魂!=手段

ネットの記事を読みました。コレ。

 

失敗を重ねる名門パイオニアが、”解体ショー”に突き進むこれだけの理由

http://blogos.com/article/328092/?p=1

 

パイオニアの凋落

http://blogos.com/article/325227/

 

 

考えさせられる事の多い記事です。「成功体験が未来の失敗の原因となる」というのは、まさに「デミヤンスク包囲戦」=「スターリングラードの悲劇を招く遠因となった成功体験」を彷彿とさせます。実はこの「成功体験の暗部」は、私がプロジェクトの立ち上げに関わる時にいつも念頭におくことでもあります。「成功体験に基づく自信」と「次がうまくいくとは限らない」という相反する思考は、プロジェクトのキーマンならば当然のように有すべきことだと痛感します。

 

「解体ショー」の記事でもう1つ気になるのは、「企業の魂」というフレーズです。

 

私も「魂を売るべきではない」という事自体には同感です。‥‥で、そこで「魂」という「言葉だけ」で「わかった気」にならずに、「では、魂とは何を指して表す言葉なのか」をちゃんと考えるべきでしょう。

 

パイオニアの部外者から見た、パイアニアにとっての「魂」とは、決して「オーディオコンポを売る」ことではなかったと、オーディオコンポ世代の私は思います。チープなモノラルラジカセとはまるで別世界の音楽体験こそが、オーディオコンポの魅力でした。

 

アウトサイダーである私が、パイオニアに期待するのは、「音」「映像」を「上質な体験としてユーザに提供」してくれることです。オーディオコンポやカーステレオやレーザーディスクは「単なる手段」に過ぎません。「手段」は時代とともに変化しますから、パイオニアに私が期待するのは、あくまで「素晴らしい音と映像をユーザにもたらしてくれる」伝道者のような役割です。そして、その「素晴らしい」という状況も時代によって変わりますから、常に「時代とともに歩む」意識が不可欠だと感じます。

*もちろん、「提供」「伝道」の対価はユーザが然るべき価格で支払います。タダではありません。例えば製品購入とか。

 

 

 

日本人って、「根本を解き明かして、始点から発想をチェンジする」ような取り組みが苦手な国民です。それはまさに、今のアニメ業界が雄弁に物語っています。

 

他業種の内情には詳しくないので、アニメ制作業で考えると、アニメ制作会社における「魂」って何だろう‥‥ということです。

 

紙と鉛筆を使い続けて、セルと背景を「撮影」する‥‥というのが、アニメ制作会社の「魂」なんでしょうかね? 紙と鉛筆をペンタブに置き換えることが「時代とともに歩むこと」なんですかね?


アニメ制作会社における「魂」とは、まさに「アニメ制作会社」なのですから、「アニメ映像作品」を作ること‥‥だと思います。少なくとも私は、そう思います。

 

そして、アニメ映像作品は、必ずしも、今までの技術やシステムや慣習で作る必要はないです。アニメを作ることが成就すれば、アニメ制作会社足り得ると私個人は考えます。

 

ゆえに、アニメ映像作品(=商品)が全世界の潜在的なユーザに対して、どのように「かけがえのない体験として提供」されていくのかも考えます。深夜に追いやられた日本国内のテレビ枠がアニメの最後の砦なんでしょうかネ??

 

アニメ制作者の未来の居場所は、世界のどこにあるのでしょう?

 

しかしながら、アニメ制作会社、フリーランス作業者、そしてアニメ業界は、あまりにも「手段に固執し過ぎている」ように思います。そして、「アニメ」を一意に考えすぎて柔軟性がほぼゼロのような状態にも思えます。慣習による行動を「自分の魂の発露」と思い込んで、惰性で未来を占おうとします。

 

つまり、アニメに対する「固着化した思考にもとづく手段」を、「魂」に同化させてしまって、まさに「解体ショー」に突き進んでいるように思えるのです。作監20人なんていう制作体制も、それが「何がなんでも作監の肩書きは必要。アニメの魂だ」ということになれば、自分の思考の内外で正当化もできる‥‥とういう仕組みです。

 

私自身はハッキリと自覚していますが、正直、「旧来のアニメの作り方は現代に合っていない。技術的にも、品質的にも、そして思考的にも、立ち遅れが酷い」です。それは各個人の人間としてのポテンシャルではなく、技術的思考の古さによるものです。

 

実際、旧来のワークフローや制作体制の作品に関わると、いくつもの新しい技術を封印せねばならず、とても暗いキモチになります。新しいことを受け入れられず、むしろ頑固になって殻に閉じこもる業界の体質に、先の見えない暗さを感じます。

 

 

 

アニメを作るプロとしての「魂」。

 

アニメーターなら、まず絵を描くこと。そして絵を動かすことです。決してタップ穴に固執したり、紙と鉛筆に固執することではないはずです。道具は、自分の魂を具現化するための手段です。決して魂そのものではありません。

 

アニメ制作でいえば、アニメ映像を作り出す、そのことズバリが「魂」でしょう。アニメ映像を作り出せるのなら、既存のシステムやワークフローや技術体系に凝り固まる必要はないのです。新しい時代の新しい技術をどんどん旺盛に盛り込んでいくべきと考えます。

 

家電メーカーの凋落を笑っていられるほど、アニメ業界の会社や個人は安泰ではないはず。むしろ、未来に対する無思考・無計画の酷さは、家電メーカーより遥かに上回るでしょう。限界アリアリの「原動仕美撮」に変わる未来の制作構造をどれだけ考えていますか? ノープラン? 今までやってきたことをやり続ければ良い? ‥‥それこそが凋落ド直球なのです。「未来はノープラン。今までやってきたことをやり続ければ良い。」を体現し続けてきた他の業種の企業が、どれだけ消え去ったか、枚挙にいとまがないです。

 

自分の「魂」、制作集団の「魂」とは何なのか。

 

道具が魂だというのなら、道具の衰退とともに、自分も消えていくしかないでしょう。

 

作り出す事自体が魂だというのなら、作り出すための道具と手段を変えていけば、存在し続けられるでしょう。

 

 

 

まあ、色々と悩みはつきませんが、楽観的に構えられる絶大な要素を、絵は持っています。

 

これだけ実写の媒体が身の回りに溢れているのに、なぜか、人は絵に惹かれる。絵は現人類誕生の太古から存在し、今まで滅んだことがない。

 

それだけでも、凄く、楽観的状況だと思うのですヨ。

 

あとは、その絵の「表し方」を、現代社会とともに考えていくだけ‥‥です。

 

 

 

*追記:

 

引用記事で「その後音響製品をベースに映像分野にも手を伸ばし、映像デジタル化の流れの中ではレーザーディスクを担いで参入。」とありますが、それは取材不足。‥‥というか、引用元は「ブログ」なので、取材というよりは知識の不足か。

 

レーザーディスクの映像データはデジタルではないですヨ。アナログ映像フォーマットです。アナログからデジタルへの移行は、時代を語る上でとても重要な要素なので、見落としはマズいです。記事の説得力がガタ落ちです。

 

まあ、パイオニアの内情は全く知りませんので推測の域を脱し得ませんが、もしパイオニアがあの当時(80年代)にいちはやくデジタル映像フォーマットのディスク&機器を開発・発売できるくらいの「イノベーティブ」な体質だったら、今のようなことにはなっていないかも知れませんネ。


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