意見の広告

ネットに公開するコトバは、どんなに短文であっても、意見広告と見なされてやむなし、ですよネ。このブログも、もちろん「個人の意見広告」です。

たとえ、ツイッターなどの会話の中に出てきた言葉であっても、世界中に公開流通する時点で「広告」の性質を持つと思います。ですから、自分の事ならいざ知らず、他人のプライベートに言及する事は「たとえ会話の文中であっても」、「広く告知した行為」になるわけです。

もし自分らの会話がテレビ全国放送されていたら、まず喋る内容は注意深く制限するし、録画だったら後でマズい部分を編集するよネ。

ツイッターとか掲示板とか、泥沼にならなかった試しはないわな。つまり、不用意にツイッターで会話に及ぶ事自体が危険なんだな。

ライフライン

ワークフローの設計が完了すると、「制作システムの全貌が見えた」と自信を持つわけですが、まさに「見えた」だけで机上プランを脱しません。ワークフローに基づいたインフラを実際に構築しないと「机上の空論」、会議だけ熱心に時間を費やして「会議だけで、モノを作り上げた満足感を得る」ような滑稽な状況になりかねません。‥‥何度もそういう場面を見てきたんよ。

私の昔からのストレスは、自分の部署のパイプラインはそこそこ完成しているのに、外とのやり取りが「バケツリレー」なところです。

現場を動かす人(制作や作業チーフ)は、いっその事、研修アイテムとして「シムシティ」でもやってみると良いかも知れませんネ。今だとAppleのAppStoreで1000円(日本語版)で買えますヨ。

インフラ〜ライフラインをないがしろにするとどんな事になるか、シムシティでプチ恐怖体験をすると、制作現場でも応用できると思うのですよ。シムシティのゲーム内で「市長」の名前を自分の名前で入力すれば、自分の「ダメ市長ぶり」にプライドを破壊されることでしょう。

拡張性と柔軟性を併せ持つワークフローの設計を完了したら、まずは頭からお尻まで作業がパイプでつながる「作業パイプライン」を作ります。目指すは、バケツリレーの撲滅です。パイプラインに滞りがない事を実感できたら、今度は多重のインフラストラクチャたる「ライフライン」設備へと着手し、作業現場に創造性と快適性を付与していく‥‥のですが、まあ、文字で書くように簡単にはいかんわな。

私の考える新しいアニメーションは、映像内容や表現技術だけでなく、こうしたインフラも全て込みなのです。

ちまたの4Kアニメの話題とか見てると、恐らくまた昔の制作構造が再演されるだけのように感じます。シムシティじゃないですが、「神のダイナマイト」よろしく、一回全てを「新地」に戻して「生き直し」が必要だと思うのですよ。じゃないと、4Kの業界アニメ制作は「バイオレンスレッドオーシャン」になるすよ。

決して、特定の技術だけに夢中な「技術馬鹿」になってはいけないのです。

タダほど高いものは

「ただほど高いものはない」とよく言うけれど、アニメ業界の10年を振り返ると、まさにその通りだったと思います。

「デジタル」を「何でも指示を出せばやってくれる」とばかりに「対価もなしに」技術の大安売りをしてしまったこの10年、「デジタルはギリギリまでひっぱれる」と時間の価値を安くしてしまったこの10年。

テレビ作品の本撮を3日で終わらせるための体制。何重にも作画監督を布陣する体制。1原2原のシステム。そして大量のオフライン撮(コンテ撮、レイアウト撮、原撮、タイミング撮)のコスト。‥‥まだ、挙げればきりがなさそうです。

何重に修正を入れる作画監督も1原2原のシステムも、「デジタルは時間がかからない」=「デジタル工程の時間短縮はタダ」という意識が根底にあって、許容される構造でしょう。


「デジタル」は「何でも都合良くできて便利」でしたか?

‥‥実は、恐ろしく「高い代償を払うはめになった」と思いませんか?


ツイッターなどちまたで見かけるアニメ制作運用に関する議論は、既に6年以上前からあってしかるべきでしたよネ。問題点を「総括」しようとしても、ほんのごく僅かの限られた人だけしか問題を直視しようとせず、多くの人々は「何はともあれ、終わったからいいじゃん」とめんどくさがって問題を放置してきたのです。

癌が全身に転移して我慢できないほどの自覚症状が出てから病院に行っても、もはや手遅れなのです。この期に及んでじたばたせずに、残り少なく限られた命を惜しむのではなく、遺伝子として命を繋ぐ事を考えるべきだ…と私は思います。


もう、解っている人は、解っているはず。‥‥解り過ぎるくらいに。

目指すべきは、「業界の云々」ではなく、もっと向こう側、今までとは違う視野の先にあるものだ‥‥と言う事を。


 

ガイドレイヤー

After Effectsには様々な便利機能があるのですが、「ガイドレイヤー」というレンダリング時に表示が自動オフになるレイヤー機能があります。アニメ撮影ではおなじみの機能で、カメラフレームをまさに「ガイド」として表示する際に用います。カメラのファインダーみたいなもんですネ。

このガイドレイヤー機能は「グリッド表示」「撮影フレーム」として使うだけでなく、「実際のレンダリングにはオフにしたい何か」にも用いる事ができます。ガイドレイヤーを使えば、「LUT有無」の2種類のレンダリングを1つのコンポから書き出す事が可能です。(LUTとはLookUpTableの略で、すごく簡単に言えば色変換の段取りの一種です。)

作業の時とラボに映像を渡す時とで、色空間を変えなければならない時に、調整レイヤーでLUTを適用して「補正オンオフ」を切り替えるのですが、その際、LUT適用レイヤーをガイドレイヤーにしておけば、レンダリング設定上だけでレイヤーのオンオフを遠隔操作できます。

レンダリング設定のガイドレイヤー欄を「すべてオフ」から「現在の設定」に変更すれば、表示中のガイドレイヤーはそのまま生きてレンダリングされるわけです。あくまで「現在の設定」ですから非表示のガイドレイヤーまでオンにはしませんし、プリコンを遡ってレンダリングする事も(コラップストランスフォームがオンになってなければ)ありません。

これは自動処理で制御する際に、コンポジションの中身を掘ってレイヤーを探し出して「visibleをfalse(またはtrue)」にしなくても、レンダリング設定を名指しするだけ(applyPresets)で特定レイヤーの表示状態を操作できるので、ツールの開発期間が短縮できます。

LUTだけでなく、シネスコマスクやタイムコード、字幕、注釈なども、レンダリング設定だけで手軽に表示&非表示を遠隔操作できるので、工夫次第で様々な活用アイデアがありそうです。

 

拡散と絞り込み

私には、「拡散」と「絞り込み」との間を行き交うサイン波みたいな周期があります。昨日は大量のブツを倉庫に移動しましたが、そうした自らの「模様替え」「マシン換え」の行為から、自己のフェイズシフトを客観的に実感するのです。

自分の行動パターンで言うと、拡散した行動は言い換えれば「累積」、絞り込んだ行動は「順次」とも言えます。知っている人なら知っている「累積戦略」「順次戦略」のくだりです。長くなるから、ここでは割愛。

アニメ業界で言えば、順次的な取り組みは当該の作品作り、では累積的な取り組みに関しては?‥‥と言うと、「作業者間の横の繋がりでよろしく」的な感じです。

しかし、横の繋がりで済むのは、「横で繋がれる共通した土台」が業界にデンと存在するからです。ですから、業界にとって未知の「4K」は、横で繋がれません。

「アニメで4Kって言っても、何をやるの?」と色々な人から聞かれますが、まあ、たしかに、今のアニメ絵の延長線上で想像したら、改めて4Kでやることなんて想い浮かびませんよネ。

拡散してとっちらかった時期を経て、ようやく絞り込みが可能となるのです。それはワークフローや制作システムだけでなく、映像のイメージも同じです。アニメ業界の雰囲気を見ていると、「自分の歩いてきた延長線上の、順次的なもの」にとらわれ過ぎていて、視界をキツく自己制限し、同じフィールドイメージしか見れない状況に自ら墜ちているかのようです。

人は、自分が思っているほど、新しいイメージに切り替えられるものではありません。順次的な理屈で頭脳の表層を納得させても、頭脳の奥底や手足が、新しいイメージを拒否るのです。これは20代の若い人間でも同じようで、年齢は関係ないみたいです。

様々な累積のうちに「いつのまにか、自分のイメージは変わっていた」‥‥という事なのでしょう。

*でも、BBCのドキュメンタリー番組『7年ごとの記録「イギリス 56歳になりました」』を見るだに、根本的・根源的な性質はティーンになる前に確定しているようです。‥‥うん、私もそうだな。

え、うそ。

しばらく間を空けようかと思ってたのですが、驚いた事がありまして。

ネットを流し見しててギョッとしたんですけど、「デジタル作画」「タブレット作画」ってペーパーレスじゃないんすか?

タブレットで作画した後、プリントアウトしてタップ穴をつける??? ‥‥そうか、作監も含め「タブレット作画」で通しきらないとダメだもんネ。

…やっぱり、今の現場では、4Kなんて当分無理じゃないすか。小さなA4の紙に縛られている以上、スキャン解像度を上げても、無駄だもん。

なるほど。より一層、戦略が見えてきました。

歴史は繰り返す‥‥とは言うけれど

4K8Kに揺れ始めた現場を見ていると、1995〜1998年あたりの雰囲気が思い起こされます。いわゆる「デジタルアニメ」の発端となった頃ですネ。当時の人の動きも、今と似たような感じで、大半は暢気に構えていて、ごく少数がそれぞれの未来の方針を模索していました。

1995年頃の「デジタル」アニメは、「絵が薄っぺらい」「ビデオ合成のように絵作りがぎこちない」「3Dとの違和感がものすごい」といった問題点が指摘され、決してフィルム&セルによる旧来作品表現に勝るものではありませんでした。

では、「デジタル」の性能が劣っていたかというと、そんな事はありません。単に「使い方」の問題、もっと言えば、「使う人間」の問題で、「デジタル」を絵画表現の道具として上手く使いこなせなかったのです。

「デジタルを導入してアニメを作る」という事にテーマがすり替わって、いわゆる「本末転倒」状態に陥っていたフシを、私は1996年に「デジタル」の現場に入って感じました。「デジタルを導入する」のがテーマとなり、肝心の完成物たるアニメ作品は、まさにテーマ通りに「デジタルで作りました」という絵になっていたのです。
*もしかしたら、元から、作品よりもワークフローの方がテーマだった可能性もありますが、ワークフローが目的の作品って‥‥さ‥‥、現場の都合優先で、「絵」を受け取るお客さんの存在はガン無視だよネ。

私は当時の「出始め」の「デジタルアニメ」を見て、「何か思惑はあるんだろうけど、絵自体が新たな魅力で溢れてなかったら、誰も振り向いてくれないじゃん」と冷ややかに見ていました。同時に、その頃Photoshopをイジりはじめていた事もあり、「デジタル」で如何様にも絵画的・映画的表現が可能だと確信していましたので、「デジタル云々ではなく、作り手の表現技術の問題だ」とも感じていました。ゆえに、私が「デジタル」の現場に入って、まず手がけた事は、「絵を不在にしない」ための大量のイメージボード作りでした(〜その辺の話は長くなるので割愛します)。イメージもないまま、段取りだけで作るのはヤメましょうよ‥‥と。

そして2014年現在。この構造は、4Kに対応しようとするアニメ業界にピッタリあてはまるように思います。「4Kを使う」という事がお題になってしまって、「こういう絵を作りたいから4Kのスペックが必要だ」という必然性は全く感じられません。皆一様に「どう対応すべきか」なんて困った表情ばかりです。何だか私だけヒートアップしてるような孤独感すら感じます。‥‥ほんとに皆、アイデアが無いんか??

「欲するものがなく、形だけが先行する」という状況。歴史を振り返るに、アニメ業界に限らず、古今東西の「ダメなパターン」の典型です。
 
4Kをどうやって使うつもりか、質問されて困ったりしてませんか?

4Kを現アニメ業界フローで使って、絵的に「お得」な部分はどれだけありますか?

4Kのアニメは、「これが4Kか。凄い!」と、観る人を興奮させることが出来そうですか?

‥‥思うに、結構多数の人が、「4Kなんて、やってみなければわからない」と考えているんじゃないですかネ。ですから、事前にこんな事を聞かれても、まるで実感をもてないと思います。でもそれは、未来の迷走ぶりを予感しているようなものです。

「4Kのアニメ制作フロー」だけを考えようとして、「絵」を考えないのなら、私の意見としては、「失敗確定」だと思っております。‥‥だってさ、そんな「フローがどうだこうだ」なんて、「観る側」には関係のない事ですもん。残酷かも知れませんが、業界の苦悩や困窮なんて製品を購入するお客さんにとってはどうでも良い事で、単に「出来映え」で判断されるだけです。「絵的には以前の2Kとほとんど変わらないですが、苦労して4Kで作ったので、売価を高くします」なんて、お客さんにしてみれば「えー!」ですからネ。だからといって、予算が今までと同じなら現場が「えー!」だし、予算倍増・売価据置だったら出資者が「えー!」だと思います。現アニメ制作にとって、4Kで嬉しい点なんて、あるんすかネ? 2K24fpsでちょうどピッタリなのでは?

歴史は繰り返す‥‥と言いますが、「デジタルアニメ黎明期」当時の記憶が甦るのです。しかし、失敗する構造だけでなく、成功する構造も、歴史は反復します。

私がいつも自分を戒めるのは「技術バカにならない事」です。お客さんは、技術にお金を出すのではなくて、技術を用いた完成物にお金を出すのです。4Kという技術を使って、どのようなキャラをどのような情景の中に立たせて、どのようなストーリーにて、お客さんに披露するのか。そこが見えてなければ、4Kはまさに技術バカ・スペック馬鹿の巣窟になってしまう‥‥と私は考えます。

* * *

‥‥とまあ、今まで色々と感じる事や考える事を書き綴ってきましたが、私もそろそろ本格的に、4Kの取り組みにリソースチャージ!‥‥すべき時期が来たので、文章書きもほどほどにしようと思っております。‥‥文章って、時間かかりますもんネ。

私は4Kの1ピクセルも、48fpsの1フレも無駄にするつもりはないです。持て余す…なんてあるわけもなし。

ただし、私は新しい技術を、日和見層に選択肢として提供するつもりなどありません。過去、日和見層がなだれ込んだ結果、どのような顛末となったのか。「デジタルアニメーション」の「成功と失敗」を歴史から学んで、二度と同じ轍は踏まない所存です。

安易にメイキングを商品付録にしたり、作った傍から技術公開なんて、終局的には「安売り」「夢潰し」にしか繋がらなかったのです。マジックのネタなんて「ナゾ」なままでいいじゃないですか。コピペで広く伝播した技術は、安売り合戦を加熱させるだけです。「窮状の自作自演」に陥らないための、明確な技術運用理念が未来には絶対に必要だと、やはり過去の歴史から学びました。業界で誰もが知っている共通の技術ではなく、独自技術こそ「ブランド」を形成する大きな土台なのです。そして、各々が高い独自技術を持つがゆえに、お互いを尊重し合えて、技術を高め合う事も可能なのです。

4K対応の機材も身近になりつつある2014年は、今までの研究の成果を未来に繋げる重要な戦いの年〜「Red Sky」になりそうです。

 

ゲーム

私の世代(昭和40年代前半生まれ)は、コンピュータプログラムによるゲームコンテンツの事を「テレビゲーム」と呼んでおりました。私は「インベーダー世代」というよりは「パックマン世代」といった方がピッタリくる世代で、ゆえに「ギャラクシアン」とか「クレイジークライマー」とか「ムーンクレスタ」などに深い愛着があります。

今でも息抜きにゲームはします。しかし、ストーリー仕立ての時間のかかるゲームはしません。実は、今までドラクエもFFもやった事がないのです。私が好んでやるゲームは、レトロなアーケードゲームか、シミュレーション、この2つだけです。

私の持っているゲーム機は今ではPS3のみですが、「ナムコミュージアム」とか「SPACE INVADER」などをネットワーク購入してインストールできるのは嬉しいです。PS3で初代ギャラクシアンをプレイするのも何か不思議な感じですが、ぶっちゃけ媒体は何でも良いので気にしません。不思議‥‥と言えば、PS3でのPSエミュレーション(かな?)が、データロードの待ち時間まで当時っぽい遅さなのは何故なんだろう。仮想メモリーカードを作る段取りも含めて、正真正銘のエミュレータなんだろうか?‥‥と思います。

PS3でレトロゲームばかりですと、持ち腐れ感タップリですが、一方で輸入のフライトゲームなどをやりますので、そちらでマシンの能力はたっぷり堪能しております。最近やっているのは「IL-2 Sturmovik: Birds of Prey」と言う空戦物で、おもむろにミッションをこなしていく地味目な内容が気に入っております。シミュレーションのモードを「Realistic」(だったかな?)にすると、操縦が非常に難しくなるのがタマラないです。急激な機動をおこなうと、画面が真っ暗(ブッラクアウトという生理現象ですネ)になったり、スピンに陥ったりして、「普通に考えれば、そうだわな」と思う反面、「体で重力を感じていなけりゃ、無茶な操縦も平気でしちゃうわな」と、しみじみシミュレータの限界を感じたりもします。実物のオフロードバイクなんて、加速Gやギャップを拾うショックやエンジンの振動を体で感じなければ、まともに運転できないスもんネ。

ただ、人のキモチは面倒なもんで、シミュレーションを端折られ過ぎると、これまたつまらないのです。中には、ギアダウン(飛行機の脚を下げる)の操作も無しに、水平に滑走路に体当たりすれば「着陸完了」なんていうゲームも存在しますが、それだと興ざめなんすよネ。進入角度や速度をちゃんと見ててくれないと。‥‥ちなみにIL-2は、最初のころ、ブレーキの掛け方がわからずに、着陸しても速度が中々落ちずに、オーバーランして植え込みの林につっこんで、暫く木をなぎ倒した後に爆発炎上しました。「仮想恐怖体験」ではありましたが、何よりも、その一部始終がちゃんと描写されていた事に、驚きました。
*IL-2は、英語版かつマニュアルがないので、英会話のチュートリアルだけで操縦を覚えるのです。
*IL-2の「十字キーのキーコマンドで僚機に指示を出す」のは、未だに覚えられません‥‥。




レトロゲームはノスタルジーオンリーですが、最近の美麗なグラフィックのフライトゲームは、日頃の作品制作に対して色々と刺激に感じる部分も多く、シミュレーションゆえの「プチ恐怖体験」は作劇のアイデアになったりもします。

美麗なグラフィックのゲームがごく普通に身近に存在する現在、自分はどのような映像作品を志すべきなのか、ふと思索にふける事もあります。

そういえば、最近でたPS4はどうなんだろうか。IL-2をやってると、大混戦の時(撃墜した機の破片と黒煙ごしに、敵機がわらわら飛んでいるような)に処理落ちが発生するんですけど、そういうのって新型のプロセッサか何かで改善されるのかな?

PS4は頻繁にスマホゲームソリューションと比較されるようですが、わたし的には据え置きゲーム機とスマホは「別腹」なような印象です。スマホゲームもタブレットPCのビデオコンテンツも、性能云々ではなく、そのコンパクトにおいて、据え置き環境と別物だと考えるからです。ただまあ、いくら別腹でも、魅力的なコンテンツがなければ、PS4は売れにくいのかも知れません。近い未来のアニメ作品の4K時代も同じ事ですネ。「こりゃ凄い」という要素が新世代ソリューションに欠けていれば、PS3で充分、HD(2K)で充分と判断されてしまうのでしょう。

ゲームや映像コンテンツにおいて、スマホやタブレットで「充分満足」だと思う人も多いとは思いますが、そんな人たちでも大画面の美麗な4K8Kグラフィックや前後左右上下にも広がる立体音響を前にしたら、自分のスマホとは別物と判断し、自分の映像周りのショボさを実感するはず。‥‥人って、便利さに安易に流れる一方で、贅沢の誘惑にも抗い難い側面を持つと思うのです。

*最近、前後左右だけでなく上下にも音を広げて11.1chで制御する音響に触れる機会があったのですが、上下の音の広がりは「リアルな音場」を形成するには必須要素なんだなと痛感しました。映像絡みでなく、音楽を聴くためだけでも、前後左右上下の「真の3D音響」が家庭で実現できたら最高だ‥‥と思いました。たしかに、ステレオ2chは線上ですから1次元、左右に前後を足した平面は2次元‥‥と言う事は、今までのリアスピーカー足しの音響は2次元でしかなく、上下を足した3次元音響が本当の「3D音響」だったんですネ。アトモスなんて自宅じゃ到底無理ですから、11chもしくは9chの立体音響が家庭(全ての一般家庭とは言いませんが)でも設置できるようになれば、スマホやタブレットの「0次元的な小ささ」を改めて認識する‥‥のにネ。でもまあ、立体音響もコンテンツありき‥‥ではあります。

2014年春のApple製品

新型MacProが発売されたものの、iMacやMac miniはそのまま放置状態の、今のMac製品群。

Mac Proは「後々の事」を考えると、最低でも6コア&4GBビデオメモリが欲しいですから、その時点で40万越えが確定します。さらには500GBのシリコンドライブでは容量が足りませんから、何らかの外付けドライブが必要になります。内蔵SSDは容量を増やしても運用上はほとんど意味がないので、おそらくPegasus2などのThunderbolt2外付けHDD箱を増設する事になるでしょう。その時点でさらに15万くらい加算(Thunderbolt2の4発の箱+HDD4つ)されて、なんだ、Mac Proはまともに映像を作ろうと思うと、Mac Pro本体+HDDで60万近い出費が必要になります。もちろん、2.5〜4Kのモニタが既にあるものとして‥‥です。

きっついです。8コア、12コアをあきらめても、60万の出費が必要だなんて、個人じゃ簡単には買えません。そしてその60万の環境は、2年後には特筆すべき点のない「特に速くもない」凡庸な環境と化しているでしょう。コンピュータの宿命ですからしょうがない事だとしても、個人購入の視点ですと「そんな残酷な」‥‥と思います。

じゃあ、iMacやMac miniだとどうか、と言うと、まずMac miniは1年以上性能アップしていない放置状態なので、少なくとも今買うのはNG。で、iMacならどうか‥‥というと、iMacはモニタの調整がしづらいので、ぶっちゃけiMacのモニタは「色は見ない(色彩チェックには使わない)」サブモニタにしかなりません。つまり、Thunderboltコネクタに別購入のモニタを繋げて、それをメインモニタにする事になります。ですから、27インチの大きさはサブモニタ用途では過剰となり、21.5インチのほうが都合良い‥‥のですが、21.5インチモデルのGPU(ビデオの処理ユニットですね)は1GBで打ち止めなので、これまたすぐに役不足になることはハッキリしています。

つまり、今のMac製品群は、個人が映像制作環境を整えるには、何ともやりずらい状態です。

だからといって、Windows勢もさほど状況が変わるわけでもないようです。Mac Proと同じ構成を目指せば、やはり同じくらいに高額な出費を余儀なくされますし、低価格モデルは低価格ゆえに映像制作にもともと不適合だったりします。

おそらく、個人が2〜3年のサイクルで機材をリプレースできる限度額は、20〜30万前後だと思いますから、今のMac製品群ですと、iMacかMac miniにならざるを得ない‥‥すよネ。でも、その2製品が2014年4月現在では、映像制作用途では何だか中途半端な性能です。
*ちなみに、個人で制作環境を「ちゃんと使える性能」に維持する為には、月1万の「マシンリプレース用積み立て金」が必要だと言う事、ですネ。

WWDCは6月か‥‥。どうなる事かの。

私は自宅ではMac miniで4Kとか色々やってますが、2014年の現在に2012年秋に買ったのと同じ性能のMac miniを買うのは、正直イヤな感じです。何が理由かAppleの内情は解らないですが、滞った状態のラインアップを買う気にはならないス。‥‥もういい加減、Mac miniを性能アップしてほしいですが、実はMac miniごとサクッとラインアップ削除されたりして‥‥。

そんな怖さのある企業が、Appleなのです。

 

実写からのフィードバック

現在の私の仕事は、日本のアニメだけでなく、実写なども手がけております。さらには、実写ともCGともなんともジャンルの言い表し難いもの(例えばドキュメンタリーのOPなど)も手がけており、最近やった実写作品の回想パートなどはこれまた説明しにくい「使える物はなんでも使う」映像制作を実践しました。まだ未公開作品なので、言及は控えますが‥‥。

実写のビジュアルエフェクト系・グレーディング系の仕事は、日本のアニメ制作では想像もつかないような内容が、わんさか盛り込まれています。アニメだと普通で何でもない事が、実写だとまるで段取りや作法が異なり、「アニメのようにはいかない」のです。例えば、今の日本のアニメは「レタス塗り」ゆえにマスクが超簡単にぬけますが、実写、とくにlogと呼ばれる一種のRAW状態の素材ですと、マスク抜きはあの手この手を駆使しないとうまく取り出せません。logとlinearの運用もアニメ制作から見ればかなり奇異に感じられますし(アニメだとlog自体が存在しないですもんネ)、物理的なカメラに由来する様々な問題にも臨機応変に対応しなければなりません。

そうした中でも、すごく基本的な、けれども、かなり大きな違い‥‥は、ショットとカットの捉え方です。日本のアニメはショットは事実上存在せず、いきなりカットの配列から思考がスタートします。シーンをいくつかのショットで捉えて、編集時にショットをカットして(切り取って)繋いでいくような実写的な段取りではなく、むしろ漫画のコマ割りに近い感覚です。「Cut=カット」という言葉をアニメでも使いますが、PC用語の「ログ=丸太」みたいなもので、Cutしていないけどカット‥‥なんですよネ。

アニメ現場のカット番号は基本的に行儀が良く、テレコ(カット配列の入れ替え)は数えるほどしか存在しません。ゆえに、カット番号でソートすると、ほぼ編集上のクリップ順と一致します。私の作ったパイプラインソフトウェアも、そのようなアニメ業界の風習に即したものでした。

しかし、実写はそれでは立ち行きません。ショットから切り出したカットが、編集のタイムライン上に入り乱れます。ショット番号から派生したカット番号の場合、001-01, 002-01, 003-01, 002-02, 003-02, 004, 003-03 なんて言うカット順になる事も珍しくありません。つまり、カット番号では安易にソートできないわけです。なので、私のパイプラインソフトも、カット番号〜「カットID」だけではなく、「編集ID」もプロパティに加えて、「カット番号に依存しない配列ソート」を実現できるように改良しました。

こうした実写とアニメを違いを経験して、「アニメと実写では色々違って大変だねェ」で終わらせるのは、ちょっともったいないです。私の準備している新しいアニメーション制作技法にも、広く活用できそうです。

私の考える新しいやり方は、「セット」を組むのがそれなりに大変です。一度組んでしまえば、「1秒間240フレームでも、いくらでもどうぞ」なんですが、足回りはそこそこ重く、実写や舞台のセット設営にちょっと似ています。

ですので、「似たような別カット」を乱発するのではなく、明確に「シーン」「ショット」で運用して、「カット」は編集時に持ち込む手法も、技法の1つとして準備しています。絵コンテ方式も今のまま存在しますが、一方、「字コンテ」による運用アイデアもあり、メインアニメーターがショットを図像に起こすフローも想定しています。

また、実写の「基本、1枚絵にビジュアル効果を加える」スタンスも、新しいアニメ映像に多いに応用可能です。情報量の多い絵は、実写と似たような特性を持ちますから、アニメ技法だけにとどまらず、実写の各種ビジュアルエフェクト・グレーディング技法を惜しみなく投入する事が可能です。その際、いちいち素材分けして重いプロジェクトでやり取りするのではなく、統合した1枚絵・QTでやり取りすれば良いので、運用の負担も少ないのです。実写の1枚絵からヒネりだす技法に慣れてくると、受け渡し時に「レイヤー別に」なんて、逆に受け取るのが面倒なのでイヤなんですヨ。

4K8Kのディテールの微細な絵を、1秒間48〜120コマのフルモーションで動かし、繊細な空気感を表現しようとする時、そこに必要な技法は旧来のタイムシートに記述するような映像技法ではなく、実写やイラスト、フォトリアル3Dと共通した「限定解除」の映像技法です。アニメ業界の作品作りが未来にどこへ向かうのか、私は予想がつきませんが、私の考える「動く絵のアニメーション」を作る時、実写ならではのドクトリンから学べる事は相応に大きいです。

他人はともかく、私自身はもはや、絵を動かすのに大量の中割り枚数(描き送り枚数)を必要とする、「中割り型アニメ」への関心を喪失しています。「中割り型アニメ」の良い点は充分に認知するところですが(だって、20〜30代と人生をかけて取り組んできましたから)、何か動きを発生させるたびに原動画のフローを踏まなければならないのは、映像内容的にも制作運用的にも限界を感じています。原動画ありきの「中割り型アニメ」に固執する事が、自ら、前方の視界を大きく狭めているように思うからです。

絵が動けば成立するアニメーション作品を、かたくなに日本式の原動画スタイルで発想する呪縛から抜け出るには、相応の長い時間といくつもの大きな衝撃体験が必要だった‥‥と振り返ります。だからといって、「実験アニメ」「アートアニメ」をやるつもりは毛頭なく、あくまで商業作品の態ですが、「アニメ作品=旧来からのセルアニメスタイル」という図式を一神教的に守り続ける必要性もないと感じているのです。実際、アニメとコミックの絵柄を比較しただけでも、大きな差がありますよネ。「セルアニメスタイルでないアニメは、アニメにあらず」というのなら、アニメと呼んでもらわなくても全然構わないですし、もはや、アニメ以外の仕事も多くこなしてきたので、アニメ業界コミューンの中じゃないと不安だ‥‥なんて事も無いのです。私の準備している技術・作品・作風は、ANIMEではなくANIMATIONなのかも知れません。

新しい方式はまだまだ幼く、頼りない事も多いですが、成長した後の姿を想像すると、「残り半分の人生をかけて育てていきたい」と思えるのです。今まで私が経験してきたアニメ技法だけでなく、実写技法や絵画技法からなる様々な養分を、新しい方式に与えていきたいと考えています。


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