スタイル探求

アニメのキャラは、アニメーションの制作工程の制限を多く反映し、その制限事項がアニメキャラのスタイルを特徴付けています。‥‥なので、新しいアニメーション技法で制作する場合は、必ずしも、旧来の制限事項に沿う必要はありません。もちろん、新しい技法の制限事項に沿うことにはなりますけども。

 

では、新しい技法において、どんなキャラデザインのスタイルの広がりがあるのか。

 

それはもう、描いた人、次第。‥‥という、中々にワイルドな状況です。新しい技法で実現できれば、何でもあり‥‥ですもんネ。

 

iPadを始めとした「デジタル」で絵を描く利点は、様々な試行錯誤を様々なツールを用いて、様々にバージョンを保存しておけることです。何の気になしに描いてみた一枚の絵を、目鼻のバランスや髪型や色彩など色々とイジくってみたりと、A4用紙程度のiPad Proの中で自在に試作できます。

 

昔から、アニメキャラは鼻と口を非常に小さく描く傾向がありますが、最近のキャラクターはその傾向がより一層顕著です。とある監督さんが「そんなに鼻と口を描きたいくないのかなぁ」とおっしゃっていましたが、描きたく無いかは別として、今の時流の感覚として「人間の生きてるナマっぽさ」「実在感」よりももっと他の部分を引き立たせたいが故に、口と鼻には「遠慮してもらっている」のかも知れませんネ。「存在感」は欲しいけど、「実在感」は不要‥‥的な。

 

時流は時流として、何か違うアプローチはないものか、度々、iPadで落書きがてら試行錯誤しています。みんながみんな、同じ絵を描いて、「前に習え」する必要もないと思いますし(今の絵が好きな人が好きなように存分やれば良いのです)、せっかく今までの制限が消えた新技術においては、色んなスタイルのアプローチを試してみようと思っています。

 

例えば、「くりん」としたまなこの、可愛らしい顔立ちのキャラを、目をアニメっぽく大きくするでもなく、鼻と口を点と線で処理するのでもなく、違うスタイルで表現できないものか、iPadで時折描いています。実は、私の好みだけで言えば、大人っぽくて激しくてズルい女キャラ(Lady Double Dealer的な)のほうが好きなのですけどネ。以下は最近描いたもので、一枚の絵から色々とバリーションを作っています。

 

 

生産性にはほど遠い、いかにもスケッチのような状態ですが、線画からイメージすると「元の木阿弥」になることも多いので、あえて使用するペンは制限せずに、描きたいように描いています。新しい技術を前にした時、時には線画で絵を想像するクセから脱することも必要だとも思うのです。

 

それに、実制作においては一旦は線画の描き方に戻って生産性を確保して、その後のコンポジットの技術でこうした水彩画風・イラストタッチのスタイルで動かすことも可能になるので、キャラクター描写のコンセプトボードという意味合いもiPadで試せます。また、髪型を変えるような場合は、紙の場合は一枚の絵から変更するのは難しいですが(絵の具を除去したり上塗りするのは面倒ですし紙が痛んじゃいますもんネ)、iPadなどのコンピュータベースの絵なら大したことでは無いです。

 

 

去年と今年と、テレビアニメに久々に関わって感じたことは、テレビには絶対に死守すべき放映日という防衛ラインがあって、その中で様々な工夫が凝らされているということです。今の時流の絵は、逆の言い方をすれば、淘汰に生き残ったデザインとも言え、どんなに新しい技術が出てこようと、おいそれとはデザインやスタイルを変更できないし、変更するわけにもいかないのです。内情を知れば知るほど、関われば関わるほど、絵に全部色がついて、放映に間に合うだけでも、相当なものだと思います。

 

しかし一方で、新しい技術の取り組みも不断で続けなければ、世の中の映像技術についていけなくなり、旧式化の一途を辿るのも明白です。いきなりテレビアニメで斬新な技法を全面的に取り入れるのではなく、徐々に地ならしを進めることが肝要でしょう。

 

現在こなしていかなければならない仕事と、未来に生き残るための技術開発と、苦しい両面作戦をどのように展開していくかは、誰にも課せられた命題だとも思います。

 

そんな中で、私は、キャラにしてもストーリーにしても、普遍的なスタイルのものをいつしか志向するようになってきました。現在流行している絵にとびついても、10年後には古くなっていることでしょう。今、20代の人も、20年後には40代です。要は、時代性を象徴するようなデザインやスタイルは、必ずその反動が出て、古めかしくなっていくのです。

 

だったら、極端な味付けは極力抑えて、いつの時代に描かれてもおかしくないような絵柄に落ち着いて、丹念に熟成させるスタイルもあって良いかと思っています。もちろん、全てそうあるべきだと言うつもりはなく、数多いスタイルの中の1つとして‥‥です。

 

まあ、言うなれば、ジャズやクラシックのような絵でしょうかね。Bill EvansやWes Montgomeryのような音楽は、今でも色んなところで耳にしますし、ちょっと楽器のチョイスを変えてアレンジを小変更しただけで現代的な味付けも可能です。

 

音楽にも色々なジャンルがあるように、アニメにもこれからは色々なジャンルがあっていいように思います‥‥って、もう40年前に誰かが言ってたような気も‥‥しますネ。

 


透過式タップ穴あけ器

iPad作画を紙運用の作品で用いるには、プリントアウトしてタップ穴を何らかの方法で開けて、「紙として」やりとりする必要があります。

 

最初に誰もが考えるのは、プリンタに作画用紙をセットして印刷する方法ですが、その方法は紙が印刷ユニットにロードされる際に位置がズレるので実用は困難です。ガシャコン!ズルズルズル...と紙が用紙カセットから引き摺り出される際に、ズレないわけがないです。

 

同じ理由で、印刷した用紙に、タップ穴あけ器で穴を開ける方法も実用的ではありません。用紙に対して一枚ごとに印刷位置がズレているわけですから、角合わせも全く意味がなく、盛大にタップ穴がズレてしまいます。ロングショットの口パクで1ミリずれたら、顔面崩壊してしまいますもんネ。

 

ということは、結局は紙タップ(短冊状の紙にタップ穴が開いている)を一枚ごと、位置合わせして、貼り付けていくほか、「許容誤差に収める」方法はない‥‥というのが、今の私の見解です。

 

「ほとんどズレないプリンタもあるよ」と言われても、そのプリンタを買わなければならないし、それはA3用紙まで印刷可能なプリンタなのか、さらには「ほとんど」ではなく「絶対」じゃないと困るわけです。なので、「ズレないプリンタなんて、期待する方が虚しい」という結論に至っています。導入費の問題も深刻で、まさか個人で数十万、数百万もするプリンタを買うわけにはいかないですよネ。

 

しかしタップ穴貼りはかなり面倒。枚数が多い時は、1時間では済まず、2時間近く、作業時間をもぎ取られることもあります。

 

ではどうするのか。

 

私が考えているのは、「紙タップを貼り付ける時間消費を解消する」方法です。

 

紙タップを貼り付ける際、私は正面3箇所、裏面2箇所の5箇所で貼り付けていますが、段取りは以下の通り。

 

  1. プリントアウトした用紙の上部のタップ穴画像に、紙タップを這わせて、位置を合わせる
  2. ズレないように抑えながら中央、左右の3箇所をメンディングテープなどで固定する
  3. 用紙を裏返して、タップ穴周辺の紙を切り取る
  4. 左右2箇所(正面貼り付けの未固定部分の不安定な箇所)をメンディングテープなどで固定する

 

この4行程。中々に手間がかかります。

 

貼りつけ箇所を省くと、貼り付けてない箇所がピラピラと紙が遊んでしまい、イラっときます。用紙を揃えにくいし、ピラピラしたところから裂ける可能性もあります。なので、最低でも4箇所は裏表で固定したいです。

 

しかし、この紙タップ貼りが無ければ、作業時間は大幅に短縮されます。たとえ、一枚ずつ処理しなければならなくても、紙タップの貼り付け作業がないだけで、かなり楽になります。‥‥毎日の実感です。

 

要は、プリントアウトが一枚ずつ位置ズレしている状況は放置し(対応のしようもないから)、どんなに位置ズレを起こしていようと、たとえ一枚ずつでも位置を正確に合わせて、一発で穴あけできれば、上述の4工程の手間は一気に払拭できます。

 

タップ穴あけ機にガイドを設け、そのガイドに一枚ずつでも紙を這わせることができれば、穴が一枚ごとバラバラに無残にズレまくることは防げます。

 

私が考えている装置は、「紙を透過して、紙と穴あけ機のトンボ(位置合わせマーク)を合致させた後に、タップ穴をあける」器具です。

 

 

LEDライトは、穴あけ機に合体させた透明アクリル材の装置の中に設置し、紙のガイドと穴あけ機のガイドを透過する役割を果たします。

 

タップ穴あけ機とライトボックスが合体したような器具です。

 

まあ、制作費の90%はタッピング機ですが、合計、25,000円くらいで作れそうです。こんなこともあろうかと、DIYの各種電動工具を用意しておいてよかった。工具代まで含めると、かなりの額になってしまいますもんネ。

 

まさかな‥‥、此の期に及んで、タップ穴あけのソリューションを製作しようとは。

 

今の仕事には間に合いませんが、とりあえず、作っておこうと思います。紙タップ貼りの作業は、貴重な作業時間をもってかれて、無視できない問題なのです。

 

だからオールデジタルに‥‥というのは、まだ「無い物ねだり」です。近い未来に「あんな器具もつくったっけかな」と懐かしく思える日が来ると良いですネ。

 

 

縦3フレーム、横3フレームなどの大判は対応できるの? ‥‥って、その時は観念して、紙と鉛筆で描きます。紙ベースの作品ならばネ。そもそも私は「紙畑で育った人間」なのですから。

 


増幅器としてのデジタル

私はアニメ制作技術にコンピュータ活用を推進してやまない立場ですが、一方で、いち個人が技術向上を果たす上で「デジタル」が「逃げ道」として使われるのは避けるべきとも考えます。どんなにソフトウェアの機能を駆使しても、本人の画力までは補ってくれませんから、基礎的な知識と技術の習得はどんな道具を使おうと必須です。

 

平面構成の知識、パース技法の知識、人体の知識など、基礎的な技量を身につけるのは、相応に努力と精進が必要ですが、そこから逃れるためにコンピュータや周辺機器やソフトウェアを揃えても、当人の技量を補ってはくれません。

 

「ソフトのバージョンが古いから、俺は絵が下手なのか?」「環境設定をミスってるから、私はうまく描けないのかな?」‥‥‥無い無い無い無い。自分の能力の低さを、コンピュータの何らかの要素に転化する‥‥、それこそが、「逃げ道としてのデジタル」の最たるものです。

 

「コンピュータがあれば、不可能が可能になる」というのは確かにそうですが(例えば、フィルム時代では機材的に不可能でしたが、コンピュータとペンタブとネット環境があれば、一人で自主アニメを作って全世界公開することも可能になりますもんネ)、「無能が有能になる」ことはないのです。

 

自分は線画しか描けない人間だと思っていたけど、色付きイラストをペンタブで描いてみたら、結構いい感じにハマって好評だった‥‥というのは、そもそもその当人が絵が描ける能力を有し、コンピュータがその能力をさらに拡張して展開したからです。自分は絵なんて描いたこともないけど、コンピュータを使えばひょっとして上手い絵が描けるかも‥‥というのは無いです。

 

コンピュータは当人の「状態を拡大」する道具であって、無いものを補う道具でないのです。むしろ、当人の良い部分を拡張してくれると同時に、悪い部分も拡張してしまう、考えてみれば「恐ろしい」道具です。

 

環境を用意する側は、「これだけ性能の高いハードとソフトで固めれば、さぞやクオリティの高い映像が」と思いがちですが、それは半分YESで、半分NOです。作業環境だけで品質の高い映像が作れるのなら、環境だけ整えて、そこらへんを歩いている人に声をかけて雇えば良い‥‥なんて話にもなろうというものです。まあ、それは極論だとしても、程度の差こそあれ、コンピュータを使ったからといって、いきなり映像表現の基礎力が向上するはずもないです。

 

しかし、コンピュータが当人の性質を拡張する‥‥ということは、基礎力に開眼して努力し始めたら、その努力を拡張してくれる頼もしいパートナーにもなり得ます。手が苦手なら、様々な手の形はネット検索で容易に画像が得られますし、体の筋肉や骨格を色んな角度から見たければアートモデル専門のWebでモデル単位で全方位画像を購入もできますし、ネットの決済が嫌ならAmazonの代引きで購入して汎用の画像ビュワーで見ることもできます。いつ形成したかもわからぬ根拠の乏しいプライドで絵を描き続けるのではなく、それこそなぞってトレースするくらい人体を模写しまくれば、得るものは大きいです。

 

でもねえ‥‥「熱中して努力できること自体が、実は当人の資質の根本だ」なんて話になると、こと映像表現に至っては、コンピュータは、そもそも当人が努力できる人間か否かを選り分ける「キビしい選別機」とも言えます。

 

やっぱり、「アニメが好き」なだけでは作画やコンポジターで30,40,50,60代と生きて抜けないですよネ。「アニメが好きなのがきっかけだった」のは良いのですけど、そのきっかけから発展していかないと、正直、40代以降は厳しくなるように思います。

 

ただでさえ「苦しい」「ヤバい」と噂されるアニメの現場に飛び込むのですから、当人がアニメ好きなのは何の付加価値にもならない「当然の前提」です。そうした前提の先には、絵が上手でないと作画では喰っていけないし、映像の動きや光と影に敏感でなければコンポジターとして映像表現の中心的役割は果たせないでしょう。

 

 

コンピュータをプラス増幅器にするか、マイナス増幅器にするか、またはゼロかけるゼロでゼロのままか、当人の気概次第でコロコロと状況は変わります。私は「コンピュータのそういうところ」が何とも憎らしくて、気に入ってる部分でもあるのです。

 


AirDropのトラブル

iPadとMacを橋渡しするには、AirDropが便利です。しかし、そのAirDropが結構「使えなく」なるのです。

 

iPadからiMacが見えない、MacProからiPadが見えない、‥‥ということはよくあります。‥‥‥‥‥よくあるのは、困るんですけどネ。

 

どうすれば直るか‥‥というと、再起動が手っ取り早いんですが、再起動をおこなうにはやりかけのアプリケーションを一旦終了したりと面倒です。

 

なので、何か「AirDrop復活」の方法はないかと色々試してみたところ、以下の3種類の操作で大体直ることがわかってきました。

 

  • Bluetoothの入・切
  • WiFiの入・切
  • AirDropウィンドウの開き直し

 

AirDropはWiFiだけでなく、Bluetoothも使っているので、BluetoothのON/OFFだけでも直ることもあります。

 

‥‥で、なぜAirDropが不具合を起こすのかは、理屈的なところは解ってません。まあ、治ればいいか。‥‥という感じで、深刻に考えるのはヤメています。深刻な問題は、他にも色々あるし。

 

 


テレビこそ

現在、色々な仕事をチャンポンで作業していますが、やはりテレビは過酷です。仕事の依頼を受けた時点でスケジュールがないことも多いですし、作監をお手伝いしようものなら中々にハードな内容(パースから直すような根本的な直し)も多々ありますし、劇場や短尺を丁寧に作る仕事とは全く内容も作業意識も異なります。

 

で、テレビを作業してみて思うのは、テレビシリーズこそ、iPad作画などの「デジタル」作業仕様が活きる‥‥ということです。テレビシリーズのようなスピード重視の制作体制でどれだけカットを「底上げできるか」という作業目的においては、様々なコンピュータの利点を作画作業でも最大限に活かせます。

 

ただまあ、既に紙で流れているカットに、途中からiPad作画を介在させるのは、かなり面倒です。なので、「紙ベースの作品は、基本、紙で」の方針は変わりませんが、作監をやりつつ片手間でレイアウト(=絵コンテから描き起こす最初の工程)を作業する際は、タップ貼りのロスを差し引いても、iPadで作画したほうが格段に作業が速くなるのを実感しました。

 

特に、パースのアシスト機能は超便利。パース技法を習得済みで、パースの原理さえ解っていれば、こんなに便利ツールはなく、乱立する高層建築などもスイスイ描けます。定規でVP(Vanishing Point=消失点)に合わせながら描く手際を、Procreateが「定規の動作」をアシストしてくれるので、フリーハンド一発で建築構造物が描けます。キャラの位置を微調整してカメラ位置(ホリゾンタルライン、VP)の調整も容易です。

 

ただねえ‥‥フローがね。

 

紙とデジタルデータの混在は厄介至極。何の制作ドクトリンもなしに、混在できるほど甘いものではないです。

 

原画周りだけ作業性が良好でも、全体の取り回し的にNGでは、立ち行きません。なので、今はまだダメかな。流れの具合が悪い。

 

 

ただ、遅かれ早かれ、紙はその物理的限界により、未来の映像フォーマットには対応できず、なし崩し的に「デジタル」へと移行するようにも思います。時代がアニメ業界の台所事情に都合よく2Kのままストップするわけないのです。

 

紙に鉛筆で描くのは、「鉛筆の持ち味」を活かすような高級なニュアンス(もちろん、階調トレスだよね、その場合は)を必要とする作品以外では使われなくなっていくと感じます。「線画のインプットメソッド」として捉えるのなら、作業性においても品質的な観点でみても、今のA4〜B4サイズの作画は2Kが終着駅で、紙の時代は「旅の終わり」に近づいています。まさかA3用紙を標準フレームにするわけにはいくまい? でも実は、「拡大作画」で似たこと(=作業サイズを部分的にアップする)はかなり前から実施されており、映像フォーマットと作業サイズの不整合は「拡大作画」を以って、既に未来を暗示しているのです。

 

 

私は数年後に公開する作品においては、2Kで作品を作るべきではないと考えています。数年後の2020年代に発表される作品が2Kだったら、その時点で随分と見劣りすることになるからです。鳴り物入りで公開される2020年の作品が2Kだったら、ショボいの一言です。一生懸命作っていた当時は2Kは妥当でも、完成した時には既に古いものと化していた‥‥なんて、悲劇ではなく喜劇です。最低でも4K24pあたりでしょうネ。未来を着地点とする技術開発や作品制作は、その当時は「非常識」「非現実的」「荒唐無稽」といわれるくらいで「丁度良い」のです。

 

これから先、アニメ制作は、どんな技術展開を見せていくのか。

 

以前の時と同じく、大型の高予算作品から切り替わっていくのか、それとも利便性に気づいてテレビから切り替わっていくのか。どちらにしても、「新しい作り方を確立」したグループが台頭することでしょう。

 

 


技術の本命

カットアウトなどを始めとした、コンピュータを使って絵を動かす技術の本命は、わたし的には何といっても、4K8Kの高解像度で60fps以上のフルモーションで動かすことです。そこにHDRが加わるとさらに決定的にはなりますが、今は4K60pでも十分「本命」としての素性があります。

 

なぜ、4K60pフルモーションが新技術の当座の本命かと言うと、旧来の作画では絶対と言い切っても良いほど不可能な領域だからです。現在、紙と鉛筆と24コマタイムシートの仕事をしているので、4K60pで動いている新技術の映像とのギャップをまさに目の当たりにしています。4K60pフルモーションを現在の原画動画システムでやろうなんて、全く思いません。

 

そもそも、旧来の技術の限界(=新しい映像フォーマットとの乖離が進む現実)をほとほと痛感していたからこそ、新しい技術の模索がスタートしたのですから、旧来技術とのルック上のギャップがあるのは至極当然です。今までは、旧来技術に馴染むためにコマ落としなど故意にスペックを抑制してきましたが、最近ではできる範囲でスペック制限を解くようにしているので、一層、ルックのギャップは大きくなっています‥‥が、それも計画した上でのことです。

 

新技術を用いる新たな仕事も徐々に増えており、最近公開されたクロックワークプラネットのエンディングとは大きく毛色の異なる絵柄の作品も控えております。新技術は構造上の特性で、アニメのセル画以外の作風も容易に扱える性質があります。恐らく次の仕事は、イラスト・絵画指向、ドラマティック指向になると思います。新しい技術は、未開の平野のほんの片隅を開墾し始めた段階でしかなく、今後、どのような作風の仕事をこなしていくか、開拓の楽しみな技術でもあります。

 

* * *

 

思うに、これから先の10年間を見据えた時、「これを選択しておけば大丈夫」なんていう近視眼的技術論ではなく、視野を大きく広げた、柔軟な選択肢を有するアニメーション技術論が、新たな映像フォーマットに対応するため(=映像産業の未来展開)の基盤となるでしょう。

 

その際は、新技術だけでなく、旧来の技術も、改めて技術の「核心」「本質」「本命」を再認識することが必要になります。

 

なぜ「紙と鉛筆を使うのか」、「なぜペンタブで動きの1枚1枚を描くのか」、「ペイント」や「撮影」という工程の存在意義とは何か、アニメ作品を演出するとは結局どう言うことなのか。

 

その技術を選択する意味、技術の本質を改めて認識して、惰性ではなく確信をもって、自分らの技術と向き合う‥‥わけです。

 

「アニメはこのやりかたでしか作れなかったから」なんていう意識では、どんどん「違うやりかた」に侵食されるばかりです。

 

自分たちの扱う技術の「本命」とは何ぞや? ‥‥を再認識をして、存在理由と意義を改めて自覚できれば、どんな新技術が現れようと、容易にはブレない、明確な行動指針が得られましょう。

 

私は紙と鉛筆を今でも使いますし(むしろ最近、紙に戻る時間が増えた)、iPadで旧来フォーマットの作画もしますし、新しい技術を基盤としたアニメも作りますので、それぞれの「長所」と「急所」が作業の過程で浮き彫りになります。

 

旧来技術も新技術も、紙もペンタブも、技術論でフラットに精査すれば良いと考えます。色眼鏡なしで技術と向き合えば、その技術が持っている本質が邪魔されずにストレートに認識できます。

 

実際私は、旧来技術が4K60pで生き抜く方法を、新技術を模索する過程の副産物として得ることができました。「新技術こそは未来の技術だ」とか「従来技術こそアニメだ」みたいなバイアスのかかった捉え方をしていると、ぶっちゃけ、見失うことのほうが多いです。ポリシーなどに振り回されることなく、フラットに色眼鏡なしで、技術の特徴を捉えれば、「各技術の活かしどころ」が見えてくるのです。

 

 

自分たちの技術の本質・本命、長所と急所はいかなるものか。

 

アニメ業界の人々の意志だけでは、社会的な映像技術の進化を止めることはできません。明らかに、旧来アニメ制作技術とって不利な状況が、未来には待ち受けているでしょう。そんな中、技術の中身を技術論ではなく精神論にしてしまっていると、一層、進退窮まる状況に自ら陥っていきます。

 

自分たちの有する技術に対し、妙なプライドで褒め殺しにしたり急所を誤魔化すのではなく、恐れずに正視すれば、むしろ、旧来技術の中に新しさを見出すことも可能ですし、新技術が旧来技術に学ぶことも多々ある‥‥と思っております。

 

 


決戦兵器

ずいぶん前にも書いたことがあるのですが、紙の作画において、私には「決戦の武器」というべきものがありまして、コレです。

 

 

 

 

あと、コレも。

 

 

 

ただのシャーペンと芯ホルダーじゃん。‥‥というのは、たしかにそうなのですが、キモは「芯の径」です。

 

ステッドラーの925の方は「2ミリ」、コヒノール(コイノア)の方は「5.6ミリ」です。

 

 

これで描くと、「延々と描き続けられてしまう」のです。もっと違う言い方をすれば「アドレナリン筆記具」とでもいいましょうか。

 

芯が恐ろしく減らない(正確には、減っても、露出する部分が多いので、描き続けられる)ので、集中力が途切れず、頭の中のイメージを紙に放出し続けられるのです。

 

これはある意味、怖い。

 

体が疲れても、頭の中に絵のイメージが湧き続けることで、いつまでも止められずに描き続けてしまいます。

 

普通の鉛筆は、芯の露出が少ないので、ある一定のところで「鉛筆削りの小休止」が入り、テンションがちょい下がります。0.3〜0.7ミリのシャーペンに至っては、煩わしいほどに腰を折ってきます。

 

しかし、2ミリや5.6ミリは、1回のクリックでかなり持続し、5.6ミリに至っては1〜2時間は余裕でノークリック・無休で描き続けられます。

 

 

まあ、芯の径からして、イメージボードやレイアウトに使うのが適しており、いまどきの細密な瞳をもつキャラの原画には使えません。しかし、イメージを描き留める用途だと、恐ろしい適合性を発揮します。

 

ぶっちゃけ、これを持って、仕事したくない‥‥というのが本音です。「生気を吸い取られる」といいますか、すんごい速度で自分の体の中から紙にエネルギーが吸い取られていくのがわかるのです。‥‥まあ、表現は、あくまでイメージですけど。

 

しかしねえ‥‥いまどきの制作事情は、この決戦兵器を使わないとダメぽな感じがします。

 

 

多分‥‥ですが、うまくプリセットが作れれば、この2ミリと5.6ミリと同じ感触の筆記具が、Procreateでも作れそうな気はします。ただそれは、もうちょっと先にしておこう。iPadでの作業は、「そういうアレ」にしたくないので‥‥。

 

 


フルモーション

アニメの新技術の中には、いろいろなカテゴリがありますが、コンピュータで描き絵を動かす技術を、何でもかんでも「カットアウトアニメーション」ということにしてしまうのは、なんともキモチが悪いです。ラーメンやスパゲティやニョッキを「うどん」というくらい、しっくり来ません。「小麦粉をコネて茹でれば、それはみんな、うどんだ」というのは雑すぎますもんネ。

 

本日放映されたクロックワークプラネットのED(エンディング)は、ビジュアルコンセプトから絵コンテ・演出・ビジュアルエフェクト・編集・グレーディング(‥‥あと、鬼のような歯車の背景)を齋藤瑛さんがひとりで担当し、キャラの色彩とペイント(階調トレス)を田中美穂さんがやはりひとりだけで担当、私はキャラの線画をiPadでひたすら描き、After Effectsで動かす作業に徹しました。作業者のメインは三人、総作監さんやプロデューサーさんをいれても、ガチで五人だけの現場です。

 

私の作業した内容で言えば、レイアウトや原画作業だけでなく、コンピュータで動画作業と同等のことをするので、動画枚数は無制限‥‥というか、動画枚数という概念自体が消滅し、「動きそのもの」だけに集中できたのが特徴です。動きを「もっとああしたい、こうしたい」というのはありますが、それは言いっこなし、今回の許容では妥当だと思っております。

 

「カットアウト系」。‥‥でもまあ、呼び名は、ぶっちゃけ、今現在はどうでも良いです。まずは、フルモーションの動きを少しでも人目に晒すことが重要です。

 

 

まあね‥‥。2コマ抜いて、3コマ打ち=8fpsにすれば「アニメっぽい動き」になるのは重々承知しておるのですよ。

 

同じ映像内で他が3コマで動いていて、馴染ませるために3コマにする‥‥というのは、私もよくわかるし、そうすべきと思います。

 

しかし90秒の短編といえども、1つの独立した映像作品内でフルモーションで完結するなら、わざわざ、3コマに動きをカクカクさせて、クオリティを下げる必要はないです。技術の持つ特性を、クリアにストレートに発揮すべきです。

 

日本のアニメの「3コマ動き」の多くは、「リミテッド=表現」ではなく「エコノミー=費用」が理由です。私の敬愛するアニメーターさんは、まさに「3コマの使い手」だったりしますが、多くの現場においては、「3コマ独特の動きを駆使して」ではなく、「3コマだとコストオーバーを防げるから」が理由です。

 

そして、その「エコノミーなルック」が、アニメのデフォルトになっています。

 

要は、作る側・見る側が3コマを「アニメっぽい」としていて、今までのアニメの慣習に無意識に落ち着いちゃっているだけです。アニメは必ず3コマで作らなければならない自然界の掟があるわけではないです。映像のフォーマットも映像系家電もどんどん進化してきて、アニメもその進化に新技術で追随できるのに、古い習慣・感覚が邪魔して先に進めないのは、何とも歯がゆいです。

 

ちなみに、試しに4K60pバージョンで1カットを出力して見てみたら‥‥、まあ、なんとも「表面を覆っていた膜がとれたような」クリアで滑らかなでデリケートなニュアンスが映像全体に発散されてました。実は、新技術のアニメーション技術の真骨頂は、4K60pの「みたことのない境地」=手描きの中割り動画ではできないアニメーション表現なんですよネ。

 

 

でもまあ、カットアウト系をはじめとしたアニメーションの数々の新技術は、まだまだヨチヨチ歩き。

 

これから、どのように幼い新技術を育て上げていくか、先行きが大変ですけれど、技術内容的にも、そしてお金的(作業者のギャラの改善ネ)にも、未来が楽しみが技術ジャンルでもあります。

 

クロプラEDのキャラのモーションは、iPad ProのProcreate、macOSのPhotoshopと、After Effectsの3つだけで作っていますが、中でも難しかったのは、リューズさん(ヒロイン)の横顔からの振り向きです。しかしそれでも、普通に原画動画ペイントするよりは格段にコストパフォーマンスは高いです。もし普通に作画で、フルモーションで5秒間、複雑な装飾と処理で動かすとなったら、どれだけの工数と人員が必要になるか‥‥を考えれば、「ぐえ。そんなエグい内容をAfter Effectsをやってんの?」と言われようが全然苦ではないです。

*試しに試算すると、(5+0)=5秒のカットで、24x5=120フレーム、これをフルモーションだと120枚の動画ですが、キャラの後ろの半透明の羽衣、キャラ、キャラの半透明のパーツ、手前の半透明の羽衣で、合計は120枚の4倍で480枚。5秒のカットでほぼ500枚‥‥なんて、まあ、やる前から他の手段を考えますよネ。そもそも、手書きの動画作業で5秒間丸々フルアニメーションの24コマでシートなんか書かないし。‥‥つまりは、最初からそんなカット内容を考えないわけですが、新しい技術の基盤があれば、NGがOKに変わってくるのです。これがもし60pフルモーションだったら‥‥ですが、新技術はそれにも対応できるのです。

 

少人数で映像を作り上げて、ちゃんとお金も貰う。‥‥今のアニメ制作実情の真逆を目指すわけです。

 

 

 

課題は、技術の体系化。そのことに尽きます。

 

現場のワンセクションの中にいると取り立てて感じることはありませんが、日本の現在のアニメ制作は、極めて高度に体系化されています。‥‥でなければ、1話あたり数千枚も絵を描いては塗る作業を完了して、放映にのせることなんてできません。冷静に考えてみれば、ものスゴくタフで高レベルな技術体系がアニメ制作現場には根付いているのです。

 

それをしみじみ実感しているからこそ、新しい技術体系の幼さは身に沁みます。

 

 

 

とにかく、1つ1つ、今までできなかったことをできることに変えていって、地道に、地道に、レンガを積んでいくしかないです。技術は、コンピュータが絡んでいようと、結局は手作りですもんネ。

 

 

 

ちなみに‥‥。

 

絵をフルモーションと動かすと「3D」と言われるのは、もう10年くらい前からなので慣れました。3Dの絵は、モデリングという逃れられないメカニズムがあり、2Dの描き絵は「人間が手で描く」という逃れられないメカニズムがありますが、その特徴を直感で見分けられる人は専門知識などなくても「3Dとはなにか違う」ことがわかってもらえることもこの10年で知っているので、2017年の今では全く気にしません。‥‥まあ、参考にはしますけどね、「もうちょっと絵っぽいニュアンスを残した方が良いかな」とかネ。

 

描いた絵は、現実など問答無用で、「その絵の快感」で描けちゃいますから、どんなにディテールが細かくてもフルモーションでも、描き絵の特性が出るんですよネ。

 

フルモーション=3Dという誤った判断基準を過去のものにするためにも、3コマ打ちの8fpsなんかで新技術を展開してはいけないのだ‥‥とは常々思います。

 

 


画面設計、プロジェクトマネージメント、技術責任者、ROE

アニメ作品制作は、一見、大人数の多行程で進行するがゆえに、工場の生産管理を想像しがちです。しかし、工場で生産される製品の1つ1つは大きく仕様がことなる「ワンオフ」品ではなく、たとえBTOでも、既存のパーツを組み合わせたバリエーション展開に過ぎません。アニメの1カットと工業製品の1個体は、全く性質の異なるものです。

 

ですから、生産業のプロジェクトマネージメントの方法論を、アニメ制作現場に導入するには、よ〜く噛み砕いてアニメの事情に適応させる必要があります。そのままでは使えないのです。

 

私は以前、生産業のプロジェクトマネージメントに大いなる刺激を受けたことがあり、少なからず導入できる要素を感じておりますが、アニメ作品とその制作行程、そしてスタッフの特性を鑑みて、「アニメ作品制作ならではのプロジェクトマネージメント」として成立することが必須だと認識しております。

 

生産業において、実際の設備や工員の技術を度外視して、机上の技術論を展開しても、プロジェクトマネージメントが成り立たないように、アニメのプロジェクトマネージメントも作画や美術やペイントや撮影などの各スタッフの技術的なよりどころや価値観、そして各工程の機材の特性を無視して、理想論だけのプロジェクトマネージメントを展開しようとしても、空振りの連続どころか、現場からプロジェクトマネージメント自体が疎まれるようになります。

 

表現と技術の結びつきを理解していてこそ、現場に必要なプロジェクトマネージメントも実行可能です。

 

絵だけ作れてもダメ。

 

機材やソフトウェアの知識だけでもダメ。

 

つまり、プロジェクトマネージメントはそれこそ総合的・包括的な経験と知識が必要なだけでなく、映像の表現者としての恰幅も往々にして必要とされるわけです。

 

 

 

プロジェクトマネージメントを実践するには、「なぜ、その技術がこの作品に必要なのか」を理解し、実践することが必要です。その実践の中には、監督・演出からのオーダーに盲目的に応えるだけでなく、「代替案を示して、障壁を突破する」ミッションも含まれます。

 

アニメ作品の技術は何に用いられるか? ‥‥当然のことですが、作品作りですよネ。特にウェイトが重いのは「絵作り」です。

 

すなわち、プロジェクトマネージャーを引き受ける人間は、アニメ行程に関する全ての知識と技術と絵と動きの技量をたっぷり蓄えていなければ、全うできない役職です。

 

 

んな、アホな。

 

そんな人材、どこにいる?

 

非現実的です。

 

 

私は画面設計もやり、ラボとの技術的な話もたくさんしてきましたが、専門は作画と撮影(コンポジット・VFX)です。

 

美術の制作現場、色彩・ペイントの作業現場のことは、間接的にしか知りません。実際に美術専門のプロとして担当したことはないですし、ペイント作業で稼いだこともないです。やりとりのなかで知っているだけです。

 

プロジェクトマネージメントの肩書きを持つために、全ての行程に精通しなければならない‥‥なんて、とても実現できることではないですし、もしそれが出来るというのなら、それはとても「傲慢」なことですらあります。各工程の各専門分野をナメている証しとすら思えます。

 

 

現在の私の見解としては、プロジェクトマネージメントは、主要な工程の監督責任者らと共同で取り仕切るのが、現実的な路線だと思います。

 

専任でピン(独りで成立する)のプロジェクトマネージャーなんて有りえません。

 

 

ですが、プロジェクトマネージメントを束ねるには、誰かが取りまとめ役をおこなわなければ、エネルギーが分散して立ち往生します。要は、プロジェクトマネージメントのチーフが必要なわけですが、その人間は、相応の技量を示さなければなりません。

 

プロジェクトマネージメントを共同でおこない、もしチーフなどの先導役・仕切り役として立つならば、画面設計の技術は必須です。「この作品の映像を、こんな完成像を目指して、こんな感じに技術を使うんだ」という意思表示ができなければ、周りが理解もしなければ納得もしません。ゆえに、イメージボード、コンセプトボードを描く(もしくは作る)技量はどうしても必要です。狼の群れを統率するにはアルファクラスの狼が必要です。

 

じゃあ、絵描きしかプロジェクトマネージメントのチーフにはなれないのか?‥‥というと、そんなことはないです。強い意思を持つコンセプトボードが制作できれば、直に絵を描く必要はありません。実際にアニメーターではなく、コンポジターからキャリアをスタートしたスタッフが、イメージコンセプトを担っている事例はまさに身近にあります。

 

一眼レフで撮影した写真や軽めの3DCGを用い、時にはiPadでニュアンスや小部分を描き足して、PhotoshopやAfter Effectsで画像や映像に仕上げて具現化できれば、十分、作品の映像コンセプトを提示できるでしょう。

 

 

 

一番まずいのは、現場に「デジタル」の知識が足りないからと言って、付け焼き刃的に技術責任者を配置することです。これは何度も失敗例を目撃しています。

 

技術の様々な要素はアニメの作品表現のために必要となるのです。技術のために作品があるのではなく、作品のために技術があります。

 

そんな当たり前こと‥‥ですが、作品無き技術論を展開して、作品無き制作技術の管理・統制をおこなうようになると、主従が逆転し始めます。

 

ソフトウェアやハードウェアの「ジャッジ」だけできてもしょうがないのです。下されるジャッジが作品制作の根本から発するものでなければ、ただの作業環境の整頓係にしかなりません。整理整頓が一人歩きして、作業環境の維持のためにアニメを作るようになったら、本末転倒も甚だしく、技術責任者が作品作りの厄介者になってしまうことすらあるのです。

 

「作業段取りはこうしよう」「ファイル名はこんな風に決めよう」という1つ1つの決め事に対し、皆が「たしかに作品を確実に完成へと導くには、必要な取り組みだ」と自覚できる、必然的なプロジェクトマネージメントが必要です。そして、現場に制作管理技術が必要だと認識させる、エバンジェリストとしての役割も‥‥です。

 

「面倒な決め事ばかりで、負担を倍増させやがって」と思われてしまうのは、ごくごく単純に言えば、プロジェクトマネージメントの力量不足が気取られているからです。経験の浅さ、見識の低さ、表現力の狭さが、日々の振る舞いで、経験豊かなスタッフたちにバレちゃうような人間が、責任職を振りかざす形になると、そりゃあもう、現場は反発します。形骸化した年功序列や組織の上下関係に従うほど、現場の人間は飼いならされておりません。

 

力量不足ゆえに信頼されない人間が、技術の責任者だ‥‥なんて、現場は到底、納得できないでしょう。「なんで、あんな奴の言うことに従わなければならないんだ」と。

 

 

 

プロジェクト、フローの設計、映像表現、各方面の専門技術。

 

プロジェクトマネージメントは、特にアニメにおいては、かなり難易度の高い取り組みです。

 

「みんなが頼れる」技術の責任者なんて簡単に現場に現れないし、プロジェクトマネージメントをひとりで何から何まで仕切れる人間なんて夢の人材です。そんな得難い人材を各作品に各話ごとに何人探し出せば良いのでしょうか。

 

 

 

ではなぜ、いままでのアニメ制作では、プロジェクトマネージメントや統括技術責任者がいなくても、作品制作が機能していたのでしょうか。

 

要は、各セクションの監督職が、セクション固有の技術責任を理解し、実践していたからです。言わば、作業セクションごとの「ROE=Rules of Engagement」を確立していたわけです。

 

しかし、「デジタル」という要素が新たに入ってきた時に、「デジタル」を自分らの管轄外にしたまま、現在まで引きずり続けて、ある種、「デジタル運用周辺が無法地帯」になることも、まだまだ多いんじゃないでしょうか。ファイル名の付け方すら、全く統一できない現場。

 

「デジタル」は後付けで、自分らの従来の作業責任とは別枠だ‥‥と考え続けていては、いつまでたっても今まで通りの顛末を繰り返すばかりです。

 

映像制作「軍集団」と考えた場合、各「師団」ごと、各「大隊」ごと、自分らの「部隊行動基準」の中にあらかじめ「デジタル」の要素も取り入れるのが、まずは最初の一歩。

 

まずはそこから‥‥だと思います。

 

 

 

 

とはいうものの。

 

う〜〜ん。できるかな‥‥。現状として、中々実現できる取り組みではないのは承知しております。紙が主流な作業行程では、どうしても「蚊帳の外」の要素なんですよネ、デジタルは。

 

現場が欲するのは、実際に肌身で感じられる合理性や効率性です。しかし、紙の現場の合理性や効率性は、「デジタル」のそれとはなかなか一致しません。

 

 

私自身は、オブジェクト指向型小規模ワークフローも、プロジェクトマネージメントも不可能ではないと考えています。実際、チャンスがあれば、短尺作品で実践もしています。

 

でも、今の現場に無理強いをするつもりはないです。

 

まだ、パズルのピースが揃ってないのです。残念ですが、その足りないピースが見つかるのは、もうちょっと先の話です。どんなに地団駄を踏んでも、時間は早送りできません。時を待つことも、必要です。

 

足りないピースで今、何ができるのか?‥‥と言えば、「とび石作戦」です。要は、ピースが足りないからと言って、パズルを全く組み立てないでボケ〜と待っている必要はないですよネ。組み立てられるものは組み立てておけばいいです。

 

待っている時間は、他の準備に使う。‥‥なんだ、簡単なことじゃないか。

 

 


ちなみに転送速度

まあ、常識ではあるのですが、規格に記述されている転送速度はあくまで理論値であって、実際は、ものすご〜〜〜〜〜〜〜く遅いものです。

 

今でもSATA規格の内蔵&外付けHDDで作業しているケースが、特にアニメ業界の作業場ではほとんどだと思いますが、一度試しに、作業用のHDDの速度を計測してみると、結構、愕然とすると思います。

 

USB-CだThunderboltだ‥‥と言ってるご時世に、自分の環境はどうなの?‥‥ということです。

 

速度単位はbps=ビットパーセコンドとB/s=バイトパーセコンドの2種類があり、容量単位もM=メガとG=ギガがあるので、その辺は読み間違わないように注意します。

 

 

 

‥‥で、計測してみるとわかるのですが、コンスタントに3Gbps付近の速度を叩き出す大容量HDD(SSDではなく)は、相当アレコレと機材構成に気を使わないと実現できせません。内蔵のSATAにポコンと繋いだHDDなんて思っていた以上に遅いですし(SATAの理論値からすれば)、USB3.0に繋いだ単体HDDなんて大容量だけが取り柄です。USB3.0で高速!‥‥なんて喧伝されますが、HDDが低速なのは「こそっ」としか製品ページには記載しないですよネ。

 

ちなみに、ポータブル2.5インチのUSB3.0接続のHDDは、大概0.1Gbpsくらいです。猛烈に遅いですが、2Kのm4vあたりだったら余裕で再生できる速度でもあります。地デジのビットレートは0.02Gbpsくらい、BDでも0.05Gbpsですから、圧縮済みの2K映像の1ストリーム程度なら、ポータブルのUSB3.0HDDでも再生が可能‥‥というわけです。

 

 

Thunderbolt3の理論値が40Gbpsだ!‥‥と言ってる横で、HDDでRAID0を組んでもたかだか3Gbpsの実測値か‥‥と思いがちですが、実はそれなりにハードルが高いものなのです。3Gbpsあれば、4KのProRes4444だって難なく再生(24fpsなら一層)できますしネ。

 

SSDは速いは速いですが、大容量はまだまだ高価で、たっぷりな作業スペースを確保するには至りません。素材置き場にするよりも、高速なキャッシュ用途で使いたいですネ。iMacやMacProの内蔵SSD(やFusion Drive)の速度は、そりゃあもう、速いんですが、容量に限りがありますからネ。

 

ちなみに、私の作業場のMacProの作業用HDD構成は‥‥

 

Thunderbolt2のHDD箱に4個の3TB 7,200RPMのHDD(WDのREDだったと思う)を詰める

MacOS側のソフトウェアRAID0で2個ずつ結合

結合後の2つ(のように見える)のディスクを、1つは作業用、1つはタイムマシン用に設定

結果、RAID01に似た構成で構築

 

‥‥のような構成で速度とローカルのバックアップ体制を両立しています。しかもHourlyバックアップ! RAID01や10にしちゃうと、それそのものではHourlyにはできないですもんネ。Hourlyバックアップには、何度も何度も助けられましたよ。‥‥そそっかしいから。

*Hourlyバックアップとは、1時間ごとに履歴バックアップしてくれる機能です。間違って消しちゃった! 上書きしちゃった! アップデートしたら不具合がでるようになっちゃった! ‥‥というトラブル(人災)を、「トラブルが無かった時点まで、時間を巻き戻せる」のです。私はこの機能、手放すことができません。

 

 

 

2000年当時のマシンが、今では映像制作では全く使い物にならないように、2010年代に買ったマシン環境も、未来では役不足感を甚だしく感じるようになるでしょう。

 

まずは、今の自分の作業環境の各ディスクの速度を計測してみると、そのマシンの「未来への持ちこたえ度」がなんとなくでもわかってきます。起動ディスクではなく、作業用エリアのディスクの「実測値」が1Gbpsを下回るようだと、‥‥まあ、数年後に買い替えが必要になってくるかも‥‥‥ですネ。映像ファイルの再生落ちが頻発するような環境では、作業は難しいですもんネ。

 



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