ずけずけと未来を

「アニメの仕事は、産業として成立していない」とは、よく耳にするフレーズです。で、その次に展開される論調は「単価が安すぎる」「時給換算で安すぎる」‥‥です。

 

もういい加減、気がつくべきだと私は思っています。そういう論旨にゴールはない‥‥ということを。

 

仮に、作業単価が今の倍になったとしても、問題は解決しないと思うからです。むしろ、余計に「火に油を注ぐ結果」「傷に辛子を擦り込む結果」となるでしょう。私は「単価が安いからダメなんだ」なんていう近視眼的で全体を見渡せていない論調になど、一切加担したくないのです。ぶっとばしで雑な作業をする人間や簡単なシーンを担当する人間だけが余計に稼げるような構造ができて、一層悲惨で絶望的な状況が生み出されるだけです。

 

今までのアニメの作り方は、もはや総体として、2020年代の産業として成立しないのです。

 

 

日本で何が一番金がかかるか?

 

前回も書きましたが、「空間」‥‥場所、土地、占有する面積です。

 

そしてもうひとつ、同じくらい金がかかるものがあります。それは「人間」です。

 

つまり、2020年代を間近に控えた現代において、「空間と人間」を最大限活用できない産業は、どうやっても苦しい立場に追い込まれるのだと思います。1970年代の「空間と人間」の使い方が2020年代に通用すると思っているのだとしたら、かなり「おめでたい」思考です。「アニメだから時代錯誤が許される」とでも言うのでしょうか。

 

2020年代の「空間と人間」に、「時間」という要素を与えた時に、何が創出できるか‥‥が、最大のポイントでしょう。

 

私は、

 

空間 x 人間 x 時間

 

‥‥という掛け算によって、まずは技術を生み出し、その技術によって作品・商品を生み出すメカニズムを作りたいと考えます。要素は決して「足し算ではなく、掛け算に」する必要があります。

 

「掛け算の演算子」を体現するのは、まさにコンピュータやネットワークです。概念的な表現になりますが、要は、

 

空間コンピュータ人間コンピュータ時間 =技術

 

技術ネットワーク技術ネットワーク技術ネットワーク技術 =作品・商品(産業)

 

‥‥というイメージです。

 

2020年代を間近にした現代、空間と人間と時間を繋ぎ合わせる演算子はコンピュータとネットワークであり、それはアニメ制作でも同じです。

 

 

 

旧来のアニメ制作システムは、はたして、空間と人間と時間を有効に活用できているでしょうか。

 

はっきり申しましょう。活用できていません。

 

空間と人間と時間を甚だしく無駄に使い続けて、現代社会の技術革新を無視し続けて、でてくる言葉は「金がない」「時間がない」「働いてて厳しい」‥‥だなんて、窮状の自作自演です。

 

1970年代には有効だったメソッドは、2020年代に有効でないばかりか、むしろ、諸悪の根源とすら言っても言い過ぎではないのではないですかネ。

 

空間と人間と時間を有効に活用できない現場で、新人の動画マンが喰えないだなんて、よ〜く考えてみれば、あたりまえじゃないですか。母体そのもの、旧来システムのアニメ産業そのもの、現場そのものが、効率の極めてマズい大問題を抱えたまま、現代社会に居心地わるく居続けているわけですから。

 

空間と人間と時間を有効に活用できない古い意識で凝り固まった現場で、新人の作画スタッフが喰えるようになる状況なんて、永遠に実現しないんじゃないですかね。

 

 

 

ですから、「アニメは産業として成立していない」というセリフのあとに、「単価がどうだ」「就労の状況がどうだ」と言っても、甚だ的外れなのだと思います。

 

「アニメは産業として成立していない」というのならば、「昔からのアニメの作り方そのものが現代社会に著しく適していない」というべきでしょう。そこを見据えない限り、井戸端会議で「最近厳しいよねえ」と愚痴って憂さ晴らしするだけのことです。

 

状況がひどいと言いながら、その状況が何によってもたらされているかを解明しようともせず、アニメを産業としてゼロから作り直す気概すら持たず、「辛い」「誰か助けて」なんて言い続ける茶番に付き合い続けたい‥‥でしょうか。

 

しかし、ひとたび、旧来の現場に入り込んでしまうと、「辛い」「誰か助けて」と言い続ける自分に成り果てていきます。旧来の現場が、抜け出すことのできない永遠の居場所のように、どんどん自己洗脳にハマっていくのです。アニメを作るには、この方法とこの場所しかないんだ‥‥と。

 

私はイヤですね。そういうのは。

 

 

まあ、だから、最近、エドワード・ヴァン・ヘイレンを思い出したのかも知れません。自分ながら。

 

「ダメだったら弾き方そのものを変えちゃえばいいじゃん」「ギターなんて作り変えちゃえば良いじゃん」

 

過去の様式に縛られ続けて、いつまでもウジウジウジウジ悩んでこねくり回すんじゃなくて、今、手元にある道具と自分のアクションで変えていけば良い。

 

エドワード・ヴァン・ヘイレンの演奏は、今聴いても、パワフル至極でポジティブ、プラスイメージのベクトルに溢れています。改めて聴き直すと、「この凄まじい勢いって、何なんだろう」と、新鮮にすら感じます。音楽に対する、あけっぴろげなまでの楽しさが発散されています。

 

等しく、アニメを作るのは正直楽しい。根本的に痛快で快感的です。だって、自由に思い描いたキャラや情景が動いちゃうんですから。‥‥それを、なぜ、昔作ったアニメ制作の様式に固執して、苦しい作業にどんどん落とし込んでしまうんでしょうかネ。完成したアニメ作品そのもに、現場の阿鼻叫喚がじっとりと呪いのように染み込んで、表面的な明るい色彩のキャラの奥に、水カビ・黒カビのような暗さが見え隠れするのを、まさに映像そのものから感じ取れませんかネ?

 

現代には、現代のアニメの作り方があるはず。

 

 

 

「アニメは産業として成立していない」??

 

だったら、2020年代の現代に、改めて、産業として成立するように、アニメを「再発明」しましょうよ。ジョブズっぽい言いまわしですけど。

 

今必要なのは、しゃがみこんでセンチメンタルに傷をツツくことではなく、立ち上がって多少荒々しかろうと新しいフィールドにずけずけと乗り込んでいくこと‥‥だと思います。

 

 


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