ちょっと呑み

最近、トリキとか日高屋とかで、1杯だけハイボールを飲むような夕飯のパターンが増えております。まあ、トリキは食事というよりは呑みですが、日高屋とかラーメン屋さんでも280円のレモンサワーとかハイボールがあるので、実は結構楽しめます。

 

トリキや日高屋の「レベル」に慣れた最近、久々にいわゆる「居酒屋チェーン店」に入ったら、その内容の古さに驚いてしまいました。値段がいちいち高くて、内容はスカスカなのです。こんなにしょぼかったっけか?‥‥と思うほど、トリキや日高屋のメニューと比べて見劣りします。

 

三鷹はモンテローザのお膝元。「魚民」「目利きの銀次」「魚萬」「山内農場」「魚銀」など系列の飲食店が集中しています。

 

お刺身を肴にチョイ呑みしたくて(刺身はトリキにも日高屋にもないので)、モンテローザ本社ビル内の「魚民」に入ったのですが、夜10時くらいでガラガラで「何でこんなに空いているんだろう。今日は世間的に何かあった日なのかな?」とやや不思議に思いました。「魚民」という割に、刺身のメニューはあまり充実していなくて、「居酒屋ってこんなもんだったかな‥‥」と感じつつも、とりあえず599円(税別)の刺身盛りと中ジョッキを頼みました。お通しはごぼうサラダでした。

 

出てきたのは、刺身数切れと、細めのジョッキにほぼ半分が泡のビール〜正味200ccくらい〜でした。直感的に、「これはヤバいやつだ」=大した満足感も得られずお金が飛んでいくケース‥‥と思い、30分も滞在せずにお会計したら、1500円。

 

まあ、昔の感覚なら1500円なんて居酒屋なら安い出費でしょうが、「大して美味しくもない薄い刺身数切れとグラスビールと見まごうばかりの細い中ジョッキ、表面が乾きかけたごぼうサラダ」で1500円は、ふと冷静に「ユーザエクスペリエンス」として考えると、如何ともレベルの低さを感じます。

 

ちなみに、トリキではメガハイボールとメガ金麦という最強のドリンクメニューがあり、そこに焼き鳥数種、釜飯で締めれば、女性なら1500〜2000円で腹一杯、大食いの私でもバカ呑みしなければ2500円で「食い過ぎた」と後悔するほどです。

 

日高屋においては、大の大人でも、1500円ちょいだせば、お腹いっぱい。レモンチューハイとウォッカソーダ割りで2杯呑んでも500円チョイ、餃子、そら豆、メンマをつまみで500円、ラーメンで締めて500円、地獄の大盛り無料券のループに入れば(会計時に券を必ずもらえるので)実質大盛りは追加料金なし、もし2人なら取り皿で分ければラーメン1つで2人分イケます。日高屋はファミレスのような深夜料金は無いし、表示価格は税込なので、夜の飲み食いはずいぶんと割安のように感じます。

 

それらに比べて、平成定番の居酒屋チェーン店のメニューは、現代のお金の価値や感覚とズレてきているように思いました。

 

思うに、平成の定番居酒屋は、「居酒屋の雰囲気で、店が客を呑む」ような方法だったのでしょうが、いくら店舗室内の雰囲気を居酒屋っぽく演出しても、スーパーで普通に買えるような刺身数切れに税込600円以上も要求するようなスタイルは、もう通用しないように感じます。少なくとも、私は「もう行かないようにしよう」と思いました。

 

実は、その魚民での飲食を早々に切り上げた後に、目利きの銀次で「げんなおし」しようと思って入ったものの、モンテローザ系列だったことに後で気づき、案の定、似たようなメニューでした。平成初期〜中期に台頭した定番居酒屋チェーン店の限界‥‥をメニューから感じた次第です。

 

モンテローザどうこうではなく、平成の居酒屋チェーン流「居酒屋雰囲気料金」みたいな営業スタイルが、もはや「中身を重視する」現在とはズレはじめているのでしょう。私に限らず、他の人々も、中身は気にしますよ、最近は。

 

「ズレ」がなぜ生じるか。

 

外見だけでなく食事の中身も充実させようとする新機軸の居酒屋と、安価に呑みもできる飲食店が出現して、居酒屋チェーンの「平成の方法論」が相対的にズレて古くなっているからだ‥‥と思います。立ち止まっているから置いていかれるのでしょう。

 

1年古い記事ですが「居酒屋」倒産、まだまだ増える理由」とか、「居酒屋 景気」で検索すると「消費行動の根本的変化」などのフレーズも垣間見えます。

 

どんな業界でも、過去の成功体験、そして集団同調性バイアスが作用して、ズレや変化に対して「主流派」ほど認識が不足したり遅れるんだろうな‥‥と思います。

 

ふと「アニメ業界でも、同じことが起こるだろうな」と頭を過ぎりつつ、飯食って気力を回復して、新しい取り組みをどんどん進めようと気合もみなぎるのでした。

 

傷を舐め合う酒ではなく、未来を語り合う酒を飲みましょう。

 

 

 

 


動きは著作や発明足り得るか

「実演家」云々で数回前にブログを書きましたが、実演の「技法」まで話が及ぶと、著作権というよりは特許のカテゴリも含みはじめて、果てしない気分になってきます。着地点がより一層、見えにくくなります。

 

まずは、アニメーターの生み出す動きの技術は「著作」か?

 

ほんの数カット〜数十カットの原画作業で描いた動きの表現を「著作」と言い表すのは、中々無理があるように思います。

 

著作の定義を以下に。Wikipediaからの引用です。

 

日本の著作物著作権法の定義によれば、思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸学術美術又は音楽の範囲に属するもの」2条1項1号)である。要件を分解すれば、次の通りである。

 

「思想又は感情」

「創作的」

「表現したもの」

「文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」

 

そのため、表現ではない事実や事件やデータや思想(アイディア)そのものや感情そのもの、創作の加わっていない模倣品、範囲外の工業製品などは著作物とはならない(江差追分事件)ほか、短い表現・ありふれた表現・選択の幅が狭い表現などは創作性が認められない傾向にある。

 

 

たしかに上記では「表現したもの」が著作物の要件とされていますから、動きに限らず、セリフでも、一発芸でも、表現したものと言えましょう。しかし、1つの動きも、1つのセリフも、著作の全体に内包されますから、著作の入れ子構造が果たして認められるかは、私は専門家ではないので詳しくは知りませんが、無理っぽい‥‥ですよネ。「ここはこんな動きがいいんじゃない?」とか「こんなセリフを喋らせよう」とかの提案がどんどん著作として認められる‥‥というのは、普通に考えてダメそうな感じがします。

 

一方で、動きは絵そのものと切り離せない側面をもちますから、動きだけを取り出して「著作物」として成立させるのは、かなり難しいことだと思います。商業アニメの場合、絵のデザインはキャラ表など他者・他所に依存しますから、動きの要素だけを独立した著作とするのは現実的に「証明するのが困難」だと思います‥‥が、気になるなら、著作権に詳しい弁護士に対価を支払って相談するしかなさそうです。‥‥私の個人的な考えだと、やっぱり「無理じゃん?」と思います。

 

では、技術の特許や意匠の部類か?‥‥というと、「動きそのものを独立して取り出し、1つの発明として合理的に説明して申請できるレベルまで確立できるか」が相当難しいと思います。

 

まずは以下のWebへ。

 

特許・実用新案、意匠、商標の簡易検索

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/web/all/top/BTmTopPage

 

 

「おれが考えた!」「私がアイデアを出した」‥‥それだけで特許たり得るか、可能かどうか、上の検索で試してみましょう。


もしそんなことが可能‥‥だとすれば、それこそツイッターの文言1つ、作画での服のシワの描き方1つが、著作や特許としてそこら中に溢れかえるでしょう。そして、絵のパーツを1つ描くにも、いちいち特許申請の有無を検索して描かなければならないハメになります。

 

なので、そんなことがおこらないように、「確かに、独自かつ新規の技術だ」と証明できる内容でなければ、特許は取得できないのでしょう。「思いつき」でなく、「独自に発案され確立された技術」として、です。

 

以下に「実体審査」の要目を列記します。私も文面だけでは深く理解できませんが、とりあえず参照。

 

ア.自然法則を利用した技術思想か
イ.産業上利用できるか
ウ.出願前にその技術思想はなかったか

エ.いわゆる当業者(その技術分野のことを理解している人)が容易に発明をすることができたものでないか

オ.他人よりも早く出願したか

カ.公序良俗に違反していないか

キ.明細書の記載は規定どおりか

 

 

いわゆる「新規性」「進歩性」などが考慮されるようですが、詳しくは調べてみてください。

 

エフェクター(エレキギターの音に効果をかけるプロセッサ)の電気回路は、特許を持たないものが多いと聞きます。なぜかというと、エフェクターの電気回路は電気技術者なら既知の汎用的な構成によるものなので、特許にまで発展することがないそうです。

 

ですから、アニメーターの動きの技術を、実演として結果物に対する隣接権をかろうじて交渉することはできそうでも(それも実質として今はかなり難しいですが〜作監が十数人もいるようでは)、著作や特許として主張するのは、極めて困難といえます。動きの「特許権」をどう説明すれば良いか、思い浮かびますか?‥‥私はできそうもありません。動き部分を取り出して、特許技術として説明する方法が思いつきません。

 

まずなによりも、「自分の描いた動きが、著作や特許であることの、合理的な証明を、他者に対しておこなう」ことができるのかが、最大の難問です。

 

 

こうした著作や特許の話題にたいして、なぜアニメーターが「自分がゼロから書き起こした絵だから自分の絵」とか「動きだって著作にならないか」という論調に傾くのか。

 

それはとても簡単なことで、「自分の現在関わっている事柄に対して、権利のありようを見つけ出そうとする」からです。

 

しかし、残念ながら、工場で自動車を組み立て生産している労働者が、どんなに自動車の製造に直接関わって、「私は自動車の売り上げに対して権利をもっても良いはずだ。自分が自動車を作ったんだから。」といくら叫んでも、受け入れられないのと同じで、原作があってシナリオがあって絵コンテがあって、その上で絵を描くアニメーターには少なくとも著作権は発生しないでしょう。どう頑張っても、実演(=隣接権)の一部までです。特許も難しいと思います。

 

 

ならば。

 

せっかく絵が描けるんだから、原画動画だけでなく、自分の絵で、自分の商売も始めたら良いのです。

 

最初から著作権を獲得できる行動をおこせば手っ取り早いです。著作を主張したいのなら、いつ実現できるかもわからない隣接権の適用を夢見るよりは、確実に獲得できる方法を選択すれば良いです。標準的な道筋を通って、です。

 

アニメの原画動画という作業受発注スタイルにキンタマ(失敬)を握られ続けているから、自分の弱みから抜け出せないのです。その弱みの中で、成立の難しい著作権や特許をツイッターでつぶやくにとどまるのです。

 

原画以外の仕事もしたらどうでしょうか。

 

著作に繋がる仕事をしたいなら、通例で著作が認められていない作業を続けて、その仕事に著作を後付けで主張するよりも、すでに著作が認められている取り組みに着手するほうがシンプルかつ円滑です。他人が作ったストーリー、他人が作ったキャラ、他人が作ったカット割りで、絵だけ描く‥‥ということではなく、誰から見ても「確かにあなたが作った、まさに著作だ」と条件を満たすものを作るのが、なんだかんだと手取り早いと思います。

 

著作や特許なんていう考え方は、所詮、人間の社会が生み出した決め事であって、自然界の摂理ではないです。しかし、日本で活動する人間は、日本の社会〜欧米の社会の決め事のなかで生きていくことになります。もちろん、決め事は時代に合わせて徐々に変わっていきますが、アニメ業界スタッフにとって都合が良い社会にパッと切り替わるわけではないです。

 

であるなら、社会の仕組みと自分の能力を照らし合わせて、下手糞に使うのではなく、上手に使っていく工夫を考えましょうヨ。

 

勘違いせずにおきたいのは、絵を描くのをそっちのけで金転がしに夢中になる‥‥とか、搾取する側に回る‥‥ということではなく、自分の成し遂げたいアニメや絵を作り続けるために、充分なお金を得る方法論を累積的・順次的に実践する‥‥ということです。

 

けんもほろろに打ち負かされる中途半端な戦いを仕掛けるなど、かえって「こちらの手の内を読まれ、今後の撃退法を相手に提供する」ようなものだと心得ましょう。面白半分に指で突くような中途半端な戦いを仕掛けて、返り討ちにあって指を切り落とされたら、かなりの痛手ですよ。

 

獲得したいのは何か。まずそこをフワフワせずに、ちゃんとしっかり見定めるのです。そこが揺れてたら、立ち上がって歩き出すこともままなりません。

 

まずは座りっぱなしの受け身から抜け出して、自分の身の丈でできる活動を開始して、何らかの手応えを得るのが「始まりの始まり」です。

 

 


フレーミング

いまどきの4K HDRテレビで昔のDVDやBDを再生していると、「標準」「スタンダード」設定のままだと60〜120fps(pかiかは調べてないのでわかりません)に補完されて動きも画像も滑らかに表示されます。いわゆる、ハリウッドの映画人たちが嫌う「ソープオペラ」状態です。

 

私の作業場では、4KHDRのリファレンスモニタとミラーリングの状態で4KHDR民生テレビを併設しており、「ご家庭でどんな状態で再生されてしまうか」も気にかけながら(=あくまでも気にかける程度であって、基準ではない)、日々の作業を進めています。709にしろ、DCI-P3にしろ、民生の「標準」プリセットは、リファレンスモニタとは落差・格差があり、映像を作る側としては悩ましいのですが、一方で現実は現実として受け止め、民生テレビで全く破綻してしまうような映像作りは避けるようにしています。ストライクゾーンを広くとるのがプロ‥‥とココロに定めて。

 

都合、擬似的にフレームレートを向上した映像を民生テレビで見続けることになりますが、最近、昔の実写ドラマのDVDを再生していて、「自分のカラダの慣れ」に我ながら驚いたことがありました。

 

DVDなので、720x480の解像度なのは承知で観ておりました。動きはソニーブラビアの「標準」プリセットのままなので60p相当の動きに補完されているはずですが、イマイチ、滑らかさが足りないように思えたので、「画質」「詳細」設定を確認したら、ちゃんと「モーション」が「滑らか」に設定されています。

 

なぜ、イマイチ、滑らかさが足りなのか、理由を探っているうちに、どうやら「動き」ではなく「DVD解像度」がイマイチ感の原因だと気付きました。

 

「本当にそれが理由? ‥‥動きもモッサリしてみえるぞ」と思ったのですが、日頃からあまりにも2K(HD)〜4K(UHD)解像度で60〜120fpsの映像に慣れすぎたため、解像度がDVDの低解像度になっただけで動きの印象まで引きずられて滑らかさが足りないと錯覚したようです。‥‥我ながら。

 

映像制作者として、この錯覚は結構ショックです。動きと解像度は、別でジャッジできなければマズいですもんネ。

 

試しに「モーション」を「切」にして、NTSC DVDビデオの30fpsで再生したら‥‥

 

30fpsでも凄くカクカクしている

 

‥‥と唖然としました。目に飛び込む印象でハッキリと、動きが「雑」なのです。24fpsはまあ24コマのルックとして承知していますが、30fpsまでもはやカクカクとして雑に見えるようになるとは、正直思っていませんでした。

 

あれ〜‥‥、こんなに30fpsってカクカクと残像感のある映像だったっけ?‥‥と、不思議に思いました。だって、24〜30fpsしかない時代は、ソレで十分と思っていたわけですから。

 

体の慣れとは恐ろしいものです。

 

ソニーのブラビアに搭載されている「コマ数補完」技術。入ってくる映像は、たとえYouTubeの15fpsの映像だろうが、macOSデスクトップのカーソルの動きだろうが、何でもかんでも60〜120fpsに変換しまくる、恐ろしいヤツです。

*ちなみに、日本のアニメ業界標準の2コマ3コマタイムシートの動きはフルアニメーションにはなりません。だって、2コマ打ち、3コマ打ちで、連続して静止画を出力しちゃってるから、補完のしようがないのです。セルの動きだけ取り残されて、BG引きやカメラワークだけ補完されるので、結構、かなり、相当、キモチ悪い動きになります。

 

 

これから数年のうちに、各家庭の液晶テレビの買い替えが進みます。理由は単純で、液晶パネルが経年で故障するからです。新しい品質を体験したいから買い替えるのではなくて、単に故障したから買い替えの必要性に迫られるだけのことです。

 

人々がテレビを買い替える時に、どんなテレビを買うでしょうか。

 

故障して使えなくなった昔のハイビジョンテレビと同レベルの2K/HDでSDRのテレビを、3〜5万円で買うでしょうか。

 

それとも、有機ELのフラッグシップ4KHDRテレビを買うでしょうか。

 

おそらく、多くの人は、そのどちらでもないでしょう。「フレーミング効果」の示す通り、中堅のモデルを買うと思われます。

 

集計してみると、松竹梅の「竹」を選択する人が半数となる‥‥みたいですよ、世の中というものは。

 

フレーミング効果の内容は色々とあるようですが、ここでいうフレーミング効果とは「極端の回避性」です。

 

どんなに安くても、故障したのと同じスペックで同じレベルのものを再び買うのはどうも‥‥なあ‥‥

 

じゃあ、奮発して、昔20万円でハイビジョンテレビを買ったのと同じ出費で、55インチのイイヤツを買うか‥‥。‥‥でも、今は10万円前後で随分と性能の良いのが買えるみたいだな‥‥。

 

自分が思ってたよりもちょっと安く買えるみたいだし、4K放送とやらにも対応しているみたいだから、真ん中の無難なやつを買うか。

 

‥‥のような流れになりそうです。つまり、安過ぎるのも、高過ぎるのも、両極端を回避して、中くらいのものを選択する‥‥ということです。

 

もちろん、その「中くらい」のなかで「中の下」か「中の上」はあるでしょうが、最低と最高は選択せず、真ん中を選ぶ結果に落ち着くのです。

 

その「中くらいのテレビ」とは、2019年以降で言えば、4K HDRでモーション補完が標準装備されたテレビです。

 

*昔の37インチと同じ設置スペースで、今は43インチが置けます。去年までの4Kチューナーを搭載していないモデルだと、8〜10万円の価格帯です。動きの滑らか補完がない廉価モデルだと、パナソニックのEX600(2017年モデル)で税込7万円を切る値段です。‥‥いやはや、時代の変化は恐ろしい。

*全てのモデルに倍速補完機能・モーション補完機能がついているわけではないので、買う時にそのへんを注意することをお勧めします。フレーム補完機能は、ニュースとかバラエティとかでは、もはや必須のように思います。動きが滑らかだと目が疲れないですからネ。

 

 

 

*今後、どんどん発売されるであろう4Kチューナー内蔵の4KHDR民生テレビ。今は43インチで15〜18万と割高感が否めませんが、1〜2年のうちにやがて小慣れてくるでしょう。

 

 

おそらく、7〜12万円の価格帯、10万円前後の4KHDRテレビに購買層がまとまるのではないでしょうか。テレビ好きの人だったら「中の上」で10〜18万円くらい。‥‥つまり、多少のバラつきはあれど、中くらいのモデルを中くらいの値段で買う人々が過半数。

 

一方、テレビなんてどうでも良い、とりあえずあれば良いだけ‥‥という人は、6万円以下で片付けて、マニアの人は20万円を超えても買うでしょう。いわゆる両極端の人々が残りの半数を分ける。

 

未来が現在と違うのは、「中くらいの意識の人々が買うテレビは、4KでHDRでモーション補完するテレビ」だということです。大多数の人が、4Kの高詳細な画像、60fps以上の滑らかな動き、平均400〜600nitsの鮮やかな色彩を、「ごく当たり前」な日常として体験するのです。

 

フレーミング効果で言えば、

 

「4KHDR60pが普通だ」というフレーミングを、ごく一般の人々が有する

 

‥‥のが、すぐ先の未来社会と言えます。

 

アニメ業界がアニメをいつものように作っていても、「なんか、最近のアニメって雑になったよね」と言われる日が来るのかも知れません。仮に制作体制を立て直して改善して、現在よりも丁寧に2KSDR24pのアニメを作っても、4KHDR60pの映像に慣れた人々は、現場の苦労など一切知りようもないので、「雑だ」「ぼやけてる」「動きがカクカクして目が疲れて気持ちが悪い」とか言い出すかも‥‥知れませんヨ。

 

 

そんなバカな。一般の人々は映像のプロじゃないんだから、そんなの見分けられねーよ。

 

‥‥と思う人こそ、そんなバカな‥‥です。映像技術とは縁の遠い人だからこそ、日々4KHDRの60p補完プリセットを難なく受け入れ、いつの間にか慣れてしまうのです。映像のプロではないからこそ、理屈も理由もなく、古いのと新しいのを体感で見分けてしまうのです。昔の映像を「何か雑だね」の一言でバッサリ切ってしまうほど、残酷でもあるのです。

 

 

さて。

 

アニメ制作現場の未来品質はどうですか。

 

未来社会を見据えて、次の品質基準の準備をしていますか。

 

世間は塗り変わっていきます。現在のアニメ業界にとって都合の良い社会であるかは、どうも難しいように思います。

 

現在のアニメ現場が作り出す品質は、アニメの終着駅でしょうか。

 

現在のアニメ品質を終着駅にしたまま、そこで生涯を終える人がいても良いでしょう。しかし、全てのアニメ制作者の生涯の終着駅と決めつける必要はないです。

 

私は、路線の終着駅が全ての旅の終わりだとは思いません。「トレーダー分岐点」じゃないですが、新しい路線に乗り換えて、また新しい旅が始まると実感しています。サブちゃんの「終着駅は始発駅」です。

 

まずは、新しい技術から目を背けないこと。新しい映像技術のムーブメントをむしろ直視して、さらなる新しい商売を展開するくらい、したたかであるべき‥‥と、少なくとも私は考えます。

 

 


実演家

アニメーターに権利を‥‥という話をSNSで見かけますが、権利というのはつまり何なのか、著作権か隣接権かを踏まえておらず、そもそも自分が著者なのか実演家なのかの線引きが曖昧なまま、権利権利と念仏を唱えるだけでは、何の具体的進展も起こりえません。

 

もっと言えば、アニメ映像制作における「制作現場の実演」とは何か? アニメーターの原画マンだけが実演しているのか?

 

全修した作監は? 原画と原画の中間の、動きの中絵を描いた動画マンは? 背景美術は? ペイントは? コンポジットは?

 

俳優さんは作品で自分の役を演じ切りますが、アニメーターはキャラの演技を全カット作画するわけではありません。そもそも集団で細切れで映像を作る場合に、実演家の定義はどこまで通用するのでしょうか

 

 

私は以前、キャラクターのセル素材だけ渡されて、背景もエフェクト作画(キャラ以外の作画要素)も画面全体の色彩も効果も、全部After Effectsで作って完成させる仕事をしたことがあります。まさにキャラ素材以外の絵作りを全てしたのに、「あなたはキャラを描いてないから実演家ではない」と言われるのだとしたら、到底受け入れられるものではありません。

 

実際、その「キャラのセル以外、全部作る」仕事で、完成した映像を見たら、クレジットされているのはプロデューサーと監督とキャラデザイナーだけで自分の名前などどこにもクレジットされていませんでした。正直、酷い仕事だと思いましたから、二度とそういう仕事はしないと固く誓ったものです。20年近く前の話です。

 

まあ、昔話はおいといて、実演家。

 

アニメ制作現場の実演家、著作隣接権って、どう定義する?どう解釈する?‥‥って話です。

 

その部分がフワフワしたままで「権利を!」と叫んだところで、社会から同情は得られても、具体的な支持や協力は得られないでしょう。

 

 

実際、アニメーターは著者ではないのは、誰でも実感していることです。例えば、人気の漫画原作のアニメ化で、アニメーターが原画を描いても、そのアニメーターは、原作の漫画を描いていませんし、その漫画の人気がでるようにプロモーションしたわけでもないですし、販売網を駆使して部数の売り上げに努めたわけでもありません。人気がでるまでの段階には一切関与せず、人気が出てアニメ化された後で、しかも絵コンテで筋立てを絵で指定された上で、初めて絵を描くわけです。つまり、著者ではなく、実演のカテゴリに分類されるように思います。

 

ショパンのバラードを現代のピアニストが楽譜を見ながら、自分の指だけでピアノから音を出して演奏した‥‥としても、ピアノ曲を作った(著作した)ことにはなりませんよネ。

 

もしアニメーターが「他人の原作であっても、自分はゼロ=白紙から自分の手で絵を描いた。だから自分の著作だ。」と言うのなら、世間で人気が出た作品をピックアップして、その作品の絵を元にちょっとしたオリジナル要素を刷り込んで絵を描いて「自分の著作だ」といくらでも主張できることになります。人気が出るまでの努力や出費や開発は全くせず、人気が出たところで便乗して絵を描いて、原作者・著者になれるのなら、もはや著作の世界は無秩序の荒野となり果てるでしょう。

*20年くらい前に、フレーズサンプリングによるラップミュージックの著作権絡みでモメたことがありましたよネ。当時のクローズアップ現代で特集してたのを思い出します。

 

アニメーターの描く絵は、原作に基づくストーリーと絵と演出家の指示によるものですから、著作ではなく、実演です。そこはちゃんと、冷静に認識しておくべきです。権利を問うにしても、実演家の著作隣接権のカテゴリで争うことになりましょう。

 

加えて、上述したように、原画マンだけが実演家なのでしょうか。アニメ制作現場の実演はどのセクションのどのスタッフまで認められるのでしょうか

 

では反対に、スタッフ全員が実演家として認められるのでしょうか。‥‥ちょっと無理ですよネ。実写でレンズに映った全ての役者に実演家の権利が還元されるのか、オーケストラ団員全員にロイヤリティは発生するのか、例えば、同じキャラを複数のアニメーターで描いて、7カットしかやっていない人と40カットやっている人の「実演の配分」はどうなるのか。

 

アニメーターは俳優と同じ‥‥なんてフレーズも耳にしますが、俳優さんは演技を最初から最後まで全うします。シーンや数カット単位で俳優さんが役を入れ替わるなんてありません。1人のキャラに対して何人ものアニメーターが入れ替わり原動画を描く時点で、俳優と同列には実演を語れません。

 

 

とまあ、アニメ制作現場で実演家を定義しようとしても、そう簡単には着地できません。適用の区分はとても難しく、難問だらけです。

 

実演家云々に限らず、アニメ業界の様々な「昭和から続く流れ」は簡単には変えられません。ちょっと工夫したところで焼け石に水です。

 

なぜか歯止めが効かないか‥‥というと、旧来のスキームで仕事をするアニメーターが、現場のシステムに苦しめられているのも事実ですが、現場のシステムに高依存しているのも事実だからです。原画という作業枠に依存するからこそ、原画という料金体制からも脱出できません。

 

つまり、どんなに深刻な問題を抱えようと、共依存が形成されて、抜け出せないのです。

 

アニメの制作現場に必要なのは、私個人の強い実感で言えば、「まずは昭和を終わらせること」です。5月1日に新しい元号になるとのことですが、アニメ制作現場は平成を通り越して未だ昭和感覚が持続したままです。コンピュータをいちいち「デジタル」とかいうオッサン感覚は昭和感覚そのものですしネ。

 

そればかりか、明治大正の女工哀史が昭和と平成をスルーし、新しい元号まで引き継がれる勢いすら感じます。

 

昭和を終わらせる‥‥とは、すなわち昭和からの制作運用技術を終了して、新しい枠組みと技術で運用することです。野放図に肥大化してきた制作規模を改めて縮小し、コンピュータネットワークありきの運用技術を基盤とし、少人数高配当の現場を形成するのです。

 

なぜ、いつまで経ってもアニメの作画技術を昭和のままで停滞させるのか。アニメーター自身の保守的な技術スタンスにも原因はありましょう。「コンピュータが苦手」とか自嘲している期間は、とうに過ぎ去ったのです。原画という作業形態にこだわって依存しすぎているからこそ、結局、新しい枠組みも形成できないし、抜け出すための基礎体力も得られないのです。

 

作画内容が大変になって、枚数もいっぱい描き続けて、どんどん膨張するばかりに任せたら、お金は細切れになり、得られる報酬の配分がどうなるのか、イメージするまでもないですよネ。各スタッフに椀飯振舞いできるほど野放図に制作費が得られるわけじゃないです。実演家を定義するといっても、テレビ1話で作監が17人もいるような状況で実演の領域や境界線の線引きすら困難でしょう。

 

実演家‥‥と言葉では簡単に言えますが、その「実演」とはアニメ制作ではいかなるものか。そもそも昭和から脱し得ないアニメ制作のカタチ自体が未来に持ち堪えるかどうか。新しいアニメ制作のカタチとは何か。

 

日頃から、あらゆる方面から考察して、未来の戦略と戦術を温めておくことが肝要です。「いざ!」という時に初めて考え始めるのでは、全く遅いですからネ。

 

念仏を唱えるだけでは、未来は変えられませんもんネ。

 

 

 


あてをあてにしない

ごく当然のこと‥‥ですが、他人をあてにしていると、その他人が動き出さない限り、あては外れます。他人に依存していると、自分の状況は他人任せになります。

 

他者や組織、もっと広げて考えれば世代や社会に対して、「周りの誰かが改善してくれないから、自分も改善されない」なんて言いだしたら、それこそ、2年3年どころではなく、5年10年、もしかしたら20年30年も、「あてにして待ち続ける一生」に甘んじるかも知れません。

 

自分ひとりで何でも可能になるなんて傲慢なことは言いませんが、他者をあてにしているだけでは、可能を不可能へと自ら悪い方向に誘導しているものだ‥‥とも思います。

 

私は新人類とかバブル世代とか言われた世代ですが、バブルが膨らもうがは弾けようが、アニメーターをやってて何の変化も感じなかったです。六本木のきらびやかなシャンデリアの下で腰振って踊ったことなんて一度もないですし、アッシー君でも財布君でも無かったです。原画料金もバブル膨張期だからって、別に何も特別なことはなかったです。相変わらず、昔から安かったです。

 

いわゆる団塊ジュニアで就職氷河期と呼ばれる世代の人(私のちょっと下の世代)を何人か知っていますが、やはり、世代特有の何か特別で強烈な逆境に遭遇したなんてことは言ってませんし、「ロスジェネなんてひとくくりにされるのは迷惑」とすら言います。「就職難だろうが、自分のやりたい目標は決まっていたから、難易など関係なかった」とも言います。

 

思うに、世代論は全員に当てはまるものではないです。

 

他者に何かを依存して、「他者の責任」に転嫁している時点で、その人はずっと好転の機会を失い続けるし、自らロストしているように感じます。

 

世代を呪うと、当人が自己呪縛に陥って、世代に呪われる‥‥とも言えそうです。「呪い返し」、つまり、何かを強く呪うことで、自身が呪われた人生を歩む‥‥とも言えます。

 

まあ、たしかにエスカレーター式の人生を夢見ていたのなら、そのエスカレーターに不調が発生すれば、「ぜんぜん上に運んでもらえないじゃないか!」と不満を抱えるでしょう。エスカレーターが故障して停止すれば、いつまで経っても上には「運んでもらえない」ですもんネ。

 

でも、エスカレーターが故障していくら待っても動き出さないようなら、普通の感覚で考えて、エレベーターの手すりを乗り越えて出て、階段なりで自分で上を目指して昇り始めるんじゃないですかネ。そりゃあ、エスカレーターみたいに自分は突っ立っていさえすれば上まで運んでくれるようなことはないでしょうが、自分には「歩ける足」があるのですから、「何だよ‥‥故障かよ」と舌打ちしつつも歩き始めないと、延々と時間をロストするばかりです。

 

今まで10年、20年とロストしてきた人は、同じ思考や行動のまま、この先10年、20年とロストし続けるのかも知れません。

 

 

怨念感情は根深いものがあって、例えば、私の父は、戦争によって両親をまさに「ロスト」した‥‥というよりは「ロストさせられた」のですが(父親は戦死、母親は終戦後間もなく病死)、ずっとロストした怨念感情を抱えたまま年老いているのを感じます。以前、父は何か太平洋戦争のテレビ番組を見るたびに「靖国のA級戦犯についてどう思うか?」と何度も何度も話してきたのを思い出します。戦争当時に子供だった父は、当時の政権に対し投票によって是非を行使することもできませんでしたから、国家を導いた指導者に対する怨念は一層強いのかも知れません。

 

父は喪失感を抱いたまま、足を地につける感覚が希薄なまま生き続けて、そしてそのまま死ぬのかも知れません。父は昔から、刹那的・衝動的・反射的に「自分の損得」のために場当たり的に行動するようなことがある‥‥のを、私は小さい頃から感じていました。何かを取り戻そうとする脅迫的な観念が根っこにあったのか、それとも、今あるものは今のうちに獲得しないと永遠に失うという自己防衛的な感覚が無意識下に植え付けられているのか、刹那的で衝動的な行動をし続けて、度々、家庭を危機的状況に引きずり込んでいました。

 

自分は戦争によって人生をメチャメチャにされた。どうしてくれるんだ。‥‥そうしたどうにも解決できない怨念を心のどこかに思い続けて、父は今も生きて、そして生涯を終えるのかも知れません。

 

父の境遇に同情する感情は子供の私にも当然ありますが、では戦争孤児はみな父のような人間性なのか?‥‥というと、そうではないですよネ。ロストした状況をそのまま怨念感情に結び続ける人が100%なわけではないです。ロストしたからこそ、何かを見つけ出そう、ロストしたからこそ、しっかりと強い絆を形成しようとする人もいるでしょう。

 

 

父は国家公務員で、自営とか全く経験がないまま、定年退職しました。つまり、どんな時でも、「お給料」は貰えていたわけです。そうした「お給料感覚」しか体験しないまま人生を生きると、集団や組織に対する不満が募り、世代論で自分の境遇を占ったりするのかな‥‥とも思います。給料で働く人は、月々の自分の作業1つ1つに対して請求書を書くことがないので、内訳の感覚が希薄ゆえに、自分は何を獲得して何を喪失したかがかなり曖昧なまま、人生を送るようなこともあるでしょう。

 

一方フリーランス・自営の人間は、「自分の売りは何か」「自分の値段はいくらか」「自分は何用の人間か」をリアルに毎月毎年考えることになります。世代論にぶつくさ不満をぶちまける暇があったら、自分の売り要素を増やして価値・価格を「世代を超えて」引き上げていく必要性に迫られるからです。

 

どちらにせよ、他人をあてにして、自分の現状を覆いかぶせることは、あまり良い結果を招き寄せないと、私は思ってます。会社勤めであれフリーランスであれ、アニメーターはアニメ業界に依存し続ける体質から離脱すべきと思いますし、自分の能力を手広く展開する方法は2019年の現在はやまほどあります。iMac 5KとiPad Proがあるだけでも、1980年、1990年とは大違いです。

 

 

まあ、残酷な構造論で考えれば、他者に依存するがゆえに喪失し続ける人間も、自発的にアクションして獲得し続ける人間も、そのどちらでもなくぬぼーっと生きていられる人間も、全ては必要な構成要素なのでしょう。

 

ただし、過去の流れに甘んじるか否かまでは、運命ではないと思います。「No Fate」です。

 

世代論、社会論に染まるか否かは、自分次第です。

 

 

 

 


美術と数学

私は中学2〜3年の時に、担任の先生が美術と数学の掛け持ちだったので、美術はもちろん、数学に対する興味も強かったことを思い出しました。私の好きな数学は、方程式と証明問題と図形でした。

 

今日、「学校で習った三角関数なんて、社会に出てから使ったことがない」云々という記事を見かけましたが、それはたまたま、記事の当事者がそういう職業だからです。

 

After Effectsを使うようになって、意外に役に立つのは三角関数です。エクスプレッションで結構昔から使っています。

 

例えば、コレ。

 

 

Math.sin()やcos()に、円周率を掛け合わせて1秒周期にして、あとは円の半径を設定するだけです。こんな動きをキーフレームで手作業でやってたら、劇中の表示系のコンポジットなんて日が暮れてしまいます。無機的な動きはエクスプレッションのMathを使って、タイミングの調整は数値操作だけでおこなうのが常道です。

 

8の字はちょっと応用すればできますし、楕円や振り子の動き、両端詰めの動きも、簡単なエクスプレッションで可能です。トランスフォームのポジションプロパティに適用すれば、キーフレームなど1つも打たなくても、円運動をアニメーションできます。

 

//正円の円周軌道

var gain=thisComp.height/2*0.8;//半径
value+[Math.cos(time*Math.PI*2)*gain,Math.sin(time*Math.PI*2)*gain];

 

//8の字の動き

var gain=thisComp.height/2*0.8;//半径
value+[Math.sin(time*Math.PI*4)*gain/2,Math.sin(time*Math.PI*2)*gain];

 

ちなみに、cos()を使わない場合は、sin()で用いるtimeにオフセットを適用すれば、同じ結果を得られます。毎秒における回転数を可変にしたい場合は、ユーザ変数「rps」の数値=回転数を変更します。

 

//正円の円周軌道〜Math.sin()だけを使う場合

var rps=1;//1秒あたりの回転数
var gain=thisComp.height/2*0.8;//半径
value+[Math.sin((time+0.25/rps)*Math.PI*rps*2)*gain,Math.sin(time*Math.PI*rps*2)*gain];

 

 

昔、プラチナデータという実写映画で、顔写真付きのIDカードが螺旋状にパレードする動きを作ったことがありますが、エクスプレッションの三角関数があったからこそ可能な作業でした。各カードごとの間隔や、螺旋全体の振幅や速度など、全て数値で制御しましたが、何よりJavaScript Mathがエクスプレッションで使用可能だったことが大きいです。

 

ちなみに、上図GIFのムービーは、軌道がわかりやすいようにエコーエフェクトで残像を作っています。After EffectsのサンプルAEPは以下です。CC2018です。

 

三角関数で円運動

 

 

ふと、私が美術的な表現アプローチとともに、コンピュータに嫌悪感を抱かずすんなり馴染めたのは、中学の担任の先生の強い影響があったんだな‥‥と改めて思いました。子供の頃に出会った先生の影響は、実はとんでもなく重要なファクタとなるのかも知れませんネ。

 

まあ、担任の先生自身「美術と数学を兼任している」というのも、なかなか珍しい人だったのでしょう。美術の指導では随分と気にかけてくれましたし、数学の方程式や図形問題では、教程とは別のアプローチの解き方をしても、その内容が正しければ「正解」にしてくれました。私自身もいつしか自分の得意なジャンルを意識し始め、どんどん調子にのって、没入していったのを思い出します。

 

友人・知人との雑談で聞くところによると、「自分の教えた通りに生徒がトレースしないと気に食わずに不正解にする」なんていう教師も山ほどいたようです。まあ、今考えてみれば、教師とはいえ30代なら、器の小ささを残した若造が教師の中に紛れていても不思議ではないですもんネ。

 

そう考えると、私はとても幸運だったと思います。

 

運命って、残酷極まりないですよネ。人との出会いは、相当重要ですもんネ。

 

 

とまあ、よくよく考えてみれば、作画とコンピュータを掛け持ちしているのは、美術と数学を指導してくれた中学の担任の先生の影響がかなり強いんだな‥‥と実感する一方で、現場の人間に「プログラムは若いうちに習得しておいたほうが良いよ」と繰り返し説いても、中々そういう人間は現れないので、‥‥さて、どうしたもんかな‥‥と腕を組んで考え込んでしまう日々です。

 

 


どうやったらよくなるか‥‥とか

「アニメ業界がどうやったらよくなるか」という話題を見かけたのですが、アニメ業界は言わば、色んな「宗教」「利害」を内包した「小さな世界」みたいなものですから、「アニメ業界がどうやったらよくなるか」は「世界はどうやったら平和になるか」と同じような「とりとめのない話題」です。‥‥と私個人は思います。

 

小さい頃、「なぜ戦争はなくならないのか」が不思議でした。単純に、疑問でした。皆がこれほど忌み嫌っている行為が、それこそ何度も幾度も繰り返されるのは「なぜ」なのかがシンプルに解りませんでした。

 

例えば、シリア内戦がどのような歴史的経緯を経て発生し現在に至るか‥‥を、日本の街行く大人たちに聞いて、どれだけ答えられるでしょうか。これが原因で、こうすれば解決する‥‥なんて、そうそう簡単に言いあらわせるものではありません。

 

でもまあ、シリア情勢はともかく、世界を平和にすることがどれだけ難しいかは、さすがに30〜50年も生きれば、よっぽど花畑で暮らしてきた人でもなければなんとなくわかるでしょう。多くの要素が絡み合い、到底解きほぐせない状態を引きずった上で、些細なほつれがいくつか重なったことがきっかけで、紛争は発生します。何かの思いつきの号令で始まるわけではなく、遠因を引きづりつつ近因が火種となって、始まるべくして始まるのが紛争・戦争です。たとえばグダニスク〜ダンツィヒの件(第二次世界大戦の火ぶたとなったポーランド侵攻に至る前段階)は、1930年代の限定期間の問題ではなく、ちょっと遡っただけでも1400〜1700年代に至ります。地政学の典型とも言えます。

 

アニメ業界の問題は、日本社会の縮図を見るようだ‥‥と、いくつもツイッターで見かけました。そうですよね‥‥、もっと言えば、「戦争がなくならない世界の構造」の1/144ミニスケールにも思えます。

 

アニメ業界‥‥というか、アニメを好きな人々には、それぞれ「自分のアニメ体験に基づく信仰」のようなものがあって、それすなわち、宗教・宗派と呼んでも大袈裟ではないような「当人にとっては根深い」思考形態・原点があります。特に「演出」「作画」のスタッフに色濃い要素です。「技術信仰」と言うべきか。

 

そのベースの上に、ビジネスが乗っかると、さらに状況や構造は複雑化します。アニメ制作におけるワークフロー=現場視点に限定しても、「技術と商売の方法」が各人で入り乱れて、いわば「宗教+経済」の泥沼の様相を引き起こします。

 

「紙」の是非ひとつとっても、「宗教戦争」に発展しかねませんし、ビジネス上の「直接的な単価」にも直結します。

 

私は紙だけでなく、今はほぼ100% iPad Proによる作画スタイルに切り替えて、CO/KF=カットアウト・キーフレームアニメーションを主体にしようと取り組みを続けていますが、たまに紙の仕事を引き受けると、その総合コストの大きさに改めて息をのみます。どう考えても、CO/KFでやったほうがクオリティもコストも高いカット内容を、紙を基盤にした現場は安い作業単価と膨大な時間をかけて紙で作り続けます。

 

場面に適した技術を用いるべき‥‥という、ごくごく自然で普通な考えは、旧来の慣習を継承した一般的なアニメの制作現場では、机上の空論なのです。現場を支配しているのは、合理性や生産性ではなく、作業の慣習やテンプレート=伝統なのです。まあ、日本人らしいスタンスと言えば、それまでですが。

 

「技術を切り替えればいいじゃん」と言って簡単に切り替わるほど、アニメの現場はフレキシブルでも合理的でもないです。

 

そして残念ながら、頭の柔らかさ・硬さは年齢に比例するとは言えず、若い人間でも古漬けの思考に染まっている人間もいるし、ベテランでも思考をスパっと変えられる人もいます。若いから思考が柔軟だ‥‥というのは実はなんとない願望であって、頭の古さは年にあまり関係がないです。ゆえに、時代から技術が置いてきぼりになって効率が低下しても、老いも若きも同様に気づけないのです。

 

‥‥で、こうした話は現場の氷山の一角です。戦後のアニメーション技術とビジネスから派生した色々な問題で溢れかえって、さらに世代論や各人の心情(信仰)も重なり合って、まるで、色々な宗教とビジネスが混沌と混じり合う「世界の縮図」のようです。

 

 

 

じゃあ、あきらめるのか?‥‥と言えば、そうではないです。

 

そもそも「業界」云々の論調が、飛躍しすぎている‥‥と思うのです。自分や自分たちの幸せを、世界平和に結線する短絡思考が‥‥です。

 

「現場の改善」の考え方を「業界の問題の解決」に寄せるからこそ、話がファンタジーに終始するのです。

 

「我が家は苦しい。貧乏だ。ここはひとつ、ジュネーブの国連に行って、国際紛争を解決し世界平和を実現してくれるうよう、かけあってくる」と言うようなものです。ファンタジー過ぎます。

 

貧乏で苦しいんだったら、国連に出向くよりも、身の丈で実践できることがいくらでもあるでしょう。自分の貧乏と国連の決議は、あまりにも遠すぎるのに、「自分の不幸は世界が平和じゃないからだ」と考えてしまうのは、結局のところ、「当人の思考の破綻」の現れだと思います。

 

どんなに現場の改善を望んでいても、紙から一向に離れられない、送り描きの動かし方でしかアニメを作れない、サーバとのやりとりは全て手作業(人間の操作)だ、制作進捗管理をエクセルで表に書き込んでいる、サブスクリプションの仕組みが受け入れられない‥‥なんて続けるばかりでは、新しい時代の新しい体質は獲得できません。

 

現場の改善に「わかりやすい特効薬などない」です。地道で細かい改善の積み重ねを果たした集団が、旧来の構造から徐々に抜け出すことができる、‥‥ただそれだけだと私は思います。

 

業界ではなく、現場を見ましょう。そこにはフィルムカメラもセル用紙も絵具もなく、代わりにネットワークで繋がったコンピュータがあります。現代の状況と特徴を無視して、現場の改善を語るなんて、ありえません。

 

業界を改善しよう‥‥なんて思うのではなく、自分たちの現場を改善すれば良いのです。そのために、新しい時代の新しい技術をどんどん導入すれば良いのです。1.5Kを4Kにアップコンして誤魔化す方法を考えるのではなく、最初から4K時代の新技術に取り組めば良いのです。過去の慣習や思考の殻から脱皮すれば良いのです。

 

 

 

「アニメ制作現場」は、これから先、世界市場の映像技術変化に対応して、時代性と共に歩んでいきます。アニメの映像品質だけ2010年代のままで良いと社会から容認されるわけではなく、周囲の進化する映像産業との厳しい比較の目に晒されるでしょう。

 

「アニメ制作現場」とは言わず、百歩譲って「アニメ業界」が、「どうやったらよくなるか」を語るとしても、過去からの問題点と等しく、未来に起こり得る問題も重大な要素です。どこかのツイートで「制作上のファイル容量計算」を見ましたが、2KでSDRの試算であって、未来の映像フォーマットでは試算されていませんでした。中間ファイルの試算も抜けているようでしたしネ。

 

なぜ、未来予測がすっぽ抜けるのか‥‥、いつでもよくある「典型的な見落とし」です。

 

でもまあ、そんなこんなも全部ひっくるめて、溶けて混沌とした上で、次のカタチが出来上がっていくんじゃないかな‥‥と最近はよく考えるのです。

 

かっこよい脱出方法などなく、進歩派も穏健派も旧体制派も、皆、ぬかるみに足を取られて泥だらけになりつつ、思わぬところで思わぬ協力体制ができあがったりもして、「なんとか生き残れて、未来行きの列車に乗り込めたみたいだ」と後になって気づく‥‥ような感じかも知れません。もちろん、相当な数の脱落もあるでしょう。

 

 

 

考えてみれば、2010年代も今年が最後の1年。

 

最近では、アニメは数兆円規模の市場と言われますが、思うに2010年代の制作現場の価格破壊が、相当「貢献」したことでしょう。

 

皮肉な話ですが、現場サイドからみれば、発展というよりは破壊に至った10年と言えるのかも知れません。

 

しかし、破壊は創生の前段階とも思えますから、2020年代を死滅の年代にするも誕生の年代にするも、自分と自分たちの現場次第です。

 

「業界」なんて全くアテになりません。ぶっちゃけ、業界って誰?‥‥って話です。実体がないです。「影」に話しかけたところで、何も答えてくれません。問題を延々とたらい回しにして、時間を無駄にするだけです。「影」から得られる情報は、「影」がどんな形をしているか、それだけです。

 

まあ、影の形で光が差す方向を推測することもできましょう。しかし、その光は日没前の太陽かも知れませんし、フィルムの亡霊の幻光‥‥平家落ち武者の怨霊(耳なし芳一〜昼だと思って戸をあけたら夜中だった)かも知れません。

 

皆の影が寄り集まった「業界」ではなく、あくまで、自分たちの実体で形成する「現場」こそが、未来のよりどころだと思います。

 

業界の光と陰に過剰な信頼や思い入れをするのではなく、あくまでも「計測の基準点の1つ」として捉えるだけで十分です。

 

「どうやったらよくなるか」については、わたし的には、「淘汰を経て、新しい現場の新しい共生のカタチが出来上がる」だけだと思っています。画期的な延命策などありません。新しい技術をどんどん実用する一方で、全体的な淘汰を受け入れ、生き残りをかけるのです。今までの構造のまま、どこかの誰かがうなるようなお金をバラ撒いてくれて皆ハッピー‥‥なんてあり得ません。

 

滅ぶものは滅び、生き残るものは生き残り、新しい何かを取り入れて、混沌としたのちに、新しいアニメ制作の体質が出来上がっていくのでしょう。少なくとも私は、そう思えるのです。

 

 

 

 


2019年

2019年です。

 

今年は、色々なものが溶けて、ぐちゃぐちゃ・とろとろになるように予感してます。

 

過去から現在への色々な「伏線」が織りなして未来を編む‥‥のがカッコよくて良いんですけど、どうもそうなる気配は感じません。織りなすというよりは、混ざり合って溶けて再形成するような感じ。まるで蛹の内部で体組織がドロドロに溶けるように。

 

こんなに苦労して積み上げてきたのに‥‥と思うようなことでも、きっぱり潔く、トロトロに溶かしてペースト状にして、次の段階に進むべき年なのかなとも思います。前の形を惜しむばかりでは、どうしようもない。

 

映像から電子出版まで、コンピュータのデジタルデータ限定でも、色々な表現・ものつくりの手段が豊富なのが、まさに2010〜2020年代の技術世界の様相です。そうした豊富な要素を、一旦溶かして混ぜてみようと考えつつ、正月もあいかわらず机で仕事する私です。

 

今年の干支はイノシシらしいので、Procreateで作業のあいまに、ずちゃちゃっと描いてみました。

 

本年はどんな年号になるのか、楽しみです。

 

皆さま、本年もどうぞ宜しくお願いします。

 

 


2018年最後の雑感

2020年代のアニメは、2010年代のアニメとは違うものになるのは、過去を振り返れば想像に難くないです。

 

2000年代のアニメと2018年の今のアニメでは、技術的な面だけ見ても違いますもんネ。2000年代にアニメを作っていて、まさか髪の毛の塗り分けが7色になるなんてリアルに想像できんかったでしょ。3色グラデ+かげ色3色+Hiで7色で、しかもキャラごとに色が違って(あたりまえだけど)、3人並んだ時には21色か。

 

ですから、突然更新が止まって、2020年代以降のアニメが2018年の今と同じであることのほうが想像できないです。変わって当然。

 

1960年代のアニメは、絵も違えば、音も違うし、タイミング(尺感覚・間)も大きく違います。1990年代のアニメも今とは大きく違いますよネ。アニメを作る総合技術がまるで違います。

 

4K HDRへの移行は、考えてみれば、技術的には妥当な流れです。2000年後の20年前は皆、ブラウン管テレビのSDサイズで、しかもテレシネしたフィルム撮影のアニメを見ていたことを忘れちゃならんす。10年前は「地デジ化」で、SDからHD・ハイビジョンへ移行しましたよネ。‥‥結構な荒波を超えて、アニメは生き残っています。

 

 

移り変わりの時期は、色々と場が乱れますが、だからこそ、チャンスでもあります。

 

淘汰と台頭は、1枚のジョーカーが握っている‥‥とも思える今日この頃。

 

未来を現状維持の観点で捉える人にとってジョーカーは、ババ抜きのババになるでしょう。しかし、未来を新しい視点で捉える人にとってのジョーカーは、ポーカーゲームのワイルドカードのごとく、3カードを4カードにも、ツーペアをフルハウスにも、そして1,10,12,13の不揃いをロイヤルストレート(A-ハイストレート)にもできるでしょう。

 

新しい技術世代のジョーカーを、ババにするのか、ワイルドカードにするのかは、アニメをリアルに作っている自分たち次第‥‥です。

 

 

 


オーズ

orzって、最近まで何を意味するのか知りませんでした。(^ ^ くらいは見た目で解るんですが、orzは見た目では判断できませんでした。何かのスラングかと思っていました。

 

でも、若い人の中にも知らない人がいて、「昔のネット文化」みたいに言われてて、ちょっとだけ安心しました。知らなかったのは、私だけではなかった‥‥と。

 

ちなみに、私は子供の頃に耳にした「あじゃぱー」(=どこで聞いたかはよく覚えていない)をずっと使い続けており、「古ッ!!」と言われたことがあります。

 

語尾を上げる口調・イントネーションもそのうち廃れるんだろうな‥‥とは思います。その口調がオジさんオバさんの特徴になるのもそう遠くはあるまい。

 

私の父は栃木地方の出身なので、語尾を上げる栃木・茨城訛りのような言葉を小さい頃から耳にしていました。なので、一時期異様に流行った語尾を上げる「‥‥じゃね?」みたいな喋り方は、北の地方の訛りにしか聞こえなくて、「今、世間では何が起こっているんだろう」と10年前くらい(だったかな?)に思ったものです。

 

ちなみに父はセブンイレブンを「イレブンセレブン」と言うなど、かなりめちゃくちゃな割に、「じゅうふくじゃない。ちょうふくだぞ。」と嗜めるような面も持ち合わせています。昔、戦争孤児で苦学生だった面影が偲ばれます。

 

 

まあ、無理に若いふりを装ったり、いまどきの流行を知ったふりをするのは、うまくいかなかった時に、結構、恥ずかしいですよネ。

 

なので、自分の現実味として「オーズ」の文字列が出ないのなら、そのまま人生を歩んでも良いかと。‥‥無理するのはよくない。

 

まあ、orzって、両手両膝をついて打ち拉がれるポーズだと思うのですが、私は打ち拉がれた時に、もっと違う反応を見せるので、そもそも自分に合わない‥‥というのもありましたネ。今更‥‥ですけど。

 

「と言いながら、おまえは4KだHDRと流行を追いかけているじゃないか」とか言われそうですが、私にとってそれらは他人事の流行じゃなくて、毎日歩む技術進化の潮流であり、自分事の現実です。「流行」とはちょっと違う‥‥んですよネ‥‥。

 

新しいiPad Proも楽しみですが、それは料理人の包丁やフライパンのようなものなので、流行とか全く関係なく、むしろ「さらに実用的な道具が出た」くらいの認識です。

 

 

 

流行じゃなくて、自分の気になるものを追いかけるのって、端から見てても、何か良いです。みうらじゅんさんの「甘えた坊主」(いやげもの)の人形コレクションとか、妙に脳裏にこびりついて今でも思い出しますし。

 

私もたまにですが、「買わずばなるまい」と買ってしまうものがあります。最近だと、手の造形だけで気に入って買った、100円ダイソーのコレとか。私はただ単に「ビジュアルだけでミトンが好き」なので、これもツボにはまって買ってしまったのです。

 

*全然怖くない。いや、むしろ、怖いか。

 

 



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