感覚を数値で表すこと

ブログの記事を色々書いてて我ながら思うのは、私は小さい頃(小学5年だったと思う)からエレキギターを弾いて、兄の買ったプレーヤー寄りの音楽誌(機材記事や楽譜が載ってるタイプの)を読んでいた影響で、「ツマミの位置」=数値で「自分の好きな感じ」を表現することに、自然と馴染んでいたことです。

 

2018年の現代っ子ならいざ知らず、1967年生まれの私が、小学生でエレキなどを弾き始めたのは、自分の意思というよりは「家にエレキがあったから」=兄の影響なんですが、やっぱり、エレキギターや電気オルガン(電気でモーターを回して送風してオルガンの発音管を鳴らす)を弾いてたことは自分の「感覚」の大きな根本を成すように思います。‥‥‥でもまあ、絵を描き始めたのは小学校1〜2年なので、絵の感覚はもっと根深いですけどネ。

 

私がエレキを弾き始めた頃は、インベーダーゲームが日本で大流行しており、「自然界」系ではない操作系に、子供までハマり始めた世代だったとも思います。

*実は私はインベーダーゲームは当時やってなかったんですけどネ。‥‥小学校で「ゲームセンターへの出入り」が禁止されてたから。

 

当時に家にあったのは、グレコのレスポールのコピーモデルと、ELKというメーカーのアンプと、「D&SII」というマクソンのディストーションでした。

 

 

 

今、こうして、D&SIIを眺めると、「バランス」って何をコントロールしていたのか思い出せないんですが、色々とツマミの位置を変えて組み合わせて、一生懸命音を作ろうとしていました。ツマミが3つしかない‥‥と言っても、仮にツマミのボリューム幅を11段階だとして(0から10)、11の3乗=1331の組み合わせが存在しますから侮れません。まあ、実際は使う範囲は2〜10の9段階くらいなので、9の3乗で729通りくらいかな‥‥とは思いますけどネ。

 

エフェクターだけでなく、ギターのボリュームとトーン(といっても私は全て10のフルでしたが)、アンプのボリュームとBassとTrebleとファズ(時代を感じるね)が加わり、組み合わせのバリエーションは膨大です。

*ELKのアンプはトランジスタで、ボリュームの位置で歪みが変わってくることはなかったので、設定要素としては外しちゃっても良いとは思います。単なる最終の音量(マスターボリューム)でしかなかったから。

 

私が中学生になる頃には、CS01というヤマハのミニ鍵盤のモノフォニックシンセサイザーが三万円前後で発売され(破格でした)、友人が買ったこともあって、さらに「表現の数値化」に馴染んでいきました。シンセサイザーはまさに自分の欲しい音をアナログであれデジタルであれ「値」によって作り出す楽器でしたからネ。

 

CS01は今見ると必要最低限の構成のアナログシンセサイザーではありますが、自分の欲しい音を「より積極的」に「数値」で作るのに最適でした。

 

 

ちなみに、「アナログ」という言葉を、「データ化しない=アナログ」「電気や電子に頼らない=アナログ」「生身の人間=アナログ」という捉え方をする人はたまにいますが、非デジタルのディスクリートやICの電気回路による「アナログなデータ」「アナログ信号処理」は往々にして存在するので、「アナログの言葉の使い方がズレている」と感じることがあります。アナログでもめっちゃエレクトリック&エレクトロニックな事例は多いです。

 

話を戻して、私が中学卒業間際の頃は、いよいよ「デジタル」を体現するパーソナルコンピュータ〜廉価なMSXが発売される時代となりました。「人々のヒットビット」のアレです。

 

今では信じられないほどの超低スペックなコンピューターでしたが、私にとっては「ミュージックマクロ」という「シーケンサー的な」機能とFM音源との組み合わせにより、夢のような世界を提供してくれるコンピュータでした。‥‥が、やっぱり自分では買えず、友人のMSXを使わせてもらってマクロを打ち込んでいました。

 

そして高校を卒業してアニメーターになって、人並みチョイ以下くらいにはお金を稼げるようになって、「デジタルデータ」で楽器を制御する「MIDI」に突入します。MIDIに手を染めた最初の頃に買ったのは、TX81ZとMT-32とQX5でした。

 

 

 

 

MIDIは演奏をデジタルデータとして記録し(あくまで演奏の動作を記録し、音声をデジタル記録するわけではない)、再現することができました。

 

ノート(音=ドとかレとかミとか)を記録し、音の強弱や発音の長さを記録し(ppやff、レガートやスタッカート)、ペダル(ピアノのダンパーペダル)のオンオフを記録し‥‥と、人間が楽器を操る動作を細かく記録できました。

 

昔にもピアノロールという自動演奏システムがあり、ラフマニノフやマーラーが直に弾いて記録した演奏を再現して聴くことができますが、MIDIはピアノロールの現代版というべき機能を提供してくれていました。

 

MIDIはピアノの音色だけにとどまらず、様々な音色をマルチトラックで1系統16トラック(16チャンネル)まで重ねることができたので、頑張ればオーケストラ規模の楽曲も、当時の音源でショボい音ながらも作ることが可能でした。

 

でもそれはすなわち、大量の数値で音楽の表現を具現化することであり、絶え間ない「数値責め」に対して、「数値返し!」で負けずに応酬していました。

 

 

こうやって、書いてみると、自分は結局、コンピュータに馴染むべくして馴染んだ‥‥とも言えますが、当然のことですが、絵なり映像なり音楽を作っているときは、使っている道具がなんであろうと、数値なんて具体的には意識していません。信号のレベルオーバーなどを数値でイメージすることもありますが、頭の中が数値で動いているわけではないです。あくまで、生身の感覚です。

 

「数値ありきで表現している」のではなく、「表現を数値に置き換えている」のです。

 

「言い方が逆なだけじゃん」‥‥と、言葉遊びのようになってしまいますが、重要なことです。

 

表現が目的、数値は手段

 

‥‥という、「逆だったら絶対にNG」な極めて重要なこと‥‥なのです。

 

ですから、私は正確には、

 

表現のためなら、手段の数値化も厭わない

 

‥‥というだけです。決して、コンピュータのために映像を作っているのではなく、映像のためにコンピュータを使っているに過ぎません。

 

 

人には、目的よりも手段のほうが重要‥‥という人もいます。それはそれで構わないと思います。

 

鉛筆で絵を描くことこそ、自分の最愛の行為‥‥と言う人がいても、批判すべきことではないです。例えばショパンのように、ピアノという絶対的存在ありきで音楽を作り続けた作曲家もいます。

 

手段を優先しても、人の心を打つ作品は作れましょう。表現を極めさえすれば、です。

 

 

私は結果物に重きをおく人間だ‥‥というだけです。手段を変えるのは、さほど苦痛ではないです。必要なら率先して手段を変えます。

 

一方、商業作品制作においては、手段よりも結果のほうが重んじられますし、商業世界においては「時代性」も必要です。ゆえに、手段に固執するのは、あまり良い選択とは言えない‥‥とは思います。個人作家で特定のファンが多くいてビジネスが成り立つ‥‥という場合でもない限りは。

 

 

 

表現の数値化は、深刻に考えるとドツボにハマりますし、軽く考えるとハズしてダメだし、中々手強いです。でも、結局は自分の脳内のビジョンと「答え合わせ」すれば良いだけですから、キーフレーム1つ1つにビジョン・イメージを反映させていけば良い‥‥だけです。

 

でもまあ、表現の数値化を「ソフトウェアの設定した範囲」に合わせるのは、正直、面倒ではありますネ。

 

あと、現状のソフトウェア&ハードウェアの限界もあります。MIDIの強弱(ヴェロシティ)は0-127とショボいし、音源の表現力もよほど高い音源を買わなければ生の楽器には近づけません。映像においても、生の人間の視覚ダイナミックレンジは、現行のテレビ放送なんて目じゃないほど、鋭敏で繊細です。sRGBやRec.709のモサっとした濁った色彩で、よくず〜っと今まで我慢してきたと思うほどです。

 

なので、私は、4K60pHDR、8K120pHDRなんて聞くと、夢がどんどん広がるんですよネ。

 

 

 

 

 


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