開発について

手描きの絵なのに、生っぽい現実感。60pで素材出力をし直し、4K60pでファイナルまで仕上げた映像は、関わった当事者さえも当惑するような、何とも言い表しがたいニュアンスをもっています。もはや、今までのコンテの切り方も、尺の感覚も、レイアウトも、動きも、全てゼロから仕切り直さないと、4K60pフルモーションのアニメ技術は扱いきれないことだけは、よく判ります。

 

しかしなあ‥‥。作画論、演出論もそうですが、絵を作るだけでも、相当なカロリーが必要です。

 

4Kに対応するため、素材サイズは5〜8Kあたりまえのところに来て、秒間60コマのレンダリングをするわけですから、そりゃあもう、マシンは悲鳴を上げ続けます。マシンの「馬力」が根本的に足りません。

 

ゆえに、USB-C経由やThunderbolt3経由で、外付けのGPU(100万くらいするのもありますよネ。GPUとか言いながら薬の計算に使ったりとか)にグラフィックの計算を投げるような仕組みでも作らない限り、運用は難しいでしょう。1998年前後に「デジタル」で劇場アニメーションを作ろうとしていたBloodの頃を思い出しますが、その頃の私はマシン4台(Mac1台、Win3台)を輪番的に使って、マシンの性能の低さを台数でカバーしていました。

 

加えて、4K60pのフルモーションは、そもそも動画で一枚一枚動かすことは実質として不可能です。お金の問題(=時間もスタッフ個々の技術もお金として換算)をクリアできません。仮に、お金を膨大に注ぎ込んだとしても、品質的にみて、手描きでで一枚一枚動かすことを「常用」するのは具合が悪いです。ゆえに4K60pの時代になっても、動画で一枚ずつ動かす技術の実質は12fpsが限度でしょう。

 

現在でも24コマフルモーションで動かすのは特別なカットに限定され、その動きは「24コマで動かしてまっせー!」というある種の「一生懸命感」が出てしまい、滑らかさよりも気迫が全面に押し出されてしまいます。芝居のシーンでさりげなくフルモーションを使う技術は、エコノミーアニメーションで発展した日本では全くと言って良いほどノウハウがありません

 

4K60pの「60p」は、「動きの枚数が増えた」なんていう視点では、ただただ、持て余すばかりです。「24コマ」感覚に凝り固まったままでは「60p」の意味も意義も理解できません。

 

私は10年くらいかけて、「24コマ脳」から現在の「60pでもOKな脳」に変えていったので、しみじみ実感できるのです。2005〜6年の頃の私の頭は、新しい技術のきっかけを感じながらも、まだまだアニメ現場の慣習や慣例に思考が固着しており、柔軟な技術の捉え方ができなかったのを思い出します。

 

実際にキャラクターの芝居を60pで動かしてみて、そのニュアンスをどのように演出技法に、もっと言えば、企画時点でどのように活かすか、根本的な意識の変化が求められます。

 

* * *

 

2年くらい制作期間がかかる作品は、当然のことながら、完成するのは2年後です。今からだと、だいたい、2019〜2020年ですよネ。

 

2020年代に、現在の技術の標準で作って、どれだけ映像技術的な関心を呼ぶでしょうか。特筆すべきものはないでしょう。周りに似たような仕様の作品はいくらでもあります。

 

技術には「時差」があり、その「時差」を計算して開発しなければなりません。

 

つまり、技術は開発が始まった時には「荒唐無稽」「非現実的」と言われるくらいの斬新さが必要なのです。‥‥でなければ、数年後に完成した際には、技術的な特徴はほとんど何もアピールできずに終わります。

 

周りが容易に理解できるものは、その時点で既にありふれた性質を持ち、技術の新しさはありません。

 

でも‥‥です。何とも難しいことがありまして、「荒唐無稽」「非現実的」「理解困難」なものにお金を出してくれるところはありません。周囲から見て、理解し難い中にも、「未来の現実」が垣間見えなければ、プロジェクトは発動しないのです。

 

周りにとって「今は必要性を感じない」物事を、言葉だけ説明しても、「それならやってみよう」と同意してはくれません。言葉だけで説明したり、簡単なテスト的な絵柄で動かしても、周囲は「これ、いけそうだね」とは思わないのです。

 

むしろ、準備が不完全でビジョンの不明瞭なプレゼンは、かえって「不必要なもの」として認識される危険すらあり、開発プロジェクトの未来を失速させることすらあります。

 

「デジタルアニメーション」と呼ばれた2000年前後の技術更新の際、ほんの数社が実現した成功例があったからこそ、業界全体がフィルムを捨てセル絵具を捨ててでも「デジタル」に移行したのです。そして、その先行した数社も、内部的にはほんの少数派=マイノリティが、小さな成功例を積み上げたからこそ、本腰を入れるようになったのです。さらには、その小さな成功例は、「こんな感じのを作ってみたんですけど」と本番同様の絵や映像でプレゼンして、「面白そうですね。じゃあ、試しにこのカットをその方法でやってみましょうか。」と「最初のGOサイン」が出たのが「始まりの始まり」だったのです。

 

* * *

 

技術には、前倒しの時間感覚が必要です。そして、その技術が浮上するための順次戦略と累積戦略の両戦略が必要です。

 

絵を作りもしないのに、ロジックだけで先走っても、周りは納得しません。逆に、絵だけ作っても、ロジックが伴わなければ「まぐれあたり」にしか思われません。

 

でも、そうした周囲の反応は当然のことであって、周囲が持続して興味を持たざる得ないような要素を発散できていない時点で、開発プロジェクトには何か不足点や欠陥があると考えるべきでしょう。「理解してくれない」なんて周りを恨む暇があるのなら、技術開発プロジェクト内の自己同期・自己更新(OODA, PDCA)を推し進めればよいのです。

 

10回50回100回の周囲の無理解に心折れるようなら、最初から開発なんて手を出すべきではないのです。おとなしく、旧来技術の枠内で生きていけば良いです。

 

開発プロジェクトにおいてダメダメな典型は、中心人物がフワフワしている時です。確信がないので、目標地点もロードマップも示せず、問題提起だけに終始し(←コレ、本当によくある光景です)、危機感だけを募らせて、具現化のあてなきマニフェストを連発するのです。批判されただけで簡単に弱気になって、方針を何度も変更しがちです。足場がユラユラしてたら、技術要素を積み上げることはできないのに、やみくもに焦れば焦るほど技術は一向に形にならず、地道な基礎開発をすっとばして秘密兵器や特効薬を夢見るようになる‥‥という、まさに「開発でやってはいけない何カ条」を全て踏襲する路線を展開します。

 

風当たりなどにたじろがず、この技術はイケると確信できる人間が、映像開発をやれば良いのです。

 

今の目の前にある映像表現のきっかけを、どうしても1つの技術として確立したい「具体的なビジョン」がある人々が中心になって開発を進めない限り、開発はうまくいきません。私は制作現場30年のキャリアの中で、うまくいったプロジェクトも頓挫したプロジェクトも目にしてきたので、強い実感があります。一番マズいのは、「時代の流れについていけない」という漠然とした、実体が曖昧な焦燥感だけで開発プロジェクトを立ち上げることです。

 

情熱なきプロジェクトはエンジンを持たない車に等しく、どんなにエクステリアもインテリアも充実していようが、エンジンがなければ走り出せません。でも結構、定期的に、特定の人間たちはそういう形骸化した開発に夢をみるのですよネ。外見ばかり、世間を気にした仕様ばかりに、気をとられがちです。

 

世間の流れは利用すべきもので、決して囚われるべきではないと、特に開発に関しては思います。

 

焦燥感でも危機感でもなく、ましてや打算などでは決してなく、「これぜったいイイじゃん」「コレ、もっと見てみたい」「これが実現すれば凄いよな」とまずは本人たちが夢中になれる根本=情熱が開発プロジェクトには必要です。

 

でもまあ、そういう情熱の熱量も含めて、各社各グループ各人の腕の見せ所ではあります。

 

今、目指すは2020年代。‥‥です。

 

 


1

calendar

S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< May 2017 >>

selected entries

categories

archives

links

profile

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM