雑感。

2月は猛烈に忙しなることが確定なので、もぐっちみーたんを今のうちに買っておきました。

 

 

購入した理由は、前々から多用途クッションとして、注目していたのです。

 

 

 

おそらく、2月は毎日、来る日も来る日も、iPad作画、iPad作画、iPad作画‥‥。

 

今、カウントできるだけで、4つ、iPad系(?)の仕事が重なってるので、マウスよりはApple Pencilを持っている時間の方が長そうです。

 

 

今から、20年以上前に、Photoshopを初めてイジった時に、「これを仕事にして、お金が稼げる」と思ったものですが、iPad ProとApple Pencilは、その時と同じか、それ以上の手応えを感じています。

 

イヤラシイ言い方をすれば、iPadは「道具としての、お金の匂いを発散している」とでも言いましょうか。既に百万単位の利潤の元はiPad Proが作り出していますしネ。

 

ある人は「でも、iPadで仕事する「くち」なんて、どこにも見当たらないんだけど」と言うでしょう。‥‥既存のシステムがないと何もできないんか‥‥という話です。

 

仕事とは、誰かがシステムを作ってくれるのをまって、型が出来上がるのをまって、受注するのではなく、こういうことができます、ああいうことをしましょう、こんなことをしてみましょう‥‥と状況を作り出すものでもあるのです。仕事のカタチなんていうものは、既存のものに加えて、自分でも作っていくものです。

 

でもまあ、そんな「お説教」めいたことなど、ぶっちゃけ、どうでもいいこと。当人の行動指針やバイタリティの問題でもありますしネ。

 

 

実際、私の作業割合の中で、iPad作業の比重がどんどん大きくなっているのは、事実です。iPadを打ち合わせや会議に使うだけでは、実感も湧きにくいでしょうが、実際にiPad Proで作り出したものが即物的にお金に変わっていけば、「金を生み出す道具」としての実感を強く持てます。今後数年、積み重なって、千万単位の利潤の元になるのは、ほぼ確実です。

 

iPadで絵コンテを描く人もいますし、私は線画だけでなく色を使ったボードも描きますから、使い方はその人次第。

 

厚さ7ミリで700gの薄っぺらく軽いiPadが、まさか、私の仕事の中心まで深く喰い込んで来ようとは、数年前では予測できなかったことです。

 

全く大袈裟なことではなく、私の今後の「仕事人生」をも変えていくポテンシャルを、iPadとその周辺のソリューションは秘めています。

 

 

絵を描く人間、映像を作る人間にとって、道具とはそれほど、大きな存在なのです。今まで、紙と鉛筆で作画してきたアニメーターが、その紙と鉛筆でどれだけの多くのお金を稼いだかを考えれば、紙と鉛筆って、めちゃくちゃ凄いな‥‥と改めて思いますよネ。

 

 

 


文字情報

現在はツイッターなどの情報通信網が飛躍的に発達して、あっという間に情報が伝播して世界を駆け抜けます。情報を目にした人間は、それが数行の文字情報であっても、自分の今までの経験と掛け合わせて、まるでその目で現実を見たかのように情報を自分の中にインプットしてしまうこともあるでしょう。

 

文字はたとえそれが数文字でも、場合によってはかなりのインパクトを、見て受け取る人間側に与えます。ゆえに、ツイッターが出現する遥か昔から、専門の文章作りのプロが存在するわけです。

 

私はツイートしませんが(アカウントは取得しているけど一度も使ったことはない)、ツイッターの情報はツイッターをやってなくてもどんどんWebに流れ込んでくるので、頻繁に目にします。その際に一番気をつけているのは「早とちり」「鵜呑み」の防止です。

 

ここ数回書いている「自動中割り」の5文字も、作画の現場にしてみれば、ものすごい「インパクト」ですよネ。ゆえに、拡大解釈が方々で発生し、「自動中割り」が独り歩きしたような感があります。知り合いの原画さんが「自動中割りってどこまで進んでんの?」と聞いてきて、驚いたことがあります。

 

「自動中割り」は、アニメ制作現場の人間が期待する「コンピュータ動画マン」とは程遠いものですが、「自動中割り」なんてきくと、昨今のコンピュータ性能向上と絡ませて、「近い未来にコンピュータ動画マンが出現する」なんていうとんでもない飛躍した期待を抱いてしまうのです。

 

嗚呼。ほんの数文字の文字情報の、なんと罪作りなことよ。

 

 

誤解、誤認を防ぐのは、ごく簡単なことです。

 

現物をみれば、納得。誤解も晴れます。

 

まずはネット上ではなく、現物を見ましょう。現物を扱っている人間に実演してもらいましょう。実演する側の用意した素材ではなく、自分から素材を持ち込むのも良いでしょう。その際に、その現物がいかなるものか、状況がいかなるものか、見極めましょう。

 

そうすれば、自分の想像していたイメージと、情報発信側の本意との「ズレ」を、肌身で感じることができます。「ああ、自動‥‥って言っても、そういう意味の自動‥‥だったのか。自分のイメージしていた自動とは、全然違うんだな。」と。

 

もし近くに現物も当事者も存在しないのであれば、そもそも「話半分」として真に受けないこと‥‥ですよネ。数行の文字情報だけで信じ込まないことでしょうネ。

 

 

じゃあ、私の書いている、この文字の羅列はどうなのよ?‥‥ということです。

 

例えば、私の取り組んでいる新技術に関して言えば、実際に仕事で関わった人々に徐々に手応えとして伝播するくらいで、ちょうど良いと考えています。ゆえに、日々の雑感に絡めて、状況を小出しに語るくらいで、文字情報としては十分だと考えます。それで結果、話半分と思われても構わず、むしろ、話半分と思われていた方が「動きやすい」というのもあるのです。

 

だってさ、話半分として油断していただいたほうが、ドーンと繰り出すほうにしても、意外性が打ち出せて、痛快で、好都合だもんネ。

 

それに‥‥です。ある程度の技術を得た人間同士、完成したブツをみれば、「今はどのくらいの進展度なのか、どのくらいの開発規模なのか」が解ろうというものです。After Effectsのプロジェクトなんて開かなくても、映像を見ただけで、どんなことをやっているかなんて、技術を持ったもの同士なら解るじゃん?

 

「Fw190、1941年に突如、ドーバー海峡に現る!」‥‥みたいな、時にはショッキングな開発競争があってこそ、技術はどんどん進化していきます。

 

技術開発競争など、色々な思惑が蠢く中、ツイッターの数文字の字面に揺動させられるのではなく、その文字情報の奥を読み込むくらいの気概でちょうど良いのだと感じます。

 


何時間描けば上手くなる?

たまに、絵を描く話題で、「1週間何日、1日何時間かけば上手くなれますか」なんていう話がありますが、これは絵に限った話ではなく、何かしらの技術を獲得した人間たちからすれば、ある種、笑い話のようなものです。絵や音楽(楽器演奏)によくある「何時間やれば」パターンです。

 

そして、「1日何時間かけば上手くなれるか?」なんていう思考をする人が陥りがちなのが、「どうすれば監督になれますか」という役職やポジションを自分の目標にしてしまうこと‥‥で、これもある種の笑い話です。

 

この2つの共通点は何か? ‥‥というと、結果物が不在な点です。

 

絵を描けるようになった自分、監督になった自分。

 

‥‥つまり、描いた絵ではなく、作った作品でもなく、自分の価値や評価を主題にすると、「何時間、自分を犠牲にすれば、得られるのか」とか、「どのような対価を払えば、役職をもらえるのか」的な行動パターンになるわけです。

 

 

ふと、自分目線ではなく、他人からの目線で考えてみましょう。

 

あなたが「自分は何者になれるのか」を成就させるために、周りの人々は動いてくれるものでしょうか。

 

あなたの結果物が欲しくて、そしてその結果物を継続的に活用したいがために、周囲の人々はあなたの存在を欲するのです。あなたが「何者になりたいのか」を具現化するために周りが存在するのではありません。

 

 

「1週間何日、1日何時間かけば上手くなれますか」‥‥なんて考える人は、本当に絵が描けるようになりたいのでしょうか。「絵がかける自分」に憧れているだけではないでしょうか。そういう人にとって、行動の目標・対象は「絵」ではなく「自分」なのです。

 

私は絵を描きます」と言う人に対し、周りが何を期待し何を欲するのか、「私は」の部分ではなく、「絵を」の部分ですよネ。とても簡単な事です。

 

 

‥‥で、最初に戻って、「1週間何日、1日何時間かけば絵が上手くなれますか」と言う問いの答えは、あまりにもシンプルです。

 

「描けるようになるまで描く」‥‥です。

 

 

1週間に何日、1日に何時間なんて制限は設けず、描けるようになるまで無我夢中に描くのです。描けない現実が悔しくて、「描けた!」と思えるようになるまで、それこそ取り憑かれたように描くわけです。

 

なので、時間の融通のきく学生時代に、基礎的な取り組みをやっておくのが最適なのです。

 

 

1週間に何日、1日に何時間‥‥なんて考えること自体、「あなた、本当に絵が描きたいと思っているの?」と言うことなのです。何だか、「絵そのものが描けることよりも、絵を描ける自分にはなりたいので、その代償として、自分の時間を何時間捧げなければならないのか」なんて言う、貢物や交換条件みたいな発想です。

 

「結果物よりも自分を優先的に考えてしまう」ことの表れは、絵に限らず、なんにでも当てはまります。そして、自覚していなくても行動に表れて、わかってしまう人には簡単に気取られてしまいます。結果物を自分の遥か風下においている様子は、結果物が大事な周囲にとって、不利益な状況ですからネ。

 

根本的な考え方に由来する態度は、何とも皮肉なことに、その当人の処遇に影響します。「結果物よりも自分を優先的に考えてしまう」思考があるがために、「周囲があなたに対する優先度をどんどん下げていく」事態を引き起こします。‥‥つまり、まるで逆効果なわけです。

 

結果物を大事にすれば、その結果物を生み出した人間の処遇も変わってきます。自分の情念や技能を絵に込めれば、「この絵、誰が描いたの?」と注目されるきっかけを生みます。そしていつしか「この人が描いてくれるのなら大丈夫」と、周囲が「想定」してくれる構造も得られるでしょう。

 

そうした基本的なプロセスなしに、いきなり「自分のことを大切に想ってください!」なんて、‥‥じゃあ、あなたは他人に対して結果物度外視で、人となりや見た目のインスピレーションだけで評価を下しているのか?‥‥なんて話にもなりましょう。

 

 

まあ、アニメ業界の根深い問題は、結果物本位で行動して評価を得ても、十分な対価が支払われない貧困構造ではありましょう。

 

とはいえ、私はフリーランスも会社所属も両方経験しておりますが、結果物で評価され「のし上がっていく」基本は同じです。周囲が「この人に作品作りに参加して欲しい」と思わせるのは、「その人がもたらす結果物に期待する」からです。

 

その点を踏まえれば、自分の行動指針も見えてきましょう。

 

ただ、行動指針というものは根本的にはそう易々とは変えられないのは、人間だけでなく猫を見ていても痛感します。幼い頃の刷り込みは相当根深いです。現在がどんな境遇であれ、幼い頃の刷り込みは現在の当人に作用し続けます。簡単に人は変わらないのです。

 

「己の存在を保証する愛情への渇望」をどのようなアプローチで満たそうとするのか。

 

当人の根本に関わってくる問題と言えるので、そう簡単にアドバイスできるものでもないのです。

 

 

ただ経験的に言えるのは、「絵を描く自分」ではなく、「描いた絵そのもの」に対する執念を燃やせば、絵は短期で上達します。逆に、3年描き続けても絵が上達しない人は、「絵ではなく自分」を見つめ続けているのかも‥‥知れませんネ。

 

 


アマゾン、実質、クレカ一択のお店に。

アマゾンがペイジー支払いで何かをヤラかしたようで(ヤラかされたようで)、ペイジーサービスがアマゾンだけ使えなくなっている状況(ヨドバシなどの他の店は普通に使えます)は、以前書いた通りで、今でも停止中です。

 

ペイジーが停止した現在のアマゾンは、クレジットカードと代引き、そしてコンビニなどのATMや端末での支払いが可能ですが、私のように「調達の手間を最大限に省きたい」人間は、実質クレジットカード1択のみとなり、アマゾンは「クレカ専用ショップ」となってしまいました。

 

代引きは手数料が加算される上に、宅配ボックスがあっても不在時の受け取りが不可能となり、非常に不便です。

 

また、コンビニ払いは、実際にやってみると、地味に段取りが嵩んで、面倒です。

 

  1. 支払う代金をあらかじめ現金で用意しておき
  2. コンビニに足を運び
  3. 端末で番号を入力し
  4. 代金支払いレシートを発行し
  5. レジで現金で支払い
  6. 取扱明細がレジでプリントアウトされ領収書として受け取って
  7. その後、払込確認のメールを待ち発送連絡を待つ(結構時間がかかります)

 

‥‥うーむ。これは中々、キビしい。

 

こんな段取りがしたくないから、ネット通販を利用しているのに、台無しですネ。

 

‥‥よって、アマゾンは、現実的に(& わたし的に)、クレジットカードのみの決済と考えた方が良さそうです。

 

はじめて「コンビニ端末での支払い」をしてみましたが、捨てるタイミングに困る、こんな大仰な「取扱明細兼領収書」をレジで受け取るハメになります。A4の半分なので、A5サイズです。

 

*結構、デカいサイズの領収書。

 

 

まあ、クレカで決済すれば「普通にアマゾン」なので、アマゾンがセキュリティを復旧して、ペイジーが復活するまでは、クレカ決済だけのお店として利用する‥‥ということになります。

 

クレカって、どの決済がどのタイミングでおこなわれるのか、把握しにくいので、定期便とか自分で決めた枠内の買い物以外は、ペイジーでお金の流れを把握するようにしていたのですが、そんなこんなで、アマゾンでは支払いの使い分けできなくなっちゃいました。

 

でもまあ、いいか。それはそれで。

 

あまりお買い物せずに、ストックを減らそう。

 


雑感。

「大艦巨砲主義」。当代随一の強力な砲を積んだ戦艦で、ライバルの国々を圧倒する「軍事力合戦」の一番わかりやすい形態です。

 

戦艦大和の建造費は、最近の説によると現在のお金に換算して「3兆円」だとか。つまりは、大艦巨砲主義は、お金や技術力も全てコミコミの「国力の象徴」だったのでしょう。どんなにお金を持っていても技術力がなければ自国で大戦艦など建造できませんし、その技術力を有するようになるには、長い年月と夥しい資金が必要だったでしょう。

 

しかし大艦巨砲主義によって建造された戦艦が、はるかにコストの低い航空機戦力によって撃沈される事態が、第2次世界大戦中に数多く発生しました。日本人にとって有名なのは、マレー沖海戦でイギリスの新鋭戦艦であるプリンスオブウェールズが、日本軍の攻撃機によって撃沈され海の藻屑と消え去った出来事でしょう。

 

 

ドイツ海軍最強を誇る戦艦ビスマルクが、事もあろうに旧式な複葉機のソードフィッシュの放った魚雷によって致命傷を負い、進退極まった末にイギリス軍艦に包囲されタコ殴りで最後を迎えたのも、大艦巨砲主義の幕を象徴しています。

 

 

でもまあ、ビスマルクやマレー沖のプリンスオブウェールズよりも、日本人にとっての大艦巨砲主義終焉の象徴は、大和と武蔵でしょう。両方とも米機動部隊の航空戦力によって沈没しています。

 

 

アニメ制作における「大艦巨砲主義」。すなわち、大予算を組んで、各方面の腕の良いアニメ制作スタッフを招集して、全国の劇場何百館で公開し‥‥という形態に、今でも夢を見る人は大勢いるように思います。戦艦が男の子の憧れだったように。

 

大予算を獲得するには、制作会社の信用がまず必要で、その信用を獲得するには、高い技術力と生産力で歴代の作品を作り続けた実績が必要です。まさに「国力」ならぬ「社力」が必要になります。テレビ作品相当品質を大スクリーンで投影したのとは格が違う、「大劇場作品」を作る能力が制作会社に求められます。

 

今でも劇場に足を運ぶ人がそれなりに存在して、「大劇場作品」に夢を抱くのも、それはそれで構わないと思います。

 

しかし、私自身の感慨で言えば、「大劇場作品」にしても「大人気テレビシリーズ」にしても、何かもう「遠いもの」のように思えてなりません。特にテレビの主戦場は今や「深夜」ですから、70〜80年代の隆盛は見る影もないです。

 

劇場という枠組み、テレビシリーズという枠組みは今後も存続するのかも知れません。しかしそれらがアニメの「巨砲主義」を体現していた時代は、収縮していくばかりに思うのです。先人が築いたスキームは、まさに先人の生きた時代の「リアル」な産物と思うからです。今はもう、平成の終盤、決して昭和のど真ん中ではありません。

 

歴歴の座組みで盛り上がる大型の劇場やテレビは、私にとっては「大戦艦」に見えます。未来に目指すべきは、大戦艦の大艦隊ではなく、だからと言ってゲリラやパルチザンの地下組織でもないように思えます。例えば、ゲバラが2020年に存在したとしても革命は成功しなかったでしょう。1950年代だから革命は成功したのだと思います。

 

大艦巨砲主義もゲリラの革命も、2020年代にはそぐわない気がしています。2020年代をうまく利用する方法があるはずですが、それには利用する知識と直感力は不可欠でしょうネ。

 

最新の技術をフットワークも軽く、少人数制によるシフトを巧みに使い、大戦艦もゲリラも手の届かなかったフィールドを飛び石で活用していくのが、「技術力を持つ弱者」のこれからの戦術のように思います。

 

 

「大戦艦」の「乗組員」として一生を全うできるのなら、それはそれで本望でしょう。でも、本当にこれから先の未来、全うさせてくれる安定した状況は続くのか‥‥、危うい感じはしますよネ。

 

劇場やテレビに寄り添うだけで、未来も変わらずに、生き続けていけるのか。今までのアニメ制作の形態に準じて、本当に安泰なのか。

 

プリンスオブウェールズ(キングジョージ五世級)の後継艦のヴァンガードは実戦を経験することなく除籍・スクラップ。世界は、戦艦を必要としなくなった時代へと変わっていき、各国の戦艦は皆スクラップか博物館行きとなりました。

 

さて、アニメを作る人々は、未来の世界において、どれだけ思考をシフトできるでしょうか。海軍が自らの象徴とも言える戦艦に対し、「戦艦不要」を決断し思考を変えていったのと同じことを、アニメ制作関係者は出来得るのか、これからの成り行きは如何に? ‥‥ですネ。


インスタンス‥‥?

「デジタル作画」の影響‥‥なのでしょうか。最近、よく「インスタンス」という言葉をアニメ作画ソフトがらみで耳や目にするのですが、果たして、どういう意味として「デジタル作画」の人々は「インスタンス」という言葉を使い始めているんでしょうか。

 

JavaScriptでも「instanceof」という演算子があり、型の判定が必要な時に重宝する「インスタンス=実体」ですが、「デジタル作画」での「インスタンス」の使い方を見聞きすると、何か別の意味になり始めているように感じます。

 

「デジタルTB」「デジタルTU」「D.T.B」「D.T.U」での「デジタル」という言葉の「湾曲した」使われ方と、また同じ経緯をたどり始めている‥‥かも知れない「インスタンス」。

 

私は「インスタンス」と聞くと、「ん? 何のインスタンス?」ととっさに考えますし、プログラムを経験してきた人なら同じ反応をすると思いますが、「デジタル作画」の中では「インスタンス」は何か特定の機能やオブジェクトがあるような使われ方をしていて、とても混乱します。

 

プログラムでは、例えば「画像ウィンドウ」というクラスを定義して、そのクラスから実体となるインスタンスを生成して、任意の画像ファイルを展開して「人物の画像ウィンドウ」や「背景の画像ウィンドウ」としてユーザに提供します。クラスは型、インスタンスは型から生成した実物‥‥というわけです。

 

今、コンピュータのディスプレイで目にしている文字や数字ですら、StringやNumberの「インスタンス」かも知れませんヨ。不可視で目に見えないインスタンスが蠢いてもいるでしょうしネ。

 

ですから、「インスタンス」という単語だけを単体で唐突に言われても、話がよくわからないのです。「何のインスタンス」かを添えてもらわないと。

 

TVPなどの固有の機能やオブジェクトを指して「インスタンス」と呼び表しているのなら、どうか止めていただきたい。「インスタンス」はコンピュータの世界では極めて一般的な用語だから。

 

「デジタル」という言葉を変な使い方に変えてきたアニメ業界。今度は「インスタンス」‥‥なのかな?

 

安易に崩れる方にはすぐ転ぶのに、型を維持する方には中々向いていかない、人の世のサガを象徴していますネ。

 

 

追記:

 

もしかしたら、ソフトウェアサイドで「インスタンス」なんていうメニューがある‥‥でしょうかネ。だとしたら、日本語化に問題があるかも‥‥ですネ。でもまあ、某大手でも用語の日本語化はかなり苦戦してますもんネ。

 

Photoshopの「コンテンツに応じる」とかAfter Effectsの「依存関係」とか、かなり苦しい感じが伝わってきます。「コンテンツに応じる」だったら、「周囲の内容に合わせる」‥‥とか、短く意訳して「周囲に似せる」でも良いような気がします。

 

爛れたオトナな私は、「依存関係」なんて言葉、「腐れ縁」にしか読めない。


農奴思考からの脱出

私はここで雑感はもとより、技術の内容解説などの話題も取り上げますが、それは「ボランティア= volunteer」では全くありません。ボランティアはもともと無償・無報酬の志願兵を指す言葉のようで、今では奉仕活動・慈善活動を指すのが一般的です。しかし、考えても見ればすぐわかることですが、利益追求ど直球の営利団体・製品作りに対して慈善活動するバカなどいようはずもなく、もし「その瞬間」は無報酬だとしても、「タダほど怖いものはない」言葉通り、ちゃんとリターンを計算した上で、「累積戦略」の一環として行動しています。

 

要は、「商売の一環」です。あるいは、生存圏獲得戦争における「進駐」行動ともいうべきか。

 

当然ですが、自分の「夢」も、「商売の軸上」に定めています。

 

アニメはさ、「夢」があってさ‥‥、アニメへの「憧れ」でアニメーターになる人もかなり多いでしょうし、自分の腕前を試したいというチャレンジ精神もあるでしょう。

 

でもさ‥‥。

 

アニメ制作を「部活」にするなよ。‥‥ということです。

 

学校のクラブ活動の延長線上に、プロの現場を巻き込むべからず‥‥です。

 

キャラ描きで特に知名度があるわけでもない私が、前回数回に分けてキャラの未来のデザインの話題を取り上げたのは、皆さんも同じように、自分らでどんどん「オリジナル」の未来のキャラや技術をストックして、未来の商売の種・株を準備して、ゆくゆくは「農奴」から脱出しませんか?‥‥という「新しい流れ=ムーブメントのきっかけ作り」が真意です。

 

「そんなのいらない。今までのままでいい」というのなら、今までのお金と処遇で満足すべきでしょう。「今まで」通りの、ど貧乏、どブラックを甘んじて受け入れて、「今までのままでいい」と言えば良いです。

 

どこかの漫画原作、どこかのイラストレーターのデザインを受け取ることだけに終始して、金も権力も名声もいいように持ってかれて、「はは〜。私たちは描かせていただけるだけでありがたいですゥ〜」なんて日銭だけを稼ぐ生活、いつまで続けるつもりでしょうか。

 

駆け出しの頃なら、技術習得の機会としてそれでも良いでしょう。しかし、40〜60歳になってもなお、その「農奴」スタンスをおとなしく実践し続ける‥‥というのは、もう「農奴制を肯定している」と言われても仕方なし‥‥です。「そんなことはない。よくない事だとは、常々感じている」というのなら、たとえ今は簡単に流れを変えられなくても、40〜60歳の人間が行動できっかけを実践していくべきではないですか。

 

自分で発明しない、自分で開発しない。そしてそれらのリスクを負わない。そりゃあ、金も権限も得られるはずもないです。何の配分も得られるはずがないです。若い人間たちも、「先輩がそうなんだから、自分もそれでいいんだ」と思っちゃうよネ。

 

どんなにクソ地獄の現場を切り抜けてきても、得られるのは修羅場を生き抜くノウハウと語り草だけ。‥‥そんなことの繰り返しにはもう、いい加減、辟易しているのではないですか? もし転身したとしても、その修羅場の場内で被害者から加害者になるだけの話でしょう。

 

もし現時点は「無報酬」の見た目を装っていても、「タダほど怖いものはなし」をいい頃合いの時期に発動できるよう、技術展開をすれば良いのです。実はガードが甘い時期ほど、「オセロゲームの角」は取りやすいものなんですヨ。

 

どこかの業界団体の主宰する「より良い農奴になるためには」なんていうイベントに参加するより、もっとリアルに、自分自身、同じ辛酸を舐めて苦境を生き延びた仲間・同胞と、「飛び石作戦」を実行して「ロードローラー作戦」に対抗するのが肝要と思います。

 

こういう話はネガティブですかね‥‥?

 

私はとてもポジティブだと思うんですけどネ。

 

だって、マイナスからプラスへと向かおう!‥‥という話なのですから。

 

"The Triumph of Death" by Pieter Bruegel the Elder.


アマゾンのペイジー停止

アマゾンでペイジーを使用しようとしたら、「ペイジーの銀行欄がスッカスカ」になっており、使用不能になっていました。

 

ペイジーのWebによると、

 

2016/12/29

ペイジーによるAmazon(収納機関番号58021、収納代行業者ウェルネット(株))への収納サービスの一時停止について

 

インターネットバンキングを経由したペイジーによる払込について、一部不正取引が発生しております。

このため、12月30日(金)午前11時より、インターネットバンキングを経由したペイジーによるAmazonへの払込を当面の間停止いたします。

代替支払手段として、コンビニエンスストアでのお支払い、電子マネー、ATMがございます。

Amazonからのメールに記載のURLをクリックし、お支払方法選択画面にて上記代替手段によるお支払方法を選択願います。

お客さまには大変ご迷惑をおかけいたしますが、なにとぞご理解を賜りますようお願いいたします。

 

‥‥だとな。

 

ペイジーとは、ATMの振込手続きを、ネットバンキングによってネット上から操作可能なサービスで、入金確認がほぼ同時にとれるらしく、アマゾンのような速配サービスの販売店では代引きやクレカ決済とほぼ同じスピードで商品が届くようになります。

 

私は、クレカとキャッシュで用途別に使い分けをしており、ペイジーで手数料を取らない販売業者(ヨドバシなど)の場合は、ネットバンクの銀行振込ではなくペイジーを使っていました。銀行振込は必ず手数料がかかりますし、12時間〜1日は確認の段取りに要しますからネ。

(まあ、銀行振込でも、振込手数料無料を銀行サイドが優待するサービスもありますが)

 

まあ、今回はアマゾンがやらかしたようなので、アマゾンのみ使用停止をくらっているようです。便利な仕組みは、穴があると、不正利用者にも便利な仕組みになるんだネ。

 

 


雑感。

仕切り直しのチャンスって、極めて限られていると思うんですよ。

 

我々技術部門の人間にとって、そのチャンスの一番の代表格は、土台から技術が入れ替わる時‥‥です。

 

そのチャンスの時に、どれだけ未来を見据えているか‥‥が、とてつもなく重要なのは、各技術部門の責任者の方々は、もちろん、重々認識している‥‥でしょうな。

 

現在の「デジタル作画」の動向を見ていると、徐々に段階的に、ショックをあまり与えずに、「デジタル」へといつのまにか移行していくのを「裏の目標」にしているようで、非常に危うい気はしています。

 

作画の土台が紙からコンピュータへと移行する「大きな入れ替わり」の時期に得られる「大チャンス」を、ことごとく失う流れを感じます。

 

本当にそれでいいのかね〜〜。未来のことを真剣に、かつ包括的に見据えているのなら、「デジタル作画」はそれこそ「デコイ=decoy」にして、本命の技術を着々と用意しておくべきだと思うんだよね〜。

 

‥‥あ、ここでデコイなんて書いたら、戦術がバレるか。まあでも、今の業界の状況は、戦術云々以前の状況だしな‥‥。

 

2005年までにせっかく「デジタルアニメーション」の土台ができたのに、後続の自転車操業勢によって、チャンスで得た橋頭堡からの撤退を余儀なくされたのが、今までの10年間の経緯でしょう。

 

この10年間で、「チャンスを活かせなかったらどうなるのか」を、私も皆さんもしみじみ実感しています‥‥よネ。

 

この10年間で失敗したのなら、これはまたとない機運とも言えましょう。数々の失敗の経験値を積んでいるのですから、山のように「反面教師」の事例を引用できますヨ。

 

なんでこんな制作体制になっちゃったんだろう。自分たちは根っからブラックまみれだ〜 ‥‥‥なんて、キズの舐め合いや自虐ネタに走るのはそろそろやめて、本腰を入れて、「次の10年を盛り返す」行動を開始してみるには、良い時期ですヨ。

 

 

生ゴミやウンコ(‥‥失敬)はさ、そのままだと忌み嫌われる存在だけどさ、然るべき方法で寝かせて発酵させれば良質の肥料になるじゃん。

 

新しく生育する草木の、まさに代え難い豊富な栄養素を含んだ物質が、自分で排泄したわりにできるだけ見たくもないウンコから生まれるのなら、アニメ業界の惨状も決して何の役にも立たないわけじゃないよネ。

 

 

とにかく、まずは卵を温める藁を敷こう。硬化した土地を耕して柔らかくしよう。そして、卵を産もう。種を蒔こう。

 

卵も産まず、種も蒔かずに、クソの臭いだけ嗅いでても、未来には何にも繋がらない‥‥ですもんネ。

 

まあ、目下の命題は、発酵を促す「良質なバクテリア」「酵母」となる存在とは何か‥‥ということでしょうネ。ウンコは、そのままだと、干からびたウンコになるだけだから‥‥。


道具でスイスイ

大晦日、正月三が日と、多少はのんびりもしましたが、溜まりに溜まっている立体参考用途の作りかけプラモを、20機近く作り進めました。「完成」までは到達できませんでしたが、一番面倒なキャノピーのマスキング(=私にとって)を怒涛のようにこなして、一番の難所を通過しました。

 

 

中段のジェット軍用機が、今回のメインです。この他に、50年代の旧車や民間機なども含めて、大体20ケをドカンと進行‥‥とあいなりました。

 

これだけ一度にキャノピーのマスキングをすると、「めんどくさい」に免疫ができて、「やれば終わる」心持ちとなって、前ほど苦痛ではなくなります。まあ、以前は、ルーペも使わなければ、曲線に沿うマスキングテープもなかったので、自然と苦手癖が凝り固まったのでしょうネ。

 

 

実感したのは、ツールの大切さ。‥‥です。

 

ルーペ、伸びて曲がるマスキングテープ、そしてよく切れるナイフの3つが無いと、キャノピーのマスキングは今でも(私にとって)地獄です。

 

 

*現在、LED仕様の製品も販売されております。私は、昔の蛍光灯仕様を使っており、専用の交換用蛍光灯はだいたい600円くらいです。つい最近、はじめて蛍光灯が寿命になりましたが、5年くらいは保ちました。

 

*キャノピーのマスキングには、1番細い2mmがオススメ。‥‥できれば、1mmのも発売して欲しいんですけどネ。

 

*アートナイフプロでも、「丸刃」がポイントです。刃の部分にカーブが付いており、刃を引くのではなく、転がして切る「転がし切り」ができるので、透明部品の上での繊細なカットに重宝します。

 

 

 

まあ、決してキャノピーのマスキングは楽では無いのですが、「どうすんの、コレ」から「何とかなりそう」へと明るい気分で作業に取りかかれます。

 

F-15とか、F-16、F-22などは、とても簡単‥‥は言い過ぎか、以前に比べてかなり楽にマスキング作業が進みます。F-15はまず、下側を1本のマスキングテープで1周して囲んで、余分を円形ナイフを転がすようにしてカット、あとは、前後のピラー(っていうの?‥‥つまり窓枠)を1、2、3、4の計4本で囲んで終了。マスキングの枠さえ出来ちゃえば、マスキングゾルで大面積部分を塗るだけです。

 

 

 

去年の最後に書いた「20年放置のMe262」も上図の通り。‥‥曲線と極細部分のマスキングにちょっと手間取ってはいますが‥‥。

 

ルーペがなかったら、1/72の細い作業なんてまず無理ですし、どんなに細い部分が見えても、マスキングテープが「いうことを聞いてくれなかったら」曲面の処理で手間取りますし、マスキングテープが曲線を描いても、綺麗にカット出来なかったら台無しです。

 

こういう「ど直球」の手作業をすると、ツールの性能が左右する極めて重要な作業性を感じずには入られません。

 

 

ツールはまさに、作業の要です。

 

 

ちなみに、私はついつい細いパーツを失くしがちなのですが、今回もどうやらピトー菅を失くした模様。

 

 

先っちょについているのがピトー菅で、RF-101「ブードゥー」は短いタイプだったので、どこかで失くしたようです。ランナーごと捨てたか、いつのまにか床に落下したか‥‥。

 

なので、私の定番作業の1つ、「ピトー菅作り」です。1/48はともかく、1/72の、しかも旧金型のダルいピトー菅は、そのままでもかなり危うい精度なので、自作して「ほぼほぼ似てれば良い」のです。

 

爪楊枝と比べて、このスケール。ルーペから視点を実物に戻すと、自分が作業していたスケールの細かさに、我ながら驚きます。ルーペがあれば、米粒に顔を描くなんて、簡単ですよ。人間って、実は目が衰えて細かい作業ができなくなることがほとんどで、視力がルーペによって補完されれば、超極細筆を用いて細かい絵を描くことは、さほど難しいことではありません。目は衰えても、手はまだ生きているのです。

 

0.7ミリ直径・0.5ミリ内径の真鍮パイプに、0.3ミリの真鍮線を通して、特に難しいこともなく自作完了。写真で見ると、その細かさにビビりがちですが(爪楊枝と比べて、この大きさ! 〜方眼は太枠1マス1センチ・点線は5ミリです)、ルーペとロータリーノコギリがあれば、これこそ「とても簡単」に出来ます。

 

 

とても簡単にできるのは、やっぱり頼れる道具あってのこと。

 

道具がなく、方法も判らなければ、真鍮パイプの切断なんて、上手くいかな過ぎて、途方に暮れます。

 

ネットで調べると、「カッターの刃を転がすようにして、徐々に切る」とか、「パイプの中に線を入れてニッパーで切断」とか、結構色々と検索できますが、どれも「NG!」です。

 

「カッターの刃を転がすようにして、徐々に切る」のは、真鍮ならまだ何とか‥‥ですが、ステンレス製のパイプですと、カッターの刃などまるで「刃が立たず」、延々とコロコロしても切れません。

 

「パイプの中に線を入れてニッパーで切断」も、全くもってNG。ニッパーの切断時にかかる圧力で、軟鉄の真鍮パイプなど、パイプ内の真鍮線を丸ごと押しつぶして板状になって切れます。

 

全然、上手く切断できないじゃん。ホントに皆、そんな方法で上手くカットできてるのかな? ‥‥私が特段に不器用なのだろうか?

 

私が色々と試行錯誤して、手元にあるツールを活用しつつ見い出したカット方法は以下。

 

真鍮パイプの中に真鍮線を入れて位置決めしつつ、ダンボール(アマゾンなどの梱包材の廃品利用)などの台座にセロテープで強めに固定(パイプ全体を覆うように)、上図写真のルーターに装着するタイプの円形ノコギリで、ダンボールの台座ごとカット。

 

そうすると、カット時の振動でパイプが暴れることもなく、圧力ではなく回転でカットするので、めちゃめちゃ簡単に綺麗に、カットすることができます。

 

カッターでコロコロ転がし切りするのに何分かかるか、成功したことがないのでわかりませんが、上記方法ですと1〜2分で終了します。ステンレスでも真鍮でもアルミでもなんでもスパッと切れます。圧力でパイプ穴が塞がることもないです。ノコギリの刃の切れ味がイマイチで切り口が荒れた場合は、ヤスリで整えればOKです。

 

 

道具って、大事ですよねえ〜。‥‥あと、ノウハウも。

 

 

私は現在、紙に絵を描く仕事を完全終結し、机には必要最低限の筆記具しか残っていません。これはすなわち、iPad Proで絵の仕事が継続できる確信を得たからで、つまりは、iPad ProとApple Pencil、Procreate、そしてAdobe CCが、未来のツールとしての信用を満たす道具であると解ったからです。

 

iPad ProとProcreateの「ツールとしての最大の信頼度」は何か?‥‥というと、iOSとタブレットの最大の利点ともいうべき、「タッチ操作が基本」である点です。

 

消しゴム、アンドゥ・リドゥ、カット・コピー&ペーストを、いちいち何かのボタンやキー操作で実行するなんて、もはや、まどろっこしくて付き合ってられない‥‥というのが、今の私の本音です。

 

ツールをいちいち選択したり、絵を消すのにタブレットペンをいちいちひっくり返したり、事もあろうにキーボードまで操作して‥‥なんて、まず「生産性」に関わりますし、描いててどんどんストレスが溜まってきます。

 

紙で描いていた時、絵を消すのに、消しゴム付きの鉛筆で、消すたびに鉛筆をひっくり返していたら、どうなっちゃってましたか‥‥ね? すごく面倒ですよネ。鉛筆をひっくり返すのだけでも。

 

Procreateは、ペンを持っていない手の4本の指がジェスチャーに使えますし、消しゴムも指先です。

 

 

コンピュータで絵を描くといえば例えば「デジタル作画」。「デジタル作画」に今、必要なのは、機能ゴテゴテで肥大化したOSやソフトウェアではなく、実は、とてもシンプルな設計で、限られた性能が極めて卓越した、「切れ味の鋭いツール」なのかも知れないな‥‥と思うこの頃です。

 

どんなにいろんな機能が豊富でも、肝心の「絵を描く瞬間」にストレスを抱えているようでは、絵を描くのがイヤになってしまいます。

 

私は紙で絵を描いて育った世代なので、コンピュータで描く際も、紙に絵を描くように何のストレスもなく描きたいです。

 

だってさ、すご〜く単純で、しかも重要なことですが、紙からコンピュータに乗り換えたことで、自分の技量が落ちるのはイヤじゃん??

 

コンピュータでも、紙と鉛筆と等しい(か、それ以上の)技量を発揮したいじゃん?

 

今までのペンタブレットに著しく欠けていたのは、その「技量を落とさずに移行できる、道具のポテンシャル」でした。

 

でも、少なくとも私は、iPad Pro 12.9インチとApple Pencil、そしてProcreateという「道具」の出現により、紙に頼らずとも今後やっていける見込みができました。

 

 

道具は大事。

 

今はネットで色々な情報が手に入りますが、他人他所の情報が自分にフィットするとは限りません。

 

道具選びは、「自分の生命線」と心得て、冷静かつ慎重に、ある時には止むを得ずお金を掛けてでも、自分の技量が活きる道具を選びたいもの‥‥ですネ。



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