家計簿のゆとりちゃん

「ゆとりちゃん」って、アニメにもあったんですね。2019年現在、検索にかけると、アニメのほうがひっかかります。

 

私が前々回で書いた「ゆとりちゃん」はコレ。

 

 

画像荒いなー。

 

アマゾンの表記によると、販売開始が1999年とのことです。MacOS、PowerPC全盛のころですネ。

 

このソフトだけのために、2000年代の後半まで、MacOS9で動作するマシンを保持していました。OSXに他が全部切り替わった後もネ。

 

マムレターも途中でふにゃふにゃになり(VM ware Fusionのバージョン移行時にデータを喪失しました)、挫折していた数年ですが、来月からはクラウドの会計ソフトを始めます。

 

 

 

私は意外に、細かい操作が必要なシムシティとか戦略シミュレーションが好きなので、実はそんなに家計簿付けは苦にならないようです。かつて「野人」「獣」と呼ばれた自分でも驚きですが。

 

人間の一生って長いな、果てしないな‥‥と思っていたら、もうアラウンド50。

 

今年は、身の周りを一旦整理して、これからの時間の使い方を大幅に見直そうと思っていた矢先に、クラウドの会計ソフトがかなり良いと聞いて、時間だけだなく、お金も含めた運用方針を心機一転して実践しようと思います。

 

アニメーション映像制作の事業も、自分の事業も、これからは広げた風呂敷の上でどう展開するか‥‥ですネ。広げたのに、何もしないで畳むのは、アホみたいですもん。

 

松本零士調ですが、「限りある命を大切に」です。

 

 


ボールペン

私は、万年筆に関しては「定番」と呼べる銘柄を自分の中で確立しているものの、ボールペンに関しては半世紀を生きても不定です。使おうと思うと、インクが出ない‥‥という体験が多く、どの会社のどの製品が信頼性が高いのかが、未だによくわからないのです。

 

もちろん、万年筆もインクがでないことはしょっちゅうですが、理由もわかりますし復活方法も手馴れているので、頼れる製品は定着しています。私はペリカンが好きで、ラミーのカリグラフィ用も使いますが、日頃使いで一番信頼しているのは、何と言ってもプレピーです。

 

 

 

1本単体だと300円くらいの「安い万年筆」ですが、しばらく放置してたまに使う程度でも、まるでサインペンのようにいつでも書ける!

 

私はペリカンやラミーではコンバータを常用していますが、その理由は頻繁にインクの水分が揮発して書けなくなるので、「ちゅう〜」とインクを吸って復活させる必要があるからです。カートリッジだと不経済なのが理由です。まあ、毎日使う人こそ万年筆が似合うのでしょうけどネ。

 

しかし、このプラチナのプレピーは、どういう技術かよくわかりませんが、万年筆なのにインクが乾いて書けなくなることがないです。書き味だって、普通に万年筆です。なので、万年筆のインクをさっと使いたい時は、メンテが不要なプレピーを使うことが多いです。

 

 

 

「消せない文字」用途なら、プレピーで決まり!‥‥のように思えるのですが、「複写」が必要な場合は、万年筆には全く不向きです。万年筆の筆圧では、複写は無理ですもんネ。

 

なので、プレピーのように、いつでも確実にインクがでるボールペンを常備したいと思っています。

 

携帯用はステッドラーのアバンギャルドを愛用していますが、だからといって、頻繁に鞄から出して使っていると、外出した時に鞄に入ってない!‥‥なんてことを、私はやってしまうのです。そういう些細な場面での管理能力が私は異様に劣っているので、携帯用は携帯用として鞄に定着させたいです。

 

机に常備するボールペンで、確実にいつでも使える製品はないのか。

 

最近、「加圧式」という何やら「インクの推しの強そうな」ボールペンがあることを知り、試しに買って使っています。

 

コレ。その名も「エアプレス」

 

 

 

書いた感じは、特に「エアプレス」を感じるものでもなく、至って普通です。耐久性も長く使ってみないと判らないので、まずは数ヶ月間〜1年のんびり使ってみようと思います。

 

濡れた紙にも書けるというのは、凄いですね。‥‥まあ、そういう場面があるかは別として。

 

 

 

 


イレブンセレブン

‥‥とは、私の父が独自に編み出した「セブンイレブン」の別名ですが、最近、会社の近くに新規で店舗が出店しました。会社の近くには、セブンイレブンがなくて縁遠かったのですが、会社の建物の前の道を突き当たったところに、突如出現した煌々と輝くコンビニは、何だか神々しくさえ思えますネ。今まで夜になると、暗かったもんな。

 

私が小さい頃は、コンビニは存在しなくて、夜は静寂そのものでした。小学3〜4年生くらいの時に、自分専用の自転車に乗れるようになったことが嬉しすぎて、朝の3〜4時くらいに自転車で町を走る‥‥という、今考えれば「妖怪」みたいなことをしていた時期があります。怖いだろ‥‥普通。子供が真夜中に一人で自転車で走ってたら。

 

でもまあ、ルックはともかく、深夜の町は昼とは別世界で、まるで異世界を垣間見るようで楽しかったのです。

 

そんな時代にセブンイレブンが出現した時は、朝の7時から夜11時までやってるお店そのものに、皆驚いたものです。

 

そういえば、牛丼の吉野家が初めて町に現れた時も、「牛肉」の文化があまり発展していなかったので(もしかしたら、ウチだけ?)、牛肉のメニューを安い値段で食べられること自体が新鮮でした。牛丼は「うる星やつら」にもあるように(‥‥って、アニメだけの話か)、男子生徒から大人の男に至るまですっかり馴染んで、高校生になる頃は友達とよく食べてました。

 

ちなみに、私の牛丼の食べ方の定番=紅生姜をしこたま入れて、七味もいっぱい振って(牛丼屋さんの七味は辛味が弱い)、溶き卵を絡めて食べる方法は、バンドでドラムを叩いてた親友の食べ方がそのまま根付いたもので、おそらく今後もずっとその食べ方をするでしょう。最近はさらにアレンジを加えて、お新香も加えて「野菜牛丼」にして食べてます。‥‥塩分過多なような気もしますが。

 

私の子供時代の町に現れた最初のセブンイレブンも吉野家も、今でも場所を思い出せます。ただ、吉野家は閉店してしまって、美容院か何かに変わってました。

 

セブンイレブンの24時間営業の是非が、話題になっていますよネ。ちょっと前には、ファミレスの24時間営業の是非も問われ、24時間ではないファミレスのほうが多いくらいになりました。深夜2時までの営業を打ち切って、24時で閉店の店も増えました。今後は、もっと増えるんでしょうネ。だって、人間は減る一方ですもんネ。

 

24時間営業という形態が、実はベビーブームのビッグウェーブに乗って栄えて、ビッグウェーブが岸にたどり着いて反転して去るとともに、24時間の業態も沈静化したと思える今日この頃。

 

人の量の多さ。

 

巨里の1980年代の映像と、2010年代の映像を、YouTubeで見ると、その変わりようにショックを受けます。

 

 

 

 

私は80〜90年代の清里には行ったことがないのですが、80年代映像に写っている人の量・車の量は、段違いに多いですネ。

 

遊園地も海水浴場も、イベント会場的なところには、同じ世代の子供(若者)がいっぱい集まっていて、そうした光景がベビーブーム世代前後のデフォルトなんですよネ。

 

ベビーブーム世代の年齢が移行すれば、流行る商売も推移する‥‥のは、考えてみれば当然のことでしょう。

 

2000年代に(2003年くらい?)、イメージボードの仕事の取材で、閉園寸前の「高崎・カッパピア」に行ったことがあります。客はまばらもまばらで、係員の人が後ろを追うようについてきて、「もし乗り物に乗るようなら」電源を入れて乗り物の操作をするような状態でした。お客がいないので、乗り物を常時稼働する必要がないわけです。

 

寂しかったですよ〜。まさに「ベビーブーム、夢のあと」という感じで。

 

1970年代は、夏ともなるとカッパピアのプールは「芋洗い状態」だったとか。‥‥たしかに、海水浴場でも、東京近場の海水浴場は、信じられないほど人で溢れていて、とれとれぴちぴち大漁丼みたいで「うわぁ、海水が見えない」(ちょっと盛りすぎか)くらい子供と親とカップルで溢れていました。

 

そういえば、今って、「フィーリングカップル5x5」とか「ねるとん紅鯨団」のような、恋愛バラエティみたいな番組ってあるのかな。

 

ベビーブーム世代の成長に合わせて、カッパピアのような遊園地から、清里のような若者向け観光地へと、ビッグウェーブが移動して、今は40〜50代となって、何が波に乗ろうとしているんでしょうネ。

 

 

 

 

まあ、このCMは爽やか路線ですが、映画「その男、凶暴につき」を見ると、同じ時代の「闇」というか「不安」「絶望」も感じることができます。

 

ベビーブーム世代にとって、「人生の終わり」、つまり「死」のニュアンスがリアルになった時、もしかしたら「その男、凶暴につき 2」みたいな作品も作られるのかも‥‥知れませんネ。

 

 

 

2度と戻らぬ昔を懐かしむのも、ほどほどにして。

 

せっかく、セブンイレブンが近くにできたのなら、色彩設計さんから教えて頂いたセブンレイブン&中本のカップ麺を食わねば。

 

 


パスポート10年。

パスポートに2種類あるのを、最近まで知りませんでした。

 

日本のパスポートは、日の丸の赤をテーマにして、赤いパスポートだけだと思ってました。「5年は青で、10年が赤」と言われて、今さらながら気がつく次第。

 

なので、期限が曖昧な場合は、パスポートの表紙の色を思い出せば、大まかに期限切れか否かが判断できる‥‥みたいですよ。

 

私は生涯今まで、パスポートを使ったのは3回だけです。なので、ほとんど何も知識がなくて、前回使った日時も忘れて、てっきり期限が切れていると思ってたら、2024年までは使えるみたいで「面倒な手間と出費」がなくてちょっと安心しました。

 

思い起こせば、赤以外のパスポートを持ったことがないので、結局は10年パスポートしか持ったことがなかった‥‥のですネ。手続きに必要な金額の差額が、5年と10年で2倍になることはなく、割安なので、赤い10年パスポートをたまたま毎回取得したんでしょう。

 

 

昔よりは面倒や手続き時間が減ったとは聞きますが、戸籍の書類が必要だったり、管轄の都府県別の窓口に出向いたり、写真を自前で用意したり、意外に申請手続きと取得に1万円(12000円と16000円くらいだったはず)以上かかったりと、やっぱり段取りは面倒です。

 

ちなみに私は、記載の顔写真を、自前で無地のふすまの前で三脚を立てて自撮りして、高画質光沢紙に印刷して提出しました。実寸の寸法が規格を満たせば良い‥‥との事なので。

 

照明が窓外の自然光のみでクオリティにやや難があったのですが、Photoshopで光量不足を補ってレタッチしてプリントしたので、なんとか受理されました。「顔の寸法は頭頂からあごまで32mm〜36mm」との規格をキッチリPhotoshopで合わせて印刷したものの、「イマイチ、写りが悪い(=不鮮明)」みたいな小言は窓口で言われましたけどネ‥‥。今度申請するときは大人しく専用のソリューション(写真を撮るボックスとか)で処理しよう‥‥。

 

 

どうせパスポートがあるのだから、プライベートで使ってみたいとは思うものの、海外旅行をする時間など今はないですし、まずなによりも言葉の壁をブチ破る度胸がないです。行ってみたい国や都市や街や村はいっぱいあるんですけどネ。

 

 


言語のススメ

例えば、日本語を喋る時、日本語で文を書く時、単語や接続詞の意味を1つ1つ辞書で調べて話したり記述したりするでしょうか。もちろん、誤用を避けるために辞書で改めて調べることはあるでしょうが、文を生み出す段階で既に頭の中では無意識に日本語で動作していますよネ。

 

プログラム言語も同じように、文を書いている時は日本語など介在せず、プログラム文で思考します。音楽を演奏する時も、日本語など介在せず、音の言語〜多くの場合12音ですが〜が脳内で処理されます。絵を描く時もいちいち絵の要素を日本語で発音し直すなんてことはしませんよネ。

 

例えば、エクスプレッションで言えば、「thisComp」を用いる時、わざわざ「このコンポジション」なんて脳内で日本語に訳しません。コンプアイテムのオブジェクトを直にまさぐって、あーもして、こーもして‥‥と、プログラムの構成イメージが頭の中で組み立てられます。

 

つまり、何かの言語を習得するということは、その言語ネイティブの言語領が脳内に形成される‥‥ということです。翻訳などいちいち挟みません。エクスプレッションにしてもスクリプトにしても、オブジェクトやプロパティや制御文が頭の中でネイティブにイメージされます。

 

私は高校時代にMSXのミュージックマクロだけは書いてみたことがありますが、本格的にプログラム言語を覚えだしたのは27歳くらいの頃です。今思えば、ギリギリ間に合った‥‥と思います。新たな言語を、後付けではなく、ネイティブに吸収するだけの柔軟性がまだあった頃‥‥ですからネ。

 

時間は等価ではなく、本人の年齢の推移によって、時間の価値は大きく様変わりします。10〜20代の真綿のように吸収力のある時間に、言語は習得するに限ります。残念ながら歳をとってから覚えられることはあまり多くないのです。若い頃にじゃんじゃん習得して溜め込んで、歳をとってからはその蓄積した技術と経験を体系立てて活用するフェイズに転ずるのです。

 

つまり、若いうちにどれだけタネをまいておけるか‥‥ということです。基礎や基本をマスターして、今後の自己発展に必要な区画を広げておけるかです。

 

 

 

自分の勘や感性に頼っていくだけだと、やがてどこかで越えられない壁にぶつかります。器用さだけで通用する期間はやがて終焉を迎え、何らかの言語化・体系化が必要になってきます。

 

それができない場合はどうなるか‥‥というと、慣習をテンプレート化して定型の決め型だけで生き延びることになります。例えば「歩きは中三枚」とかネ。いわば暗記モノ、手グセのようなものに頼って、その後の人生を歩むことになりますが、おそらく、40代後半からはそうした惰性や慣習も通用しなくなるでしょう。

 

では、自分の中に自分なりの言語体系を構築するにはどうすれば良いか。‥‥様々な他の言語の体系から学んで取り入れれば良いのです。体系化など1度も意識的に取り組んだことのない人間が、ぶっつけ本番でオリジナルの言語体系を作れるはずもないのです。先人から学べば良いのです。

 

 

 

前回で中学時代の自分を思い出したついで‥‥ではありますが、「ギターコード」の仕組みを解き明かそうと思ったのも、中学時代のことでした。

 

当時、「明星の歌本」というのがありまして、要は流行していた歌謡曲の歌詞とコードで構成された簡易なコード譜だったのですが、私を含め同級生はみな、コードが出てくるたびに巻末のコード一覧表でギターの指のポジションを調べながら、コードフォームを暗記してギターを弾いていました。

 

巻末にはほぼ全ての使用するコードのポジションが網羅されてはいましたが、たまに掲載されていないコードもあって、そういう場合には皆、いきなり頓挫して弾けなくなるのです。

 

C7 9

C7#9

C7-5

 

60〜70年代のフォークや歌謡曲は、上記のようなテンションノートを使ったコードはほとんど使われず、シンプルで弾きやすかったのですが、80年代に入ってロックやジャズ、フュージョンの影響が歌謡曲に入り始め、メジャーやマイナーやセブンスなどのシンプルなコードだけでは太刀打ちできなくなってきました。Cメジャーで言えば「C, F, G7, Am, Dm7, Em」だけでは弾けない曲が70年代後半からどんどん増えてきました。

 

「巻末のコード一覧に出てねえよ」で諦めるのも道の1つではありましたが、私は「知らないコードが出てくるだけで弾けなくなるのは悔しい。そもそもコードの記述には何らかの法則や意味があるだろうから、その法則を知ればどんなコードでも弾けるようになるはずだ」と思いました。

 

コードの仕組みを調べるうちに、法則や決まりが徐々にわかってきました。例えば、Cだけの記述はトライアド(なんて言葉は当時知りもしませんでしたが)=ドミソで、C7はシのフラット(フラットであることが曲者ですが)=ド(Cメジャースケール・ハ長調音階の第1音)から数えて7番目の音を足す、C7 9ならドから数えて7番目と9番目の音を足す、後は#9も-5も同じ手順です。+はシャープを意味し、-はフラットを意味します。ですから、C7#9はC7+9と書いても良いし、それで奏者に伝わります。「7+9」の響きは60〜70年代のロックでは定番中の定番ですネ。

 

「C on E」などのオンベース、「F/G」などの分数コードの意味、sus=サスペンデッド=ぶら下がった‥‥という独特な言い回しなども含めて、「なるほど。コードというのは、実は使いこなせば、簡素な手段で結構細かいニュアンスを伝えられるんだな」と思いました。根音(一番下の低音)も含めて結構具体的に表記できるんだと判ったのです。

 

そうしたことがきっかけで、楽典音楽通論、作曲法にも興味が湧いて、1オクターブ12音で構成される西洋由来の音楽の仕組みが徐々にわかるようになっていきました。つまり、西洋音楽の言語体系です。

 

 

 

一概には言えないことですが、一般的には若い頃ほど、こうした言語体系の習得には適していますよネ。何故なのかは深く調べていないのでわかりませんが、日本で生まれた幼児が日本語を自然と覚えるのと似たような感覚で、若い頃ほど学習能力が強烈に秀でているのでしょうかね‥‥?

 

なので、「そのうち」とか言ってたら、あっという間に30、40歳になりますから、今ここですぐに、覚えるべき言語は習得を開始したほうが良いと、私は実感します。

 

最初は覚えることばかりでうんうん唸るばかりだとは思いますが、その段階を超えたら、断片的な要素がリンクし始めて、言語体系の「成そうとしている意味」がそれとなく判ってくるのです。‥‥まあ、そこまでまず行くかが、最初の難関ではあるのですが。

 

アニメ制作は今後、どんどんコンピュータとは無縁ではいられなくなります。そんな時、スクリプトの短文でも書けた方が、絶対に有利ですし、実際に不可能が可能になったりもします。

 

‥‥と言っても、なぜか、アニメの現場の人間は、プログラムやスクリプトをやりたがらないんですよね‥‥。特に作画の人間は‥‥。

 

 


新型iPad Pro

7コア GPUに、8コア CPU?

 

リキッドレティーナ? 1TBストレージ?

 

うわあ‥‥。何だか高そう。絶対に高い。

 

既に注文受付中ですが、最大の1TBですと、税込で20万円越え。ぐえっぷ‥‥。

 

私は第2世代の512GBモデルを所有していますし、初代は256GBですが、両方とも容量を使い切っていないので、買うとすれば、256GBモデルかな‥‥。512GBでもたっぷりと容量を持て余しているくらいなので(=絵を描く業務では)、たとえ容量が足りなくなるようなことがあっても、Air Dropで簡単に外部のMacにデータを逃がせます。

 

例えばProcreateはフォルダまるごとAir Dropで転送できますから、整頓がてら外部のバックアップディスクに追い出せば、よほど何もかも詰め込んで使いまくるようなことでもなければ、256〜512GBで十分だと感じます。

 

 

新しいApple Pencilはいいすネ。マグネットでiPadにくっついて充電、ジェスチャーにも対応。これは便利そうです。

 

アドビの人が今日のAppleのイベントでデモしていましたが、ものすごいレイヤー数でもPhotoshopがサクッと動作していたのは、印象的でした。「AR」というAppにPhotoshopのレイヤーを配置していたのも、実用のほどはともかく、楽しそうな内容でした。After Effectsの3Dレイヤーみたいに、書割ですけどネ。

 

 

ちなみに、大更新したMac mini。

 

iMac 5Kと同等もしくは凌駕する内容で、おいくらになるのか、試しにカートに入れて見てみたら、

 

¥375,800 (税別)

1TB SSD、64GBメモリ、i7 6コア、10Gbps Ethernet

 

ふええええええ。名前はミニでも、お値段はビッグ。これは中々買えんです。64GBのメモリにするのに、プラス15万円はキツい。

 

ちなみに、iMac 5Kは1Gbpsのネットワークで、Thunderboltは1系統(2つ口)なので、40万円のMac miniの方がちょいと高性能ですネ。まあ、値段も相当ですけどネ。

 

iMac 5Kの最上位機種と同じような内容にすれば、税抜き28万円くらいでした。

 

 

 

税込40万円の業務用Mac mini。

 

iMac Proの80万円はキビシイ、ディスプレイはいらないから、半額くらいのを出してチョ。‥‥というオーダーに応えたのかな。でもまあ、40万円もしちゃったら、Macの「mini」とはもう言えないですネ。

 

 

 

最近、お値段で強気な製品をどんどん繰り出してくるApple。

 

Mac miniも、iPhone Xs Maxも、iPad Proも、10万円代はあたりまえ‥‥って感じですネ。

 

iPad Proの新型は仕事に直結する「お金を生み出す道具」でもあるので、早々に買うと思います。わたし的に、値段と性能と活用目的で一致しているのは、iPad Proの12.9インチの256GBモデルかなあ‥‥。

 


新型Mac mini

今日発表された新型のMac miniは、いきなりの大更新の内容です。

 

Thunderbolt3が4つ(2系統)〜2017のiMac 5Kよりもスペックが上=iMac Proと同じ

64GBメモリ

6コア

 

最高スペックにすると相当高そうですが、今日から発売される(注文開始?)とのことです。

 

未来のアニメ制作には、このくらいのスペックからスタートでも良いです。Mac miniと4Kモニタで未来の標準環境を実現できます。

 

理想が現実にどんどん変わっていくのを、リアルタイムに体験できるのって、良いですネ。

 

 


No.

ナンバーの略字、「No.」は、なぜ「エヌ・オー」なのか、Numberにはオー=Oの文字がどこにも含まれてないのに‥‥と、前から不思議でした。‥‥もしかしたら、長年、スペルを間違えて続けていたのでは?‥‥と不安に思って調べたら、「No.」の由来が解って安心しました。

 

「No.」には、日本人の「和製英語」感覚で意識できない2つの要素が入っておりました。

 

まず、

 

ヌメロー「Numerō」という「ラテン語」由来の綴り

 

そして、

 

略字には、頭文字だけでなく、最初と最後の文字を連結する方法もある

 

‥‥とのことを、この歳になって知りました。‥‥‥知ってました? 私は知らんかった。。。

 

 

まず、Numerō。

 

ヌメローなら、NもOも含まれますので、「No.」と略すことに大きな破綻や無理はなさそうです。

 

では、なぜNumではなくNoなのか。

 

以前から、ナンバーを「Nr.」とも略すことがあるのを知っておりましたが、深刻には考えていませんでした。

 

日本人は和製英語の国民なので、アルファベット系言語の略しかたを肌身で実感できません。特に、アニメ業界は、ブラックのことを「B.L」と略したり、透過光を「T光」と略しますから、日本人の英語感覚の最たるものですよネ。

 

由来が英語なのかフランス語なのかドイツ語なのかロシア語なのか、「サボる」「アルバイト」「いくら(魚卵のね)」とか、原語が何かなんて、暇でも持て余していなければ、調べようとは思わないほど、生活に馴染んでいます。

 

まして、ラテン語においては、なおさら。

 

ラテン語は語尾変化が激しく、「綴りの最初と最後の文字をつなげる」方法によって元の形を明示するようです。ゆえに‥‥

 

「Numerō」>「Nō」>「No.」

 

‥‥となるようです。最後のドットは「省略してますよ」という印ですネ。ドットの由来については、詳しく調べていないので判りません。

 

「NO」についての詳しくは、以下のサイトをお読みになってください。

 

ナンバーはどうしてNO.か?

https://www.kitashirakawa.jp/taro/?p=7970

 

 

こういう根拠のある略字は、今後も使い続けよう‥‥と思いますが、アニメ業界の「B.L」「B.L.」だけは使う気にならんす。使うのなら、「BL」か「BL.」でしょ? BとLの間のドットは何? Black Lineの略? いやいや、そしたら「BL塗り」は意味が通じないでしょ。BLの略字の由来は、Blackの頭二文字だと思いますヨ。

 

 

略字で思い出しましたが‥‥、話は逸れますが、未来のアニメ制作においては、もうそろそろ、ズームとZ軸移動を使い分けた方が良いと思うんですよ。拡大縮小は全て「T.U.」「T.B.」で扱っちゃってますけど、それはちょっと乱暴。というか、時代錯誤。

 

ズーム=Scaleと、T.U, T.B=Z座標のPositionは、明確に動作が違いますから、私は使い分けたいと思いますけどネ。

 

でもまあ、TU、TBの略字に慣れて十年、数十年ともなれば、慣習を変えるのは中々難しいでしょう。なので、新しい技術基盤で実践することにします。

 

 

 

 

 

 


EOS R

キャノンEOSの新しいカメラ「R」。

 

 

フルサイズ(=35ミリライカ判同等サイズの撮像素子)のカメラのボディにしては、実売25万円と低価格なのに驚きました。フルサイズはプロじゃないと買えない値段=数十万が普通でしたからネ。

 

しかし。

 

レンズのマウントは新しい「RF」。今までのEFマウントではないので、マウントアダプタを介さない限りは、RFレンズを新調する必要があります。

 

そのRFレンズのお値段。

 

マクロレンズが6万円。‥‥まあ、これはいいス。

 

その他が中々なお値段です。まあ、L(エル)レンズなので、もともと上級クラスなんですけど、コンタックスのレンズを買うかのごとくのお値段です。

 

例えば、以下のズームレンズは、37万円。

 

 

 

 

どぐわ。

 

まあ、フルサイズの新たなEOSの門出ですもんネ。いきなりコンシューマ向けの廉価モデルではないですわな。

 

カメラを道具にして、年間何百万円も稼ぐような人向け〜プロ向けですネ。

 

 

 

私は、こういうカメラを無理して買ってもオーバースペックなので(職種的にも)、EOSのEFマウントの中級機種とか、ルミックスのコンデジあたりを相変わらず物色します。

 

これでムービー機能が4K60pに対応してくれればな〜‥‥。

 

まあ、4Kテレビの120fpsで補完して観れば、4K30pでもいいっちゃいいんですけど、60pで撮れるのなら、その方が良いです。色々と便利だから。

 

 

 


批評

「モノ」を実際に作りだす人間にとって、「批評」という行為は「何か釈然としない」、キモチがひっかかる行為です。それが一言だけのツイートであったとしても。

 

まあ、なぜ、ひっかかるか‥‥は、モノ作りの人間なら必ず覚悟すべき言葉〜「そう思うのなら、自分で作ればいい」という言葉〜が必ず返ってくるからだと、わかっているからです。「他者の成果物を批評する前に、自分自身を見つめろ」‥‥という暗黙の常識が、モノを生み出す人間には浸透しているのです。プロとして対価を得る人間は特に‥‥です。

 

ギタリストの場合

「アイツはギターが下手クソだ」

→「じゃあ、オマエはアイツより上手く弾けるのか?」

 

脚本家の場合

「この脚本はここがイマイチ」

→「じゃあ、オマエはその脚本より良いものが書けるのか?」

 

アニメーターの場合

「あいつは絵が下手だし動きも悪い」

→「じゃあ、オマエはアイツより絵が上手で動きも上手いのか?」

 

‥‥という流れになるのを、同じモノ作りの人間だったら、普通に避けます。モノを作り上げる難しさ、自分の仕事を全うする難しさを知っている人は、状況がよく判りもしない同業の他者を安易に批評する気にならないのです。「大変そうだな‥‥」と思うことはあっても‥‥です。

 

他者の「ウマいだ、ヘタだ」を批評するのなら、自分はかなり「上手い」と自己評価できて相当な覚悟ができている必要がある‥‥と、「同業者」なら思うのです。

 

 

でも、批評という行為に対して、それ以外にも「釈然」としないキモチが残ります。なんか、モヤモヤした気分といいますか。

 

それは、すなわち‥‥

 

 

‥‥のようなこと‥‥、なんでしょうね。

 

「批評されているものよりも、批評している者のほうが偉く見える」というのは、なんだか「モヤモヤ」を指してそのものズバリですネ。人は、往々にして、「分析することで、モノゴトを理解したと錯覚する」イキモノのようにも思いますし。

 

猫の行動を分析できても、猫を理解したことにはなるまい? 分析して「知った気になっても」、見落としや分析不足はやまほどあるわけです。

 

昔の歌で「包帯のような嘘を見破ることで 学者は世間を見たような気になる」‥‥みたいな節も思い出します。

 

その後に続く、「批評することはきわめて容易なので」〜「他のいかなる方法によっても人の興味を引くことができない凡庸な輩の避難所となる」‥‥という一節は、相当キツいことが書かれております。

 

 

でも、批評という行為をして、「凡庸な輩の避難所」と言い切ってしまうのも、極論過ぎるな‥‥と思っています。

 

私は20代前半の頃にニーチェ著作の文庫本を読んで、大いに共感したことがありますが、その内容は批評的・批判的な側面を多く含んでいました。以前の価値観・倫理観に対して、容赦のない批評を展開したことが、当時20代の私のココロに響いたのです。つまり、内容が批評的な性質を多く含んでいても、筆者の尋常ならぬ洞察力と分析力が伴って文体を為せば、それは著作=モノ作りと呼ぶに等しく、受け手の心を揺さぶる‥‥と実感します。

 

ただ、作品制作者がツイッターで気軽に、自分の能力も覚悟も棚上げして、同業者の作品表現をあれこれ言うのは、批評というよりは軽口であって、少々軽率かなとは思います。やはり、作品作りだけでなく、批評にもクオリティは存在するのでしょうネ。

 

 

 

 



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