderbolt3の転送速度は40Gbps(理論値)で、映像屋の視点で言えば、4Kの映像を何トラックもストリームするのに適した規格と言えます。‥‥もちろん、送り出し側に極めて高速な送出速度が求められますが。

 

ちなみに、今でも現役のUSB2.0は0.5Gbps、USB3.0ですら5Gbpsです。Mac標準のThunderbolt2は20Gbpsで、私の作業場のMac ProはThunderbolt2のRAID0を組んであり、4KのProRes4444の60fpsをなんとか再生できるスペックです(=HDDのRAIDなので、規格の理論値が20Gbpsでも、2〜3Gbpsの実測値しかでません。SSDのRAIDなら速度が期待できますが、容量がな‥‥‥)

 

4K8K時代の映像制作を鑑みれば、たしかにThunderbolt3の40Gbpsの速度は妥当とも思えますが、現実と理想は常にギャップがあるものです。実際、転送速度だけ速くなっても、送り出し側の速度がイマイチついていけず、実がともなわない感があって、Thunderbolt3は盛り上がりに欠けていました。

 

Thunderbolt2で満足していた2014年に、次期規格としてThunderbolt3のスペックを見た時には、「未来のケーブル(要は規格ですネ)、きたー!」と思いましたが、「アニメの現場にこれが入ってくるのは、数年は待たないとダメだろうな。」とも思いました。

 

 

 

MacBookやiMacって、往々にして現在の標準より前倒しで規格を盛り込む傾向があって、まだフロッピーが活躍していた頃にフロッピードライブやSCSIを廃止してCD-ROMやUSBオンリーにしたり、CDやDVDドライブの廃止=データを何か固有の媒体で提供する概念自体を廃止したりと、「極端過ぎる」と「常識派」から難色を示されてきた経緯があります。結果的には、「常識派」の支持していたものは廃れていき、Apple製品が示したチョイスの多くは世の中の主流を先取りしていたと言わざる得ません。

 

去年2016年からMacBook ProはThunderbolt3を搭載し始めました。オルタネートモードによりUSB-Cとの共通性・互換性があるので、以前より融通が効きそうです。

 

Thinderbolt3・USB-Cは、一層の高速データ転送の未来において、有力な選択肢なのだとは思います。実際、Thunderbolt規格とUSB-C規格の差異を意識せずに周辺機器が接続できるようになれば、すごく楽ですよネ。

 

しかし、Apple製品でもThunderbolt3は最新型のMacBookしか搭載しておらず、Cintiq Pro 16は、さらにそこから「ペンタブで絵を描く人」に絞り込むわけですから、2017年4月現在では、中々な「狭き門」です。

 

 

USB-Cは確かに便利。しかし、普及加減はまだまだなので、ユーザ側の反応はいかなるものか。

 

Cintiq Pro 16の売りの4K性能は、今しばらく「おあずけ=マシンを買い換える時まで」ということでしょうネ。

 

 

 

まあでも、4K性能がおあずけでアダプタ経由の2.5Kでも、十分絵は描けると思いますけどネ。

 

2.8KのiPad Proで6Kの原画も問題なく描けているので、ドットバイドットでなくても、高詳細液晶パネルで快適に絵は描けるんじゃないかと推測します。

 

単体で使うMobile Studio Pro 16と違って、メインディスプレイと併用するのが一般的でしょうから、邪魔なツールウィンドウはPCモニタ側において、必要なツールウィンドウだけを16インチ側におくようにすれば、広く使えることでしょう。

 

ちなみに、私の作業場のMacProは「トリプルモニタ」です。しかも、2台の2.5Kモニタがミラーリングで、1台が2Kモニタという変則的な構成で、これがまた、ワコムのペンタブドライバの不具合のタネになるのです。ゆえに、板タブすら通常はOFFにしているくらいです。‥‥なので、今の作業環境にさらにCintiqを追加するのは相当ムチャな話で、今のところ、Cintiq Pro 16の導入は考えておりません。

 

どうしてもクリスタをCintiq Pro 16で使いたい!‥‥というニーズが高まってきた際には、マシンの調達も含めて考えようかと思っていますが、一方でiPad作画が相当使い勝手に優れているのも実感しているので、もう少し先の話‥‥ですネ。秋頃と噂されるiMacの新型がUSB-Cを搭載した頃に、妄想を膨らませてみようかと思います。

 

 

でもまあ、なんやかんやいっても、テクノロジーの発達はわくわくするものです。

 

Blood劇場版やイノセンスを作ってたときに、4K60pHDRなんて考えもしなかったですもん。PC/Macにフロッピーの挿入口がついている光景は普通なことでしたしネ。DVD-Rに自分でオーサリングしたDVDコンテンツを焼いて、家電のDVDプレイヤーで29インチブラウン管テレビで見る‥‥なんてことが「すごい時代になった」と思ってたのが、今や‥‥です。

 

私の作業グループではもはや4Kは「来たらやりますよ」くらいな感触になり始めてますし、実写でも3DCGでもないアニメの60pのモーションにも慣れてきています。

 

「アニメとはこうあるべき」なんて宣う「常識派」の格言なんて、その格言が吐かれる時点ですでに骨董レベルになり始めているのです。

 

ほんの10年ちょい前、SD(地上波アナログ)に慣れきった人々が、「HDなんてオーバースペックな高詳細フォーマットで、アニメは何を作れば良いんだ」‥‥なんてセリフをぼやいていましたが、いまそれを言う人、居る?

 

同じような性質の人々が、今度は「4Kで何を作れば良いのか、わからん」などと同じ事を繰り返して言ってるんだよな。

 

* * *

 

ビデオ解像度で一歩遅れをとり続けていた液タブでしたが、Cintiq Proは一気に現代的なスペックまで引き上げました。USB-Cというのが、やや「引き上げすぎた」感もあるのでしょうけどネ。

 

Cintiq Pro 16は、4Kで繋げない面を強調するよりも、先行投資と考えて、今は2.5Kで使うけど、2〜3年後にマシンを買い換えたときに本来の4Kで使う‥‥という考え方もアリでしょう。

 

高詳細液晶に直に絵を描く感覚は、結構マジメに、未来のスタンダードになるような気がしています。

 

現在、紙の作監作業を久々に引き受けたりしてますが、iPad作画を経験した後では、紙の良さを感じるよりも、紙の欠点のほうが目立つようになりました。iPadならば、拡大表示すれば視力とか関係ないし、黒鉛や消しゴムの物理的精度も関係ない、どんなに描いても先端が丸くならずに細い線を維持できる、自分の腕の動きに合わせて紙(=キャンバス)を自由にジェスチャーで移動ズーム回転できる‥‥など、「デジタルのやりにくさ」を相殺するにあまりある利点がiPad作画にはあります。クリスタやTVPでも同じことが言えると思われます。

 

ただそうした利点は、作業者レベルの限定した範疇で、作画システム自体を揺り動かすほどではありません。何度も書きますが、新しい時代の新しい技術基盤の新しいニーズが生まれてきた時、ようやく「包括的な」コンピュータベースの作画システムの必要性が認識されるのだと思います。

 

 

 

で、CIntiq Pro 16。

 

iPad作画を常用している私としては、「いいじゃん。当面は2.5KのCintiq Pro 16でも。」という感じでしょうかネ。

 

マシンはどうせ買い換えることになります。その時に、Cintiqを4Kで表示できるマシンを調達すれば良いのです。

 

4Kでなく2.5Kか‥‥と意気消沈するキモチもありましょうが、それよりも、高詳細液晶に絵を直に描くという体験をし、常用レベルまで習熟するほうが、よほど未来の実りに繋がっていく‥‥と感じます。

 

 


「デジタル」の基礎/解像度

「デジタル」の基礎知識など、必要がなければ、一向に覚えません。あたりまえのことです。

 

また、基礎知識と言いながら、実際は「暗記する約束事」にしてしまいがちな場面を多く目にします。

 

例えば、解像度の話題で、約束事として暗記だけしている人と話していても、イマイチ話が噛み合わないことがありますが、それは当人が「暗記だけして、原理を理解していない」からです。

 

解像度は、映像制作の場合、大きく分けて2種類あります。「ビデオ解像度」と「スキャン&印刷解像度」です。しかし、どちらも解像度には変わりありません。

 

「解像度」と何気なく口にするものの、実のところ、「解像度」ってどう言う意味か、考えたことはあるでしょうか。まずソコの時点から理解してなければ、解像度の話題なんてしたところで、打ち寄せる波にさらわれる砂の城のごときです。暗記モノの単語としての「解像度」を覚えている程度では、基礎を習得したとは言えません。

 

「解像度」は、漢字がまさに意味を表していますよネ。

 

「像を分解する度合い」です。

 

画像ならば、その画像をどのように分解するのか。1インチあたり150ドット(ドット=画素=ピクセル)で分解すれば、150ドットパーインチ=150dpiです。

*扱われるケースによって、ピクセルパーインチ=ppiで表すこともあります。

 

画面全体ならば、その画面をどのように分解するのか。SD/DVDは横幅を720個の画素に分解していますし、HD/BDは1920個の画素に分解しています。

 

この「分解してデータに収める仕組み」は、画像だけでなく、音や動きにもそのまま適用できます。ただ、音や動きの場合は「解像度」という言葉を使用せずに、サンプルレートとかフレームレートなどの専用の用語を用いているだけです。

 

 

こうしたことを仕組みや原理で覚えるのではなく、知識を暗記モノで構成してしまうと、すごく頑固で応用も融通もきかない人間になります。‥‥ぶっちゃけ、です。

 

それは、「暗記したものが正しい」と思い混んで、思い込んだ要素が増えれば増えるほど、自己洗脳に拍車がかかるからです。

 

暗記ではなく、約束事でもなく、知識を仕組みや原理で覚えれば、違う仕組みや原理と遭遇した際に、「なるほど」と柔軟に受け入れられます。

 

 

例えば、アニメ制作で解像度を「仕事の流儀や慣習」「機材の性質」だけで覚え込んでしまうと、「解像度の使い方」も通り一遍になってしまい、応用が利かなくなります。

 

解像度は、縦横必ず同じ数値とは限りません。アニメ現場のスキャン解像度は縦横等倍のいわゆる「正方形ピクセル」が慣習ですが、世の中には縦と横の解像度が異なる場面も少なくありません。ゆえに「ピクセル縦横比」なんていう用語もあるのです。

 

実際、JPEGのEXIFのタグ(当該画像の情報を記録するデータ)の中には、縦と横の解像度を記録するタグがあります。

 

XResolution =横幅の解像度 ;0x011A ;Rational型
YResolution =縦幅の解像度 ;0x011B ;Rational型

 

 

なので、「1000px x 1000px」の縦横同じピクセル数の画像でも、

 

X解像度:100dpi, Y解像度:200dpi

=横254ミリ 縦127ミリの横長の画像

 

‥‥というような使い方もできます。

 

その昔、SDで16:9を扱っていた頃は、720x480(486)で16:9の画面を収めていました。現在の地デジも1440x1080で16:9ですよネ。352x480なんていう規格もありましたかネ。計算してみれば判りますが、720x480や1440x1080はそのままでは決して16:9ではないですが、解像度を縦横別々に扱うことによって、ちゃんと16:9に映し出せるわけです。

 

ビデオの場合、こうした縦横の幅を変えた=縦横比を変えた映像記録方式を、「アナモフィック(アナモルフィック)」「スクイーズ」と呼び表します。フィルム時代であっても、アナモルフィックレンズを用いて、スクイーズ状態でフィルムに記録していたのは、今となっては驚きですよネ。

 

 

最近、「デジタル作画」の影響か、「作画さんもデジタルの知識を覚えるべき」というのを目や耳にしますが、一方で、アニメ業界の「デジタルの知識」って結構丸暗記物です。

 

暗記物スタイルで「デジタル」の知識を増やしたって、応用や機転なんて利かないですよ。

 

ファイル形式とコーデックのそもそもの違いもわからないのに、ファイル形式はMXFで‥‥だの、コーデックはAvidのDNxHDの‥‥だの、名称を暗記しただけで知識が増えたと勘違いする人も映像業界全般に多いものです。そしてそういう人の多くはインハウスの定型フローだけで純粋培養された箱入り息子&娘だったりもします。

 

かく言う私もかつては、アニメ業界しか知らない箱入り息子だったし、現場の慣習をまるで万物の法のように信じ込んでいた「痴れ者」だったがゆえに、しみじみ解るのです。

 

アニメ業界の「デジタルの知識」とは、いかなるものか、その辺が慣習上のなんとない暗記物で、定義も出自も曖昧ならば、ちゃんと覚えるきっかけは掴めません。

 

 

ではなぜ、私が基礎知識を原理から習得するに至ったかは‥‥、まさに「必要」だったからです。

 

玄関を入ると綺麗なロビーと受付があって、大きな試写室で映像を見た後に、綺麗な会議室で専門分野の方々に専門分野ガチの話題をされて、それにちゃんと映像制作プロダクション側の人間として疎通するためには、どうしても「共通の映像技術の原理の理解」が不可欠だったのです。

 

つい去年までアニメの作画机しか知らなかった人間が、現像所の専門スタッフとフィルムレコーディングの云々を話すためには、「餅は餅屋」の知識には及ばないまでも、最低限の基礎知識は仕組みから理解している必要があったのです。1990年代後半のころ‥‥です。

 

なので、この記事の一番最初に、

 

「デジタル」の基礎知識など、必要がなければ、一向に覚えません。

 

‥‥と書いたのです。

 

廃品を廊下に放置するようなルーズな現場で、ルーズな知識レベルでルーズな話をしている範疇ならば、知識なんて原理から覚える必要もないでしょう。何の責任も生じないルーズな場での雑談なのですから。

 

しかし、言った言葉に責任が生じ、その言葉で現場が動いてしまうような性質をもつのなら、言葉の中に含まれる単語の1つ1つは、「できうる限り」原理や仕組みを理解しておくべきでしょう。‥‥でなければ、無理に専門用語など使う必要なし!‥‥です。

 

実際、私が基礎的なアレコレを覚えられたのは、五反田の有名なラボとやり取りするためでした。そう言った意味で言えば、私は五反田のラボのスタッフさんに「間接的に」育てて頂いたようなものです。

 

 

「デジタルの基礎知識」‥‥‥か。

 

ただでさえ作画の知識でも広範なのに、ビデオの知識、光学レンズの知識、コンピュータ本体の知識、ソフトウェアプログラムの知識、データの知識、ネットワークの知識、ワークフローの知識‥‥と、ありあまる知識をブッコむのは相当キツいですが、でもまあ、それはしょうがないス。中堅になり始めたら、自分の将来のためにも作画以外の他ジャンルの覚えていかんとダメでしょう。

 

未来の行き先が心細いのはイヤですもんネ。痛いのはイヤですもんネ。

 

義務感ではなく、モラルでもなく、今の自分のため、そして未来の自分のために、です。

 

 

「デジタル作画」のアニメーターに対して、どんなに義務感やモラルを強調しても、アニメーターたちが必然的に「デジタルの知識を身につけなければ、自分が痛い目にあう」と、文字どおり「痛感」しなければ、善き人でも「暗記物」に終始するでしょう。

 

解像度を間違えたまま描いて、全描き直しになる‥‥とか、自分の知識の低さゆえに完成した映像で大恥をかく‥‥とか、痛い目にあってはじめて人と状況は動いていくものです。

 

作画以外のすでに「デジタル化」が浸透したセクション、例えば撮影のスタッフが、映像の基礎知識を自分の経験値の中に取り込んでいくのだって、ある種、自分の身を守るためですからネ。何か、高潔な理想のもとに、「デジタルの基礎知識」を覚えているわけではないです。

 

 

加えて、実質として、アニメの作画の現場に、作画の知識も豊富な上で、作画観点から「デジタルの知識」を教えられる先輩って、どれだけいるでしょうか。まあ、少ないですよね、ぶっちゃけ。

 

なので、「デジタルの知識」が足りてないがゆえに、作画現場の先輩からNGを出されて描き直しを食らう‥‥なんてこともないのです。

 

また、膨大なNOやfalseの中から、バブルソートのように、YESやtrueが浮かび上がってくるほど、デジタル作画案件は多くないですから、「知識向上」「経験値向上」が構造的に難しいのが現状と言えましょう。

 

 

私の意見としては、業界全体を改善するような途方もない大風呂敷を広げるよりも、自分の周辺を改善し進化させていくことが何よりも重要な取り組みだと思います。ツイッターやブログで呼びかけるのも「一円貯金」的な累積戦略として全く無駄とは思いませんが、それよりも今、自分が関わったカットで、直接、修正を依頼する方が実効的でしょう。今の自分の仕事の中で、改善案や未来の展望を地道に実践するのが、結局は手堅い方法だと思ってます。

*実際、このブログは私の中では「累積戦略」の位置付けです。即効性や実効力はありませんよネ。

 

皆が自分の現場を改善し進化させていけば、業界も成り行き的に動いていきます。業界は主体性という自らの姿を持たない、業界の人々のシルエットが重なり合って形成される、大きなシルエット=影なのです。

 

ダメな人やグループや会社は消え、未来に順応するものだけが生き残って、全体の姿を変えいくのです。

 

 


紙でもできること

原画・動画をコンピュータでのペンタブ作画に切り替える趣旨の「デジタル作画」。実際は、中々切り替えは進んでいません。

 

要は今のデジタル作画の内容は、

 

紙でもできることじゃん

 

‥‥で済んでしまう面が多々あるからです。

 

もちろん、私自身の感慨で言えば、「デジタル作画」の親戚とも言える「iPad作画」で「紙ではできない様々な利点」を見出しているからこそ、iPad作画に全面的に切り替えてはいるのですが、「紙ではできない」決定的な利点は、少ないと言わざる得ません。「iPad作画」は、「アニメの新技術」と組み合わせてこそ活きてきます。

 

iPadで線画を描く「だけ」なら、ぶっちゃけ、紙で描いた結果と大差ありません。ゆえに、最近でも紙ベースの仕事は引き受けておりますし、iPadで作画した後でも紙出力することで紙ベース運用に戻ってもいけます。

 

 

 

紙作画を極めて大きく凌駕する、「デジタル作画」の決定的なプラス要素とは何なの?

 

ホントにそこ。‥‥ですよね。

 

不可能だったことが可能になるからこそ、大変だったことが楽になるからこそ、人々は動くのです。

 

 

今から10年以上前くらいに、アニメの撮影工程はどんどんコンピュータへと、しかもAfter Effects一択の方式へと雪崩れていきました。

 

何故か?

 

フィルム撮影台ではできないことが、デジタル撮影だとできるじゃん。しかも、たくさん。

 

‥‥ということだったのです。

 

要は、不可能が可能に、大変が楽に、なったからです。

 

技術的には、フィルム撮影台システムでは厄介だったことが、いとも簡単にできるようになりました。

 

例えば、透過光。セルが透過光を背負うたびに、黒い裏塗りをしていたことはご存知ですか? After Effectsをはじめとしたコンポジットソフトウェアは、ペイントしたセルのアルファチャンネルがそのままマスクとして機能するので、透過光がセルの塗料を透過するのを防ぐ必要など皆無になりました。

*細かく言えば、今のアニメ現場の主流は、アルファというよりは、カラーキー(マット色は255の白)ですが、その辺は噛み砕いて読んでくださいまし。

 

日本のアニメ撮影は、「光り物王国」とも言えますから、セルの裏塗りがなくなっただけでも「大変が、楽に」なりましたよネ。

 

その他には例えば、「クロス引き」。

 

ベテランの方は、現在の「どんな方向にでも同時にセルや背景・BOOKがスライドできる」技術は、不可能だったことが可能になった最たるものと感じるでしょう。その他、「オプチカル合成と同等のカメラワーク」「セルごとの撮影効果」など、不可能や困難を払拭した事例は、挙げればきりがありません。

 

そして制作運用においても大きな改善面(=のちにこの改善面が裏目となります)が表れました。

 

フィルム撮影のコスト。そして運用のサイクル。

 

フィルム元来のデリケートな性質による扱いにくさ、そして現像所をも巻き込んでサイクルする「大振りで大仰な撮影サイクル」が、全て木っ端微塵に吹き飛びました。撮影台のコスト、撮影台を置く場所のコスト、すべて、信じられないくらい小規模なコストに収まるようになりました。「現像」が消滅し、極めて高速なサイクルで撮影が上がるようになりました。(‥‥‥もちろん、悪影響も半端なく、良い面が悪い面へと転化する状況が徐々に膨れ上がり、2017年の現在があります)

 

アニメの撮影が「デジタル撮影」に移行したのは、「移行に値する」絶大で画期的な理由が存在したからです。

 

それに比べて、「デジタル作画」の利点は、あまりにも小さいと言えます。「デジタル作画」が「紙でもできることじゃん」のひと言で片付けられているうちは、切り替わりの機運など起きないと実感します。

 

 

最近、iPadで4〜7Kサイズで素材作画をして、カットアウト系の新技術で動かした作品を作り終えましたが(フォーマットは現在の業界標準の2K24p)、コンポジションの設定を変更してレンダリングの仕様を変えて出力した、4K60pフルモーションの映像を見たときに、「これはもう、紙の作画では不可能だ」と我ながら愕然としました。そして新しいアニメーション映像の可能性を、改めて確信しました。残念ながら、その4K60pの映像は、現在の2Kテレビでは放映できませんけどネ‥‥。

*ちなみに、コンポジションの設定を変えただけで、4K60pの美麗な映像が出力できるわけではありません。ちゃんと、4K60pにも対応できる「入念な仕込み」が必要です。現在のアニメ制作現場で作っているアニメは、After Effectsの設定をどんなにイジくって変えても、2K24pの品質どまりです。一方、新技術は扱いは難しいですが、わきまえて使えば、フレームレートを変更するだけで、アニメ作画でいうところの「中枚数」が増えて、60pでも120pでも対応できます。

 

美しく、綺麗、滑らかで繊細。高品質映像フォーマットを高性能な黒モノ家電やデバイスで視聴するのが、ごく普通の情景となる、すぐ先の未来の世界において、ごく自然に馴染むのは、3コマ打ちの低解像能の8fpsのアニメではなく、その未来の状況に応じた高詳細・高解像能のアニメです。

 

その未来クオリティを実現する必要に迫られたとき、はじめて、iPad作画などのデジタルベースの作画スタイルは、「紙ではできない」がゆえに「必要なもの」として、振り向かれはじめるでしょう。

 

 

 

A4〜B4互換サイズの詳細度で、2K24pで8〜12fpsの動画を描いているうちは、「デジタル作画」が紙の作画を凌駕することは、ほとんどありません。ソフトウェアアシストによるベクター線くらいなものです。しかし、線が綺麗なだけでは、歴史を塗り替えることは不可能です。

 

アニメの「デジタル撮影」がそうであったように、新たな技術要素と組み合わせて、旧来技術が不可能だった領域に踏み込んで、ようやく周りの認識を徐々に変えることができます。

 

フィルムが消えていく顛末を、実制作の至近距離で、「終わりの始まり」から「終わりの終わり」まで見てきた私の実感において、そう思うのです。

 

 


VRとグラストロン

私は今から20年くらい前に、ソニーのグラストロンというHMDを愛用しており、グラストロンでS入力だかの(入力端子のことはよく覚えていない)映像で映画やテレビ番組も見ていました。

 

なので、私はHMD、VRゴーグル「肯定派」なのです。基本的に。

 

VR独壇場の、頭の動きに合わせて立体視が展開するコンテンツはおおいに楽しみです。しかし、私はその制作には全くと言って良いほど関われないでしょう。コンセプトボードやイメージボードくらいなら、かろうじて関われるかな‥‥というくらいです。

 

手描きの作画で、ほんの些細な立体視を実現したところで、ぶっちゃけ、失笑ものです。

 

手描きの作画は、2Dのままで良いです。絵を描くときに、立体視を意識してパーツの1つ1つを描くなんて、アホらしいです。どんなに巧妙に描いても、板の描き割りにしかなりません。絵を描く本質を、立体視に転化しようとしても、ただただ、虚しいだけです。立体視をしたいのなら、絵なんか選択せずに、Z軸が最初から存在するジャンルを選べば良いです。

 

私の一生は、2Dアニメーションにこそ注ぐべきだと、VRの登場によってキモを据えました。

 

 

では、私のこれからの仕事は、全くVRと接点がないのか‥‥というと、実は大きな楽しみがあります。

 

まさにグラストロンが示した「自分だけの映画館」です。

 

グラストロンの売りは、「大画面テレビがなくても、迫力の大画面でテレビが見れる」ことでした。解像度はそりゃあもう低かったですが、たしかに視界を大きく覆う液晶画面は、当時のブラウン菅の事実上の限界(ユーザが購入できる価格帯)の29インチを大きく上回り、50インチとか80インチとか(宣伝文句は忘れました)の「憧れのホームシアターサイズ」でした。

 

私が夢想するのは、実際の映画館とみまごうばかりの、VR映画館です。

 

映像はまさに大劇場のように視界を覆うほどの大スクリーン。前後左右だけでなく、上下にも音像が定位する、立体的な音響。

 

これって、もしリアルに実現しようとしたら、自宅で何百万かかるの? いや、自宅そのものが狭くてNGでしょ。‥‥ということは、不動産まで考えて、数千万の規模でしか、「マイ映画館」なんて実現できず、夢のまた夢のまた夢‥‥です。

 

しかし、8Kで、SDR on HDR、作品は24pでも頭の動きに追随するVRのモーションは60〜120p‥‥となれば、かなりリアルな「映画館」が自宅の狭い部屋で実現できるわけです。

 

もし、VRの技術ベース部分が発達して、解像度不足だけでも改善されて、詳細な画面が実現できれば、VRに立体視だけを求めずとも、2D平面の旧来コンテンツをまるで映画館のように映し出すだけでも、かなりイケるんじゃないでしょうか。少なくとも私は、それをグラストロンの時に既に感じています。

 

映画館自体が、日常とは隔絶した世界を持ちますから、その「映画館の異世界」がゴーグルの中で実現できるのは、映画ファン・アニメファンには、たまらない楽しみになると感じます。隣の客のポップコーンの音と匂いに気をとられることもなければ、前の客の頭がウザイなんてこともないですしネ。

 

 

実際、VRコンテンツを見終えて、ゴーグルを外すと、まるで現実の世界が「第2の世界」であるかのような錯覚すらおきます。まさに「アヴァロン」の世界。

 

リビングの団欒で、VRゴーグルが主流になることはなくても、個人用途ではかなりの可能性を秘めていると思います。

 

まあ、まず目先の問題は、ゴーグルの中に、裸眼と同じニュアンスの画面詳細感を感じられるほどの、超高密度ディスプレイパネルが実現できるか‥‥ですネ。今のRetinaレベルじゃ全然足りないですもんネ。

 

VRはまだまだ先が長いとは思います。特に映像品質においては。

 

しかし、グラストロンの頃から格段に進歩し、まるでノースロップグラマンの戦闘機用HMDのように、ジャイロで頭の動きにコンテンツが追随するVRの可能性は、果てしなく広いと感じています。

 

SimCityやSimsなんかがVRでゲーム化されたら、現実世界はもぬけの殻のような人生で、幸せをVRの中に閉じこめちゃう人なんかも、出始めるんだろうな‥‥。

 

50年後、100年後の世界って、どうなってるんでしょうネ。今、20代の人は、寿命からして、じゅうぶん、50年後の日本で生きてられますから、私の分も含めて見届けてほしいです。

 

 


VR

VRを実際にゴーグルをかぶって観てみると、VRが必要としている技術基盤は、未来の映像フォーマットのソレだと思い知ります。

 

VRを見て、足りてないなと率直に感じる要素は、

 

映像のビデオ解像度

ダイナミックレンジ

フレームレート

 

‥‥で、まんま、未来の映像フォーマットの達成目標です。

 

目の至近距離で再生されるがゆえに、ビデオ解像度はどうしても荒くなりがちです。現在の高密度液晶なんて性能が全く足りないほど、遥かに高々密度なディスプレイが必要なんだろうなと感じます。解像度で言えば、最低4Kで、理想的には8Kくらいは必要になるんじゃないかと思われます。ゴーグルの小面積に8Kなんて未来的に可能かは、よくわからんですが、詳細感は今の映像画素数では不足しています。

 

また、全く足りてないなと痛感するのは、ダイナミックレンジ=DRです。100nits程度のダイナミックレンジでは、映像に映し出される様々なものが暗く濁って見えます。なので、HDRは必須となりましょう。

 

フレームレートも、30fpsでは全く足りないです。残像で目が疲れます。最低で60fpsは必要でしょう。

 

‥‥で、こんなことを書くと、VRはダメみたいに受け取られてしまいがちですが、私は全く逆だと感じております。

 

改善する部分が根本的な基盤要素であるがゆえに、その部分が徐々に改善されていけば、どんどんVRは良くなっていくでしょう。つまり、痛快なほどに、発展の余地・伸びしろがたくさんある‥‥ということです。平面のテレビとは全く異なる存在意義を、映像の技術発展とともに示していくと思います。

 

むしろ、テレビよりもVRゴーグルのほうが、未来の技術をまさに「目に見えて活用できる」と思います。VRが未来の映像技術と組み合わさった時、平べったい2Dコンテンツは、恐ろしく古めかしく感じるかも知れません。

 

実際に私は、平面に絵を描く「2D」の技術では、もはや全く手出しのできない領域を圧倒的にVRに感じて、ややヘコみ気味です。VRには、手で絵を描く存在意義など、ほとんど必要とされないでしょう。必要とされるのは、実写か3DCGです。

 

ディメンションが1段上に上がって未来に進むことで、旧来ディメンションのメディアは旧態依然とする。‥‥そのことを痛感しております。

 

私の少年時代、止まった絵で音も動きもない漫画は、アニメに比べて「一段昔の古めかしさ」を感じていました。ゆえに、私は漫画家にはなろうとせず、最初からアニメーターを目指しました。私が小学校5年生の時に「さらば宇宙戦艦ヤマト」でアニメージュ創刊の年でしたから、私がアニメブームど真ん中だったのは、運命としか言いようがありません。

 

漫画に「時間と音」の2ディメンションを加えたアニメが、テレビのゴールデンタイムに放映される状況は、まさに1970年代の技術社会を象徴していたのだと思います。高度経済成長を遂げて、戦後から現代へと移り変わった日本だからこそ、アニメブームは起こったのでしょうネ。

 

そして今、何段階も経て、社会の技術はVRの入り口にたったのです。2020年代の映像分野の「寵児」は、平面の4K8Kか、はたまた2眼のVRか。

 

しかし一方で、絵画や漫画、文字媒体の、「かつての主力メディア」がそうであるように、2Dアニメも決して消えていくことはないとも感じます。もしかしたら、「第3次アニメブーム」なんて騒がれるのは「消える間際の輝き」なのかも知れませんけど、全く消えきってしまうことはないと思います。

*内情を知る人間からすれば、「第3次アニメブーム」なんて、門外漢の人間が話題欲しさに浮かれているように、虚しいばかりに目に映りますけどネ。まあ、もしかしたら、ブームなんて騒がれるのは、現場が「生きるか死ぬか」の瀕死の状態を呈するほど無理をしているから‥‥とも言えなくもないですネ。

 

それにVRゴーグルはやっぱり個人向けの用途から脱し得ないでしょうから、テレビ的な平面映像の家電は今後も必要とされるでしょう。どんなにヘッドフォンが発達しても、皆で集まるときはスピーカーから音出しして、全員がヘッドフォンで音を聴くような情景は見ないですもんネ。あくまで、自分の部屋で過ごす個人が、プライベートな時間を過ごす時に、VRゴーグルは強力な選択肢となるのだと思います。

 

でもねえ‥‥、アニメって今や家族全員で見るものではなく、プライベートな個人の時間で楽しむ「深夜枠」「レンタル枠」の娯楽に変化していますから、VRと「プライベートな時間の争奪戦」を繰り広げた時には、どうにも不利だとは思います。VRは、ユーザの没入感が「技術のシステム的に」格段に優位ですからネ。

 

 

最近、新技術で制作した本番カットを流用して、4K60fpsでヒロインキャラのカットをレンダリングしてみましたが‥‥‥、いやあ、4K60pをフルに活用したアニメ映像は凄いですネ。線の繊細さや細かさ、動きの圧倒的な滑らかさは、次世代の2Dアニメを具現化していると言っても過言ではないです。

 

そうして、2Dアニメもまだまだ伸びしろはあるのですが、如何せん、メディアの「種族としての宿命」からは逃れられません。手で絵を描いて作るアニメは、2Dの平面で、その力を発揮するしかないのです。

 

ですから、2Dをもっと大切に扱わんとさ。

 

粗末な出来の2Dアニメを作り続けていては、「個人ユーザの時間の争奪合戦」に敗北するのは、目に見えています。2Dアニメに対して、いつまでもユーザが忠実にファンで居続けてくれると傲るな!‥‥ということですネ。


運用してみそ

新型のiPadが出ましたネ。iPad AirでもProでもminiでもない、無印iPad。

 

新型のiMacやiPad Proはしばし御預け、今年の秋頃という予想もありますが、私はあと2年は今のiMac 5K(初期型)を使うので、ゆっくりと待ちます。

 

新型のiPadは、普及価格帯のとりたてて秀でた特徴のない平凡なモデル‥‥ですが、そのぶん、「Appleとしては」購入しやすい価格となっています。2KのRetina、1080p30fpsのビデオ、スローモーションは120fps、Touch IDのボタン‥‥と、必要十分な性能です。

 

2台目、3台目のiPadにはぴったりな製品ですネ。

 

 

* * *

 

 

iPad Proで原画を描くとき、私はiPadとFireを設定ビュワーとして使っていますが、設定ビュワーは最低でも2つは必要です。できれば3つあると便利です。内訳は「設定用に2つ、絵コンテ用に1つ」です。

 

全部をiPadで揃えるとお金がかかるので、昔使っていたiPad(iPad 2とか無印のminiとか)を使ったり、Fireの8インチモデルなどを買うと、安く環境を揃えられます。絵コンテを確認する用途だけに限るのなら、Fireの7インチでもなんとかいけます。設定閲覧用だとさすがに最低8インチの画面の大きさは必要でしょうネ。

 

「そんな‥‥いかにも贅沢な‥‥」と言われそうですが、実際、設定を見なければ原画は描けませんし、絵コンテも随時確認する必要があります。

 

せっかく、iPadに切り替えて、机が広く、クリーンに作業ができるようになったのに、設定や絵コンテは相変わらずの紙のまま‥‥では、台無しです。

 

絵コンテ&設定ビュワー、「大量にストックできる自分の資料棚」としても活用できる、iPadとFireは、制作環境の欠かせないアイテムです。指先で全ての操作を完結できるので、邪魔なキーボードを置く必要もありません。

 

 

「でも、iPadを買っても、打ち合わせでは紙のほうが便利だし、大量にストックできると言っても、実際に使うときは検索が面倒」と思う人もいましょう。

 

実は私も、環境を揃えるまではそう思ってました。絵コンテをPDFで読み込んでも、打ち合わせのメモを書き込めないんじゃ意味がないですし、作品のキャラ設定から美設から色見本から全部iPadに詰め込んでも、あまりにもページ数が多いと、見つけ出すのが大変ですよネ。

 

しかし、それは作業の準備を整える習慣を身につけていなかった‥‥からです。紙ではなく、オールデジタルで原画を描くときの準備‥‥です。

 

私のこの1年は、まさに、iPad原画の「実証運用」のような1年でした。事前にどんなに頭で考えても、実際に運用してみないと見えてこないことはたくさんあるものです。

 

私の実感として、以下のような作業前の準備が必要です。

 

  • PDFに直接書き込めるAppのインストール
  • 設定の抜粋とPDF化
  • クラウドの運用と端末間の相互通信

 

まず、打ち合わせ前に、絵コンテや設定をPDF化して、さらにPDFに直接手書きで書き込めるアプリもインストールして使えるようにしておきます。そうしないと、PDFを眺めるだけで、メモを書き込むことができません。なので、何らかの「PDFに書き込むことができるアプリ」を購入します。私は「MetaMoji Note」(1000円くらいだったような)を使っています。

 

打ち合わせが終わったら、自分の担当する箇所に必要な要素だけを抜粋して、作画作業集中用のPDFを作ります。macOSには「プレビュー」というソフトウェアがあって、簡単な操作で、ページの抜粋や削除ができます。自分の担当シーンに出てくるキャラや美術、小物(プロップ)、色見本、参考資料などを、1つのPDFにコンパクトなページ数でまとめます。

 

これをしておかないと、ページ数のあるPDFを延々とスワイプしたりいちいちインデックスを表示してページ移動しなければなりません。必要のないページは削除して、自分の作業に必要がある設定や資料を抜粋することで、格段に作業の煩わしさが減ります。‥‥もちろん、編集するのはコピーしたファイルを使い、オリジナルはとっておきます。

 

紙の作業でも、同じこと=ページの抜粋をしている人は多いかも知れませんネ。分厚い紙の束はなにかと、作業するには扱いにくいですもんネ。

 

そうして出来上がった自分用の設定書類PDFを、各iPadやFireに供給する必要があるのですが、いちいち、ケーブルで繋いでiTunes経由で送ってたら、まどろっこしくてお話になりません。面倒この上ないです。

 

iPadの場合、母艦のMacやiPad間で、自由に簡単な操作で、Air Dropにてファイルを受け渡しすることが可能です。もし、Air Dropだと自分の期待する動作にならない場合(=Procreateで開きたいのに、違うアプリが受け取ってしまう‥‥など)は、クラウドを使います。AmazonのFireにPDFを共有する際も、クラウド経由です。

 

もちろん、WiFiの環境は作業場に作っておきます。iPadやFireは「有線なんて知らん」という仕様なので、WiFiの環境は必須です。

 

 

‥‥とまあ、どんなに機器を揃えても、実際の運用のコツを掴まないと、紙と鉛筆がタブレットに変わっただけの環境止まりです。コンピュータ機器を導入して作業をおこなう醍醐味は、様々な要素がネットワークを通じてリンクしバインドすることですから、描く時だけ「デジタル」ではもったいないです。その昔、クジラを捕鯨して油だけ絞って他の部分は捨てていた西洋人のごとく‥‥です。「デジタル」を使うのなら、骨の髄までコンピュータをしゃぶり尽くしてこそ‥‥です。

 

ぶっちゃけ、今の私は、紙の現場の仕事でなければ、1枚も紙を使わずに作画の仕事ができます。iPad、Mac、サーバ、無線&有線ネットワークのWANとLAN、クラウド‥‥で、すべてカバーできます。

 

運用してみて初めて実感できることは多く、実感したからこそ思いつく新しい作業上のアイデアも出てきます。石橋を叩いたところで、どうにも判断できず、結局渡らず仕舞い‥‥よりも、まずは運用してみて‥‥ですネ。

 

 

 

でもねえ‥‥。iPadに変わっても、作画は大変な仕事‥‥だよね。しみじみ、思います。

 

来る日も来る日も、四六時中、iPadで作画して、疲労が溜まってくると、iPadのボタンすら押す気になれなくなるのは、自分ながら驚きました。「頼もしく見えたiPad ProとApple Pencilが、うんざり見える」と。

 

あと、忙しくて疲れてくると、恒例の「紙のくせ」がひょいと出てきます。新規レイヤーを作らずに、棚に紙を取ろうとして手を伸ばす‥‥とか、相変わらず、朝一番で作業するときに「スターン!」と作画机のライトのスイッチをONにしたり。

 

‥‥簡単には、紙の癖は抜けんですネ。

 


増やし過ぎ問題

ここ10年間のアニメ制作の傾向として、様々な要素について「増やし過ぎ」な問題を抱えていると感じています。もちろん、増やすのには理由があるのですが、その理由のほとんどは「今、足りないから」という場当たり的な判断に基づくものが多いように思います。

 

私が知る、ここ10〜20年で増えた要素は‥‥

 

1話あたりの原画マン

1話あたりの作画監督

線撮などのオフライン素材

セクション(工程)の数

撮影のスタッフ数

 

‥‥あたりです。それぞれ異なる理由がありますが、増えた事実に変わりありません。

 

1話あたりで十数人の作監がクレジットされる作品もあるなど、もはや「作画の監督」ではなく作業内容や発注の仕様(作監=作画の監督料がなんと1カット単価!?!?!)から鑑みて「原画修正」と役職名を変えた方が良いような状況です。普通、現場の単一セクションに監督職の人間が十数人もいる状況なんて、他には考えられないですもんね。十数人の作監が各々「作画の監督責任」を負えるとは到底思えないですが、そうしたことも含め、「増やし過ぎ問題」はアニメ業界のそこかしこにあるのでしょう。

 

 

しかし、根本的な原因を思索すると、現場に課せられた作業量=処理内容のオーバーフローやキャパオーバーが蔓延しているゆえだと感じます。

 

キャラが複雑で描くのに時間がかかれば、人ひとりあたりのこなせる量は減りますし、技術内容が難しくなって旧来のセクションでは処理できない内容が発生すれば、他の処理能力をもったグループに作業を委託することにもなるでしょう。そもそも制作本数が増えれば、全体的にスタッフ数が足りなくもなるでしょうし、仕事を掛け持して首が回らなくなるスタッフも増えるでしょう。

 

そして何よりもマズいのは、やることが増えて、人数が増えて、業界全体、会社全体、グループ全体、そして各スタッフが「儲かり過ぎてウハウハ」なのでは決してなく、むしろ絵に描いたような「レッドオーシャン」状態へと突入して、徐々に単価が下がる傾向が表れている‥‥ということです。

 

もちろん、会社にブランドがあって、増えた中から条件の良い選択することで有利に制作を進めることができる場合もあるでしょうが、大半は「増やし過ぎたことで結果的に苦しんでいる」事例の方が多いんじゃないでしょうか。

 

アニメ業界の知人たちに聞く話は、「最近はとてもお金の面で楽になった」とか「良い仕事が増えて景気が良いねえ」ではなく、「仕事量は増えてるのに稼げなくて、どんどんキツくなる一方だ」なんていう話ばかりです。

 

 

それにもっと深刻なのは、増えた人間の未来です。

 

例えば、撮影工程で手が足りなくて、数年の短いスパンで増やしていって、あれよあれよという間に今は10人20人の大所帯だ‥‥となった時に、その大所帯を構成するスタッフは、未来、全員が撮影監督になるのでしょうか。明らかに人員の構成がおかしくなりますよネ。撮影監督になった後はどうするのでしょうか?

 

技術の層が厚くなければオーダーに応えることが中々難しいアニメ制作の性質を鑑みた場合、60,50,40,30,20代の人間が適度に分散して人員が配置されるのが理想だと思いますが、アニメの制作本数バブルの時に、むやみに人を増やして、特定の年齢層だけが過多になって、その反動で特定の年齢層以下の需要が極端に減る‥‥なんていうことも起こり得ます。

 

加えて現在は、以前よりも「キャラが描ければ良い」という風潮が強いので、年齢層だけでなく技術内容も、かなり偏った編成になる可能性はあります。今のキャラの流行りが下火になって、様々な絵柄に対応しなければならなくなった時に、まさか40代でパースや平面構成を習得するわけにもいきますまい。吸収の効率が落ちたアラウンド40〜50になって初めて基礎的な技術に目覚めるのでは、正直、遅すぎます。

 

業界バブルの時に増やした人材は過多だから減らして‥‥なんて、人を雇った後では、中々都合よくいかんでしょう。

 

何だかベビーブームのような話、バブルとロスジェネみたいな話ですネ。

 

 

さらに深刻なのは、増えて重くて身動きがとれなくなった現場は、技術開発にコストを回せず技術的進化が停滞するようになり、技術的な個性=アドバンテージやブランドを損失し、競争力を削がれていくことです。どんなに仕事が多くても、同じことを繰り替すばかりで、未来の進展や展望が全く見えない‥‥という、極めて辛辣な状態に陥ります。

 

実はこの構造は2008年くらいの頃には既に見えていた事です。ゆえに、危機感を感じた人々は、それぞれ、未来の危機に備えて、着々と準備してきたのです。やりかたは人それぞれですが、風船が膨らみ続けることがないのを悟って、様々に行動してきたのを、私はいくつも垣間見ています。

 

一方、「頑張り続ければ、いつかきっと、報われる日が来る」と根拠のない希望を胸に抱き続けてきた人は、今の状況をなんとするのでしょう。夢を打ち壊すような話ですが、「報われる要素や条件が存在したときに、報われる可能性が高まる」のであって、何でもかんでも一生懸命やってれば、無条件に救われたり報われたりするわけではないのです。

 

「でも、いつか挽回できる日がきっと来る」と思いたい‥‥かも知れませんが、それは過去の数百年の歴史から見て、難しいと言わざる得ません。

 

挽回する日などやってきません。「挽回」という考え方自体が負けています。挽回はなく、新しい技術や勢力が台頭して、塗り変わっていくだけです。もしあったとしても「リバイバル」「リメーク」「メモリアル」という位置付けです。青梅街道や甲州街道を走るのは自動車やバイクであって、馬車が青梅街道を走る日は、何かのイベントでもない限り、2度とこないでしょう。

 

「挽回」ではなく、人や技術の層をどんどん年輪のように「積み重ね」ていくことが重要です。自分の中に「鉄板の技術」を作るのは良い事でしょうが、「鉄板の技術」で停滞してこだわり続けては、生き抜いていけないのです。技術は追加し更新し続けねばなりません。時代性とともに歩む職業は特に‥‥です。

 

 

増やすことも時には必要となりましょう。しかし、「一時的な今」を支えるために、増やしすぎるのは、とても危険。

 

特に人間に至っては、新しい人材が、今を支える人材と合わせて「極めて有効に未来を形成」していくように、人材を採用する側にも高い能力が求められます。

 

人材や機材や場所を増やす時に、あらかじめ、どのようなロードマップを見据えているかが、とても重要です。

 

 

「そんなに、キワキワかなあ‥‥。ほかの職業って、そんなにシビアに人材を採用していないように思うんだけど。 結構、いきあたりばったりで、人手が足りないから増やしてるだけなんじゃん?」と言う人もおりましょう。しかし、アニメ制作という職種は、技術的にかなり特殊でシビア、しかも時代性の影響を運命付けられてもいます。都合の良い時だけ「アニメ制作は高い才能を要求される特殊な職業で」と言い、都合の悪い時は「他の一般的な職業と等しく」と引き合いに出すのは、あまりにも整合性を欠き、ゆえにアニメ業界の「貧困」の原因になっているとも思います。

 

 

アニメを作ってお金を稼ぐ‥‥って、そうとうシビアでキワキワでキツいことだと思います。なのに、足りないから増やす‥‥だなんて誰でも考えつくような運営方針で、肥大化の一途を辿っていたら、そのうちに抱えきれなくなって倒れるのは、‥‥‥必然ですよネ。

 

ここ10年で業界入りした人間は、未だ、「仕事が減る」という体験をしていないと思われますから、「仕事が今のようにずっと有り続ける」という想定でものごとを考えがち‥‥だとすれば、相当、危険です。仕事なんて、増えたり、減ったりです。そして「永遠の流行」というものも存在しません。必ず、今の流行りは衰退し(=過去のものとなり)、仕事の量にも大きな波があります。アニメ業界の難しいところは、世間の不況や好景気と時間軸が一致しないところで、世間が不景気だと騒いでいる時には仕事があるのに、世間の景気が上向いてきた時には業界全体の仕事の量が減るようなこともあります。私が「インサイダー」として知る業界の30年間だけで見ても‥‥です。

 

そんな中、こと、人材においては、足りないから増やす、余ったから減らす‥‥なんてことが簡単にできるわけじゃないですもんネ。

 

その昔、今は現場から消えたプロデューサーが「生活がかかっているスタッフは使いたくない」と言っていたことを思い出しますが、仕事に生活をかけていない人間なんて、どれだけいる? 普通、みな仕事で生活を維持しているでしょ? まるで無報酬の趣味のように仕事をする人間なんて、ほぼ皆無ですよね。

*そのプロデューサーの言わんとしたい意味はわからなくもないですが(些細な仕事1つ1つに生活の重荷をふっかけられるのが面倒だ)、それはそのプロデューサーが単価で仕事をする人々の痛みを全く考慮できていない証でもあります。「仕事に生活をかけてくる人間はいやだ」というのなら、まず、そのプロデューサー自身が体現してみせるべきでしょうね。生身の人間に作業を発注する際に、まるで自動販売機で缶コーヒーを買うがごとくの振る舞いゆえに、そのプロデューサーはやがて現場からフェードアウトしていきました。ドライな関係を求めるのは、いつも「使い捨て気分満々の人間側」だけです。作品制作は、どうしたって、ウェットでドロドロするものですから、そのドロドロをあえて引き受けてこそ‥‥です。

 

つまり、人材を引き入れる時は、その人間の生活の重さも引き入れるということです。むしろ、その重さを作業グループの技術発展に活用すべきなのです。飛行機のエンジンはとても重いですが、そのぶん、空を飛ぶパワーを発生させるのです。

 

 

実は私、人を増やしたくてウズウズしているのですが、それは決して今の人手が足りないからではなく、「誰も所有していない未開拓の土地に先制して進駐して領土化し、そこに新たな生存権を獲得する」ための兵士や開拓民が必要だからです。とてもキナ臭いのです。周囲の今までの状況や経緯を鑑み、然るべき人材を然るべきタイミングで、2020年代以降の新しい制作技術集団の層を形成していきたいと思っています。「作画何名、撮影何名」といったレッドオーシャン型の人材募集ではなく‥‥です。

 

 

「増やす」という行為に対して、どのような理念をもっているか。

 

それによって、人の幸不幸は長いスパンで左右されていくのだと思っております。

 

 


ランニングコストとしてのパソコン

個人でアニメ制作に関わるフリーランスの場合、MacやWindowsのパソコンは自費での購入となり、そこそこ高額な「買い物」になります。

 

しかし、考えてみれば、仕事でパソコンを使う場合、それは「物」であっても、実は「作業を具現化する溶媒」であって、固定資産ではなく流動資産とみるべきです。あくまでパソコンは一時的に当人の作業を支える、「消耗しない消耗品」なのです。

 

「買い物」と考えてしまうと、アカンのです。電気水道ガス通信を「買い物」とは言わないように、パソコンも「仕事で使うのなら」、「物」ではなく、「仕事のインフラ」を支える「溶媒」と捉えるのがよろしいです。

 

1年で「もとを取れるか」はなんとも言えないので、流動資産というべきかは、専門家の方にお任せしますが、パソコンは3〜5年で必ず買い換える時期がきて第一線を退く、短命のハードウェアです。退いたマシンは、自宅サーバやサブマシンとして第2の活躍場所を与えることにはなりますが、SD、HD、UHD‥‥と確実に進化する映像フォーマットに対応していくには、マシンは一層の性能向上型が必要となります。

 

「デジタル作画」ではなく、パソコンで何らかを作画する状況においても、印刷に耐える解像度でドットバイドットで快適に作画したいのなら、数年前のパソコンのビデオカードでは能力が足りず、やはり買い換えが必要になるでしょう。例えば、4Kの液タブを使うには、4K60pで出力できるビデオ性能が必須です。(30pだと目が辛い)

 

 

 

私の作業環境のうちの1つ、28GBのメモリのiMac 2.5Kでは(なぜ、そんなハンパなメモリ容量なのかは話が長くなるので割愛)、メモリが足りないことが多くなってきています。ふと、FreeManをみれば、「真っ黒」になっており、開いてみるとキャッシュなどで一時的に食われた後に解放された「非使用中」が含まれるものの、メモリの残りは49MBだったります。

 

 

一番左が、FreeManのグラフ。まっくろになることが多くなりました。3〜6Kの素材を頻繁に用いるようになったのも、原因の1つかと思います。

 

28GBの使用状況。固定中と使用中で17GBですから、8GBや16GBのメモリでは足りないことが多いです。他のマシンでは32GBが標準ですが、同じく、メモリは足りないことが多くなりました。

 

28GB、32GBで「メモリが足りない」なんて、10年前には思いもしなかったことでしょうが、映像の進化を想像できれば、至極当然のことだったとも言えます。

 

 

私は今でも、学校を卒業した時に親に買ってもらった机(ビクター製の、天板が傾斜できる中々な逸品)が現役ですが、パソコンはそうはいきません。5年持てば上々です。

 

つまり、50万円かけて「えいや!」と「清水の舞台から飛び降りる」思いで購入したハード一式でも、「50万円の品」ではなく、1年10万円の「機材環境維持費」とみるべきです。

 

要は、1ヶ月1万円の「機材使用費」です。そのほかに「ソフトウェア使用費」も上乗せしなければなりません。

 

コンピュータで仕事をするのなら、コンピュータがいくら、ペンタブがいくら、ソフトがいくら、‥‥という計算ではなく、月割りでいくら‥‥という計算を習慣として身につける必要があります。

 

そして、その月割り額は、コンピュータで仕事する以上、支払い続けることになります。‥‥この辺が、今のアニメ業界の「お金」の事情と、「どうしても折り合いがつかない」部分なのだとは思います。

 

 

 

こうして書いてると、「今のアニメ制作現場の原画動画の料金では、非現実的だな」と暗い気分になってきます。電卓で計算して、試算だけで早々に破綻しますもんネ。

 

シンポジウムで「デジタル作画」を先導(いや、扇動かな?)したところで、一番気になる「お金」=仕事の土台の部分の問題に触れずじまいでは、「どうやってコンピュータでの作画をスタートしたら良いか」はナゾのままです。

 

あくまで私の意見ですが、今の業界の作画料金体系では、デジタル作画を波に乗せることは無理だと思います。高価な運送費の高速ジェット貨物機に、単価の安い商品をいっぱい積み込んでも、利益は得られないと思うからです。

 

ジェット燃料にコストがかかりメンテにもお金がかかる高速ジェット貨物機には、相応に、単価の高い商品をいっぱい積む必要があります。

 

 

 

自社制作の作画がらみを、内部的に単価を高く設定できる作品なら、まだ見込みはあるかもしれませんが、今まで通りのフリーランスの単価料金体系では、パソコンの運用はかなり厳しいと思います。ぶっちゃけ、率直に、私の感触で言うと、です。

 

コストのはるかに安い紙と鉛筆ですら、破綻しかかっているような50年にも及ぼうとするアニメ制作システムです。

 

どこにどうやって、コンピュータを新規導入して、定期的に買い換える余地があるのか。

 

 

 

私の知る限り、コンピュータを自分の仕事の道具として使う人々は、すでに「作画」「撮影」という狭義で作業を捉えていません。コンピュータで自分ができる仕事はどんどん引き受ける‥‥という、皆、作業セクションのセクショナリズムを自ら取り払った人たちです。

 

一方、「作画だけをやります」という人でコンピュータを「メインで使う人」は‥‥思い当たらないなぁ‥‥。つまみ食いしている人は多いとは思いますが‥‥。

 

 

 

色々な作業を受注して、ようやく経済的に成立できるかもしれない、道具としてのパソコン。

 

それに加えて、パソコンを仕事のメインウェポンとして導入することは、「サムライが刀と剣術を捨て、チョンマゲを切り落とし、近代的な武器でCQC/CQBの技術を得る」という、ある種、技術上の移り変わりの「極論」にも到達する話題でもあるのです。

 

まあ‥‥ですから、ゆえに、江戸から明治の時と同じように、かなりの抵抗感、違和感が現場にも潜在するのでしょう。

 

 

 

お金、人、キモチ‥‥の色々が、パソコンのまわりを取り囲んでぐるぐると数匹の虎のように歩き回っているのが、今の状況。ぐるぐる回って回り続けて、溶けてバターになるのは、いつごろのことかな。

 

 


CC

Adobe Creative Cloudは、導入するには価格が高い‥‥と言う人は、こと、アニメ業界においては、多いように感じます。「CCって、安上がりだよね〜、数年間の運用のスパンで考えれば」と言っている人と会ったことがないです。‥‥ちなみに、私は、After Effects、Photoshop、Premiere、Audition、DreamWeaver、Illustratorの6つを最新版に保つことを考えれば、以前より遥かに安上がりだと思っていますけどネ。

 

私が割安と感じるのは、「5つ前後のAdobeソフトウェア」を「最新版に保つ」という目的があるからです。

 

なぜ私が複数のソフトウェアを最新版に保つ目的があるのか‥‥というと、アニメ制作の現場にいながら、標準のアニメ制作とは違う技術を用いて、標準外の作業をし、積極的に新しい映像フォーマットを活用しようと思うからです。例えば、4Kでアニメを作る‥‥なんて、現場やシンポジウムなどでは全く触れない「イタい話題」かも知れませんが、2017年現在の私らのグループではどんどん経験値を蓄積し、様々な未来の可能性を模索しています。ゆえに、最新の映像フォーマットを存分に活用できる最新のソフトウェアとマシンが必須なのです。

 

しかし、これは、コンピュータで映像制作をする全員に当てはまることではありません。むしろ、私らの考えは少数派に属します。

 

多くの人は、今の仕事を、どれだけ効率的に快適に、運用コストを抑えつつ、こなしていくか‥‥が、主目的となるでしょう。

 

となると、AdobeのCCのプランは、どれも「使えねーな」ということになるのです。

 

PhotoshopとLightroomだけが使えるフォトプランこそ980円ですが、他のソフトを単体で使うと2180円、全部入りだと4980円で、絵に描いたような「帯に短し襷に長し」です。After EffectsとPhotoshopを使いたいのなら、2180x2=4360円で「購入者生殺し」みたいな価格設定です‥‥よネ。

 

もっと柔軟なプランと価格が必要なんじゃないですかね。

 

例えば、どれか2つを、自由な組み合わせで、1980円とか、2380円とか。

 

Photoshop限定(つまり、Adobeにとって、Photoshopが今でも稼ぎ柱なんでしょうネ)の「フォトプラン」とかじゃなくて、「PhotoshopとIllustrator」「PhotoshopとAfter Effects」「After EffectsとIllustrator」「After EffectsとPremiere」など、自由な組み合わせで、全部入りの半額未満に抑えて、はじめてユーザーのココロは動くんじゃないかと思うのですヨ。

 

あまりにも安価なのでクリスタを引き合いには出したくないですが、クリスタは1ヶ月500円ですもんネ。

 

「Adobeのソフト全部なんて自分には全く必要なし。2つあれば事足りる。しかし、2つチョイスすると、4360円。コンプリートプランの4980円と大差無い。‥‥ああ、なんだか無理だな。昔のバージョンのままでいいや。」

 

‥‥という判断に落ち着いている人は、かなり多いんじゃ無いでしょうか。人だけでなく、グループも、会社も。

*会社向けには「法人プラン」があり、さらに、やや割高です。

 

もちろん、ソフトウェアの開発・販売側の事情もあるでしょう。しかし、少なくとも私の知る多くの人は、CCのプランと値段の「融通の利かなさ」ゆえに、CC導入を最初から候補外にしています。

 

 

なんで、企業や会社って、こうなんでしょうネ。人のキモチがわからないシステムを作るんでしょうかネ。

 

アニメの会社も同じで、今その瞬間の制作事情を維持するために、スタッフを安く買い叩くことばかりに邁進し、そのあとで、スタッフが離れていくことまで先読みできてない‥‥ことは、そこら中で聞く話です。

 

AdobeのCCって、その料金体系ゆえに、潜在的な顧客を膨大に失い続けているようにも思います。Photoshopにおいては、誰もが使っているソフトなわけですが、CCを導入できないがゆえに、かなり古いバージョンのままで落ち着いている人はかなり多いです。「ですから、Photoshopはフォトプランで980円で‥‥」とAdobe側は言うのかもしれませんが、じゃあなぜ、After EffectsやIllustratorは単体980円で提供してくれないのでしょうか。なぜ、Photoshopだけ980円?

 

私はマーケティングの専門家ではないですが、現場の横の繋がりなどで、色々なキモチや意見を耳にします。たとえマーケティングに通じている人でも、クリエーターたちのキモチを全く知らずに汲むことができないのなら、「この料金設定が欲しかったんだ。これだったら、お金をなんとか工面する。」とユーザが思える妥当な金額設定などできんでしょ。

 

 

私らの技術グループは、「コンピュータで飯を喰っているんだから、ソフトウェアにコストがかかるのは当たり前」という意識がデフォルトです。そのかわり、どんどん新しい技術で自分らの居場所を切り開いていくんだ!‥‥という気概もあります。そういう意識の人間やグループにとって、CCのコンプリートプランは必需品です。

 

しかし一方で、「今までの技術を継承し、安定した作品作りを実現するんだ」という意識のグループのほうが、アニメ業界的には圧倒的に多いはず。

 

その圧倒的に多い勢力に対し、AdobeのCCの料金体系は、あまりにもマッチしません。アニメの撮影やペイントや作画の現場にInDesignやInCopyやAuditionなんて全くいらんでしょ? マルチ業務を標榜する私らのグループも、アニメの映像作りにおいてはInDesignやInCopyなんて全く使わないですもん。

*マルチに業務を引き受けていると、音声編集のAuditionは結構重宝しますけどネ。

 

2つだけあれば良い ‥‥という部署や人はかなり多いと思いますが、そういうニーズに適応する「中間的な料金プラン」がないのは、私の考えるところ、「料金体系の致命傷」とも思えますけどネ。

 

 

Adobeが良きソフトウェアを販売し続けるために、Adobeにはたっぷり儲けて欲しいのですヨ。20年来のユーザとして、出来損ないのバージョンアップを頻発するような会社には、なって欲しく無いです。

 

いったん掴んだものは離さない!‥‥とばかりに、頑なに両手を握りしめて、結局、新しいものを掴むことができないのなら、一旦、つかんだものを脇に置いて手放してでも、改めて、両手を自由にして、古いもの新しいもの両方を掴みなおしたほうが「将来的にお得」なような気が‥‥‥、私の勝手な考えではありますが、そう思うのです。

 

 

 

 


藪蛇

前回書いた、コンポジットエフェクトの呼称をタイムシート上ではどのように呼び表すか‥‥の話題は、実のところ、私がタイムシートを書くときにいつも迷うことでもありました。

 

実際、「ブラー」と書くのさえ、躊躇われるのです。

 

もうそろそろ、「ブラー」=「ぼかし」くらいは使っても良いだろうと思うので、私は「ブラー」とだけは書きますが、「何々ブラー」と書くのは、意識的に避けています。

 

別に、どんなエフェクトを使おうが、カットの内容に合っていれば、事は済むのです。何を使うかは、担当する撮影さんにお任せすれば良い‥‥のです。

 

 

それに‥‥、妙にAfter EffectsやPhotoshopの「エフェクト」「フィルタ」名を持ち出すと、「呼称の厳密さ」が要求されるようになります。これが一番、キツい‥‥んじゃないですかネ。だから私は、After Effectsを毎日使っていて「勝手知ったる」ソフトウェアでも、原画を描くときはあえてタイムシートには汎用的な呼称を用いるのです。

 

例えば「ガウスブラー」は、After Effects CC 2017での正式名称は「ブラー(ガウス)」です。まあ、「ブラー(ガウス)」を「ガウスブラー」に読み換えるくらいのことは出来ましょうが、「動くときにブラーがかかる」ブラーを「モーションブラー」とか書いちゃうと、After Effectsでは全く別の機能を指してしまいます。実際、私はついつい癖で「ブラー(方向)」を「モーションブラー」とか「移動ブラー」とか言ってしまって、「そのエフェクトはどこにあるんですか?」と質問されたことがあります。

 

ですから、アニメ制作の「制作運用上の公文書」とも言えるタイムシートで、うろ覚えなソフトウェア機能の呼称を書くのは、混乱の元ですし、書いた本人にとっても「やぶへび」なのです。下手にAfter Effectsのエフェクト名なんて、言わなきゃいいのに、書かなきゃいいのに、‥‥ということです。

 

それに、After Effects前提でコンポジット作業を語るのも、如何なものかと思います。ソフトウェアの縛りなんて、できるだけ無くして、用語はフラットに扱うべきと、私は考えます。どんなソフトウェアでも通用する汎用的な用語を、意識的に取り扱うべきだと、私は思うんですけどネ。

 

 

ちょっと話は逸れますけど‥‥

 

最近のAfter Effectsって、どんどんボロくなってますよネ。特にCC 2017は私の居る現場では「大不評」です。キャッシュの取り扱いがもうズタボロですし、(主観ではありますが)不必要な機能を増やして逆に使いにくくしているし、不安定さがどんどん増しているし‥‥で、After Effectsの未来にかなり不安を感じてます。

 

なんかさあ‥‥Creative Cloudで定額で使用料を徴収できるようになって、Adobeって「あー、もうこれで、次のバージョンを買ってもらえるか、気にしなくてよくなった」とばかりに、「大幅に手抜き」してないですかネ。‥‥開発面で。

 

ベータ版みたいな不完全な状態で、大した検証もせずに、メジャーバージョンアップして、下図のザマです。After Effects CC 14.1.0.057の「フッテージの整理」「フッテージの統合」のダイアログです。

 

 

何これ。 ‥‥‥‥ベータテスター向けのアルファ? ベータ? でも正式バージョンですよネ?

 

「削除 されたフッテージあるいはフォルダーアイテムは、2 でした。」‥‥の間違いなのはAfter Effectsを長く使ってれば受け流せはしますが、これって「スープに蝿が浮かんでいる料理を客に出す」ようなもんですよネ。

 

どんなに美味な料理でも、蝿が混ざっているのを気づかずに何度も客に出す店って、‥‥ちょっとヤバいじゃないですか。

 

知り合いや身内の作った料理ならば、髪の毛や小蝿など「平気平気」と、よけちゃいますけど、「客商売」は話は別‥‥です。

 

最近のAfter Effectsはぶっちゃけ、一事が万事、こんな瑣末な障害の繰り返しです。

 

 

2Kで2値化で24コマでSDRで作るんだったら、After EffectsはCS6のまま凍結‥‥というのは、賢い選択なのかも知れませんよネ。どんなに機能が増えても、バグや障害だらけの最近のAfter Effectsを使うよりは、運用上のリスクを抑えられますもん。

 

私が日頃、アニメ業界のCS5〜6でのバージョン停止に関して色々言っているのは、バージョンを上げたくてもできない「運用上の経済理由」にアニメ現場の深刻な問題を感じるからで、こと、After Effectsに目を向ければ、「何か、別の道を考えなければ」とすら感じます。

 

 

 

話を戻して。

 

‥‥というわけなので、変にAfter Effectsに合わせて制作システム上の用語を決めちゃうと、後で「そんな安易なこと、しなければよかった」なんて話にもなりかねません。After Effectsは永遠のソフトではないのですから。

 

タイムシートで扱う用語は、特定のソフトウェアに依存すべきではなく、むしろ、ダサダサなくらいに汎用的であるべき‥‥と、少なくとも私は思う次第です。

 



calendar

S M T W T F S
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< October 2017 >>

selected entries

categories

archives

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM