夢の中にて

夢の中で、昔一緒に暮らしていた猫が出てきました。毎日の日課のようにその子(猫)のことは思い出しますが、夢にはたまにしか登場しません。

 

猫がベランダに出かかっていて、「外に出たら帰って来れなくなっちゃうよ」と抱えようと胴を掴むのですが、毛や骨格の感触とか内臓のモニュっとした感じとか、クネクネと「ええい、離せ」と逃れようとする筋力まで、随分とリアルに脳では覚えているんだな‥‥と、夢から覚めて思いました。

 

何だ。死んでいなくなっちゃったと思い込んでたけど、居たんじゃん。

 

‥‥と夢では思うわけです。そして、夢から覚めると、2020年の今の現実があります。

 

抱き上げた時の重さや、阻止されて不服そうな表情(=可愛いんだけど)とかも、リアルそのものでしたが、全部夢だった‥‥のねと、少し呆然とします。映像作品を見るのと違って、脳のビジョンって、妙にリアルなことがありますもんネ。質量とか感触とかも記憶しているからかな。

 

夢って、癒しなのか、残酷なのか、よくわからんですネ。

 

 

 

ツイッターのpandaniaさんの漫画が好きでついつい眺めて時間を忘れてしまいます。

 

最近のお気に入りはコレ。>https://twitter.com/pandania0/status/1201456241458810880/photo/1

 

子は鎹(かすがい)と言うけれど、猫も鎹だね。一緒に暮らしている人ならわかりますよネ。猫と暮らすと言うことは、猫を残しておけない‥‥ということですもんネ。

 

今の私は、鎹が外れたまま、ぷらんぷらんしたまま生きているように思うことがあります。

 

 

 

胸にぽっかり開いた穴‥‥と表現する人もおりましょう。

 

穴を塞ぐ存在を見つけよう‥‥と考える人もいましょう。

 

でも、私は「開いた穴は、無理に塞ぐ必要はない。開いたまま、生きて行けば良い。その子が生きた証なんだから。」と思うのです。

 

懐かしい感触を夢で思い出して、辛い時はあるけど、ずっと大きな穴を開けたまま生きて、いつか、私も死ぬのです。

 

 

 

私は20代の頃に、バイクで100km/hくらいで転倒して、左肩を痛めたことがあります。ちょうどプレステの攻殻のムービーを作っていた頃ですから、1996年ですかね。その時のことを思い出すと股間から背筋にかけて今でも寒くなります。‥‥死なないで良かったよ。

 

で、今の歳になって、左肩の「古傷」が痛むのですが、では、バイクなんかに乗らなければ良かったか?‥‥というと、そんな風には全く思わんです。むしろ、乗って良かったと思います。乗って色々な土地をプチ旅できたのは、何にも替えがたい自分の財産です。金はなかったけど、忘れえぬ風景の数々を、バイクのおかげで体験できました。

 

だから、昔バイクで転倒した影響で、今痛い? ‥‥それでいいよ。‥‥と思うのです。

 

猫も、です。私は犬と暮らしたことはないですが、おそらく犬も‥‥でしょうネ。

 

猫と暮らしている人の写真投稿を見ると、自分のことのように幸福感を感じるのは、その子(猫)と暮らしたからこそ‥‥です。猫らとは、言葉が通じないからこそ、むしろ、たくさんのことを通じ合ったと思ってます。

 

喪失して痛むことだって、その子の足跡なんだからさ。

 

 

 

「ペットロス」とか解ったようなクチを叩くのは嫌いです。

 

大事な何かを失えば、必ず喪失感に苛まれるんだから。

 

いちいち「ロス」なんて言葉で解ったような気になる必要はないです。喪失をどうしても受け止められないのだとしたら、それだけ存在が大きかった証です。無理に片付ける必要はないと、私は思いますけどネ。

 

 

 

その子が生きていた頃、ギリギリで2K(HD)のビデオカメラが登場して、最後の1年だけ2Kで撮影できました。撮影した当時は、1年だけでも撮れて良かったと思いましたが、少なくとも現在は、当時の録画を見返すテンションにはありません。

 

当時、犬好きのカントクに「撮っても、見返す気になる?」と聞かれたものですが、今は、カントクが「そう尋ねたキモチ」が何となくわかるようになりました。‥‥たしかに、鮮明であればあるほど、様々なディテールも呼び覚まされて、何とも辛いものですネ。

 

でも、それは今の私の年齢だからこそ。‥‥かも知れません。のちに、見返したい日が来るかも知れません。

 

今だったら、iPhoneで4K60pで撮れるんだから、もし一緒に暮らしているのなら、出来る限りの高画質で撮っておいても良いと思いますヨ。

 

まあ、撮らなくても、たまに夢で会える‥‥んでしょうけどネ。

 

 

 


FBで汁

フェイスブックのアカウントだけは取得していて、そのまま放置しているのですが、定期的に「知り合いかも」メールが届いて、中身を読むと、実際に知っている人だったりします。

 

フェイスブック上の私のプロフィールなんて白紙のままなのに、以前に現場で仕事をした人とか、本人ではなく奥さんとか、「元旦那さん」(微妙だよね…)のアカウントとか、「なぜ、フェイスブックサイドが知っているのか」キモチ悪いのですが、個人の名前だけで検索して予測するんですかね?

 

 ‥‥まあたしかに、作品のスタッフリストはテキストデータとしてネットでいくらでも取得できるので、関連性を予測するのはできないことではないですがネ。

 

ずいぶん前に現場を去って他のところに行った人まで「おともだち候補」にリストアップされていて、関連性の予測とはいえフェイスブックの振る舞いが気色悪くて、やっぱりフェイスブックはいらんわ‥‥と引いてしまいました。まあ、今は情報漏洩社会だから、いちいちキモチ悪がっていても仕方ないとは思いますけどネ。

 

フェイスブックには職歴とか学歴とか、結構、皆が自分自身で書き込んでいるらしくて、これまた「生っぽくてやだな‥‥」とさらに引いてしまいました。どんな学歴や職歴があろうと、今何ができるかが重要なので、ぶっちゃけ余計な情報ですわな。実際、仕事を一緒にしている人の過去なんて気にしたことないわ。どんなにたいそうな肩書でも、どんなに無名でも、今がどうあるか‥‥でしょ。

 

ただ、そうしたフェイスブックに表示される情報を見て、「なるほど、そう言うことだったのか」と推して知ることにもなって、一層、何だか複雑でイヤな気分。

 

以前、「ロスジェネ」や「管理職」に拘る人が現場にいたんですが、その人のフェイスブックの学歴の表示を期せず見て、納得がいきました。「今の自分」を認められずにいたんですネ。中途で未経験で入ってきて最初から知ったかぶりでイヤだなと感じてましたが、フェイスブック提供の情報にて、あの「上から目線」はなるほど‥‥と思いました。

 

有名大学を出ていても、もちろん、気さくで良い人はいっぱいいます。作品で頻繁にご一緒する監督・演出さんも有名大学出身ですけど、経験豊富な善き現場人ですヨ。ロスジェネ世代でも、作品の中核を成す重要なスタッフは多いですしネ。

 

一方、その「ロスジェネ君」は‥‥、まあ、いいか。もう関わりのない人だし。

 

 

 

フェイスブックって、微妙なソリューションだなあ。‥‥少なくとも、私にとっては。

 

自ら個人情報を大公開しなくても、仕事の中身だけで繋がっていけると思うんですけどネ。仕事で繋がった縁こそ‥‥だと私は思いますが、まあそれも人それぞれで良いのか。

 

今日たまたまフェイスブックからのメールを読んじゃったのですが、結局何年も使ってないし、また放置でいいや。

 

フェイスブックもラインもツイッターもインスタグラムも抱え込んだら、私は処理が追いつかないでしょうし。

 

私はまだ当分ブログだけで良い‥‥と、改めて思いました。

 

 

 

マーラーの墓碑には、ただ「グスタフ マーラー」とだけ記してあるそうです。

 

「私の墓を訪ねてくれる人なら、私が何者だったのか知っているはずだし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」

 

私はまだ、そこまで達観できませんけどネ。

 

ただ、フェイスブックで履歴を載せたところで、効果なんて希薄だと私は思っています。

 

私に仕事を依頼してくれる人は、私がどんな仕事をしてきたかおおよそ知っているはずだし、そうでない人にフェイスブックのプロフィールだけで知ってもらう必要はない‥‥とも思います。

 

ネットを結構使っているわりに、そういうところはガンコなのかもね、俺。

 

 

 


書き8年

このブログを開始したのは、2013年ですので、今年で8年目に突入します。文章を書くのは苦手な私が、よく続くもんだと思います。まあ、寂しがり屋なんだよね、実際。

 

最近はどう言うわけか、月のアクセス数が20万を超えることがあります。一日で4万‥‥なんて日もありました。ツイッターではなく、芸能人でもなく、単なる制作現場の内側の人間が、客受け度外視で専門的なことを書いている孤島のブログなのに、月に20万‥‥とは何か理由があるんだろうなとは思いますが、あまり気にせずいつも通りにマイペースで書いています。

 

 

 

最初の頃はね‥‥、1日(1時間じゃなくて)に100〜300アクセスなんていう月日もありました。でも、1日で100アクセスもあれば、100アクセスが100人‥‥じゃなくても、数人でも読んでくれる人がいるだけで、赤鬼気分(寂しがり屋が嬉しくなる)でした。アクセス数目的ではないので、それは今でも変わりません。

 

最近はアクセス数が多いですが、実のところ、昔から立ち寄って読んでくれて、今も読んでくれる人って、そんなに数は変わっていない気もします。アクセス数が急に落ち込んだ時は、昔ながらの数字ですもん。

 

ツイッターでは「バズる」とか言いますが、バズると何か良いことでもあるのかな? 本当に共感してくれる人って、一気に何千人何万人も増えるとは思わないんだけど‥‥。

 

 

 

一念発起して、ブログを立ち上げても、その勢いが続くのって2年くらいですよネ。

 

私はこのJUGEMで8年目、以前のジオログの頃も数年(4〜5年くらいかな‥‥忘れた)は続けてました。日記なんてとても書く人間ではなかったのに、我ながら不思議です。

 

じゃあ、なぜ続いているかと言うと、このブログに関しては「一念発起しなかった」からでしょうネ。

 

私に限らず、ブログに限らず、ツイッターなどのSNSを長く続けている人は、過度にSNSに期待して一念発起して始めたわけじゃないからこそ、気楽に続けていけるんじゃないですかね。

 

思い詰めちゃうと、早々にバテて息継ぎが必要になりますもんネ。

 

「アニメ業界とは」みたいな題材のブログも複数存在しますが、中にはもう半年以上更新されていなかったりで、一念発起して行動すると、やがて息が切れる時はくるのでしょう。「一念」に任せてしまうと、サイト全体の寿命が短くなりがちです。

 

考えてみれば私も、一念発起した物事で、尻切れトンボになっているものが、いくつもあります。恥ずかしながら。

 

 

 

実際、このブログで書いていることって、現場での雑談や立ち話みたいな内容ばかりです。何か切実な一念や怨念感情で縛られているわけではないからこそ、続けてこれたとも思います。

 

おそらく、JUGEMがブログのサービスを停止するまで続けることになると思います。以前使っていたジオログも結局、大きな仕様変更があって(内容は忘れましたが)、JUGEMに引っ越してきただけのことですしネ。

*2020年の今は、ジオシティーズもYahooブログも消滅しましたな。

 

私は新しもの好きな一面とは正反対に、なが〜く使い続ける一面もあります。‥‥さすがに50年以上生きてれば、自覚してます。

 

今こうしてブログを書いているiMac 5Kが置いてある机は、アニメーターとして自立して2年くらい経過した時(20歳頃)に、お祝いとして買ってもらったビクター(音響機器メーカーのビクターのインテリア事業部で、今はバルバーニの机です。一見、普通の机なのに、製図台のように角度が付けられる珍しい机で、私が死ぬまで使い続けると思います。木材が劣化して壊れた部分は、自分で補強したり木材部用パテで補修して使い続けています。‥‥たとえ今後半壊しても、自力で修繕して使い続けるでしょう。

 

家具と違って、ネットのサービスは運営する会社の方針ひとつ‥‥ですが、その辺は気楽に利用していこうと思います。もしJUGEMがいきなりサービス停止をアナウンスしても、それはそれで、きっぱり諦めます。ネットに普遍性を求めるのも滑稽ですしネ。

 

「桃栗三年柿八年」とは言いますが、このブログも8年目か。

 

2020年代の日本社会の変化とともに、まったりと徒然に、書き続けていく所存です。

 

 

 

 

 


NO FATEはFATEだった。

思えば、私が高校生の頃にバッハ生誕300年で、毎日のようにFMでバッハの曲を聴けたのは、運命としか言いようがないです。300年のモニュメンタルな年じゃなかったら、あそこまでバッハをエアチェックできなかったですもんネ。

 

でも、違う視点で考えると、バッハ生誕300年でFMで頻繁にバッハの曲が流れていても、全くバッハに興味を抱かなかった人もかなり多かったわけです。

 

つまり、「時代の運命」も、当人次第です。

 

当人がもともと有していた個性に対して、計らずして時代性が作用して、個性の傾向が強調されるのかも知れません。

 

 

 

「ロスジェネ」と呼ばれる世代も、その世代が全員ロストしているわけじゃないですしネ。アニメ業界には「就職氷河期」なんて関係なかったし。ついでに言えば、バブルも関係なかったです。ロスジェネと呼ばれる年齢層でも活躍している人は多いです。

 

戦中に少年時代を過ごし、戦争が原因で両親を失った私の父を見て思いますが、戦争孤児の全員が全員、根無草のような性質を持つわけではないです。私の父は執拗に「A級戦犯」の話を持ち出しますが、父自身が家庭を顧みず恐ろしいほどのお金をギャンブルに注ぎ込んだ「我が家のA級戦犯」と化したのは、どうしたことか。

 

運命や宿命って、やっぱり、本人の「つかいよう」だと思います。

 

人は、自分の生まれるタイミングを調整できませんよネ。ですから、どうやっても、時代の宿命・運命の影響下からは逃れられません。

 

ロスジェネだ就職氷河期だと40を過ぎても言い続ける当人は、20年間をどのように過ごしてきたのか。今までの20年間の運命をどのように使ってきたのか。

 

戦争で両親を失った父は、A級戦犯への怨念を、結局はプラスに転じられないまま、やがて死を迎えるでしょう。孤児となって引き取られた先の家でミジメな思いもしたでしょうが、それが様々にマイナス要素に繋がっているのを見ると、運命をどうしてもプラスに転ずることができない人間もいることを、まさに身内ゆえにまざまざと実感します。

 

 

 

私は小さい頃から、「ひがむ」のは嫌でした。小さいながらに、「ひがんだって、何も解決しない」と思ってたんですよネ。

 

私の「えずら」という名前は、響きが変で、よく間違えて呼ばれたり、「へんな なまえ〜」とか嘲笑う子供もいて、もっと一般的な「田中」とか「鈴木」とかの名前が良かったと、子供心に思っていました。なので、学年が変わってクラス替えがある学期初めは特にイヤだったものです。

 

名前は変えられない。

 

でも、一般的な苗字をもつ他の子供のことを、羨んでどうなるのか。

 

ひがんでも何も変わらないじゃないか。

 

‥‥というのを、小学校に入る頃から中学生くらいの間に経験したので、実は、そのことが後の自分の人生において「良かった」のだと今は実感できます。その当時は抜け出せない呪いのように悩んでいても、です。

 

中学生になれば、生涯の親友とも言える人間とも巡り合って、女の子に「えずらくん」とも呼ばれたら「えずら」という響きも満更でもなくて嬉しいもので、やがて「変な名前、全然OK」と思えるようになりました。

 

一方で、なぜ、あいつは俺の親友になってくれたんだろう、なぜ、あの子は好きになってくれたんだろう‥‥と思うと、「名前なんかじゃない」と解ったのです。サラ・コナーじゃないですが「NO FATE」です。

 

いやでも、実は「FATE」なんですけどネ。

 

「運命が自分を左右するのではない」ということを実感できる運命だったからこそ、絵が上手くなりたいと阿呆ほど子供の頃から絵を描きましたし、ギターを抱いたまま眠るほど弾きまくりました。

 

ゆえに、音楽の仲間もできて、絵の仲間もできて、制作現場でも多くの人たちと知り合いました。

 

私がもし「えずら」という名前じゃなかったら、運命も大きく変わっていたと思います。エスカレーター式人生を盲信して、自分には何ができるのかを自問自答しなかったかも知れません。

 

運命はつかいよう‥‥ですネ。

 

 

 

自分の人生はエスカレーター式にうまくいくなんて、子供の頃から思っていなかったです。アニメ業界に入ったら、より一層、エスカレーターなんてお笑い草で、自力で階段を登るものだと覚悟しました。

 

だから、「就職氷河期」云々で怨念を溜める人のキモチは正直わからないのです。「運命をうまく使えば良いのに」と思うのですが、そもそも自分の運命から逃げ続けて他者や他世代をひがんでばかりいれば、マイナス方向に傾くばかり‥‥なのかも知れません。

 

私の父だって、「孤児だからこそ、自分の家族を大切にしたい」という方向性もあったはずです。しかし残念ながら、父は怨念感情を底に敷いたまま、戦争による「不意の不運」を、ギャンブルによる「不意の幸運」で埋め合わせるようなことばかりしたのでしょう。そして、自ら「家庭内のA級戦犯」になったのです。

 

ちなみに、私の母は、戦中に高円寺から疎開したことで、疎開先で酷くイジめられたそうで、「疎開=戦争で運命が変わった」ことは父と同じです。しかし、父とは逆に「こんな酷い子供時代だったからこそ、自分の子供には同じ思いはさせない」と考えたようです。父とは「運命の使い方」がまるで180度違います。

 

「自分は疎開先でひどくいじめられた子供時代だったから、状況は違えど、同じく辛い思いをした戦争孤児の人なら、思いを1つにして助け合って生きていけるだろう」と母は考えたそうですが‥‥‥‥、とんだ間違いでしたな‥‥。

 

でもまあ、その間違いのおかげで、私は誕生したので、何とも皮肉なものです。

 

でもその皮肉から学べることはたくさんあります。物凄い反面教師ですわ。

 

 

 

NO FATEは、実はFATEだったのでしょう。トンチみたいですが。

 

 

 

 

ターミネーターで思い出しましたが、そう言えば、今年はバイクを買うぞ。‥‥というのを目標にしたい。

 

と言っても、シュワちゃんの乗るハーレーでもないし、大型排気量でもない、250ccのレブル。

 

若い頃は250ccのアメリカンなんて‥‥と思ってましたが、今はすんなり受け入れられます。シンプルな理由ですが、車重が軽くて維持費が安いのはいいね。

 

500ccのほうが見た目がマッチョでかっこいいけど、この歳になって、その辺はどうでもよくなってきました。パワーよりもライドを楽しみたい気分です。ガラス張りの密室ではなく、直に風を切って走るのは、乗用車にはないUXですよネ。

 

とりあえずは、ヘッドライトがLED化されるまで待ちたいです。私はBSA M20くらい古ければヴィンテージにも興味がありますが、レブルのような立ち位置なら、前後ディスクの方が良いですし(ドラムブレーキはイヤ‥‥)、ヘッドライトがLED化されるなら(500ccは既にアナウンスがありましたよネ)その方が良いです。

 

 

500だけじゃなく、250も、Sエディション(=下図の、LEDでビキニカウル付き!)をよろしくお願いしますヨ。ホンダさん。

 

 

 

バイクを買っても大丈夫なくらい、頑張ります。

 

 

 

 


2027年。Beethoven。

2027年はベートーヴェン没後200年です。私が高校生の時は、バッハ生誕300年でした。あと7年生きれば、偉大なる2Bのモニュメンタルな年を両方体験できそうです。

 

で、今年はベートーヴェン生誕250年とか。

 

250年だと中途半端だな。盛り上がりに欠けるかな?

 

ベートーベンの32曲のピアノソナタは、宝物です。3大ソナタばかりが有名ですが、無名のソナタも良いですよ。

 

世間はなにかと、すぐに「月光」ばかり流しやがって‥‥。

 

 

 

ピアノソナタは第1番からして、「ベートーベンじる(汁)」が効いているのですが、私が最近好んで聴いているのは、7番と22番です。表題はついてないですが、わたし的には、脳の中をデフラグする効果が気に入ってます。

 

22番の第2楽章は、特によく聴いてます。以下のYouTube映像の5:40から第2楽章です。(22番は2楽章形式です)

 

 

 

逆にあまり聴かない‥‥というか、聴かないようにしているのは、30〜32番ですかね。‥‥切なくなっちゃって。

 

私はまだ人生的に達観するつもりはないので、最後期のソナタのアダージョ〜アンダンテのテンポの曲とかは「ココロが向こう岸に引き込まれそう」で、今は避けておきたいのです。最後のソナタの最後の楽章、第32番の第2楽章のような「何もかも手放した」境地に浸るのは、今の私には早過ぎます。死を予感した時に、でいいです。

 

上の映像の22番は、既に第1楽章の1小節目でベートーヴェン全開ですネ。このピアノソナタを知らなくても、この出だしですぐにベートーヴェンだと当てられるでしょう。モロ、だもんネ。

 

モーツァルトでもハイドンでもシューマンでもない、ベートーヴェンのユニークな性格が表れていますネ。まあ、ベートーヴェンの楽曲は、好きになって耳慣れてくると、古典〜ロマン派初期の多くの楽曲の中にあっても、聴き分けられる強い個性があります。

 

 

 

そういえば、今年は2020年なので、0と5の年に開催されるショパンコンクールの年ですネ。

 

私が高校生の頃、ブーニンが優勝した年=1985年で、NHK特集番組をVHSに録画したり(=我が家の初VHSデッキで音が格段に良いHiFiデッキ)、FMをカセットテープに録音したのを今でも覚えています。

 

うへぇ‥‥、35年も経つのか‥‥。歳も食うわ。

 

最近はYouTubeで何次にも渡る選考の演奏の様子が見れるので、良い時代ですネ。

 

例えば、普段ならドガガガーンと派手に演奏されることの多い作品25第12番のエチュードを、曲想の持つ悲痛な響きを前面に押し出した珍しい解釈で弾いた演奏も、公式チャンネルで聴く(観る)ことができます。

 

 

「大洋」の愛称で知られる作品25-12ですが、「大洋」のサブタイトルは楽譜出版社の「後付けタイトル」でしょう。ショパン自身が「大洋」を意識して作曲したとは、楽曲の曲想からして考えにくいです。「大西洋」を活写するために作った曲じゃないよネ。‥‥実際、ショパン自身は表題を付けなかったとのことです。

 

なので、このLukasさんの演奏を「この曲のタイトルは大洋なんだから、イメージが表現されてない」と批判するのは、それはそれで思い込みのなせる愚です。

 

この曲に「大洋」をこじつけてイメージする必要はなく、音だけを純粋に、何のキャプションもなく受け取って、ニュートラルに聴けば良いです。ショパンが音符に何を込めたのか、音だけで聴きとれば良いのです。

 

前から思うんですけど、純粋に曲を聴く目的なら、「別れの曲」「木枯し」とかサブタイトルは不要ですよネ。出版時(セールスの際)にショパン以外の他者がつけたキャッチコピーみたいなタイトルは、かえって楽曲を聴く際に邪魔になると思ってます。

 

音だけで伝えたいことを、文字で邪魔するのは、無粋なことです。

 

文字でわかった気になる必要はなく、むしろ、音だけ感じて、音のままココロに記憶すれば良いと思います。

 

 

 

ベートーヴェンの「月光ソナタ」も、ベートーヴェン自身は「幻想曲風ソナタ」と題名をつけたそうです。「月光ソナタ」は死後に出版社でつけた「販売用のタイトル」とのこと。

 

月光なんてタイトルは忘れて、音だけでイメージしてみれば、グンと味わいが深くなりますヨ。

 

ともあれ、27年が楽しみです。

 

 

 

 

 


じゃあ、プロは。

はっきり申しまして、個人や学校の機材のほうが、アニメ制作会社よりもゴージャスで最新です。資金がなく、今でも旧型のPCとCS6を使っている会社はごまんと存在します。

 

まず、2020年代は、2020年代の映像技術にふさわしい機材へと、アニメ制作会社の装備がリプレースされることが必要です。それができない会社は、徐々に足場が削りとられていきます。いくら何でも、CS5.5やCS6を2020〜2030年代まで使うなんて、その時点で会社として「かなりヤバい」と自覚すべきです。

 

 

 

プロは何をすべきでしょう。

 

前回のブログでも書いたように、4Kの解像度の「4K作品」は、技術さえ更新されれば、個人レベルでも制作可能です。

 

しかし、「4K作品」ではなく「4KHDR作品」は、個人では無理です。機材が買えませんし、それゆえにノウハウを蓄積することもできません。もし個人で無理して業務用のHDR機材を購入しても、メンテできないですよネ。

 

現在10万円前後で買えるコンシューマ向けHDR機材=「Display P3」では、DCI-P3でPQで1000nitsの映像制作は実質不可能です。なので、私は自宅にはHDRのモニタは導入していません。中途半端なのを10万円出して買っても意味ないかな‥‥と思います。「なんちゃってP3」なら、iMacやiPad Proで十分。

 

DCI-P3でPQで1000nitsターゲットの映像なんて、個人の機材レベルではまだまだ数年は「自分で作った絵を、あるべき状態で見ることすら不可能」なままでしょう。

 

単純に金の問題です。金がなければ機材は買えず、ゆえに技術も知識も更新できません。iPadやiMacを買っても、それだけでは全然無理です。1000nitsでDCI-P3でPQの正確な色が映し出せるモニタって、まだ300万円(CG3145とか)はします。ラボでHDRのグレーディングなんて、個人規模でできるわけもなし。

 

ですから、まず映像品質面で言えば、プロの面目躍如は「4KHDR24p」と言うことになります。Dolby VisionのPQに対応して、映像コンテンツを公開する‥‥なんて、アマチュアや個人では現時点では不可能と言っても言い過ぎではないです。DaVinciを使うにも、別途でDolbyのライセンスが必要ですしネ。HDRの絵作りをネイティブにおこなう過程で、カラーサイエンティストの助言も必要になりましょう。

 

プロは、4KHDR24pでDolby Visionにも対応。

 

アマは、4KSDR24pで旧来のRec.709のまま。

 

‥‥わかりやすい棲み分けです。

 

 

 

アニメ特有の技術で言えば、各工程の基礎技術の高さは、プロならではです。実は基礎技術こそ、プロがプロである大きなアドバンテージなのです。

 

前回の女の子のムービーは、線画をiPad Proで描きました。そして塗りも自分で作業しましたが、ぶっちゃけ、塗りのミスがあります。私は彩色のプロではないので、彩色作業に関する技術レベルが低いのです。ペイント作業が遅く、ミスも多いのです。

 

ですから、「自宅で作ろう」というテーマではなく、商業ベースのアニメ制作なら、ペイント方式が新時代に合わせて進化しても、作業は彩色のプロに100%依頼するでしょう。

 

背景美術だって、実写を加工して作るには限界がアリアリです。商業ベースならば、専門の美術スタッフの力量が不可欠です。頼りになる美術監督は得難い財産でしょう。

 

「撮影」、いわゆるコンポジットも同じです。私は今まで劇場作品のVFXや撮影監督をしてきたので、コンポジットに関してはクオリティコントロールに目を光らせる習慣が染みついています。ゆえに、前回の女の子のムービーも、「もっと顔が見えるように照明をコントロールしたほうが良いかな」とか色々改善案が実際の作業段取りで想定できます。

 

4KHDRか、4KSDRか‥‥の他に、アニメ制作を生業として生きてきた現場の人間は、基礎技術、さらには応用技術のアドバンテージがあり、そこはアマチュアには手が届きにくい「プロならではの特別なエリア」でもあります。

 

 

 

カットアウトを取り入れる‥‥と言っても、動きの技術がなければ、それはもう、動きの醜い素人芸になります。

 

現場の作品作業の数々を経験したからこそ、作画で喰ってきたプロのアニメーターであればこそ、カットアウトにチャレンジしたスタート時点で、「動きの知識と経験」の「量と質」が違うのです。

 

‥‥そのアドバンテージを活かさずして、プロが何を活かすのか。

 

 

 

プロの作業者のアドバンテージは、「どこどこの何社は、どんな制作体制で、どんなソフトを使っている」ことを薄く中途半端に知っていることではないです。そんな上辺の情報ばかりに気を取られていては、時にはノイズになって、判断を迷走させる原因にもなりましょう。「アニメ業界のインサイダー気取り」なんて、正直不要ですわ。

 

技術に対して、それこそ愚直なくらい、実直であること。‥‥それさえあれば、2020年代の技術を導入して応用して、新しいパワーにもなります。

 

厳しい現場で研鑽を積んできたプロのスタッフ(アニメーターに限らず全工程)に、新時代の技術革新が加わった時、良い意味でとんでもない化学反応が起こって、信じがたいほどのパワーが発生することだって、あり得ます。

 

個人やアマチュアに有利なことは、実はプロに対しても有利なことでもあるのです。

 

プロが保身や既得権益に走って、昔の殻の中に閉じこもるのなら、どんどん状況は劣勢になります。

 

アマチュアが好機と感じる要素を、プロはもっとエゲつなく骨の髄まで活用すべきと思いますよ。

 

 

 


2020年にできること。

アニメーターが自分で何らかの映像を作ろうとする時、キャラが動いて飛び跳ねて、カメラも回り込んで‥‥みたいな1カットを描きがちな一方、その映像は線撮のような状態で色も背景もないことが多いです。線画しか描いてこなかったアニメーターが、誰にも指図されずに自分ひとりで映像を作る時も、結局線画までしか手が届かず、ペンシルテストのような映像しか作れない状況。

 

色付きのアニメを作るには、昔はたしかに機材も高価で、ランニングコストも高かったです。しかし2020年の今は違います。

 

現代の道具を使えば、何ができるのか?

 

「今は何が可能か」を知らないがゆえに、自分の可能性に自ら限界を定めて、線を描く人間が、もっと線画だけに固執するようになります。

 

現在はiMacですら5Kのディスプレイ、iPadは無印の安価なモデルでもApple Pencilが使えます。各種ソフトウェアの高性能化により、プロ同質の映像が個人宅レベルで制作可能ですらあります。時には、凌駕する場合だってあり得ます。

 

例えば、iMac 5KとiPad Pro 12.9インチ、ProcreateとAfter Effectsがあれば(Photoshopは必須ではない)、以下のような簡素なキャラデザインなら、数時間でゼロからフィニッシュ(ムービーファイル)まで可能です。

 

*この映像は4Kではありません。ブログ用に960pxまで小さくして軽量化しています。容量を20MB/分に抑えたかったので‥‥。

 

 

別の用途で作ったムービーですが、一部変更して、このブログ用に作り変えました。

 

iPad Proで線画を描くところからスタートして、iMacなどの身近なPCでムービーのレンダリング=1カット完成まで可能なことを示しています。自宅でひとりでできるので、アマチュア、学生さんでも可能でしょう。

 

オープニング風の1カットの線撮を自分で作ってみるのも良いですが、地味だけど最後まで完成していて、作品の1カットに成り得る内容を作ってみるのも良いと思いますヨ。もっと動かしてみたいと思うのなら、徐々に「盛って」いけば良いわけですしネ。

 

 

 

「止め絵で髪の毛だけ動かしてるだけじゃん」と言うのなら、線画だけ描くんじゃなくて、ゼロからフィニッシュまで作ってみましょうよ。耳年増になってクチだけ達者になるのではなく、たとえ止め口パクでも、彩色も背景もカメラワークも自分ひとりで自分の手だけで。

 

アニメーターが線撮だけで満足して悦に入ってたら、「原画でこれだけ頑張りました」という自己アピールに終始します。ああ、やっぱり日本のアニメーターは、原動仕の仕組みからは抜け出せず、新しい時代の技術とは無縁の存在なんだ‥‥と、より一層、原画マン根性に傾倒していくようにも思います。

 

最初から最後まで、たとえ数カットでも自分ひとりで作ってみれば、「猛烈な気づきの機会」が何度も得られます。線画だけでは得られない、様々なことが見えてきます。

 

日本のアニメ業界のアニメーターは、原画や動画の描き方は知っていても、アニメーションの作り方を実地で知りません。不思議な話ですが、アニメの原画は描けても、アニメーションは作れない人が多いのです。ゆえに新時代のテクノロジーは、全くと言って良いほど制作現場には浸透しないし循環もしません。昔からの原画の描き方のまま、いつまで経っても旧態依然としたタイムシートに縛られ、技術も知識もストップしたままです。

 

線撮は何をどうやったって完成途中の線撮でしかないです。考え方を変えて、完全に完成した状態を作ってみては如何でしょう。

 

そこから知識の更新を始めないと、いつまでも「多重組み」とかで罪を擦りつけ合う現場のまま、進展しませんヨ。

 

 

 

実は、音楽もGarageBandでループだけで作っちゃいました。60秒間ずっと無音なのは気がひけたので。

 

音声のMUTEを切って音を出すと、GarageBandで数分で作った音楽が流れます。ありもののループを組み合わせて作ったので、数分で出来たのです。(なので「作曲」した‥‥とは全く言えませんが)

 

以下の通り、4トラックしかない簡単な構成ですが、iMacやiPadを買うとついてくるGarageBandで、簡易な音楽も作れたりします。ムービーを読み込んで、映像を見て合わせながら音楽を作ることも可能です。‥‥今回はそこまでしませんでしたが。

 

 

 

 

 

 

2020年の今、2010年のままで知識が止まっている人。

 

下手をすれば、1980〜90年代から基本的な知識が更新されていない人すら多い‥‥のではないのでしょうか。

 

ゆえに、下図のような「隣町に行くだけなのに、わざわざ高速道路に乗って、しかも通行料金を払って、遠回り」する制作事例が後を絶たないのです。

 

 

 

こんなに長い距離を走って、渋滞にも耐えて、苦労して目的地に到着して、当人は「仕事した気、満々」なのですが、まるでコストの無駄使い、人生の無駄使いです。

 

「いや‥‥、でもさ‥‥、下みちを使うと、迷って混乱するからさ」‥‥と言う人もおりましょうが、だったらなぜ、一般道を賢く使う方法論、そして情報技術(それこそIT)を駆使しないのでしょう? 今は無線ネットワークもナビもあるのに‥‥です。

 

アニメ業界は確かに低い作業単価で苦しむ人も多いでしょうが、一方で、昔の知識のまま、異様に無駄な段取りを重ねて無駄金をバラ撒いているのもアニメ業界です。

 

窮状を訴える‥‥なんて、半分は「無意識・無自覚が招いた自作自演」なのです。

 

制作現場の運用技術転換と、作業単価の根本的な見直しは、両輪ですよ。片輪しかなければ、未来に向かって走り出せないです。

 

なのに、現場の人間は作業単価ばかりに目を奪われて、自分らの運用技術のあまりの古さに気付いていないのです。

 

 

 

制作現場、業界‥‥ともなると、「みんなで乗るバス」のようなものじゃないですか。

 

そのバスが経年劣化と整備不良でまともに走らなくなってきて、かと言って、誰も根本的なメンテをしようとは言い出さない。エンジンのオーバーホールなんて「誰がやるの?自分はイヤだよ」と誰もが押し付けあったり、誰かがやってくれるのを待つばかり。

 

そればかりか、このバスはもうスピードがでなくなったから、運行スケジュールも変えて対処しよう‥‥とまで言い出す始末。

 

いっそのこと、「完全にバスが故障して動かなくなって、このままじゃ立ち行かないと皆が自ら動き出す」まで、待った方が良いのかも知れません。じゃないと、バスの異常をいつまでも認めたがらない人間が後を断ちません。

 

「バスが動かなくなったら、お前も困るだろ」と言うのは常套句ですが、だからこそ別のルートと別の移動手段を考えて準備しておくのです。移動手段とルートはいくつも用意するでしょ、現実世界ではさ。

 

まずは、個人レベルで何が可能かを知ることです。

 

AIとか自動中割りとか、自分が内情を知らないものに盲目的に過度に期待するのではなく、「今ならこんなことが実際に自分でできる」と言う身の丈の実感が必要です。

 

 

 

iPadもiMacも、業務用の何百万円もする機材じゃないですよネ。ベタベタなコンシューマ向け機材です。

 

2020年に生きていながら、2020年のテクノロジーを実感できないわけがないです。実感しようとしないだけ、です。

 

2020年代の技術転換の大きな波で、溺れて死ぬ人間、波にのって一気に進んでいく人間、どちらになりたいかと問えば、少なくとも私は「死ぬのはイヤだ」と思いますけどネ‥‥。

 

一度きりの人生。どうせなら、波にのりましょう。

 

 

 

 


6K、ブラックマジック。

プロ機材における価格破壊の雄、Blackmagic社から、知らないうちに6Kカメラが発売されていました。発表から半年も経って気づく始末。

 

実売28万円未満(税込)だってさ。激安っしょ。ProResで記録できる=プロ仕様のカメラであることを考えれば、考えられない安さです。

 

https://www.blackmagicdesign.com/jp/products/blackmagicpocketcinemacamera

 

 

 

EFマウントだと??? Lレンズでなければ、すごく安価にレンズも調達できるじゃん!!!

 

「大型のEFフォトレンズ」とありますが、おそらくAPS-Cではなく、フルサイズのEFレンズを指しているように思います。数万円のフルサイズEFレンズから、ん100万円するLレンズの超望遠とかも使える‥‥ってことですネ。

 

であるならば、EFレンズユーザーにはおなじみの、入門50mmレンズ(売価14,000円)も使えるってことですよネ。(ちなみに私はキャノンユーザなので、35ミリフィルム・ライカ判時代からEFレンズをコレクションしています)

 

 

入門とは言え、F1.8で十分な明るさをもつレンズですし、絞りを開放すればスマホではできない浅い深度の絵作りがやりたい放題。

 

手持ちのEOSで、EF50mm入門レンズで撮った写真はコチラ。

 

 

iPhoneはこういう写真もムービーもなかなか難しいですよネ。深度がどうしても浅くなるようなシチュエーションをセッティングしないと撮影できません。iPhoneにはF値のコントロールはないですもんネ。

 

14,000円のレンズでも、カメラの性能次第でいくらでも自由に撮れます。Blackmagicの宣伝を読むと、深度の浅い雰囲気のあるムービーが撮れる!‥‥とアピールしてますもんネ。

 

 

 

才気はあれど資金力のない若手、チャンスを伺うインディーズに、6Kのパワー。編集はDaVinciで。

 

う〜ん、いい波が来てる。1996〜2005年の「あの豊かな10年」がまた来る予感。

 

クリエイティブとエンジニアリングがシンクロする機会って、それこそ20年周期規模だからネ。いつでも巡り会えるわけじゃないですからネ。チャンスだって、一期一会なのよネ。日蝕や竹の開花みたいなもんなんよ。

 

アニメ畑ゆえ、たとえガチで仕事ではなくても、実写を綺麗に本格的に撮りたい人は、中途半端なコンシューマ向けミラーレス一眼のムービー機能よりも、プロ向けを買ってしまうのも選択肢です。作監とかキャラデザとか担当するようになって、ある程度お金が稼げるようになったら、こういう機材を買って自分の能力の幅を広げるのも良いものです。

 

こういうところから、アニメ業界人が4Kに馴染む手もありますネ。

 

 

 

4K60pカメラに至っては実売16万円。レンズはマイクロフォーサーズなので、私はレンズの資源がないですが、こちらも安価に揃えられそうですネ。

 

Blackmagic、相変わらず、おそるべし。

 

 

 


カタカナと向き合う

パーセプチュアル・クオンタイゼーションはともかく、コンテンツとかユニークとかのカタカナは流石にもう意味を知ってて当たり前‥‥とも思いたいのですが、どうも今でも「ユニーク=面白い」と勘違いしている人はいるみたいです。ユニークとユーモアを混同してるんでしょうかね。

 

ユニークは独特とか独自とか、いわゆる「他にはない」という意味です。

 

ですから、「ユニークなID」とか言った場合、「ぷよぷよもっちりむっちゅむちゅ」とか面白い言葉の響きのアカウント名を考えることではなく、「他とかぶらない1つだけのアカウント名」という意味を指します。

 

しかし「ユニーク」という言葉は日本ではいつしか「他にない楽しさ」「独特の面白さ」の意味としてなんとなく思われているので、不用意に「ユニークな文字列のアカウントIDを設定して」とか言うと、「ユーモアがあってクスッと笑いを誘う文字列」と勘違いされやすいです。ゆえに、「他と被らないように、他には存在しない文字の組み合わせで」と長々と説明することになります。

 

「他にない楽しさ」の「楽しさ」のほう、「独特の面白さ」の「面白さ」のほうが一人歩きして、いつしかユニークが「他にない」「独特」から、「楽しさ」「面白さ」にすり替わって認識されているんでしょうネ。レイバックをイナバウアーと間違えて覚えている日本人が多いですが、似たようなものです。

 

本当の言葉を知っていれば、時と場所によっては、ユニークの3文字だけで済むのにネ。アカウントIDを考える時に、「面白い」言葉を考える必要があるわけ‥‥ないじゃんネ。

 

 

 

なぜ、英語を使うのか? カタカナを使うのか?‥‥と考えると、日本語だとありふれてしまって「知っている」と油断しがちなのを防ぐ効果もあるんでしょうね。

 

あとは、無理に日本語化するよりマシなので、カタカナのまま、とか。

 

パーセプチュアルクオンタイゼーションを、知覚的量子化と訳して、すぐに「そうか、それだ!」とわかる人ってよほど特殊です。

 

なので、PQ〜ピーキューのままで良いわけです。内容は別途覚えて理解すれば良いです。

 

ちなみに、知覚的に量子化する‥‥とは、その単語の通りで、人間の知覚に適した状態で、離散的な値で近似的にデータ化することです。人間が知覚する帯域に合わせてデータ量を割り当てる方法です。実写カメラで「ログ」収録している人は、仕組みがすぐにわかるんじゃないでしょうか。

 

 

 

カタカナを使うと、抽象的になってボヤける‥‥みたいなことを言う人もいますけど、別に漢字を使おうが、焦点の定まらないマヌケな会議なんていくらでもあるでしょ。カタカナのせいにするなや。

 

カタカナでわからないことがあれば、調べれば良いんだし。

 

むしろ、耳慣れないカタカナを使うことで、知ったふりのまま曖昧に流れなくなる効果もありますよネ。

 

要は、プロジェクトに参加するメンツの問題であって、カタカナがどうとか、抽象的な言い回しがどうとかは、ほとんど関係ないと私は思いますけどネ。どんなに平易な言葉を用いようが、メンツが烏合の衆ではどうにもならんス。

 

シンギュラリティとかパラダイムシフトとかセレンディピティとかレトリックとか、短く簡単な3〜5文字の日本語(漢字)で表現できないのなら、そのままカタカナで使えば良いです。「特異点」なんて言うほうが、わかったようなわからないようなで、曖昧になります。「うん、わからん。調べよう。」と、最初から諦めるくらいの耳慣れない響きのままでいいじゃんか。

 

カタカナの外来語は、わからないままわかったふりをしがち‥‥とか言うけど、カタカナのせいじゃなくて、調べずに放置する当人の問題ですわな。

 

平易な言葉で話せば伝わる‥‥というのも、一種の幻想だと思いますしネ。逆に、平易な言葉で何度もしつこく強く訴えかけると洗脳できる‥‥みたいなことを、100年近く前(1920〜30年前後)にどこぞの先進国の「のちの独裁者」が言ってたのも、時には思い出しましょう。

 

 

 

カタカナと向き合いましょう。ひるむことなく。

 

 


9300ガラパゴス

ツイッターで見かけた、アニメ制作現場のモニタの色温度、ホワイトバランスの話題。

 

扱いやすいsRGBやRec.709ですら、いまだに齟齬があるようで、HDRかつPQを扱うことになる未来に対して、アニメ制作現場はどうやって歩んでいくのか、ガラパゴスにあぐらをかくのもいい加減にやめないと困窮を極めそうです。

 

 

 

HDRはHDR10(HDR10+)やHLGだけでなく、Dolby VisionかつPQの仕様も存在します。私が最近まで取り組んでいたのは、Dolby VisionのPQで1000nitsターゲットの色環境です。

 

HDRは規格上は10000nitsありますから、1000nitsをターゲットにしつつも、「今は真っ白にみえるけど、情報を含む帯域〜将来的には知覚できる帯域」を意識して絵を作る必要があります。

 

またPQ〜パーセプチュアル・クオンタイゼーション〜直訳すると知覚的な量子化、いわゆる「PQカーブ」の扱いは、SDR時代のリニアとログの扱いの「ログ」に似ています。私は実写作品でログとリニアの運用を経験しているので、Dolby VisionのPQカーブの意義についてすんなり受け入れられて、運用の手順もLUTではないにせよ実際のモニタ(CG319Xなど)をPQに調整することで運用可能となりました。

 

色温度、ホワイトバランス(イルミナント)は、HDRにも存在します。DCI-P3は6300Kと6500Kの2つがあるとも聞きますし(微妙に異なるとの話)、世界的には日本がなぜか9300Kを続けていて孤立しているとの話も聞きます。

*D65に統一しようという流れに日本が組みするか、テレビ局の人たちがまたゴネないといいなあ‥‥とは思います。

 

カラーサイエンティストと呼ばれる専門知識を持つ人でなくても、ここらへんのHDRやPQや1000nitsの知識は普通に有していないと、未来の映像制作では1枚絵すら思った通りに作れません。

 

学生の自主制作ノリの延長線上で、プロの人間たちが作るのは、そろそろヤメないと。

 

 

 

まあ、日本のテレビ放送業界が9300Kなんて続けているから、混乱がまず最初にあって、技術の理解に最初から妙な障害があったりもしますよネ。世界相手に映像を作るのなら、9300なんかをターゲットにしちゃアカンです。

 

そんな中、テレビ作品でも最初からD65で作る会社も出てきているようで、9300Kは変換で対応するとのこと。言葉にすれば大したことがないように見えますが、9300Kをやめて6500Kを標準にした英断は高く評価すべきと私は思います。「テレビ放送の時しか9300Kを使わないから、合理的に考えて、6500Kにした」とのことで、実際に行動して実践できたことを、まず見習うべきです。放送枠だけで考えていたら決して思いつかない、従来のハコ主導から抜け出た、コンテンツ主導の思考ですよネ。

 

アニメ作品作りは、ハコではなく、コンテンツ=作品そのものを中央に据えるべきと思います。1回の放送で終わるものじゃないんだから。

 

テレビ放送はあくまで「一時的なチラ見せ」であって、テレビ放送枠をご本尊にして何でもテレビに合わせる発想から脱出しましょう。テレビ放送は、今でも影響力は強いですが、作品作りの中心として据えるのは時代遅れですネ。

 

とはいえ、色温度の知識は普通に知ってて然るべきもの。

 

アニメ業界には馴染みのうすいログとリニアや、PQなども、普通に知識として、わきまえておきたいものです。

 

座学をするなら、HDRも含めた知識に移行すべきです。2020年に入って、今さらsRGBやRec.709だけを覚えるのではなく、最初から枠を広げて、DCI-P3やBT.2100、PQなどを覚えたほうが、よほど未来の糧になりましょう。

 

 

 

アニメ業界の技術ガラパゴス。

 

川が増水し床は浸水し、裏庭の崖は土砂崩れし、強風で屋根の一部を飛ばされ‥‥と、四方八方から「近代化してこなかったツケ」が押し寄せてきます。突然ではなくても、徐々に、そして確実に。‥‥嵐はこれから何度も押し寄せるでしょう。

 

でも、考えようによっては、アニメ業界の技術の遅れは、古い家が存在する以上、挽回することは難しいのかも知れません。

 

であるのなら、その瞬間は残酷でも、2020年代の嵐によって洗いざらい吹き飛ぶことで更地になって、未来にふさわしい技術を「新築」することもできるんじゃないでしょうかネ。

 

 

 

 



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