ちょっと呑み

最近、トリキとか日高屋とかで、1杯だけハイボールを飲むような夕飯のパターンが増えております。まあ、トリキは食事というよりは呑みですが、日高屋とかラーメン屋さんでも280円のレモンサワーとかハイボールがあるので、実は結構楽しめます。

 

トリキや日高屋の「レベル」に慣れた最近、久々にいわゆる「居酒屋チェーン店」に入ったら、その内容の古さに驚いてしまいました。値段がいちいち高くて、内容はスカスカなのです。こんなにしょぼかったっけか?‥‥と思うほど、トリキや日高屋のメニューと比べて見劣りします。

 

三鷹はモンテローザのお膝元。「魚民」「目利きの銀次」「魚萬」「山内農場」「魚銀」など系列の飲食店が集中しています。

 

お刺身を肴にチョイ呑みしたくて(刺身はトリキにも日高屋にもないので)、モンテローザ本社ビル内の「魚民」に入ったのですが、夜10時くらいでガラガラで「何でこんなに空いているんだろう。今日は世間的に何かあった日なのかな?」とやや不思議に思いました。「魚民」という割に、刺身のメニューはあまり充実していなくて、「居酒屋ってこんなもんだったかな‥‥」と感じつつも、とりあえず599円(税別)の刺身盛りと中ジョッキを頼みました。お通しはごぼうサラダでした。

 

出てきたのは、刺身数切れと、細めのジョッキにほぼ半分が泡のビール〜正味200ccくらい〜でした。直感的に、「これはヤバいやつだ」=大した満足感も得られずお金が飛んでいくケース‥‥と思い、30分も滞在せずにお会計したら、1500円。

 

まあ、昔の感覚なら1500円なんて居酒屋なら安い出費でしょうが、「大して美味しくもない薄い刺身数切れとグラスビールと見まごうばかりの細い中ジョッキ、表面が乾きかけたごぼうサラダ」で1500円は、ふと冷静に「ユーザエクスペリエンス」として考えると、如何ともレベルの低さを感じます。

 

ちなみに、トリキではメガハイボールとメガ金麦という最強のドリンクメニューがあり、そこに焼き鳥数種、釜飯で締めれば、女性なら1500〜2000円で腹一杯、大食いの私でもバカ呑みしなければ2500円で「食い過ぎた」と後悔するほどです。

 

日高屋においては、大の大人でも、1500円ちょいだせば、お腹いっぱい。レモンチューハイとウォッカソーダ割りで2杯呑んでも500円チョイ、餃子、そら豆、メンマをつまみで500円、ラーメンで締めて500円、地獄の大盛り無料券のループに入れば(会計時に券を必ずもらえるので)実質大盛りは追加料金なし、もし2人なら取り皿で分ければラーメン1つで2人分イケます。日高屋はファミレスのような深夜料金は無いし、表示価格は税込なので、夜の飲み食いはずいぶんと割安のように感じます。

 

それらに比べて、平成定番の居酒屋チェーン店のメニューは、現代のお金の価値や感覚とズレてきているように思いました。

 

思うに、平成の定番居酒屋は、「居酒屋の雰囲気で、店が客を呑む」ような方法だったのでしょうが、いくら店舗室内の雰囲気を居酒屋っぽく演出しても、スーパーで普通に買えるような刺身数切れに税込600円以上も要求するようなスタイルは、もう通用しないように感じます。少なくとも、私は「もう行かないようにしよう」と思いました。

 

実は、その魚民での飲食を早々に切り上げた後に、目利きの銀次で「げんなおし」しようと思って入ったものの、モンテローザ系列だったことに後で気づき、案の定、似たようなメニューでした。平成初期〜中期に台頭した定番居酒屋チェーン店の限界‥‥をメニューから感じた次第です。

 

モンテローザどうこうではなく、平成の居酒屋チェーン流「居酒屋雰囲気料金」みたいな営業スタイルが、もはや「中身を重視する」現在とはズレはじめているのでしょう。私に限らず、他の人々も、中身は気にしますよ、最近は。

 

「ズレ」がなぜ生じるか。

 

外見だけでなく食事の中身も充実させようとする新機軸の居酒屋と、安価に呑みもできる飲食店が出現して、居酒屋チェーンの「平成の方法論」が相対的にズレて古くなっているからだ‥‥と思います。立ち止まっているから置いていかれるのでしょう。

 

1年古い記事ですが「居酒屋」倒産、まだまだ増える理由」とか、「居酒屋 景気」で検索すると「消費行動の根本的変化」などのフレーズも垣間見えます。

 

どんな業界でも、過去の成功体験、そして集団同調性バイアスが作用して、ズレや変化に対して「主流派」ほど認識が不足したり遅れるんだろうな‥‥と思います。

 

ふと「アニメ業界でも、同じことが起こるだろうな」と頭を過ぎりつつ、飯食って気力を回復して、新しい取り組みをどんどん進めようと気合もみなぎるのでした。

 

傷を舐め合う酒ではなく、未来を語り合う酒を飲みましょう。

 

 

 

 


トーキー

私は、無声映画時代の作品は正直苦手で、ストーリーとか演技とか云々の前に、フォーカスが甘くレンジの狭い黒白の画像、動きの分解能の低さが、見てて生理的に辛いのです。ドキュメンタリー番組で歴史的素材として使用されナレーションがかぶるようなシチュエーションなら全然大丈夫なのですが、戦前の無声映画をそのまま丸ごと見ることは、自分からはあえてしません。

 

チャップリンはトーキー(Talkie〜声付き=音声付き)映画が出現した時、サイレントこそ映画であって、音声があると観客が演者の演技に集中できなくなる‥‥と考えたようです。つまり、演者の演技が最大限発揮されて観客に訴えかけるのは、音声がなく無声だからこそだ‥‥というわけです。


現代の感覚で言えば「うそ。」と言いたくなるような主張です。音声があっても、俳優さんの演技がないがしろになっているとは思いませんし、音も映像も品質が高ければ、余計な「邪魔」「障害物」がなくなり、作品そのものをストレスなく楽しめます。娯楽作品から芸術的な作品まで、音声付きでカラーで高画質でも、十分に映画たり得ます。

 

古い品質基準で、古いフォーマットだから、芸術的だ‥‥ということはなく、その時々の産業技術をどのように活用し、作品表現を高いレベルで成立させるか‥‥だと私は考えます。

 

 

実際、チャップリンの主張とは裏腹に、トーキーは大衆に歓迎され、現在に至ります。無声の黒白映画は、再び主流になることはありませんでした。

 

チャップリンの言いたいことはなんとなくわかります。音がないからこそ、演者の仕草1つ1つに観客は注視して反応し、演者の「芸術」が成立するのだ‥‥と。

 

しかし、「音がない」というのは、映画の本質ではなく、当時の技術の限界によるものでした。パントマイムを応用しつつ、「音を出せない映画」を逆手にとった芸風だった‥‥とも言えます。つまり、無声映画の芸は、映像技術の発展とともに、やがて下火となる運命だったと、歴史が証明しています。

 

チャップリンなき今、もし、現代にパントマイムと映画を融合させたいのなら、低画質で無声の白黒ではなく、4KHDR立体音響ありきの新しい切り口で作品をイメージするのが良いのだと思います。

 

 

アニメはどうでしょうか。

 

アニメ業界のチャップリンがいて、新しい技術なんて無用だ、アニメは24コマベースで2コマ3コマで動きを作るからこそ、アニメなんだ!‥‥と新しい技術ムーブメントを否定し、技術更新を阻んでいないでしょうか。

 

旧来の技術を大切にする意識は良いと思います。しかしそれが、世界の映像技術が移り変わろうとしている事実から目を背けて、発展しようとする未来を拒絶することに繋がるのでは、時代を読めなかったチャップリンの二の舞とも思います。

 

 

 

「技術の状況的限界」は、確かに、独特の風合い・質感を作り出し、結果物に大きな影響を与えます。ジャンルは違いますが、容器を木の樽からステンレス槽に変えたら、味が変わって不評になった‥‥なんていう老舗の味もありましょう。ステンレスの加工技術など存在しない時代に、選択肢の幅もなく、木材を原料として容器を作って使用していたことが、実は様々な効能をもたらしていた‥‥というのは、映像制作に置き換えてもいくらでもあり得ることです。フィルム時代の質感がまさにソレです。

 

フィルムには独特の風合いがあり、私も随分と熱中したものです。私が好きだったのは、IOS25〜32の低感度リバーサルや黒白フィルム(=アニメには通常使われないフィルム)でした。相対的にグレインが細かくなる高画質な中判カメラ(私が使っていたのは6:9判です)も、フィルムの各銘柄の発色特性がそれぞれ魅力でした。

 

フィルムの話を書いていると、今でもブローニーのネオパンFを6:9中判カメラに装填して、三脚と露出計を携えて、情景を撮影しに飛び出したくなります。‥‥まあ、現在はネオパンF自体が入手困難なので(もしかしたら押入れの奥からデッドストックが出てくるかもしれませんが20年の期限切れでしょう)、今となっては思い出だけです。

 

考えてみれば、こうしたフィルムの銘柄や現像プロセスが、各国の映画作りにおいて、グレーディングの技術に継承されているのかも知れません。多くの人々(特に日本のアニメ業界人)はフィルムの味など全く意識もしないまま、sRGB/Rec.709に染まりすぎちゃいましたが、フィルムを愛する映画人の多いハリウッドでグレーディングが進化したのは頷けます。

 

フィルムは良いです。そんなのは判り切っています。

 

‥‥しかし、フィルムの限界も大きいのです。

 

例えば、アニメのフィルム撮影台では、個別の拡大縮小は無理ですし、同時のあらゆる方向への引き(スライド)=クロス引きも難しかったです。キャラのみに撮影効果を加味するなんて、できないことはないけどあまりにも手間が大変でした。何重露光になるのやら。

 

アニメに限らず、フィルムがデジタルデータに取って代わられるのは、やはり、産業の技術発展ゆえの、宿命だったとも思います。

 

 

 

ただ、アニメ制作現場の場合、もっと違う理由で、新旧の交代に足踏みしているように思います。

 

昔からの作業慣習が通用しなくなるのが嫌だ。

 

これが理由の大半ではないでしょうか。映像技術の本質ではなく、例えば「中三枚」のシートが通用しなくなるのが単に「面倒」なんじゃないですかネ。

 

 

 

今、新しい映像作品の品質へ移行すべく、映像技術はどんどんスタンバイしています。

 

実はアニメは、ここ数年、実写や3DCGよりも、4Kに対して非常に有利な位置にいました。実写は、まずカメラが4K規格に対応した製品に買い換えるのが難しそうでしたし(お金と運用の両面で)、3DCGはレンダリングの高負荷ゆえに、ガチで4Kでレンダリングすることが困難みたい‥‥でした。

 

手描きのアニメは、CO/KF技術のアニメーションを導入すれば、iMacですら、4Kのアニメを作れるポジションにありました。しかし、その優位をアニメ業界はむざむざ見逃して、未だに1.2〜2Kのまま拡大作画で当座やりくりして、作画作業をコンピュータに移行する各所の段階でつまずいています。‥‥もったいなかったよねえ‥‥‥この5年間。

 

この調子でいくと、一番有利だったはずの手描きのアニメが、一番最後に4Kに対応するような流れすら感じます。レンダリングで高負荷を抱える3DCGと、どちらが先に次世代に移行できるか‥‥のビリ抜けの競争になりそうです。

 

アニメ制作現場や業界は、現在や過去の技術を大切に思うのと同じく、未来の技術も大切に思うべきです。

 

新しいことにもっと積極的にならないと、過去の慣習に固執して、時代から置き去りになって衰退して消え去った他の産業と同じ運命を辿る‥‥のではないでしょうか。

 

 

新しい時代の新しい映画を見抜けなかった「大御所」チャップリン。

 

チャップリンの映画を愛好する人は今でも多いでしょうが、それは「古き良き映画の思い出」とも言えましょう。

 

アニメを古き良き思い出にして、過去のものにすべきでしょうか。時代についていけなくなって新作するのをやめて、過去作品のアーカイブだけでアニメを楽しむ未来が来るのでしょうか。

 

歴史に学べば、新しい時代を生き続けるために、新しいアニメのカタチを見抜こうとするのは、ごく自然な行動だと思います。

 

 

 


動きは著作や発明足り得るか

「実演家」云々で数回前にブログを書きましたが、実演の「技法」まで話が及ぶと、著作権というよりは特許のカテゴリも含みはじめて、果てしない気分になってきます。着地点がより一層、見えにくくなります。

 

まずは、アニメーターの生み出す動きの技術は「著作」か?

 

ほんの数カット〜数十カットの原画作業で描いた動きの表現を「著作」と言い表すのは、中々無理があるように思います。

 

著作の定義を以下に。Wikipediaからの引用です。

 

日本の著作物著作権法の定義によれば、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸学術美術又は音楽の範囲に属するもの」2条1項1号)である。要件を分解すれば、次の通りである。

 

「思想又は感情」

「創作的」

「表現したもの」

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

 

そのため、表現ではない事実や事件やデータや思想(アイディア)そのものや感情そのもの、創作の加わっていない模倣品、範囲外の工業製品などは著作物とはならない(江差追分事件)ほか、短い表現・ありふれた表現・選択の幅が狭い表現などは創作性が認められない傾向にある。

 

 

たしかに上記では「表現したもの」が著作物の要件とされていますから、動きに限らず、セリフでも、一発芸でも、表現したものと言えましょう。しかし、1つの動きも、1つのセリフも、著作の全体に内包されますから、著作の入れ子構造が果たして認められるかは、私は専門家ではないので詳しくは知りませんが、無理っぽい‥‥ですよネ。「ここはこんな動きがいいんじゃない?」とか「こんなセリフを喋らせよう」とかの提案がどんどん著作として認められる‥‥というのは、普通に考えてダメそうな感じがします。

 

一方で、動きは絵そのものと切り離せない側面をもちますから、動きだけを取り出して「著作物」として成立させるのは、かなり難しいことだと思います。商業アニメの場合、絵のデザインはキャラ表など他者・他所に依存しますから、動きの要素だけを独立した著作とするのは現実的に「証明するのが困難」だと思います‥‥が、気になるなら、著作権に詳しい弁護士に対価を支払って相談するしかなさそうです。‥‥私の個人的な考えだと、やっぱり「無理じゃん?」と思います。

 

では、技術の特許や意匠の部類か?‥‥というと、「動きそのものを独立して取り出し、1つの発明として合理的に説明して申請できるレベルまで確立できるか」が相当難しいと思います。

 

まずは以下のWebへ。

 

特許・実用新案、意匠、商標の簡易検索

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/all/top/BTmTopPage

 

 

「おれが考えた!」「私がアイデアを出した」‥‥それだけで特許たり得るか、可能かどうか、上の検索で試してみましょう。


もしそんなことが可能‥‥だとすれば、それこそツイッターの文言1つ、作画での服のシワの描き方1つが、著作や特許としてそこら中に溢れかえるでしょう。そして、絵のパーツを1つ描くにも、いちいち特許申請の有無を検索して描かなければならないハメになります。

 

なので、そんなことがおこらないように、「確かに、独自かつ新規の技術だ」と証明できる内容でなければ、特許は取得できないのでしょう。「思いつき」でなく、「独自に発案され確立された技術」として、です。

 

以下に「実体審査」の要目を列記します。私も文面だけでは深く理解できませんが、とりあえず参照。

 

ア.自然法則を利用した技術思想か
イ.産業上利用できるか
ウ.出願前にその技術思想はなかったか

エ.いわゆる当業者(その技術分野のことを理解している人)が容易に発明をすることができたものでないか

オ.他人よりも早く出願したか

カ.公序良俗に違反していないか

キ.明細書の記載は規定どおりか

 

 

いわゆる「新規性」「進歩性」などが考慮されるようですが、詳しくは調べてみてください。

 

エフェクター(エレキギターの音に効果をかけるプロセッサ)の電気回路は、特許を持たないものが多いと聞きます。なぜかというと、エフェクターの電気回路は電気技術者なら既知の汎用的な構成によるものなので、特許にまで発展することがないそうです。

 

ですから、アニメーターの動きの技術を、実演として結果物に対する隣接権をかろうじて交渉することはできそうでも(それも実質として今はかなり難しいですが〜作監が十数人もいるようでは)、著作や特許として主張するのは、極めて困難といえます。動きの「特許権」をどう説明すれば良いか、思い浮かびますか?‥‥私はできそうもありません。動き部分を取り出して、特許技術として説明する方法が思いつきません。

 

まずなによりも、「自分の描いた動きが、著作や特許であることの、合理的な証明を、他者に対しておこなう」ことができるのかが、最大の難問です。

 

 

こうした著作や特許の話題にたいして、なぜアニメーターが「自分がゼロから書き起こした絵だから自分の絵」とか「動きだって著作にならないか」という論調に傾くのか。

 

それはとても簡単なことで、「自分の現在関わっている事柄に対して、権利のありようを見つけ出そうとする」からです。

 

しかし、残念ながら、工場で自動車を組み立て生産している労働者が、どんなに自動車の製造に直接関わって、「私は自動車の売り上げに対して権利をもっても良いはずだ。自分が自動車を作ったんだから。」といくら叫んでも、受け入れられないのと同じで、原作があってシナリオがあって絵コンテがあって、その上で絵を描くアニメーターには少なくとも著作権は発生しないでしょう。どう頑張っても、実演(=隣接権)の一部までです。特許も難しいと思います。

 

 

ならば。

 

せっかく絵が描けるんだから、原画動画だけでなく、自分の絵で、自分の商売も始めたら良いのです。

 

最初から著作権を獲得できる行動をおこせば手っ取り早いです。著作を主張したいのなら、いつ実現できるかもわからない隣接権の適用を夢見るよりは、確実に獲得できる方法を選択すれば良いです。標準的な道筋を通って、です。

 

アニメの原画動画という作業受発注スタイルにキンタマ(失敬)を握られ続けているから、自分の弱みから抜け出せないのです。その弱みの中で、成立の難しい著作権や特許をツイッターでつぶやくにとどまるのです。

 

原画以外の仕事もしたらどうでしょうか。

 

著作に繋がる仕事をしたいなら、通例で著作が認められていない作業を続けて、その仕事に著作を後付けで主張するよりも、すでに著作が認められている取り組みに着手するほうがシンプルかつ円滑です。他人が作ったストーリー、他人が作ったキャラ、他人が作ったカット割りで、絵だけ描く‥‥ということではなく、誰から見ても「確かにあなたが作った、まさに著作だ」と条件を満たすものを作るのが、なんだかんだと手取り早いと思います。

 

著作や特許なんていう考え方は、所詮、人間の社会が生み出した決め事であって、自然界の摂理ではないです。しかし、日本で活動する人間は、日本の社会〜欧米の社会の決め事のなかで生きていくことになります。もちろん、決め事は時代に合わせて徐々に変わっていきますが、アニメ業界スタッフにとって都合が良い社会にパッと切り替わるわけではないです。

 

であるなら、社会の仕組みと自分の能力を照らし合わせて、下手糞に使うのではなく、上手に使っていく工夫を考えましょうヨ。

 

勘違いせずにおきたいのは、絵を描くのをそっちのけで金転がしに夢中になる‥‥とか、搾取する側に回る‥‥ということではなく、自分の成し遂げたいアニメや絵を作り続けるために、充分なお金を得る方法論を累積的・順次的に実践する‥‥ということです。

 

けんもほろろに打ち負かされる中途半端な戦いを仕掛けるなど、かえって「こちらの手の内を読まれ、今後の撃退法を相手に提供する」ようなものだと心得ましょう。面白半分に指で突くような中途半端な戦いを仕掛けて、返り討ちにあって指を切り落とされたら、かなりの痛手ですよ。

 

獲得したいのは何か。まずそこをフワフワせずに、ちゃんとしっかり見定めるのです。そこが揺れてたら、立ち上がって歩き出すこともままなりません。

 

まずは座りっぱなしの受け身から抜け出して、自分の身の丈でできる活動を開始して、何らかの手応えを得るのが「始まりの始まり」です。

 

 


フレーミング

いまどきの4K HDRテレビで昔のDVDやBDを再生していると、「標準」「スタンダード」設定のままだと60〜120fps(pかiかは調べてないのでわかりません)に補完されて動きも画像も滑らかに表示されます。いわゆる、ハリウッドの映画人たちが嫌う「ソープオペラ」状態です。

 

私の作業場では、4KHDRのリファレンスモニタとミラーリングの状態で4KHDR民生テレビを併設しており、「ご家庭でどんな状態で再生されてしまうか」も気にかけながら(=あくまでも気にかける程度であって、基準ではない)、日々の作業を進めています。709にしろ、DCI-P3にしろ、民生の「標準」プリセットは、リファレンスモニタとは落差・格差があり、映像を作る側としては悩ましいのですが、一方で現実は現実として受け止め、民生テレビで全く破綻してしまうような映像作りは避けるようにしています。ストライクゾーンを広くとるのがプロ‥‥とココロに定めて。

 

都合、擬似的にフレームレートを向上した映像を民生テレビで見続けることになりますが、最近、昔の実写ドラマのDVDを再生していて、「自分のカラダの慣れ」に我ながら驚いたことがありました。

 

DVDなので、720x480の解像度なのは承知で観ておりました。動きはソニーブラビアの「標準」プリセットのままなので60p相当の動きに補完されているはずですが、イマイチ、滑らかさが足りないように思えたので、「画質」「詳細」設定を確認したら、ちゃんと「モーション」が「滑らか」に設定されています。

 

なぜ、イマイチ、滑らかさが足りなのか、理由を探っているうちに、どうやら「動き」ではなく「DVD解像度」がイマイチ感の原因だと気付きました。

 

「本当にそれが理由? ‥‥動きもモッサリしてみえるぞ」と思ったのですが、日頃からあまりにも2K(HD)〜4K(UHD)解像度で60〜120fpsの映像に慣れすぎたため、解像度がDVDの低解像度になっただけで動きの印象まで引きずられて滑らかさが足りないと錯覚したようです。‥‥我ながら。

 

映像制作者として、この錯覚は結構ショックです。動きと解像度は、別でジャッジできなければマズいですもんネ。

 

試しに「モーション」を「切」にして、NTSC DVDビデオの30fpsで再生したら‥‥

 

30fpsでも凄くカクカクしている

 

‥‥と唖然としました。目に飛び込む印象でハッキリと、動きが「雑」なのです。24fpsはまあ24コマのルックとして承知していますが、30fpsまでもはやカクカクとして雑に見えるようになるとは、正直思っていませんでした。

 

あれ〜‥‥、こんなに30fpsってカクカクと残像感のある映像だったっけ?‥‥と、不思議に思いました。だって、24〜30fpsしかない時代は、ソレで十分と思っていたわけですから。

 

体の慣れとは恐ろしいものです。

 

ソニーのブラビアに搭載されている「コマ数補完」技術。入ってくる映像は、たとえYouTubeの15fpsの映像だろうが、macOSデスクトップのカーソルの動きだろうが、何でもかんでも60〜120fpsに変換しまくる、恐ろしいヤツです。

*ちなみに、日本のアニメ業界標準の2コマ3コマタイムシートの動きはフルアニメーションにはなりません。だって、2コマ打ち、3コマ打ちで、連続して静止画を出力しちゃってるから、補完のしようがないのです。セルの動きだけ取り残されて、BG引きやカメラワークだけ補完されるので、結構、かなり、相当、キモチ悪い動きになります。

 

 

これから数年のうちに、各家庭の液晶テレビの買い替えが進みます。理由は単純で、液晶パネルが経年で故障するからです。新しい品質を体験したいから買い替えるのではなくて、単に故障したから買い替えの必要性に迫られるだけのことです。

 

人々がテレビを買い替える時に、どんなテレビを買うでしょうか。

 

故障して使えなくなった昔のハイビジョンテレビと同レベルの2K/HDでSDRのテレビを、3〜5万円で買うでしょうか。

 

それとも、有機ELのフラッグシップ4KHDRテレビを買うでしょうか。

 

おそらく、多くの人は、そのどちらでもないでしょう。「フレーミング効果」の示す通り、中堅のモデルを買うと思われます。

 

集計してみると、松竹梅の「竹」を選択する人が半数となる‥‥みたいですよ、世の中というものは。

 

フレーミング効果の内容は色々とあるようですが、ここでいうフレーミング効果とは「極端の回避性」です。

 

どんなに安くても、故障したのと同じスペックで同じレベルのものを再び買うのはどうも‥‥なあ‥‥

 

じゃあ、奮発して、昔20万円でハイビジョンテレビを買ったのと同じ出費で、55インチのイイヤツを買うか‥‥。‥‥でも、今は10万円前後で随分と性能の良いのが買えるみたいだな‥‥。

 

自分が思ってたよりもちょっと安く買えるみたいだし、4K放送とやらにも対応しているみたいだから、真ん中の無難なやつを買うか。

 

‥‥のような流れになりそうです。つまり、安過ぎるのも、高過ぎるのも、両極端を回避して、中くらいのものを選択する‥‥ということです。

 

もちろん、その「中くらい」のなかで「中の下」か「中の上」はあるでしょうが、最低と最高は選択せず、真ん中を選ぶ結果に落ち着くのです。

 

その「中くらいのテレビ」とは、2019年以降で言えば、4K HDRでモーション補完が標準装備されたテレビです。

 

*昔の37インチと同じ設置スペースで、今は43インチが置けます。去年までの4Kチューナーを搭載していないモデルだと、8〜10万円の価格帯です。動きの滑らか補完がない廉価モデルだと、パナソニックのEX600(2017年モデル)で税込7万円を切る値段です。‥‥いやはや、時代の変化は恐ろしい。

*全てのモデルに倍速補完機能・モーション補完機能がついているわけではないので、買う時にそのへんを注意することをお勧めします。フレーム補完機能は、ニュースとかバラエティとかでは、もはや必須のように思います。動きが滑らかだと目が疲れないですからネ。

 

 

 

*今後、どんどん発売されるであろう4Kチューナー内蔵の4KHDR民生テレビ。今は43インチで15〜18万と割高感が否めませんが、1〜2年のうちにやがて小慣れてくるでしょう。

 

 

おそらく、7〜12万円の価格帯、10万円前後の4KHDRテレビに購買層がまとまるのではないでしょうか。テレビ好きの人だったら「中の上」で10〜18万円くらい。‥‥つまり、多少のバラつきはあれど、中くらいのモデルを中くらいの値段で買う人々が過半数。

 

一方、テレビなんてどうでも良い、とりあえずあれば良いだけ‥‥という人は、6万円以下で片付けて、マニアの人は20万円を超えても買うでしょう。いわゆる両極端の人々が残りの半数を分ける。

 

未来が現在と違うのは、「中くらいの意識の人々が買うテレビは、4KでHDRでモーション補完するテレビ」だということです。大多数の人が、4Kの高詳細な画像、60fps以上の滑らかな動き、平均400〜600nitsの鮮やかな色彩を、「ごく当たり前」な日常として体験するのです。

 

フレーミング効果で言えば、

 

「4KHDR60pが普通だ」というフレーミングを、ごく一般の人々が有する

 

‥‥のが、すぐ先の未来社会と言えます。

 

アニメ業界がアニメをいつものように作っていても、「なんか、最近のアニメって雑になったよね」と言われる日が来るのかも知れません。仮に制作体制を立て直して改善して、現在よりも丁寧に2KSDR24pのアニメを作っても、4KHDR60pの映像に慣れた人々は、現場の苦労など一切知りようもないので、「雑だ」「ぼやけてる」「動きがカクカクして目が疲れて気持ちが悪い」とか言い出すかも‥‥知れませんヨ。

 

 

そんなバカな。一般の人々は映像のプロじゃないんだから、そんなの見分けられねーよ。

 

‥‥と思う人こそ、そんなバカな‥‥です。映像技術とは縁の遠い人だからこそ、日々4KHDRの60p補完プリセットを難なく受け入れ、いつの間にか慣れてしまうのです。映像のプロではないからこそ、理屈も理由もなく、古いのと新しいのを体感で見分けてしまうのです。昔の映像を「何か雑だね」の一言でバッサリ切ってしまうほど、残酷でもあるのです。

 

 

さて。

 

アニメ制作現場の未来品質はどうですか。

 

未来社会を見据えて、次の品質基準の準備をしていますか。

 

世間は塗り変わっていきます。現在のアニメ業界にとって都合の良い社会であるかは、どうも難しいように思います。

 

現在のアニメ現場が作り出す品質は、アニメの終着駅でしょうか。

 

現在のアニメ品質を終着駅にしたまま、そこで生涯を終える人がいても良いでしょう。しかし、全てのアニメ制作者の生涯の終着駅と決めつける必要はないです。

 

私は、路線の終着駅が全ての旅の終わりだとは思いません。「トレーダー分岐点」じゃないですが、新しい路線に乗り換えて、また新しい旅が始まると実感しています。サブちゃんの「終着駅は始発駅」です。

 

まずは、新しい技術から目を背けないこと。新しい映像技術のムーブメントをむしろ直視して、さらなる新しい商売を展開するくらい、したたかであるべき‥‥と、少なくとも私は考えます。

 

 


P-125

私は最近、まともな鍵盤で弾いてなくて、フルスケールの鍵盤など、いつ弾いたか忘れるくらいです。

 

 

nanoKeyでもMacやiPadの音源を演奏することはできます。USBで繋げば、あとはGarageBandを立ち上げれば、すぐに音がでます。しかし、あくまで簡易用途であって、鍵盤楽器を弾くメインにはなり得ません。

 

実家のデジタルピアノ(この呼び名も昭和の名残りですネ。今は「電子ピアノ」と呼ぶのが主流のようです。)は、以前埋もれていたのを使えるようにしたものの、再び腐海にのまれてしまった(=色んな荷物や置物の「台」になっている)し、まあ、弾く人がいなければでかくて邪魔なものにしかならないのもピアノの現実です。

*まあ、「電子」も相当古い言い方ですが、「デジタル」よりはマシなような気がします。「デジタル」って離散・非無段階という意味ですから、それこそメモ書きした整数だってデジタルと言えますもん。「あなたはYesかNoか?」の2択を迫るのもデジタルですわな。

*ちなみに「電子」はエレクトロニック、「電気」がエレクトリックと呼ぶようです。エレキギターは、エレクトロニックギターではなく「電気ギタ=エレクトリックギター」の略語です。

 

一方、最近は電子ピアノの低価格化が進み、以前では考えられないような値段で高性能な製品が買えます。

 

私が気になっているのは、5万円のコレ。

 

 

 

ヤマハのP-125。音質はデモ映像で確認してもらうとして、このクオリティの楽器が5万円で買えるのが、正直信じられません。

 

中には、88鍵で27000円の製品まであって、80〜00年代とのあまりの価格の差に、愕然とします。

 

ほんとに、なんて現代は恵まれているんだろうか。

 

88鍵ともなれば、昔はこういう値段が普通だったんよ。345000円。

 

 

まあ、nordのピアノは電子ピアノというよりはステージピアノに属するので比較の基準は違いますが、それを差し引いても5万円はないわ。

 

5万円は安すぎる。

 

でも、だからと言って、皆が気軽にピアノを弾くようになったか?‥‥というと、そうではないみたいだよネ。スマホばかりイジって、楽器なんか見向きもしない人ばかりのように思えます。

 

楽器が弾けるようになると、楽しいよ。

 

 

 

 

何か道具を使って、自分のイメージを表現する‥‥というプロセスは、絵でもそうだし、音楽でも同じです。道具の使い方の上手下手がイメージの伝達に影響するという点において。

 

なので、絵を描く人が、楽器をたしなむことは、決して無駄なことではなく、自分のイメージ表現の道筋を、音楽という別の経路を使うことで、自分自身の内なるイメージを別の角度から改めて認識できるのです。

 

仕事で絵を描いていない時はスマホでゲーム‥‥というのも良いでしょう。私もファミコンやセガサターンでゲームしてたもんネ。

 

しかし、それだけ‥‥じゃなくてもいいよネ。時間は他にも使いたいです。

 

昔みたいに20万円出さなければ電子ピアノが買えなかった時代じゃないです。‥‥何度も書くけど、5万だもん。ウェイト付き鍵盤88鍵フルスケールでリアルなピアノ音源がいくつも内蔵された電子ピアノが‥‥です。

 

 

まあ、あとは置く場所ですネ。

 

これが曲者です。

 

少なくとも、私は置く場所が今のところ確保できないので、P-125は買えません。悲しいな‥‥。

 

今の日本は、ただ生きるだけのために、どんどんお金がかかるようになって、趣味のためにはあまりお金がかからなくなっているように思います。88鍵の電子ピアノを買うだけでも大変だった昔とは大違いですが、一方で家賃の高騰は凄いものがあります。

 

日々生きるためだけに、高騰した家賃やスマホ一式の月額などに、お金が飛んでいき、趣味をしようにもできない現実があるようにも思います。

 

車に乗らない、バイクに乗らない、楽器も弾かない。実は社会全体、若年層全体が、そっち方面にお金が回せない‥‥のかも知れません。

*バイクは新車で買うと高いですが、程度の良い中古は豊富です。最近は排ガス規制などの対応で新車の値段が上がっているように感じますが、実は昔でも新車を買うのは中々難しかったです。私は随分とバイクを乗り継いできましたが、新車で買ったのはTW200だけです。

 

それができない代わりに、スマホだVRARだ‥‥ってことなんでしょうかネ。疑似体験でどうぞ‥‥って。スマホ経由でお金を吸い上げたい人々は、そりゃあできるだけ、人々をスマホ漬けにしたいわな。


バッハのインベンションが1曲弾けるようになるだけでも、ものすごく嬉しいし楽しいもの‥‥なんですけどネ。

 

 


実演家

アニメーターに権利を‥‥という話をSNSで見かけますが、権利というのはつまり何なのか、著作権か隣接権かを踏まえておらず、そもそも自分が著者なのか実演家なのかの線引きが曖昧なまま、権利権利と念仏を唱えるだけでは、何の具体的進展も起こりえません。

 

もっと言えば、アニメ映像制作における「制作現場の実演」とは何か? アニメーターの原画マンだけが実演しているのか?

 

全修した作監は? 原画と原画の中間の、動きの中絵を描いた動画マンは? 背景美術は? ペイントは? コンポジットは?

 

俳優さんは作品で自分の役を演じ切りますが、アニメーターはキャラの演技を全カット作画するわけではありません。そもそも集団で細切れで映像を作る場合に、実演家の定義はどこまで通用するのでしょうか

 

 

私は以前、キャラクターのセル素材だけ渡されて、背景もエフェクト作画(キャラ以外の作画要素)も画面全体の色彩も効果も、全部After Effectsで作って完成させる仕事をしたことがあります。まさにキャラ素材以外の絵作りを全てしたのに、「あなたはキャラを描いてないから実演家ではない」と言われるのだとしたら、到底受け入れられるものではありません。

 

実際、その「キャラのセル以外、全部作る」仕事で、完成した映像を見たら、クレジットされているのはプロデューサーと監督とキャラデザイナーだけで自分の名前などどこにもクレジットされていませんでした。正直、酷い仕事だと思いましたから、二度とそういう仕事はしないと固く誓ったものです。20年近く前の話です。

 

まあ、昔話はおいといて、実演家。

 

アニメ制作現場の実演家、著作隣接権って、どう定義する?どう解釈する?‥‥って話です。

 

その部分がフワフワしたままで「権利を!」と叫んだところで、社会から同情は得られても、具体的な支持や協力は得られないでしょう。

 

 

実際、アニメーターは著者ではないのは、誰でも実感していることです。例えば、人気の漫画原作のアニメ化で、アニメーターが原画を描いても、そのアニメーターは、原作の漫画を描いていませんし、その漫画の人気がでるようにプロモーションしたわけでもないですし、販売網を駆使して部数の売り上げに努めたわけでもありません。人気がでるまでの段階には一切関与せず、人気が出てアニメ化された後で、しかも絵コンテで筋立てを絵で指定された上で、初めて絵を描くわけです。つまり、著者ではなく、実演のカテゴリに分類されるように思います。

 

ショパンのバラードを現代のピアニストが楽譜を見ながら、自分の指だけでピアノから音を出して演奏した‥‥としても、ピアノ曲を作った(著作した)ことにはなりませんよネ。

 

もしアニメーターが「他人の原作であっても、自分はゼロ=白紙から自分の手で絵を描いた。だから自分の著作だ。」と言うのなら、世間で人気が出た作品をピックアップして、その作品の絵を元にちょっとしたオリジナル要素を刷り込んで絵を描いて「自分の著作だ」といくらでも主張できることになります。人気が出るまでの努力や出費や開発は全くせず、人気が出たところで便乗して絵を描いて、原作者・著者になれるのなら、もはや著作の世界は無秩序の荒野となり果てるでしょう。

*20年くらい前に、フレーズサンプリングによるラップミュージックの著作権絡みでモメたことがありましたよネ。当時のクローズアップ現代で特集してたのを思い出します。

 

アニメーターの描く絵は、原作に基づくストーリーと絵と演出家の指示によるものですから、著作ではなく、実演です。そこはちゃんと、冷静に認識しておくべきです。権利を問うにしても、実演家の著作隣接権のカテゴリで争うことになりましょう。

 

加えて、上述したように、原画マンだけが実演家なのでしょうか。アニメ制作現場の実演はどのセクションのどのスタッフまで認められるのでしょうか

 

では反対に、スタッフ全員が実演家として認められるのでしょうか。‥‥ちょっと無理ですよネ。実写でレンズに映った全ての役者に実演家の権利が還元されるのか、オーケストラ団員全員にロイヤリティは発生するのか、例えば、同じキャラを複数のアニメーターで描いて、7カットしかやっていない人と40カットやっている人の「実演の配分」はどうなるのか。

 

アニメーターは俳優と同じ‥‥なんてフレーズも耳にしますが、俳優さんは演技を最初から最後まで全うします。シーンや数カット単位で俳優さんが役を入れ替わるなんてありません。1人のキャラに対して何人ものアニメーターが入れ替わり原動画を描く時点で、俳優と同列には実演を語れません。

 

 

とまあ、アニメ制作現場で実演家を定義しようとしても、そう簡単には着地できません。適用の区分はとても難しく、難問だらけです。

 

実演家云々に限らず、アニメ業界の様々な「昭和から続く流れ」は簡単には変えられません。ちょっと工夫したところで焼け石に水です。

 

なぜか歯止めが効かないか‥‥というと、旧来のスキームで仕事をするアニメーターが、現場のシステムに苦しめられているのも事実ですが、現場のシステムに高依存しているのも事実だからです。原画という作業枠に依存するからこそ、原画という料金体制からも脱出できません。

 

つまり、どんなに深刻な問題を抱えようと、共依存が形成されて、抜け出せないのです。

 

アニメの制作現場に必要なのは、私個人の強い実感で言えば、「まずは昭和を終わらせること」です。5月1日に新しい元号になるとのことですが、アニメ制作現場は平成を通り越して未だ昭和感覚が持続したままです。コンピュータをいちいち「デジタル」とかいうオッサン感覚は昭和感覚そのものですしネ。

 

そればかりか、明治大正の女工哀史が昭和と平成をスルーし、新しい元号まで引き継がれる勢いすら感じます。

 

昭和を終わらせる‥‥とは、すなわち昭和からの制作運用技術を終了して、新しい枠組みと技術で運用することです。野放図に肥大化してきた制作規模を改めて縮小し、コンピュータネットワークありきの運用技術を基盤とし、少人数高配当の現場を形成するのです。

 

なぜ、いつまで経ってもアニメの作画技術を昭和のままで停滞させるのか。アニメーター自身の保守的な技術スタンスにも原因はありましょう。「コンピュータが苦手」とか自嘲している期間は、とうに過ぎ去ったのです。原画という作業形態にこだわって依存しすぎているからこそ、結局、新しい枠組みも形成できないし、抜け出すための基礎体力も得られないのです。

 

作画内容が大変になって、枚数もいっぱい描き続けて、どんどん膨張するばかりに任せたら、お金は細切れになり、得られる報酬の配分がどうなるのか、イメージするまでもないですよネ。各スタッフに椀飯振舞いできるほど野放図に制作費が得られるわけじゃないです。実演家を定義するといっても、テレビ1話で作監が17人もいるような状況で実演の領域や境界線の線引きすら困難でしょう。

 

実演家‥‥と言葉では簡単に言えますが、その「実演」とはアニメ制作ではいかなるものか。そもそも昭和から脱し得ないアニメ制作のカタチ自体が未来に持ち堪えるかどうか。新しいアニメ制作のカタチとは何か。

 

日頃から、あらゆる方面から考察して、未来の戦略と戦術を温めておくことが肝要です。「いざ!」という時に初めて考え始めるのでは、全く遅いですからネ。

 

念仏を唱えるだけでは、未来は変えられませんもんネ。

 

 

 


EDLで単純分割

ソフトがよりどりみどりで機能豊富になった現在でも、何だかんだ言って、一本つなぎのムービーをEDLで単純に編集点で分割するスクリプトは常備しておいて良いと思います。DaVinciやPremiereのEDL機能に頼らず、After Effectsのスクリプトで分割して各カットごとにProRes4444で書き出すニーズは、たまにはあるもんだ‥‥と実感しました。

 

EDLはテキストファイルなので、拡張子がEDLでもテキストエディタで読めます。中身を読めば、映像の作業に従事している人なら誰でもわかる、極めてシンプルな構成・構造です。

 

 

001  A008     V     C        19:08:53:10 19:09:09:12 01:00:00:00 01:00:16:02
* FROM CLIP NAME: 977.MOV

002  BL       V     C        00:00:00:00 00:00:06:00 01:00:16:02 01:00:22:02

003  B007     V     C        13:50:47:18 13:51:08:10 01:00:22:02 01:00:42:18
* FROM CLIP NAME: 154.MOV

 

 

各クリップではなく一本に繋いだムービーファイルを単純に編集点で分割したいのなら、編集点の行にある3番目のタイムコードで次々分割すれば良いだけです。とは言え、After Effectsはタイムコードに疎いソフトなので、タイムコードを小数点の秒数(=After Effectsの「time」)に変換するユーザファンクションを用意しておくのは必須です。

 

ProRes4444は複数回のトランスコードには強いコーデックですが、トランスコードなどせずにQuickTimeで分割しちゃって、独立保存形式で保存する手もありますネ。QuickTime内部ではfpsではなくTime Scaleで毎秒を管理しますが、23.976fpsだと23976だったりして解りやすいですから、タイムコード分析のサブルーチンをうまく作れれば、EDL分割はさして難しいプログラムではないです。

 

EDL関連はたまに必要になる程度なので、準備ができてなかったり、以前作ったはずのスクリプトを紛失してたりと、後手感が否めませんが、折を見て作っておこうかと思います。

 

ちなみに、各レイヤーをIN/OUT点で整列するスクリプトや、Z軸位置の値でレイヤー順をソートするスクリプト、2つ以上のキーフレームにイーズをつけてピンポンループするスクリプトなどは、もう10年は使い続けています。パペットのピンは階層が深くて面倒なので、エクスプレッション自体を自動で適用するスクリプトを作っておけば、CO/KFアニメーションは作業がスピーディーに進みます。

*CO/KF=カットアウト、キーフレームの略

 

スクリプトは毎作品の作業で徐々に蓄積されるものなので、計画的に事前に揃えることは中々難しいです。当座しのぎで作ったスクリプトをその場で捨てずに、後日に汎用性を加味して、ライブラリとして保存しておけば、作業の強い味方になります。

 

スクリプトを駆使すれば、After EffectsにEDLインポート機能を付与して、EDLからプロジェクトを新規作成することも可能になると思います。「そういうことはDaVinciでやればいいじゃん。」と私は思うので、作ろうとは思いませんが、EDLの中身を理解し、プログラムを使えるようになれば、本来存在しなかった機能をAfter Effectsなどの常用ソフトに追加できます。

 

Edwardが無理やりストラトのボディを削って、ハムバッカーをぶっこんだのと同じく、自分の思うようにカスタムしてこそ、ですネ。

 

 

 


アマとプロの境界線

2019年現在、アニメーション制作での機材面における、いわゆる「プロとアマ」の差はほとんどありません。下手をすれば、CS6を使い続けているプロの方が、CCを使っているアマより機材面では古く劣っていることすらあります。つまり、現時点では境界線はほぼ無い‥‥と言って等しいです。

 

アマチュアの人ができるだけ出費を抑えて、自主制作でアニメを作ろうとして、しかもそのクオリティがプロフェッショナルと比べて遜色がないものを作ろうとした時、何が必要になるでしょうか。

 

技量

 

 

ぎゃふん。これはもうしかたないです。頑張るしかありません。なので、機材面を列記します。

 

液タブかタブレットPC一式〜CintiqやiPad Pro:10万前後

作画用のソフト:クリスタ、Procreateなど=月額1000円、1ライセンス1000円など

WindowsPCかMac:15〜30万

外付け2〜4TBの記憶装置:1台1万円程度

画像レタッチのソフト:Affinity Photoなら6000円

コンポジットのソフト:Adobe After Effects CCなら月額2千数百円

編集のソフト:DaVinci Resolveなら0円

音楽&音声ソフトウェア:GarageBandなら0円、Main Stageの追加音源3600円

表計算や文書作成:Numbers、Pagesなら0円(Macの添付ソフト)、PDF編集も0円

プログラム開発:Xcodeなら0円

スタッフ連携手段:Googleドライブを使用(小規模なら0円)

 

 

PhotoshopやPremiereを使わずAfter Effectsに限定することで、一番金のかかるAdobe CCの出費を抑えつつ、他は無償版やライセンス買い切りを賢く利用して、ローコストかつハイクオリティのアマチュア自主制作が可能です。もちろん、プロがプライベートで自主制作する際にも活用できます。

 

私がなんだかんだとMacを推すのは、Adobe CCはWin/Mac共通でも、他のカテゴリでMacは色々と自主制作に有利だからです。線画だけ描いてもアニメーションは完成しませんから、映像トラックを見ながら音楽や音声を作れるソフトが標準添付だったり、膨大な数の音源が3600円で入手できたり、ちょっとしたGUI付きソフトをXcodeで自主開発できたり、進捗管理を添付のNumbersで管理したりと、映像や音楽の制作に有利なのです。Appleはジョブズ時代に「企業のビジネスユーザで張り合うのはやめた。個人の趣味ユーザを獲得する。」という路線に転じたので、サラリーマンがデスクワークで事務処理をするには適しませんが、音楽や映像を個人や少数で制作するには色々と揃っているのです。

 

まあ、自分のリソースとの兼ね合いがあるのでプラットフォームはお好みで良いとしても、2019年現在は20年前の1999年の状況と比べて、恐ろしく機材に恵まれています。

 

もちろん、ノウハウがなければ、技術がなければ、どんなに環境が揃っていても機材のポテンシャルを引き出すことはできません。しかし、技量の向上に努めれば、プロと同等の品質を作れるのは、現在の極めて大きなアドバンテージです。

 

2019年現在におけるアマとプロの境界線は、もはや機材面では喪失している‥‥と言っても過言ではないです。

 

 

しかし。

 

それはあくまで2010〜2019年くらいの、混沌とした時期の話だった‥‥と思い出話になる未来がすぐそこまで来ています。

 

4KHDRの「HDR」のPQ運用部分は、アマチュアが購入可能な機材=現在のアニメ現場の機材では、根本的に不可能ですし、ステレオLRの2chではなく標準で5.1chとなり、ともすればAtmosやDTS:Xなどにも対応となれば5.1.2chが最小限設備になりますから、2020年代のプロ現場の機材は相当刷新されることになります。2010年代の機材環境は古さが際立ってきます。

 

2010年代にプロとアマが均質化していた時期は終わりを迎え、新しい2020年代以降は、4Kをザクザク処理できる高性能なPC、1000nitsでPQカーブ対応のHDRモニタ、チェックでの視聴環境は5.1.2のサラウンド‥‥ともなれば、その環境導入価格だけでもプロとアマの差は歴然となります。

 

まあ、これはもちろん、プロのアニメ制作現場が、ちゃんと未来技術と足並みを揃えれば‥‥ですが。

 

思うに、中小のアニメ会社が2010年代に乱立し、その中小制作会社をあてこんでアニメの「製作」会社も増えたのは、2010年代の「制作環境ローコスト化」が無縁ではなく、むしろ直接的に影響していると私は考えています。「アニメは安く作れる」と作る人間も作らせる人間も慢心したのです。コンピュータではなく、人間の問題です。

 

一方、そうした「2010年代のクオリティ」は、徐々に現れてくる新しい品質基準を前にして、徐々にディゾルブして旧式化していきます。リプレースが進む各家庭の4Kテレビの中で、2010年代を引きずったテレビアニメのクオリティは明らかに「前時代的」な品質として比較されるようになるでしょう。

 

SDサイズのブラウン管テレビに、今、戻れます? 世間がブラウン管時代の品質に戻ると思います? 戻れないし、戻らないですよネ。

 

考え方を変えれば、機材面で同質化していたプロとアマの間に境界線が甦り、プロは技術と経験だけでなく、機材面でもプロの面目を果たせる時代が復活すると思います。‥‥まあ、イタチごっこだとは思いますが、2020〜2030年の10年間くらいは。

 

ですから、2020年代基準の機材への更新ができない制作集団は、2010年代の1.5K程度の制作を続けながらポスプロに高依存するか、古くて何が悪いとHDSDRの営業のまま開き直るか、引退するか店を畳むかの、いずれかになるでしょう。

 

アニメ制作現場の機材環境が、アマチュアと一線を画して、モダン(現用)な映像技術を体現する環境へと更新することで、色々な過去からの因縁を断ち切るきっかけの1つともなりましょう。CS6で1280pxでコンポジットしているままでは、「まだそんなことやってんの?」と不用意に見くびられ続けます。自分たちの機材が自分たちの作り出す品質の足場となるがゆえに、機材環境の新旧は、まさに自分たちの未来を暗示します。

 

 

2020年代、アマチュアは2KSDRの自主制作アニメを限られたコストの中で作り、YouTubeなどの配信手段でプロに並び得る映像をアピールできるでしょう。製作委員会の縛りがないのが自主制作のアドバンテージですから、自己の「企画原作」「切り口」で勝負しつつ、クオリティでも遜色のないものを目指すべきです。素人芸で開きなおる方法もあるでしょうが、機材に恵まれた現在ならプロを脅かす作品で勝負しても良いと思います。

 

一方プロは、プロであるがゆえの、最新の4KシネマやUHD映像コンテンツ、HDR1000nits PQのDolby Vision、AtmosやDTS:Xなどを駆使して、アマチュアでは真似のできない一歩進んだ映像技術品質で「商売」することをスタンダードにすべきです。

 

もちろん、どんなに技術が進化しようと、絵の生み出す根本的な魅力はプロアマの境界はないです。だからこそ、「絵が生まれた後」の表現品質・技術品質の豊かさを、プロは追求していかねばなりません。

 

もし表現品質の豊かさなど不要というのであれば、原撮のGIFでもツイッターに貼り付けて自己アピールに終始すれば良いです。‥‥でもそれじゃあ、光と陰の織りなす物語は作り出せません。

 

プロがさ‥‥、「アマチュアと同じ品質方法論で構わない。機材が同じなんだから。」とあぐらをかいて開き直っちゃったらさ‥‥、やっぱりプロとしての存在意義はどんどん薄くなりますよネ。

 

プロの「ありよう」、プロの存在価値は、機材面においてプロアマの境界線が曖昧になった10年間の経緯があったからこそ、逆に浮き彫りになっている‥‥と、しみじみ実感します。

 

 

 


道具のカスタム

iPadの書き心地はどうか、液タブと比べてどうか、店頭で書き比べて決めれば良い。

 

う〜ん。わからんよ。店頭じゃ。

 

だって、サラサラシートは貼ってないでしょ。デモ機には。

 

3年以上使った(=発売以来使い続けた)私の実感で言えば、書き味向上シートを貼ったiPadと貼らないiPadでは、画具として全く別物です。

 

ガラスの上にペンで書くことの心地悪さ、コントロールの難しさは、悪い意味で特筆に値します。ツルツル滑るガラスの上で、どうやって筆先の正確なスタート&ストップができるのか、考えれば、どれだけ困難かは想像しただけでも何となくわかりますよネ。

 

自動車やバイクで考えればイメージできます。ノーマルタイヤを履いたままで、ツルツル滑る路面を何の準備もなく走るだけでは、思い描いたラインは走行できませんよネ。滑って思うようには走れません。同じく、筆先にも「路面グリップ力」は必須です。

 

 

iPadに限らず、楽器でも、バイクでもそうですけど、使って間も無くその道具・ツールのポテンシャルなんてジャッジできません。使い込んでみて、徐々にわかってくるものです。

 

私はオフロードバイクに乗っていましたが、納車時の「デュアルパーパス」タイヤではオフオフ両方ともどっちつかずで良いところ無しでしたが、ゴリゴリなオフ寄りのタイヤに替えた途端「大化け」しました。RMXとTS200というバイク2台とも‥‥です。

 

私は昔のCintiqを使っていて「これじゃ限定的な仕事しかこなせない」と思っていて、一時はタブレットそのものを諦めようかと思っていた矢先、iPad ProとApple Pencilが発売されました。しかし、ガラスの書き味に違和感を覚え、すぐには使い慣れず、何らかの「書き味向上」の方法を探っていたところ、そのものズバリ「書き味向上サラサラシート」が発売されてすぐに導入してみました。結果は、今まで散々書いてきたので省略しますが、まさに「iPadで絵を描く必須のカスタム」となりました。

 

道具に対するスタンスは、実は当人の道具を使いこなすポテンシャルとも言えると思います。もしかしたら、自分の人生を使いこなすチカラ=自身の現状を突破したり拡張する能力が、道具に対する当人の態度で見え隠れする‥‥と言っても言い過ぎではないように思います。

 

用意された初期環境がなければ達成することができない‥‥とか、教えてもらわないとできない‥‥とか、製品の仕様がこうだからダメだ‥‥とか、私はそんな簡単に何かを諦めるのは昔からイヤな性分でして、ダメなら変えてしまえば良いと思う人間でした。「ハードロック」の影響だな。

 

人それぞれで良いとは思いますが、私自身は、「コレクション」ではなく「見栄や装飾」でもなく、「道具」として何かを手にするのなら、使い続けるうちにボロボロになって全然構わないと思うのです。改造だってどんどんします。

 

自分も傷だらけ、道具も傷だらけ、それでいいじゃないか。

 

Edwardのフランケン、Yngwieのダックは、傷だらけだからこそ、カスタムしているからこそ、かっこいいのです。

 

むしろ、傷一つない道具を使っているほうが、「おぼっちゃま」みたいでカッコ悪い。‥‥と思うくらいです。

 

業務連絡:貸与して頂いている機材は、大切に大切に使ってますヨ。

 

 

絵を描くために買ったiPad Proは、まさに絵を描く道具なので、どんどん使いやすく、どんどんカスタムすれば良いのです。買って数日で使いこなせるものではないと思います。

 

iPadはまず、ツルツルのガラスをなんとかしないとネ。

 

ちなみに、書き味向上シートを貼ると、

 

ジェスチャの感度が鈍る

Apple Pencilのペン先の消耗がはやい

 

‥‥などの弊害もでますが、書き味には変えられません。私はプレイヤビリティのほうを優先します。

 

*特に最新型に拘らないのであれば、私のオススメは第2世代のiPad Pro 12.9に、書き味向上フィルムを貼るカスタムです。性能と価格のバランスがよく、第3世代の「本体が曲がる」事故も聞きません。カメラの出っ張りも小さいので、第3世代よりも結果的に薄くなり、机との一体感も良好です。軽いのでどこにでも持っていけますしネ。

 

*私の使い続けているのはコレ。10枚セットのを発見したので(一枚あたり1000円以下)、今度まとめ買いしようと思っています。iPad Proはまだまだ第1世代も第2世代も現役です。

 

 


EthernetとWi-Fi

Apple製品はできるだけシンプルなインターフェイスと環境設定で誰でも簡単に扱えるように工夫されていますが、それが思わぬストレスの原因になることも実はかなり多いです。

 

例えば、Air Drop。

 

Air Dropは、同じ周囲のmacOSやiOS端末に対し、簡単な手順でデータを送信できる仕組みですが、BluetoothとWi-Fiが必須となるので、送受したいiMacやiPadは都合、BluetoothとWi-FiをONにすることになります。

 

これがクセモノで、iOSは良いとして、Macは「日頃、EthernetとWi-Fiのどちらを使って通信しているか」がわからなくなります。

 

macOSユーザとして、「まあ、通信速度の速い方を自動選択してくれているだろう、‥‥普通に考えて。」と根拠のない希望的解釈をしていたのですが、どうもそうではないことが最近発覚しました。

 

iMac Pro(や、新型Mac miniも)のEthernetは10Gbpsの高速通信が可能です。Wi-Fiは5GHz帯でも10Gbpsの有線LANよりは遥かに遅いので、映像の作業場(ローカルエリアネットワーク)でデータを転送する場合は有線Ethernetが断然有利です。

 

しかし、Air DropのためにWi-FiをONにしていると、せっかく高速な10Gbpsのインターフェイスと10GbpsのHubでiMac Pro同士を接続していても、こともあろうに、低速なWi-Fiで通信する‥‥みたいです。

 

最近、70GBのデータを送受したら、「予測時間 1時間」と出たので気づいた次第です。10Gbpsの高速ネットワークで70GBのデータのコピーに数十分かかるのは、いかにもおかしいです。(ローカルで低速なHDDを使っているならネットワークに送り出す速度も遅くなります。しかし、ローカルの高速ディスクと10GbpsのLAN経由なのに転送速度が遅いのは、何らかの原因があるでしょう)

 

試しにWi-Fiを切って再接続したら(=Ethernetのネットワークだけの状態)、「予測時間 1時間」が「予測時間 3分」になり、実際に2分ちょっとで70GBの転送が終了しました。

 

つまり、明示的にWi-FiをOFFにしないと、どんなに高速なEthernetで接続していても、低速なWi-Fi経由のネットワーク接続になることもある‥‥ようです。

 

Air Dropの時だけWi-Fiネットワークを使って、通常はEthernetネットワークを使う‥‥みたいな動作設定はできんもんかね‥‥。

 

iPad ProからiMac Proに転送する時だけWi-FiをON、通常はWi-FiをOFF‥‥みたいなことを明示的にしないと、Ethernet経由で転送を確保できないです。‥‥何か、システム環境設定以外の設定方法はあるんかな‥‥。

 

Appleは結構、性能よりもうわべの簡単さを優先するようなことが昔からあります。その方針があまり作業に影響しないうちは良いのですが、さすがに「3分が1時間になる」のは黙認できないほどの劣化です。作業速度=稼ぎに直接関わってきますもんネ。

 

こうなってくると、Air Dropも手軽なのか面倒なのか、作業場で使うにはよくわからなくなってきますネ。

 

 

 

 



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