それぞれの道

ここ数日色々書いてますが、結局は、表題の通り‥‥ですよネ。自分で自分の将来の道を選択して進むしかないです。それが個人であろうと、作業集団であろうと、会社であろうと、業界全体であろうと。

 

私がこのブログで書いている未来の道や方向性は、ひとつの選択肢に過ぎません。昔ながらのアニメの作り方が良いと思う人は、その思いが成就する産業スタイルを模索して進めば良いのです。私も、自分の新しい制作技術に対して、妙な全体主義をブチまけるつもりはなく、むしろ「レッドオーシャン」にならない程度の規模で収めていくのがベストであるとすら思っています。

 

要は喰えない職業から脱却すること。アニメ制作事業が、「未来の設計ができる職業」「親御さんがYESと言ってくれる職業」「自立して生活できる職業」になる‥‥とでも言いましょうか。

 

その状況が成立できるのなら、70年代スタイルで続けても何ら支障はないわけです。でもまあ、70年代スタイルだと2020年代にはあまりにも不適合な要素だらけゆえにそもそも「喰えない状況から抜け出せない」ということを何回も書いているわけです。‥‥でも、私の思いつかない、70年代スタイルのままを現代の労働基準をクリアして成立させる方法があるのなら、それを知る人が自信をもって実行すれば良いんだと思います。

 

 

以前、西陣織の継承者の話題を見かけたことがあります。これです。

 

https://togetter.com/li/1090731

 

引用〜

将来的に仕事にしたい方を募集します。ただし最初の半年は給与的なものも出ませんし、その後の仕事を保証はできません。

〜引用終わり

 

何と言いますか。今のアニメ現場の状況に似たものがありますね。最後のほうまで読むと、伝統の技術が現代社会の中でどう生き抜いていくかの難しさも垣間見えるようです。

 

 

思うに、人材を雇用する、登用するということは、その人間を使う側のリスクも求められわけです。同時に、人材を見抜く能力も、その能力を現代のビジネスに繋げていくしたたかさも、‥‥です。

 

誰でもいいから来て。教えることは教えるから。

 

‥‥なんていうのは、何とも終末的な人材活用です。技術職の求人は、学校のクラス分けとはまるで違うのですから、「誰でも」なんていうわけにはいきません。雇用する前にキッチリ能力を見極める必要があり、高い技量と経験と見識が、採用試験官側にも求められます。試験官のレベルが低いと、現場のレベルもどんどん低くなっていくのを、‥‥まあいいか、これは。

 

人材の流れに変調があらわれるのは、「産業そのものが時代性と錯誤している」「就労状況が現代生活に適応しない」など色々あるでしょうが、ヤバい流れであることには変わりないです。現在のアニメ制作は、「現代生活に適応しない」点で色々と指摘され始めてますネ。

 

ただねえ、人を雇う‥‥ということを、軽く考える場面は、よく見かけます。当人の人生にとっても、会社の未来の発展にとっても、大事なことなのに‥‥です。

 

人材を雇用するということは、雇用する側も多大なリスクを背負う覚悟が必要なのです。なので、将来にエースやチーフになれない人材を「合格」させるなよ‥‥という話です。最低限の見極め、つまり、鳥は鳥、魚は魚であることを見抜かないとさ、魚に空を飛べって言ったって、トビウオくらいにしかなれんじゃないか。

 

「合格」させたなら、「技術職の合格」に見合うだけの、当初から処遇・待遇は必要だと思います。しかし、「将来のエース候補の成長見込みで合格」ではなく、「とりあえず雇ってみるか」的な軽い考えで採用する側も迂闊でいるから、「時給200円相当」とか「月給6万円」とか、「半年稼ぎなし」とか、「仕事の保証なし」なんていう文言が並ぶのでしょうけどネ。

 

私は少数小規模の現場を目指しているので、特にその辺に神経質なのだと自覚します。「とりあえず」だなんて軽い判断で雇用したら、少数小規模で高効率高技術の現場なんて成り立ちませんもん。高品質を実現できない現場は安く買い叩かれて、結果的にスタッフに安い賃金しか供給できません。

 

高い技術力と生産力を持つ人間には、高い報酬が与えられる‥‥という当たり前のメカニズムを実現するには、無料で教えるから、無報酬で‥‥なんて言ってたら全くもってアウトです。それじゃあ「アマチュアのたしなみ」の言い草です。現場を維持する側は、相応のリスクを背負うことになりますから、雇用した人材は是非ともエースに成長して「技術の砦」になってもらう必要があります。その「砦」で技術集団は技術開発と効率向上だけでなく、利潤を追求する戦いもするわけです。

 

 

私の長い現場経験での認識なのでハッキリと書きますが、現場のために人材が必要であるのと同時に、全く等しいレベルで、人材のために現場が必要でもあるのです。

 

現場と人材は全くのEVEN、等価なのです。

 

人材が快活豪快にアクションできる現場を有し得なければ、人材は単に消耗品になり下がります。

 

現場のための人材、人材のための現場‥‥という相互等価の条件が成立してはじめて、空間と人間を「かけ算」して組み合わせることができます。

 

もし、現場のためだけに人材が必要‥‥だなんて思っているのだとしたら、その現場は「人が足りないから人を増やして足し算、人が辞めていったから引き算」なんていう稚拙な演算を繰り返すだけです。能力が冪演算的に増えていく状況など夢のまた夢です。

 

 

しかしまあ、そういう人材雇用の考え方の根本も、結局は「どんな道を歩むか」というリーダーの考え方に起因します。

 

もしかしたら、

 

「人とは無能力な存在である」

 

or

 

「人は何らかの能力を有している」

 

‥‥という相反する考え方の違い、人それぞれの「人間の根本に対する捉え方」の違いが、道を進む上で作用したり、人材雇用にも影響したりするのかも知れません。色々な事例を見ていて、そう思います。

 

現場のリーダーが「人に対してあきらめている」ような性根を持つのなら、現場も相応に「あきらめたような現場」になると思いますヨ。「足し算だけを期待する現場」とでも言いましょうか。「10の能力を持つ人間を雇用したのだから、10の成果が期待できる」なんて考える現場。

 

でも、未来の日本の人材活用って、そんな単純軽薄な足し算引き算では、成り立っていかないと思うんですよネ。特にアニメにおいては。

 

「10の能力を持つ人間が、現場で、違う10の能力を持つ人間と交差して合力した場合、結果的に10x10=100のポテンシャルを発揮する」というような現場を作っていくべきです。

 

ハイスペックな機材設備の現場に、凡人を数だけ揃えて座らせても、安PC程度のポテンシャルしか発揮できません。逆に、高い技量を持つ人間を、タコ部屋みたいな場所に詰め込んでも、個人の能力だけで采配する作業に徹してしまい、機材設備やネットワークを活かして高い技量をさらに高度な技術へと拡張することはできません。

 

ハイスペックな機材設備の環境空間に、高い技量を持つ人間たちを配してネットワークし、足し算では不可能だった「かけ算の事業」を成し遂げる‥‥というのを、手が届く理想として掲げていくべきだと、少なくとも私は思います。

 

 

でもまあ、そんな理想の掲げ方も、結局はそれぞれの道。

 

2020年代に向かって、どんな分岐路を選択するかは、各人の自由です。

 

自分で、「これでうまくいく」と思う方法を選択して進むだけです。

 

今までの方法でうまくいくとおもうのなら、そのまま続ければ良いし、新しい方法じゃないと生き抜けないと思うなら、新たな道を進めば良い。ただ、それだけのこと、ですネ。

 

 

 



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