無題。

私は実物を見ていませんが、こんな車内広告があったそうな。

 

「月収の基準ずれてる」 阪急電鉄の中づりに批判殺到

https://www.asahi.com/articles/photo/AS20190610003931.html

 

毎月50万円をもらって毎日生き甲斐のない生活を送るか、

毎月30万円だけど仕事に行くのが楽しみで仕方がないという生活と、

どっちがいいか

 

そんなの決まってるじゃんね。

 

毎月50万円をもらって仕事が楽しくて仕方がないという生活

 

ですヨ。

 

 

 

あのさあ。

 

お金を人質にとるなよ。

 

お金とやりがいを天秤にかけて、どっちが大事か?‥‥なんて、よほど恵まれた生活をしてきたんだね。この80代の研究機関の研究者という御仁は。

 

お金とやりがいは、「引き換え」にするものか???

 

お金とやりがいは両方とも大事です。天秤にかけるものではないし、引き換えるものでもないし、ましてやお金を人質にとってソフトにやんわりと恐喝することでもないです。

 

こういう考え方が、まさに以前書いた「レールにのってエスカレーター式昇進」をしてきた人間の限界と盲点そのものなんだよネ。思考が及ばないのです。

 

‥‥一度でも、ライフラインが全て停止する追い詰められた生活(というのは極端だけれど)でもしてみれば、決して出てこない文言だけどな。

 

まあいいじゃないの。言わせておけば。何でも知ったように振る舞って、大恥を晒せば良いのです。

 

 

 

私は、無知の知を知るものでありたいです。知が3つも連続してややこしいですが。

 

レールから外れたことで得た、余りある財産を、活かしましょう。

 

 

 

しかし、阪急電鉄が、この車内広告を出した意図ってなんだろう。

 

行動には何か目的があるのでしょうけど、この広告を人々に読ませて、どういう気持ちに誘導したいのか。

 

お金を稼ぐことと、仕事に生き甲斐ややり甲斐を感じることは、別のベクトルであるのに、それを混同したような文言を人々に読ませて、「お金なんて稼がなくて良いでしょ=人件費が低くても構わないでしょ」と刷り込みたいのかな。

 

「憧れのアニメが作れるんだから、ギャラなんて低くて良いでしょ」とばかりに続けてきたアニメ業界みたいな匂いもしますネ。アニメ制作集団の中には、どうやったらブラックから抜け出せるか必死に模索して取り組んでいるところもあるのに、何だか逆行するものを感じます。

 

コンセプトがわかりませんね‥‥どうにも。


4K時代に

今年のWWDCは、4K映像制作時代にふさわしい内容が盛りだくさんで、純粋に良かったと思います。

 

何か、Blood the Last Vampire(2000年公開の劇場短編)を作っていた1998〜99年ごろの雰囲気がフラッシュバックしました。

 

新しい時代へと移り変わる時、なぜか色々な産業がシンクロして次世代へシフトするんですよネ。まあ、見方を変えれば、色々な産業が同時多発的に関わりつつ技術発展するから、新しい時代へと移り変わっていく‥‥とも言えるのでしょうけど。

 

ちなみに、その劇場版Blood。1440px横幅のアメリカンビスタでした。After Effectsは8bitだし、メインのサーバは数百GBだし、導入例も事前の成功例もなく、手探りで困難の連続でしたが作りあげることができました。

 

 

 

1999年に1440px。

 

2019年の現在、1280pxでフローして1920pxにアップコンするような作品もありますよネ。20年前のヨチヨチ歩きで生まれたての「デジタルアニメーション」だったBlood劇場版よりも解像度が低いって、どういうことか。

 

アニメ業界全体、もういい加減、年貢の納め時です。昔の解像度は、未来に確実に通用しなくなります。

 

今必要なのは、アニメ業界の一般論をどんどん覆して、慣習(お金の慣習ももちろん)を塗り替えていくことです。

 

業界の今までの一般論や通論は、時代からとっくのとうにズレ始めています。NABやInter BEEでも、もう4Kはごく普通で、8Kの話題へと移行し始めていると聞きました。タブレットで4Kネイティブに作画して、4KHDRで映像をコンポジットするのは、アニメでは前代未聞でも、映像技術全般からすればごく普通の流れです。

 

本当に、未来もアニメを作って生きていきたいのなら、4Kを意識することくらいは2019年の今から始めたほうが良いですヨ。

 

 

 


雑感

普通、誰だって、嫌われたり憎まれたくはないですよネ。

 

でも、日頃皆で現場の改革や近代化を唱えても、いざという時に事なかれ主義に転じて、何も状況を変えていけない烏合の衆になるのなら、たとえ一時的に嫌悪されようと、ハッキリと言うべきは言って「憎まれ役」を買ってでることも、年長者や経験者には必要でしょう。

 

成功例が無ければ決断できず、他所の導入事例ばかりをあてにして、失敗した時のことを考えるあまりに結局は保身に終始する姿は、年齢に関係なく見透かす人は多いものです。

 

 

 

1996〜2005年までの期間、アニメ現場にコンピュータを導入する取り組みなんて、前例も成功例もありませんでした。各所が小さな実績を重ねて足場を作っていったのです。

 

何もないところから構築することのほうが、今は重要です。1990年代後半には「デジタルについて」のアンケートもリサーチもできませんでしたが、それでも制作の基盤を年ごとにどんどん固めていけたのは、トップダウンとボトムアップが相互に循環する現場作りをしていたからです。

 

ペンタブを器用に使いこなして絵を描けたからといって、未来的な制作システムが作れるわけではないです。

 

制作システムの運用経験がいくらあろうと、新たな技術革新の場面では今までの経験値や思考形態では処理できないことも多分に存在します。

 

ペンタブを使いこなして何が可能になるのか。新しいソフトウェアを使って何ができるのか。指先1本の感覚からボトムアップしていく必要があります。

 

新しい技術要素によって、どのような新しい制作システムが構築可能になるのか。旧来の慣習に囚われず、今起きている新しい出来事から旺盛に吸収して、システム設計を進める必要があります。

 

一丁噛みや尻馬に乗ることなんて、最初から諦めて、自分らの力で堅実に現場を強くしていくしかないですヨ。1990年代後半から「デジタルアニメーション」の現場を作っていった人々は、鉄板の方法論の存在しないところで、みな自力で築いていったのです。

 

 

 

そりゃあ、誰だって、ストレスもなく、気楽にのんびりと生きていければ、それが一番。

 

でも、さも安定しているかのように見える内側で、どんどん細胞が壊死しているのに、のんびりとはしてられないでしょ。

 

耳障りの良いことだけ言って、表面上を和やかに取り繕っても、深刻な病が体内で進行しているのなら、たとえ耳に痛過ぎる内容でも、「病気を直しましょう」と告げることは‥‥‥‥、やっぱり必要だと思いませんか。

 

それとも、闘病よりも安楽死を望みますか。

 

私はアニメに死んで欲しくはないです。生き続けていけるよう、最大の努力と取り組みを続けるのみです。

 

 


CSSだよ

CSSのボックスで、ボーダーを破線(dashed)にしておいて、シャドウをボックス塗色と同色に設定して太らせて(ボカさずに)、角を少し丸くすれば、刺繍風のボックスになる‥‥って、機能というよりは使う人のアイデア勝ちですよネ。作例を見て、驚きました。

 

CSSは機能の豊富さだけでなく、使う人々のあの手この手のアイデアで、思いもよらなかったデザインが実現できるのが、非常に興味深く、面白く楽しいです。

 

とても今からCSSの使い手になろうとは思いませんが、エッセンスだけでも取り入れて、「ホームページはデザインセンスの無い人が作るもの」という昔の黒歴史のイメージから抜け出たいと思います。

 

意固地になって「デザインなど不要。昔のままで十分。情報さえ伝われば良い。」というのは、それはもうジジババになって柔軟性を欠いた証拠。

 

情報を伝えるために、読みやすく見やすい、惹きつける(=読もうという気にさせる)デザインが必要なのです。映像だって、ワイヤーフレームで動きの情報だけを伝えりゃ良いって話じゃないですもんネ。

 

ただ、あくまでHTML+CSS+PHPだけの範囲で、あまり重くしないように作っていこうとは思います。

 

 


百獣のおかゆ

雇用を非正規から正規へと変えるのと、稼げないのを稼げる状態へと変えるのでは、話の論点が異なります。正規雇用でも給料が安ければ、生活は苦しいままでしょう。

 

もしかしたら、「正規雇用で、いっぱい給料が貰えて、終身雇用を保証せよ!」‥‥というのが、ロスジェネ問題の論点なのでしょうかね? そんな条件、別にロスジェネでなくても、全世代の多くが望むことなので、何か話がすり替わっているようにも思えます。

 

「正規雇用で高給で終身雇用」を万人が享受する社会って、どういう構造なんだろう‥‥と思います。これはもっと言えば、絶えず成長を続け衰退せず、利潤と景気が拡大し続ける社会の実現とも思えます。

 

何だか、ジャングル大帝のような釈然としない社会構造です。ジャングルの動物は皆ともだち!‥‥のスローガンは結構だけど、ライオンの子、レオは何を食べて生きているのか、食卓の内容がナゾです。

 

百獣の王ライオンも、トラも、チーターも、ハイエナも、シマウマも、バッファローも、キリンも、象も、毎日おかゆでも食べてるんでしょうかね。ジャングル工事の歌を歌いながら。

ジャングルを工事して遊園地を作る‥‥って、今にして思うと、罪深い歌詞だよねえ‥‥。

 

できもしない綺麗事を並べてもしょうがないですよネ。ライオンが食べるのはおかゆではなく草食動物の内臓です。口の周りを血だらけにして。

 

 

 

要は、貧困で悲惨な生活を回避することが、主たる目的ですよネ。その目的を達成する手段を、夢だけの理想社会など当てにせず、自分らの方法論にて探し出せば良いと考えます。現代社会のジャングルの中でネ。

 

過去、人類は色々な社会構造やシステムを試しては、頓挫してきた経験を持ちます。ロスジェネの問題を掘り下げていくと、「どんな社会にすれば、万人が幸せに生きられるのか」という問いにぶつかるような気がします。様々な社会的な主義や思想も皆それぞれ問題を抱えていますが、果たして、地上の楽園はいずこにありや?

 

世界平和をココロに秘めるのはソレはソレとして、今、目の前の「将来の貧困」をどのように回避するかは、社会システムの試行錯誤に委ねるべきではないと、少なくとも私は思いますけどネ。

 

 

 

 


33〜48?

朝日新聞の「ロスジェネはいま」の特集で、ロスジェネの定義を「ほぼ現在の33歳から48歳にあたる。」としていますが、正直、「幅広!」ですネ。33歳と48歳では、かなりの開きがあります。

 

33歳なら、「ロスジェネ」の単語に自ら束縛されるのではなく、今からでもいくらでもキャリアの路線変更や更新はできると思います。特に映像関係の最新技術を駆使するような仕事は、30代からいくらでも状況を変えていけると思います。2Kすらミニサイズになるような変革期ですから、チャンスはいっぱいあります。

 

アラウンド40だって、まだまだイケるはず。引きこもっていたわけではなく、ちゃんと働き続けて技術も経験も蓄積し、その上で、不当な評価に苦しんでいたのなら、不当な評価を覆す機運は、やはり変革激しい映像業界ではまだチャンスはあると思います。

 

100ある能力を、不当に50しか評価されてこなかったのなら、そもそも「労働力」「技術力」の確保に苦しむであろう未来は、その不当な50のマイナス評価を「事態を理解した受発注双方で」根気強く修復していく取り組みを実践し、手堅い「現場力」を指向するのも良いと思います。

 

少なくとも私の事情で言えば、年齢に関係なく、カットアウトアニメーションの技能者・作業者は、いつでも欲しています。

 

33〜48歳までの年齢層なら、当人の今までの経験の蓄積に、何か「化学反応」が作用すれば、例えばアニメ業界で言えば、2K以下の映像制作で停滞しきっている状況を、根本から変えていくパワーにもなり得ると思うんですよネ。‥‥まあ、アニメ業界は改善すべき点が沢山あるので、ロスジェネに関わらず全世代の問題ではありますが。

 

一方で、怨念感情を爆発させて、自分の100の能力を150も200もあるように主張すると、サーっと潮が引いてしまうでしょう。今まで損した分を取り返す!‥‥みたいなのは、端から見ててもバレちゃいますしネ。

 

33〜48歳の経験の蓄積が、妙に耳年増な達観主義に陥るのなら、かえってマイナスでしょう。鉄板とか定番などを振りかざす中年技術者は、新しい時代には障害にしかなり得ません。

 

いつでもフレッシュな思考を失わない気質は、どんな世代にも必要だと思います。ロスジェネと呼ばれる世代の「目覚め」においても、経験と技術を「ありきたりな予定調和」ではなく、まさに「Think different」へと繋げる思考が求められるでしょう。

 

例えば、「今までアニメの撮影を10年間続けてきました」と言うのなら、誰でも考えがちな凡庸な「アニメの撮影の未来」をイメージするのではなく、今までの経験して得た要素を、自分でも「引く」ほどの奇抜な発想で衝突させて、そこから何か新しいヒントやエネルギーを得るほうが、よほど未来に繋がります。仕事を出す側にしても、アニメの撮影で思考が止まっている人に対して、新しいタイプの仕事も役割も任せられないじゃん?

 

 

 

エスカレーター式出世、終身雇用型人生設計にあぶれたのに、今も未練がましく、その流れに乗れなかったことを恨み続けて何か良い進展はありましょうか。

 

どうすれば今からでもエスカレーターに乗れるか?‥‥なんて、全然Think Differentではないです。氷河期とは、当人の思考まで凍結させるものでしょうか。就職難でエスカレーター乗り入れ口から締め出されたのと同じ発想で行動しても、また同じことが起こるだけです。

 

むしろ、エスカレーター式の弱点を突けば良いと思います。

 

私は学校を卒業した時からエスカレーター式では生きていけない己を意識していたので、エスカレーターでは手も足も出ないことばかりを考えてきました。エスカレーターに乗れない(乗りたくない)のに、エスカレーターに乗ることばかり考えてもしょうがないじゃん。

 

10〜20数年前に正面に弾を撃ち込んで弾き返されたわけでしょ?

 

なぜ今また、同じ正面に弾を撃ち込むのよ。

 

また弾き返されて、返り討ちを喰らうだけだよ。

 

経験も技術も蓄積した今、相手の装甲の弱い部分を狙い撃ちすれば、貫通して撃破できるんじゃないの?

 

ロスジェネ世代の人口が極端に減って空席ができたのならまだしも、同世代の「勝ち組」はまだ健在なんですよネ?

 

‥‥だったら、より一層、正面の防御を固めていることは容易に予測できますよ。

 

エスカレーターのレールに乗っているがゆえに、ライバルは装甲列車みたいなものだとしたら、いくらでも攻め所はありますよネ。

 

攻める方が正面攻撃しか能のないお馬鹿さんだとしたら、守る方も正面防御を固めるだけのお馬鹿さんかもしれませんしネ。英雄になるのが目的なら正面攻撃or正面防御でヒロイックに死ねば良いですが、戦いに勝つことが目的なら戦術はよ〜く考える必要があります。

 

レールの敷かれたところにしか移動できないのが、エスカレーター勢の最大の弱点です。そのくらいの分析は当然した上で、エスカレーターに乗れなかった勢は攻勢を開始しないとさ‥‥、また、負けるで。

 

エスカレーターに乗り続けてきた「勝ち組」がエスカレーターぼけして頭を使わない中年と化しているのなら、そここそがロスジェネの勝機と私は思いますけどネ。恨み節を吐いてイジけていればいるほど、思う壺にハメられると思います。

 

30代なんて、まだまだ存分イケます。自らの境遇を自嘲するあまり、勝機を逃さないように努めましょう。別にロスジェネじゃなくても、エスカレーターに乗ってない友軍・同盟軍はいることも忘れずに。

 

 

 


就職。雑感。

日曜の朝日朝刊の1面に、

 

就職氷河期の悲運

 挽回できぬまま

 

 

 

‥‥と、1面と2面でデカデカと特集されておりました。朝日デジタルではさらに詳しく特集されているようです。

 

こんなスポット解説も。

 

 

 

私は就職氷河期から外れていますが、ベビーブームの渦中であることは同じです。加えて、アニメ業界の「アニメーター」になろうと思っていたこともあり、「就職難」という言葉とは少々ズレていました。

 

いや‥‥、私の場合、別の考え方をすると、

 

就職難=就職したアニメ業界が難ありだった

 

‥‥ということかも知れませんネ。皮肉な言い方ではありますが。

 

その「難あり」事情は、高校生の頃からアニメ制作現場に出入りしていたので、「就職」という概念すら通用しない業界なのを解った上で飛び込みました。なので、「エスカレーター式出世」なんて全くあてにしていませんでした。

 

実際のところ、当時、高校を卒業する際に、どうやって担任の先生に説明して納得してもらうか、少々困ったのを思い出します。事細かく事情を聞かれていたらNGだったでしょう。雇用とは呼べない「場所貸し」くらいの認識で、社会保険も何もないスタジオに「通って」仕事をするのは、果たして就職と呼べるのか、当時の私でもそのくらいの「危うさ」はわかっていました。

 

私の場合、就職難だろうが好景気だろうが、もともと社会一般の「終身雇用に基づく人生設計」の「枠外」で自分の人生を考えていました。アニメーターのそうした状況を肯定しようとは全く思いませんが、アニメの「職業」とはそうした性質を孕んでいると覚悟していたからこそ‥‥です。‥‥何度も繰り返しますが、その状況は肯定しませんヨ。あくまで、そうした時代であった‥‥という追憶です。

 

絵を描いてお金を得て生活する‥‥というカタチが、どう考えても、サラリーマンのイメージとはかけ離れていたのは、それこそい子供の頃から感じていました。

 

 

 

今でも、自分の描いた絵、作った映像で、対価を得て生きていくのって、相当厳しいと思いますもん。

 

個人作家ではないにしろ、実質、自分の描いた絵を売るんですよ? ‥‥どう考えてもハードルは高いですよ。

 

1,000x98x1.08=105,840

 

という計算は誰が何回計算しても結果は105840で変わりはないです。しかし、

 

絶望して自暴自棄になっている主人公の表情を描いてください

 

というオーダーは、人によって大きく異なる結果となるでしょう。均一にはなりません。

 

こうした「自分の絵は幾らの価値があるのか」という事実は、何をどう説明しても、どう綺麗事を言っても、誤魔化せることではなく、絵を描く人間の喉元に突きつけられたナイフのように鋭い、現実そのものです。

 

いつも笑顔で接している、一見穏やかそうに見える人でも、「自分の描いた絵を、値段で取引する」ような「自分の存在価値を金で取引される現実をいつも経験している」ならば、絶えずココロに「煉獄」を抱えているようなものです。

 

自分の価値は自分で高めていくだけのこと‥‥とココロの中で厳しく生きる人に、「氷河期」とか「就職難」とか「何かをロストした」とか「損をした」なんて感覚は、もともとありません。自分の能力「裸一貫」でいつも勝負しているのですから。

 

 

 

エスカレーター式人生、終身雇用で退職金と年金で暮らす余生、加齢とともに役職も給料もどんどん上がって‥‥というのは、いつ頃からの社会的なイメージなんでしょうね。私は、そっちのほうが気になります。

 

エスカレーター式人生設計を所与のものとしてイメージできなかった私には、むしろ、その大手企業型エスカレーターのほうが「長い人類の歴史」において特殊だったようにすら思えます。

 

学校生活の、学年が上がれば無条件に「先輩」と呼ばれて部活の要職に就く‥‥という「学園気分」は、現代社会の日本では多くの人間が有する「学園気分」だと思いますが、ロスジェネ世代は他の世代に比べて、学園気分が通用しにくい世代だったとも思えます。

 

学園気分なんて学校卒業と同時に捨てちゃえば良いのにネ。全ての世代においてネ。

 

重要なのは、

 

自分は何になりたいか。何になりたかったのか。

 

そのことに希薄な人ほど、寒さに震え続けているのかも知れません。

 

 

 

第二次ベビーブーム世代、団塊ジュニア世代が、他の世代よりも多くの貧困者で喘ぎ、その貧困をリカバーするために未来社会がより多くの社会保障を背負うのなら、どう考えても、今よりは苦しく、今より平和ではない社会になりそうです。

 

現実的に考えて、

 

私は何ができるか

あなたは何ができるか

 

‥‥を洗い出してクリアに相互評価できないと、状況打開のスタート〜新たな仕事を依頼することもままならないでしょう。

 

ロスジェネ関連の話題が「恨み節」に終始しているうちは、何も始まらないと感じます。恨み節を吐けば仕事を得られるんだったら、世の中みんな恨み節で埋め尽くされましょう。

 

どれだけ損をしたか、どれだけ辛い思いをしたか。どれだけ厳しい生活を強いられたか。‥‥そのことだけを記事にするのではなく、むしろ、どのようにすればロスジェネと呼ばれる世代の「覚醒」を呼び起こすのかを、新聞はアイデア出しを率先して記事にして欲しいです。

 

私は今まで色々な作業経験も積んできましたが、絶望的で屈辱的な体験や待った無しの貧困を経験してきたことも「今や自分の強力な武器」だと認識しています。

 

クリエイターは二度死ぬ

You Only Live Twice.

 

プラスだけがチカラになるのではなく、マイナスを掛け合わせた時にも爆発的なチカラを発揮するのを、私は知っています。

 

人生は一度きりですが、起死回生のチャンスは、恐らく、生涯に2〜3度はあります。

 

二度死んだら、三度復活すれば良いです。復活するチャンスのあるうちに‥‥です。

 

 


合理

自分の未来のために、アクションを開始しようって言っても、すぐに判で押したようには判断できない。‥‥というのは、確かにあるのでしょう。しかし、外食のメニューの中から何を食べようか迷っているのとは違って、プロの仕事上の判断、しかも自分が関わってきた仕事の話ですから、あくまで合理的に判断すれば良いのです。

 

そう言えば、学校の何らかの授業で、具体的に「合理的な判断の方法」って教えてもらってましたっけ?

 

私は記憶にないんですよネ。

 

もちろん、方程式や図形問題など、応用すればいくらでもあるんですが、何か社会の物事に対しての具体的な、合理的な分析と判断って、どの教科のどの項なのか、昭和の私は記憶がないです。平成の子たちは何らかの授業で教えてもらってたのかな‥‥。

 

戦争論は、先の大戦の影響ゆえに今でも日本では禁忌のように扱われますが、要は戦争論って、自分が負けずに相手に勝つための、合理的な分析と方法論なんですよネ。本物の戦争でなくても、今や世界は近代ビジネス戦争を100年戦争のごとく延々と繰り広げているわけで、昔から戦争論はビジネスに応用できると言われています。

 

拡大解釈や曲解しないでおきたいのは、戦争論を学んだからと言って、戦争をガチでしたい人はほとんどいないということです。実際、戦争が本当に勃発したら、特に娯楽ビジネスなんて大打撃も甚だしく、アニメなんてとても作ってられない世の中の状態、そして民衆の雰囲気になるでしょう。

 

ただ戦争がどのような性質であれ、人間が繰り返して積み上げてきた戦争の体験は、どうすると負けて、どうすると引き分けて、どうすると勝つのか‥‥の記憶の財産のようなものですから、実際に戦争をしなくても、参考になることはいっぱいあるわけです。

 

 

 

例えば1944年のアルデンヌ攻勢。

 

ドイツ軍が連合軍、特に米軍の支配地域に対して総攻撃をおこない、戦況の転換を図る大攻勢が第二次世界大戦末期にありました。

 

ドイツ軍による恐るべき大規模な攻勢の兆しを、米軍の情報分析の将校は事前に察知していましたが、上層部に報告したところ、

 

「ドイツ軍には、もうそのような力は残存していない。エニグマ暗号を解読しているが、そのような通信も傍受していない。過度な思い過ごし、日々の過労による強迫観念だろう。後方に下がって、休養したまえ。」

 

‥‥と上層部が判断し、将校に休暇を与えた、まさに2日後、アルデンヌ攻勢は開始され、米軍をはじめとした連合軍に大量の戦死者・負傷者、そして捕虜を生じる事態となりました。

 

米軍は合理的な分析と判断ができるはずでしたが、エニグマ暗号を解読して完全に傍受しているという自信が、合理的な要素を無視して、非合理な判断へと結びついた‥‥とも言えます。そこに加えて、合理的な判断のパターンに慢心していたのかも知れません。

 

山崎雅弘さんの「豆本」シリーズの、「米軍から見たバルジの戦い」からの一節、

 

型にはまったパターンを多用する「合理主義」は、想定から逸脱した事態に直面した際に有効な対応策を見出せず

 

‥‥というくだりは、まさにアニメ制作現場の「デジタル」作画導入にもあてはまる、戦争からの教訓です。

 

今回、合理的な思考の必需性を書いているわりには皮肉ですが、型にはまった合理主義は、もはや合理主義とは言えない‥‥のでしょうネ。

 

 

 

合理的にものを考える必要はあります。要は、型にハマって慢心しなければ、良いのです。

 

日本の学校教育は、少なくとも私の世代は、「情熱をもって頑張って精一杯努力する」ことを教えられました。そのこと自体は、全然間違っていないと思います。

 

しかし、「ものの成り立ちを考えて、あらゆる角度から分析して、目標に合致した条件を選別し、実行方法を確立する」ということに関しては、実践的なメソッドを教えてくれなかったように思います。

 

私は戦史を読むうちに、気づきの機会を得られましたが、みなさんはどうでしょうか。

 

慣習や惰性で仕事を流すようなことを「鉄板」の方法論と思い込んでいるだけで、実はものすごく非合理なジャッジを延々と繰り返しているのではないか‥‥と、たまには自分を突き放して客観的に冷徹に分析してみても良いとは思います。

 

 

 


10年の足し算

とても簡単な足し算の話‥‥なんですけど、今、紙だけを使って作画をしている人は、10年後には10歳、歳をとっていますよネ。つまり、紙オンリー世代は新たにどんどん若い紙オンリー世代を育てていかなければ、必ず「世代として老化」するということです。

 

10年後には、10歳、歳をとる。

 

そのことをあまり考えなくて良いのは、20代の人間だけで、40〜50代の人間はかなり深刻です。

 

本当に紙だけで未来10年20年と続けていけると思っている人は、どれだけいるのか、アンケートしてみないとわかりませんが、20年後‥‥となると、「紙ではなくタブレットで絵を描いている」と思う人間は相当多いはずです。

 

そこで不思議なのは、未来はタブレットで絵を描いているだろうと思う人が、今はタブレットで絵を描かないことです。

 

未来もタブレットは使わない!‥‥と思っている人が、今使わないのは判るのですが、未来に使うと思っていて、なぜ今から使い始めて慣れていこうとしないのかは、要は「締め切り」がまだ先だと思っているから‥‥なんですかネ。

 

今は過渡期とは言われますが、結構長い、過渡期ですよね。ぶっちゃけ。

 

技術を習得しプロとしてお金を稼ぐことを、何らかでも実現してきた人なら判ると思いますが、タブレットだってある程度の慣れの期間は必要ですよ。最初の1ヶ月2ヶ月は、些細な描線とてぎこちないですが、やがて慣れてきますもん。そこにきて、ソフトウェアの使い方を暗記するわけですから、脳が柔軟なうちに覚えれば覚えるほど、自分の身につきやすくなります。

 

そして、コンピュータを使う流れとか段取りの定番にも慣れて、他のソフトを新たに覚える時には、最初より効率的に覚えられます。

 

つまり、未来の道のりがわかっているのなら、とっとと始めちゃった方が良いということです。

 

 

 

10年歳をとる。

 

つまり、10年老ける。‥‥ということです。

 

人間の年齢は、等価ではなく、加齢とともに効率や適応力が鈍ります。現在の1年と、10年後の1年は、確実に価値が異なるでしょう。

 

10年後には、今と同じことはできない。

 

私は心底、発売後すぐにiPad Proを買ってよかったと思います。初代iPad Proが発売されてからの4年間は、時間の効率が上がりました。‥‥つまり、アラウンド50で時間の「燃焼効率」は下がっているはずなのに、新しいことにどんどん挑戦できて、かつ、道も開けてきました。

 

*これは第3世代。‥‥1TBもなくても、256GBで十分ですよ。定期的に外にデータを逃せば良いんだし。

 

くそ〜‥‥、私の20代に、いや、せめて30代に、iPad Proが発売されていれば! ‥‥というのは、言わないことにしましょう。私の20〜30代は、それはそれで、やることがいっぱいで、精一杯生きたとは思いますもん。恨み節は無しです。

 

 

 

2019年の現在は、2009年とは違います。ネットのインフラは、相当進化しました。

 

つまり、2029年も相応に社会は進化しているでしょう。4KHDRは特に言うまでもなく普及しているでしょうし、VRARの世界はどんどん画素密度とFPSが上がってリアルな体験をユーザに提供するでしょう。

 

そうした未来世界において、自分の立ち位置を決定しているのは、実は現在の自分の行動だったりします。

 

その場その場でうまくやれば良いとも思いがちですが、それは時代の潮流に流されて無為に歳だけをとる典型であって、自分の10年後を定める命綱は、今しっかりとアンカーを打ち込んでこそです。

 

 

 

私は、10年前に考えていた自分自身の未来予想と、そんなにズレていません。だって今、ちゃんと4Kを仕事として作ってるもんな。

 

社会も、「足し算の通り」に、進化しています。

 

トリックなんて言えないほどの、簡単な計算式です。

 

10年後は2029年。20年後はなんと2039年になっていることでしょう!

おお! なぜ、そんなことが判る? 予知能力者か!?

 

‥‥って、インチキ芝居みたいなことでも、「足し算をしない人」には魔術・超能力に見えるんですよネ。

 

 

 

自分の状況における、10年の足し算をしてみましょう。

 

そうすれば、今何をすべきか、イメージが湧いてくると思いますヨ。

 

 


変わるものと変わらないもの

世の中のものごとには、頻繁に変わっていくものと、何十年も変わらないものと、結構様々にバラつきがあります。‥‥で、特に映像制作に用いるコンピュータは、頻繁に変わる類いになります。

 

商業映像作品の制作そのものが、その時代の流行を反映したり、社会的なインフラや技術発展の強い影響を受けるからです。

 

別に今でも、720x486で映像は作れるんですよ。でも、そのSD時代のフォーマットで作っても、今では商業映像作品として売り物にならないので、SDサイズでは皆もう作らないのです。

 

一方、MXRのDynaComp。今でも1972年リリース当時から基本設計を変えぬまま、DC電源ジャックを世界標準に合わせるくらいのマイナーチェンジで、今でも作り続けています。1972年なんて、まだ生まれていない人も多いですよネ。

 

EOSの廉価50mm三代目で撮りました。iPhoneのカメラで写したのとは、細部のディテール描写、発色など「存在感」が全然違います。考えてみれば、単体レンズ製品も寿命が長い類いですネ。10年20年はあたりまえのようにラインアップされます。

 

 

1970年代のDynaCompを、2019年の今の技術に合わせて「デジタルシグナルプロセス」にしようものなら、全世界の愛好者からブーイングが巻き起こるでしょう。「こんなのDynaCompじゃない」と。

 

どんなにハイレゾの世の中に変わろうと、DynaCompはそのまま。

 

DynaCompは、それこそ、オープンリールのマルチトラックの頃から、100トラック以上も可能な現在のMac/PCのワークステーションまで、変わらぬ姿と音を提供し続けています。

 

EOSも、本体は「デジタル一眼レフ」に変わろうと、使うレンズは50mmの二代目(現在の三代目〜STMの前のモデル)でも雰囲気たっぷりに撮れて、第2世代のファンも多いようです。

 

 

 

何を言うても、変わっていくものと、変わらないものと、色々なものの中で生きていくだけのこと‥‥です。

 

移ろいやすい性質のものに「どんどん変わるな!」と目くじらをたてて怒って、変わらないことで価値があるものに「古い!」と怒るなど、むやみに怒るだけ「怒り損」です。

 

時代の流れに合わないことで価値が下がるのなら、合わせていけば良いと思います。時代とはあえて合わせないことで価値を有するのなら、そのままで良いです。

 

 

 

映像もSDからHDへ、そしてHDからUHDへと変わっていきます。VHSを使っていた家庭は、今やHDDレコーダーやBD-Rに変わりました。そしてもはやテレビ放送を録画するだけでなく、録画せずとも繰り返し見たい時に自由に見れる、ネット配信映像も随分とUHD〜4KでHDRのクオリティでどんどん普及が進んでいます。

 

昭和テイストのコミックやアニメの絵柄が時代を象徴したように、いわゆる「萌え」と呼ばれる絵柄は平成テイストとなって、令和にはまた新しい何かが台頭するでしょう。

 

平成に20代だったアニメ好きの人は、令和10年には30代ですから、もはや若者ではなく、中年に差し掛かります。

 

身の回り、そして自分のカラダが移ろうのを嘆いてもただ寂しく悲しいだけです。

 

時が移ろい、世の中が移ろうことを楽しめなくなったら、まあ、それはもう、ココロまで老いてきた‥‥ということでしょう。

 

変わるもの、変わらないもの、両方の性質をうまく活かせば、ものごとのネガティブな部分ではなく、ポジティブな部分を自分の人生に活かせると思うんですよね。

 

令和はキビしい部分もあるでしょうけど、楽しいこともいっぱいだ!‥‥と、やりたいことが多くて困るくらいでちょうど良いです。

 

 



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