豊島園

豊島園が数年のうちに閉園するとな。

 

としまえん 閉園検討 跡地に“ハリポタ”テーマパークの交渉も

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200203/k10012270111000.html

 

 

子供が少なくなるというのは、まさにこういうことなんですかね。ハリポタに変えて、どのくらい挽回できますかね。

 

豊島園は身近な遊園地だったので、何度も行きました。高校の時に行ったのが最後ですが、その時は今にして思うと不思議なんですが、ラグビー部の友達ら(と女の子たち)と行きました。私はラグビーとは縁もゆかりもなかったですし、体育会系部活すら一度もしたことがないのですが、同じクラスだったので親しくなったのです。

 

入園して、入り口の近くにある「バイキング(フライング・パイレーツだっけか、正式名は)」に早速乗ったところ、船が振り子の上死点で一旦止まって、下がり始める時にポケットの中の小銭が「無重力的な感じ」で溢れ出して全部こぼして、ラグビー部の奴らと大笑いしながら乗った思い出があります。船が上下するたびに小銭がガランゴロンチャリンコロンと床を転げまわって、迷惑なんだけど可笑しな光景でしたな‥‥。最近のYouTubeをみて思い出しましたけど、揺れるたびに女の子が絶叫するのも、遊園地ならではの風景ですね。今となっては微笑ましい思い出です。

 

ティーンの頃は、呑み会で酔っ払って打ち解けるみたいな交流がないかわりに、遊園地の乗り物で絶叫して、いつも見せない面を見せ合って、もっと仲良くなるんでしょうね。何だか、男の子も女の子もいじらしくて可愛いよね。

 

豊島園。東京の庶民的な遊園地。

 

Wikipediaに「かつて存在した遊園地」とか書かれるんでしょうかね。子供の絶対数が少ないので、現実的にしょうがないとはいえ、寂しいものです。

 

夜が暗くなったとは以前ここで書きましたが、子供たちの歓声が聞こえてくる遊園地も徐々に姿を消していくんでしょう。昔は本当に社会が賑やかだったよな‥‥。現在の社会に活気がないのは、普通に生活していて実感しますもんネ。

 

加えて、「運動会がうるさい」とか小学校の近隣住民からクレームまで出るのなら、もはや、日本は子供の住む国ではないのかな‥‥と悲観的な気分にもなります。

 

 

廃業間近になると、懐かしさを求めて集ったお客さんで賑わうのかな。

 

 

 

 

 


ツイ求人

TwiiterなどのSNSが繁盛してるご時世。

 

アニメ業界の求人のツイートも見かけますけど、よく考えてみれば、募集される側の目線だけでなく、募集する側の目線でも、ツイッターって情報収集できますよネ。

 

ある程度、業界歴があって、実名をアカウントで公開している人って、逆に会社側からもツイッターで日頃の言動を情報収集されますわな。30〜40代の経験者でそれなりの給料を支払って中途採用・雇用する場合、「蓋を開けてみたらのリスク」は相当デカいでしょうから、ツイッターをチェックするのは容易に想像できます。

 

フリーランスで生きていく覚悟があるのならともかく、会社勤めしか知らない人間が、全世界向けに公開されるツイッターで自分の言葉を発信するのなら、転職する際のことも視野に入れないと、墓穴を掘る結果にもなり得ます。ツイッターに限らずブログも同じですが、ネットで言葉を発信する際は、結構な覚悟と度胸が必要ですネ。

 

個人の見解は自由だろ。‥‥は、その通りなんですが、自由だからこそ、自由に検索(検閲?)される側にもなり得ます。

 

 

 

当たり障りないツイート。

 

忖度だらけのそんた君みたいな生き方。

 

一方、私がツイッターではないにせよ、かなり辛辣なことをここで書くことも多いのは、まあそれなりに理由はあります。

 

高校在籍時からアニメの現場に出入りするようになって、30年以上、業界の基本的な悪い部分は何も変わってないことに対する、自分なりの行動の一部です。

 

昔から私を直に知る人と久々に会うと、多くの人は「昔と変わってなくて良かった」と言うのです。このブログの論調はトゲトゲしいことも多いですもんネ。なので、「人が変わった」と思われがちなんですが、そうでも無いのです。

 

私は、今まで随分と、親しい人たちに囲まれて、赤鬼くんの役をやらせてもらったので、青鬼くんの役も40代以降はやるべきだと感じています。

 

嫌われ役はイヤだとか、不利有利とか考えてたら、こんな内容のブログなんて書かんしネ。‥‥ズバっと覚悟はできてますよ。何が大切か、さすがにもうこの歳になって承知してますし。ジョバンニとカムパネルラの最後の会話を思い出します。

 

 

 

でもまあ、求人とか転職とか考えているのなら、ツイッターやブログでは控えたほうが良いのは事実でしょう。逆手にとって、耳障りの良いことだけ発信して「空気読める人」を演出する手もありましょうけど。

 

ただ、求人を出している会社は、会社の内部で能力度外視の仲良しクラブを作りたいわけじゃないでしょうから、結局は当人が何ができるかに尽きると思いますけどネ。

 

自分をちやほやしてくれる会社を探すものだと勘違いする人は多いのかも知れません。自分の能力が活きて正当に評価される会社を探すべきで、そのためには「自分の能力とは何か」をそもそも自分が解っている必要があります。新しい経験で能力が伸びるのは、その次のフェイズです。

 

それに‥‥根本的な、ホントに極めて根本的なことですが、旧来のアニメ業界のスキームの中で、いくら器用に立ち回ったところで、お金の話となれば、天井は低く底は浅いですよネ。30代にもなれば自覚している人も多いはず。私が30年以上前に高校時代から現場入りした時と、枠の構造限界は何も変わっていないので、当然、お金の限界も根本的に何も変わってないです。(そりゃあ、物価が上がったなりの値上げはありましょうけど、相変わらず雑な単価制度のままだし)

 

旧来枠の中でどんな職にありつくか‥‥という路線も必要ですが、同時に他の路線も模索して実践しないと、まさに老後貧困そのものです。もしくは死ぬ時まで現役でバリバリ働くか。ずっと座って待っているだけじゃ、業界の改善なんて進展するわけもないですしネ。

 

アニメ業界のスタッフは、アニメ業界の社員みたいな意識=自分の仕事はアニメ業界が用意してくれる‥‥という意識のまま、40, 50, 60, 70, 80歳と生きてどんな未来になるかを、時には考えてみることも必要です。60代になって考えてみて、ヤバイと気付いても、もはや遅し。

 

現状維持と新展開。現状維持だけでは未来がヤバい。新展開は軌道にのるまで時間がかかる。‥‥同時に進めるしかないですよネ。

 

此の期に及んでまだエスカレーターに乗ることを夢見るのなら、求人側とは大きくズレているでしょう。エスカレーターで最上階まで乗せていってくれる‥‥と考えること自体がズレてますもん。終身雇用大前提なんて、アニメ業界に限らず、今はあまりないですもんネ。

 

求人ツイートとか見かけると、色々と考えてしまうことも多いです。

 

 

 

 

 


夜が暗くなっていく。

ジョナサンの24時間営業廃止は、実際に午前未明のジョナサンに行ってみれば、「それでもいいんじゃない」と思えます。2〜3席の客のために、全電源維持してフロアスタッフとバックヤードスタッフ数名(内訳は知らないけど最低2名はいますよね)というのは、素人目に見ても採算が取れなさそうですもん。かなり大きな繁華街で、深夜も人がそれなりにいるエリア以外は、24時間営業って、もう時代とズレているのかも知れませんネ。

 

三鷹界隈もずいぶんと深夜は暗くなったと思います。店舗の灯りが消えると、街路も照らされず、如実に街が暗くなります。最近知って少しショックでしたが、オリジン弁当が0時で閉店するようになり(深夜に買いに行ったら閉まってました‥‥)、他の店も営業終了時間を切り上げています。

 

三鷹通りなんて、街路樹の電飾がなかったら、相当暗いですよ、今。

 

私がアニメーター駆け出しの頃の30数年前に似てます。街の風景が徐々に昔に戻りつつある‥‥と感じてます。

 

一方で、日曜の番組で、渋谷が大人の街に変わりつつある‥‥みたいな内容も放送していました。

 

要は、人口の多い層に合わせて、シフトしているだけのようにも思います。別の言い方をすれば、それほど、人口の減少は深刻なんでしょう。

 

私の年代は、戦後第二次ベビーブームと呼ばれる層で、いわゆる団塊ジュニアの前半部分に含まれます。たしか、昭和48年=1973年がピークだったと思います。

 

「このまま日本の人口が増えたら、日本がパンクする」なんて言われたものですが、今となっては失笑を禁じ得ないスね。

 

 

 

何をどう言ったって、客が来なきゃお金も稼げないのでしょう。しかも、社会はどんどんお金を使わない方向に邁進してますしネ。政府も企業も、人々が稼げるお金の乏しい中、どうやって絞り取ろうかと「金脈探し」ばかりしてますし。

 

あまり言いたくないけど、戦争のような悲惨な出来事がおきないと、世界の経済って活性化しないんですかね? だとしたら、なんとまあ呪われた構図なんでしょうか。

 

現代に生きる人間なら即答すべき「暗記でも知っておくべきこと」に、第1次と2次それぞれの世界大戦の死者数は何人?‥‥があります。‥‥答えられます?

 

およそ、2000万人と8000万人です。兵員だけでなく一般の死者も含めた数字のおよそです。

 

8000万人??? 8000人じゃなくて、8000万人ですからね‥‥。膨大な死者数ですね。

 

第二次世界大戦では、アメリカは50万人(Wikiによると42万人)、日本は300万人、ドイツは800万人、ソビエトは2500万人だったと思います。

 

そりゃあ、「自分が生きていること」に対してリアルにもなれますよね。たとえフラれたって女性に求愛したくなるし、子供だって作りたくなりましょう。だって、死んだら何もできなくなるでしょ。死によって全てが終わることが、社会のリアルとして戦争というカタチで身近にあったのですから。

 

でもさあ‥‥‥‥‥‥。8000万人は無いって。

 

8000万人の犠牲がなければ、ベビーブームは発生しなかったのでしょうかね。

 

戦争なんか始まったら、アニメなんてもう作れないからね。敵国がどれだけ酷くて、どのように勝つかを喧伝するアニメでも無い限り、アニメなんて作れなくなります。漫画やアニメは「なんだかんだ言っても平和」な社会の象徴だと思います。

 

 

 

でも、確実に夜は暗くなっています。車を運転しててもひしひしと感じます。環八も青梅も暗くなったよな‥‥。

 

この暗さを、明る過ぎた状態からあるべき姿に戻ったと思うのか。暗くなっていく夜を、社会のいく先と暗喩するのか。

 

今の20代が50代になる2050年の日本。

 

夜は暗いか、明るいか。

 

 

 

 


有利とか不利とか。

何を選んで、何を覚えて習得すると、後々有利か。

 

そんなことばかり考えている人は、そこそこ多いように思います。

 

でも、一番不利なのは、

 

何が後々有利かを考え続けて、結局何も身に付かず、5年10年経過すること。

 

だと思うんですよネ。

 

2000年代の10年間に何ができた?

 

2010年代の10年間に何が身についた?

 

「これがいいかも知れない」「あっちのほうが有利かもしれない」と、何ひとつ成果を出さぬまま、目移りするだけの年月は、有利不利で言うならば、かなり不利ですよネ。まさに「利」を得られなくて、耳の大年増になっただけ。

 

 

 

たとえ、40、50代になっても、10年の浪費はキツいわ。取り返しがつきません。

 

20、30代もせっかくの吸収力の大きい時期に足踏みしているだけなんて、自分の人生のリアルをずいぶんと無駄にしています。

 

「これはいけるかもしれない」

 

‥‥と思ったら、たとえ1年間だけでも、熱中して取り組んでみるのが良いです。他人から「こっちのほうが有利だよ」とか言われても、まずは取り組んだことで成果を達成することです。もちろん、自己満足で終わらないように、ちゃんと実用化して表に出しましょう。5カットでも10カットでも、自分の取り組んだものごとの成果を作品に表しましょう。

 

やっぱり、言われた通りに、あっちのほうが有利だったかも‥‥

 

‥‥と後々で思っても、実は1つの取り組みを成し遂げた経験は、その後の新しい取り組みに極めて有用となります。尻切れトンボで終始していては得られない、大きなノウハウを自分にもたらします。

 

私はスクリプトはAppleScript、GUI付きのソフトウェアのプログラミングはREALbasicで覚えました。今から20年前の話で、アニメーターとコンポジターの本職の傍らで習得しました。

 

AppleScriptなんて今では隅っこも隅っこ。REALbasicって今でも存在しているのか判らないほどです。でも、その2つを習得して色々なプログラムを自作した後で、他のXcodeとかPHPとかAfter Effectsのエクスプレッションやスクリプトなどを使った時に、

 

あれ? これ、何が書いてあるか、何を書けば良いか、解るぞ。

 

‥‥と自分でも驚くくらいに内容が理解できました。つまり、「読解力」「構成力」がAppleScriptとREALbasicを通して、知らぬ間に身についていたのです。

 

 

 

最初のうちは右も左もわからんです。

 

何をすれば良いのか、何を選べば良いかで、色々と迷うものです。

 

しかし、迷うことに2年も3年もグズグズ費やして、振り返ってみたら、10年間、何も覚えられないままだった‥‥なんていうのが、一番悪いです。

 

良き方向を模索して、むしろ、悪しき方向に進む

何が良いかで悩み続けて、どんどん悪くなる

 

そんなことになるのだったら、たとえ最短の直線距離で到達できなくても、何度も曲がって確実にたどり着いたほうが良いです。

 

 

 

周りを気にしてばかりいると、結局、何も得られず、おこぼれしかありつけませんよ。

 

一家言とまではいかないにせよ、目標を達成できたノウハウがあれば、次に繋がっていきます。

 

2020年代の10年間を、また目移りだけで過ごしてしまって、良いのでしょうか。

 

「デジタル作画」だって、ソフトウェアを日常の仕事道具にする、ペンタブで絵を描いてお金を稼ぐ‥‥というノウハウを得られるわけですから、決して紙作画の刷り直し的な面だけでなく、善き点も多く含んでいます。「デジタル作画」でコンピュータとペンタブの扱いに慣れれば、次にはもっと大きなステップアップが可能になるでしょう。

 

揶揄ばかりして何も行動しないのが、一番マズい。

 

展示会にいって現在の動向を見聞きするのは良いですが、それだけで満足しては何も進展しません。

 

アニメーターの人ならわかると思うけど、見聞きしただけで絵が上手く描けるようになった? 他のジャンルだって同じです。見聞きしただけで上達したり習得できるほどチョロいもんじゃないです。

 

 

 

損得は後でも調整できます。路線変更も後で可能です。しかし「行動すること」は、今開始しないと何も始まりません。

 

今のご時世、世代や時代や社会に関連付けた「できない理由」を取り上げる記事やツイートが多いように思いますけど、自分の運命は自分でも大きく変えられます。

*例えば、「ロスジェネ」=「こんなに酷い目にあったから社会に復讐だ」みたいなツイートではなく、むしろ同世代の励みになる「ロスジェネで辛酸も舐めたけど、今はこういう新しいことで道が開けた」みたいなツイートをしたほうがどれだけ有用か。私だって、「アニメ業界にいたからバブルなんて関係なかった。バブル世代がみな勝手放題だったなんて事実誤認の幻想だ。」みたいな記事を延々としつこく続けて書かんですよ。むしろ、アニメ業界の悲惨な作画単価があったがゆえに、どう言う風に思考して新しい方法論を実践してきたかを書き続けています。

 

自分自身で行動を開始して頑張りましょう。そうすれば、自ずと、そういう人たちが集まって、新たな何かが始まります。私は今まで、そういう体験を何度もしてきたので、2020年代も同じことが起きることが普通に予感できます。昔を振り返って、「よくまあ、あの狭いスペースにそうそうたるメンツが肩を並べていたもんだな。」と思っても、実はそれは偶然ではなく必然なのです。

 

私はまた色々な新しいことを始めようと思っています。昔から温めたアイデアを形に変えていくには、2020年はちょうど良い年です。もちろん、従来の仕事〜原画の仕事はすぐに控えているし、劇場のVFXの仕事もありますし、不思議なテレビの仕事も準備中ですが、それとは別に、新しいことはやります。

 

何かやろうと思っているのなら、老若男女分け隔てなく、2020年は良いスタートの時期ですヨ。

 

 

 


FBで汁

フェイスブックのアカウントだけは取得していて、そのまま放置しているのですが、定期的に「知り合いかも」メールが届いて、中身を読むと、実際に知っている人だったりします。

 

フェイスブック上の私のプロフィールなんて白紙のままなのに、以前に現場で仕事をした人とか、本人ではなく奥さんとか、「元旦那さん」(微妙だよね…)のアカウントとか、「なぜ、フェイスブックサイドが知っているのか」キモチ悪いのですが、個人の名前だけで検索して予測するんですかね?

 

 ‥‥まあたしかに、作品のスタッフリストはテキストデータとしてネットでいくらでも取得できるので、関連性を予測するのはできないことではないですがネ。

 

ずいぶん前に現場を去って他のところに行った人まで「おともだち候補」にリストアップされていて、関連性の予測とはいえフェイスブックの振る舞いが気色悪くて、やっぱりフェイスブックはいらんわ‥‥と引いてしまいました。まあ、今は情報漏洩社会だから、いちいちキモチ悪がっていても仕方ないとは思いますけどネ。

 

フェイスブックには職歴とか学歴とか、結構、皆が自分自身で書き込んでいるらしくて、これまた「生っぽくてやだな‥‥」とさらに引いてしまいました。どんな学歴や職歴があろうと、今何ができるかが重要なので、ぶっちゃけ余計な情報ですわな。実際、仕事を一緒にしている人の過去なんて気にしたことないわ。どんなにたいそうな肩書でも、どんなに無名でも、今がどうあるか‥‥でしょ。

 

ただ、そうしたフェイスブックに表示される情報を見て、「なるほど、そう言うことだったのか」と推して知ることにもなって、一層、何だか複雑でイヤな気分。

 

以前、「ロスジェネ」や「管理職」に拘る人が現場にいたんですが、その人のフェイスブックの学歴の表示を期せず見て、納得がいきました。「今の自分」を認められずにいたんですネ。中途で未経験で入ってきて最初から知ったかぶりでイヤだなと感じてましたが、フェイスブック提供の情報にて、あの「上から目線」はなるほど‥‥と思いました。

 

有名大学を出ていても、もちろん、気さくで良い人はいっぱいいます。作品で頻繁にご一緒する監督・演出さんも有名大学出身ですけど、経験豊富な善き現場人ですヨ。ロスジェネ世代でも、作品の中核を成す重要なスタッフは多いですしネ。

 

一方、その「ロスジェネ君」は‥‥、まあ、いいか。もう関わりのない人だし。

 

 

 

フェイスブックって、微妙なソリューションだなあ。‥‥少なくとも、私にとっては。

 

自ら個人情報を大公開しなくても、仕事の中身だけで繋がっていけると思うんですけどネ。仕事で繋がった縁こそ‥‥だと私は思いますが、まあそれも人それぞれで良いのか。

 

今日たまたまフェイスブックからのメールを読んじゃったのですが、結局何年も使ってないし、また放置でいいや。

 

フェイスブックもラインもツイッターもインスタグラムも抱え込んだら、私は処理が追いつかないでしょうし。

 

私はまだ当分ブログだけで良い‥‥と、改めて思いました。

 

 

 

マーラーの墓碑には、ただ「グスタフ マーラー」とだけ記してあるそうです。

 

「私の墓を訪ねてくれる人なら、私が何者だったのか知っているはずだし、そうでない連中にそれを知ってもらう必要はない」

 

私はまだ、そこまで達観できませんけどネ。

 

ただ、フェイスブックで履歴を載せたところで、効果なんて希薄だと私は思っています。

 

私に仕事を依頼してくれる人は、私がどんな仕事をしてきたかおおよそ知っているはずだし、そうでない人にフェイスブックのプロフィールだけで知ってもらう必要はない‥‥とも思います。

 

ネットを結構使っているわりに、そういうところはガンコなのかもね、俺。

 

 

 


NO FATEはFATEだった。

思えば、私が高校生の頃にバッハ生誕300年で、毎日のようにFMでバッハの曲を聴けたのは、運命としか言いようがないです。300年のモニュメンタルな年じゃなかったら、あそこまでバッハをエアチェックできなかったですもんネ。

 

でも、違う視点で考えると、バッハ生誕300年でFMで頻繁にバッハの曲が流れていても、全くバッハに興味を抱かなかった人もかなり多かったわけです。

 

つまり、「時代の運命」も、当人次第です。

 

当人がもともと有していた個性に対して、計らずして時代性が作用して、個性の傾向が強調されるのかも知れません。

 

 

 

「ロスジェネ」と呼ばれる世代も、その世代が全員ロストしているわけじゃないですしネ。アニメ業界には「就職氷河期」なんて関係なかったし。ついでに言えば、バブルも関係なかったです。ロスジェネと呼ばれる年齢層でも活躍している人は多いです。

 

戦中に少年時代を過ごし、戦争が原因で両親を失った私の父を見て思いますが、戦争孤児の全員が全員、根無草のような性質を持つわけではないです。私の父は執拗に「A級戦犯」の話を持ち出しますが、父自身が家庭を顧みず恐ろしいほどのお金をギャンブルに注ぎ込んだ「我が家のA級戦犯」と化したのは、どうしたことか。

 

運命や宿命って、やっぱり、本人の「つかいよう」だと思います。

 

人は、自分の生まれるタイミングを調整できませんよネ。ですから、どうやっても、時代の宿命・運命の影響下からは逃れられません。

 

ロスジェネだ就職氷河期だと40を過ぎても言い続ける当人は、20年間をどのように過ごしてきたのか。今までの20年間の運命をどのように使ってきたのか。

 

戦争で両親を失った父は、A級戦犯への怨念を、結局はプラスに転じられないまま、やがて死を迎えるでしょう。孤児となって引き取られた先の家でミジメな思いもしたでしょうが、それが様々にマイナス要素に繋がっているのを見ると、運命をどうしてもプラスに転ずることができない人間もいることを、まさに身内ゆえにまざまざと実感します。

 

 

 

私は小さい頃から、「ひがむ」のは嫌でした。小さいながらに、「ひがんだって、何も解決しない」と思ってたんですよネ。

 

私の「えずら」という名前は、響きが変で、よく間違えて呼ばれたり、「へんな なまえ〜」とか嘲笑う子供もいて、もっと一般的な「田中」とか「鈴木」とかの名前が良かったと、子供心に思っていました。なので、学年が変わってクラス替えがある学期初めは特にイヤだったものです。

 

名前は変えられない。

 

でも、一般的な苗字をもつ他の子供のことを、羨んでどうなるのか。

 

ひがんでも何も変わらないじゃないか。

 

‥‥というのを、小学校に入る頃から中学生くらいの間に経験したので、実は、そのことが後の自分の人生において「良かった」のだと今は実感できます。その当時は抜け出せない呪いのように悩んでいても、です。

 

中学生になれば、生涯の親友とも言える人間とも巡り合って、女の子に「えずらくん」とも呼ばれたら「えずら」という響きも満更でもなくて嬉しいもので、やがて「変な名前、全然OK」と思えるようになりました。

 

一方で、なぜ、あいつは俺の親友になってくれたんだろう、なぜ、あの子は好きになってくれたんだろう‥‥と思うと、「名前なんかじゃない」と解ったのです。サラ・コナーじゃないですが「NO FATE」です。

 

いやでも、実は「FATE」なんですけどネ。

 

「運命が自分を左右するのではない」ということを実感できる運命だったからこそ、絵が上手くなりたいと阿呆ほど子供の頃から絵を描きましたし、ギターを抱いたまま眠るほど弾きまくりました。

 

ゆえに、音楽の仲間もできて、絵の仲間もできて、制作現場でも多くの人たちと知り合いました。

 

私がもし「えずら」という名前じゃなかったら、運命も大きく変わっていたと思います。エスカレーター式人生を盲信して、自分には何ができるのかを自問自答しなかったかも知れません。

 

運命はつかいよう‥‥ですネ。

 

 

 

自分の人生はエスカレーター式にうまくいくなんて、子供の頃から思っていなかったです。アニメ業界に入ったら、より一層、エスカレーターなんてお笑い草で、自力で階段を登るものだと覚悟しました。

 

だから、「就職氷河期」云々で怨念を溜める人のキモチは正直わからないのです。「運命をうまく使えば良いのに」と思うのですが、そもそも自分の運命から逃げ続けて他者や他世代をひがんでばかりいれば、マイナス方向に傾くばかり‥‥なのかも知れません。

 

私の父だって、「孤児だからこそ、自分の家族を大切にしたい」という方向性もあったはずです。しかし残念ながら、父は怨念感情を底に敷いたまま、戦争による「不意の不運」を、ギャンブルによる「不意の幸運」で埋め合わせるようなことばかりしたのでしょう。そして、自ら「家庭内のA級戦犯」になったのです。

 

ちなみに、私の母は、戦中に高円寺から疎開したことで、疎開先で酷くイジめられたそうで、「疎開=戦争で運命が変わった」ことは父と同じです。しかし、父とは逆に「こんな酷い子供時代だったからこそ、自分の子供には同じ思いはさせない」と考えたようです。父とは「運命の使い方」がまるで180度違います。

 

「自分は疎開先でひどくいじめられた子供時代だったから、状況は違えど、同じく辛い思いをした戦争孤児の人なら、思いを1つにして助け合って生きていけるだろう」と母は考えたそうですが‥‥‥‥、とんだ間違いでしたな‥‥。

 

でもまあ、その間違いのおかげで、私は誕生したので、何とも皮肉なものです。

 

でもその皮肉から学べることはたくさんあります。物凄い反面教師ですわ。

 

 

 

NO FATEは、実はFATEだったのでしょう。トンチみたいですが。

 

 

 

 

ターミネーターで思い出しましたが、そう言えば、今年はバイクを買うぞ。‥‥というのを目標にしたい。

 

と言っても、シュワちゃんの乗るハーレーでもないし、大型排気量でもない、250ccのレブル。

 

若い頃は250ccのアメリカンなんて‥‥と思ってましたが、今はすんなり受け入れられます。シンプルな理由ですが、車重が軽くて維持費が安いのはいいね。

 

500ccのほうが見た目がマッチョでかっこいいけど、この歳になって、その辺はどうでもよくなってきました。パワーよりもライドを楽しみたい気分です。ガラス張りの密室ではなく、直に風を切って走るのは、乗用車にはないUXですよネ。

 

とりあえずは、ヘッドライトがLED化されるまで待ちたいです。私はBSA M20くらい古ければヴィンテージにも興味がありますが、レブルのような立ち位置なら、前後ディスクの方が良いですし(ドラムブレーキはイヤ‥‥)、ヘッドライトがLED化されるなら(500ccは既にアナウンスがありましたよネ)その方が良いです。

 

 

500だけじゃなく、250も、Sエディション(=下図の、LEDでビキニカウル付き!)をよろしくお願いしますヨ。ホンダさん。

 

 

 

バイクを買っても大丈夫なくらい、頑張ります。

 

 

 

 


SuicaのApp

‥‥って、毎回正常に動いてます?

 

私はチャージのたびにトラブルに見舞われます。すんなりチャージできる確率は、体感10%くらいで、2040とか1050とか様々なエラー、C102のエラーとか、

 

SuicaのAppはエラーの巣

 

‥‥です。

 

なぜ、官庁とか大手のAppって、どうしようもないのが多いんでしょうね。某ホールディングのユーザ認証問題は記憶に新しいです。

 

使いやすさよりも、担当者の責任を重視するからかな? ユーザの使いやすさ・完成品の素晴らしさよりも、自分が責任を追及された時の逃げ道を優先する体質。

 

数あるiPhoneのAppの中で、Suicaだけエラーを頻発するので、Suica.appの根本の設計に関わるように気がします。

 

Suicaは憂鬱だなあ‥‥。電車に乗るのも嫌になる。

 

 

 


アイコン、1024px。

ふと、気になって、macOS Mojaveのアイコンのサイズを調べてみました。私の記憶の最後は、512pxだったので。

 

 

 

1024px。

 

icnsファイルをご存知の方はいらっしゃると思いますが、アイコンにはいくつかサイズがあって、表示状態で使い分ける仕組みになっています。1つのアイコンの中にいくつものサイズや色数があるのです。リストサイズのアイコンは、最初から小さいサイズのアイコンを使います。1024pxを数十ピクセルまで縮小したら溶けちゃうもんネ。

 

で、一番巨大なサイズが、今や、1024pxです。

 

 

 

たしかに、iMac 5Kともなれば、1024pxのアイコンがあったほうがドット荒れしなくて済みますネ。ドットが荒いアイコンって、なんだかビンボ臭いもんね。昔だったら、「デスクトップの再構築」(覚えてますかね?)ですネ。

 

一方、アニメ制作現場。あてつけみたいな言い方ばかりになりますが、現在1280pxでフィニッシュしてアップコン納品しているアニメ会社は、ほんとに、考え直したほうが良いですよ。いい加減、目覚めるべき、です。

 

プレステ1の頃って、イベントムービーのアニメ映像は、320x240/15fpsで作ってましたが、もはや使いものにならんよね、そんなサイズじゃ。‥‥あんなにみんなで手間をかけて作ったのに、320x240で馬鹿正直に作っちゃうからツブしが全く効かなくて、怪しいモザイク画像みたいじゃんか。せめて、640x480だったら‥‥。

 

2010年代はまだ1280pxや1600pxでもしょうがないとして、2020年代はひとまず4Kまでいかなくても、2560pxか2880pxくらいは必要なんじゃない?

 

ちなみに、地上アナログの頃、DVDが主役だった頃は、720x486(480)でした。‥‥今どきのアイコンの画像より小さかったんですね。

 

2000年に公開された劇場版Bloodは横幅はたしか1440pxでした。つまり、20年進化していない制作グループもある‥‥ということです。映像産業の中でアニメ現場がガラパゴスと言われる由縁です。

 

本業のアニメの原画よりも、iPadで落書きしている絵のほうが解像度が大きい‥‥なんていう人も多いんじゃないでしょうか。

 

2020年の現状が、後で笑い話として酒の肴になるよう、そろそろ皆で動き始めた方が良いです。アイコン画像に解像度で肉薄されるようでは、プロのアニメ制作もかたなしです。

 

 


アウトライナー

今まで、アウトライナー的な部分を自分の記憶だけに頼ってきた感があるのですが、最近は記憶力の減退を自ら痛感するに至り、せっかく10インチクラスのiPadもあるので、アウトライナーのAppを使い始めました。

 

箱書き的に要素を把握・リストアップして、細部を詰めていくのに、アウトライナーは便利です。

 

しばらく使わないまま放置していた初代iPad Pro 9.7インチを、キーボード付きケースに収納して使い始めました。MacBookなみに、すごく厚く重くなっちゃったけど、まあいいか。

 

キーボードショートカットがまだおぼつかないので、今はストレス半分な状態ですが、いずれ慣れましょう。

 

若い頃はねえ。アウトライナー的な整理整頓なんて、自分の脳内で全部賄えていたのに、今はアイデアが浮かんでも翌日には他のにかき消されて上書きされて、アイデアを思い出すのに苦労します。

 

必ず歳はとるもの。

 

目を背けるのではなく、直視して対応策・対抗策を講じます。

 

 

 

実際に、アウトライナーを常用し始めると、アイデアが揮発せずに書きとめられるので、良いですネ。

 

単にテキストエディタで、改行&タブインデントでも済みそうな感じですが、階層ごとに番号(アラビアやローマ数字)を付けられたり、ディスクロージャートライアングルで展開&収納できたりは、テキストエディタには望めないですもんネ。

 

2020年からは私も今までと同じことを繰り返すのではなく、自分の状況に応じて色々な方法を変えていかないとダメだと思ってます。

 

 


仕事始め

2000年から2019年までの20年、私はコンピュータに金を使い過ぎました。何を今さら‥‥と私を直に知る人には言われそうですが、実際、20年間を振り返るとしみじみ思います。

 

なので、少なくとも2020年から先の数年間は、コンピュータ関連を自費でどうこうするのは最低限に抑えようと思っています。

 

2年間、4KHDRのアニメ制作プロジェクトに関わった実感も大きいです。新しいMac Proを買ったところで、4KHDRネイティブのカットアウトのレンダリング速度が劇的に高速化されるとは思えないので、自費を投入するのなら、もっと違う部分にこそ、です。12時間のレンダリングが、9時間になったところで、1日をまるごと消費するタイムスケジュール‥‥ではネ。

 

アニメ業界の未来も‥‥だけど、自分の未来も考えないとネ。

 

2020〜2024年の前半5年間に今まで通りのアニメ業界の生き方を40〜50代の人間が続けたら、2025年以降は目に見えて自分の身の回りが削りとられて痩せていくでしょう。つまり、貧困に陥ることが必至です。

 

40〜50代の自分を、20〜30代の自分と勘違いしてはなりません。等しく、2020年代を、2010年代や2000年代、ましてや1990年代と同じ10年間だと考えるのはあまりにも愚かです。

 

自分自身、そして社会、両方が大きく変化する「未経験の10年間」と考えるのが妥当です。

 

 

 

現状の装備で、自他共にどのような新しい足場を築くか‥‥が、私にとっての2〜3年の目下の目標となりましょう。蓄積した経験と技術を箪笥の肥やしにしてもしょうがないス。

 

幸い、iPad Proはどの世代も快調で不満を感じないし、iPhoneも8 Plusで十分だし、Apple Watch 2'ndもiMac2014も壊れるまで使えるほどの性能の余裕はあるし、Apple製品にお金を使うとしても、iPad Proの新型だけが気になる程度です。macOSもAir Dropも、必要十分です。macOSとiOSの連携で様々なマイプロジェクトは捗ります。

 

 

 

人間には成長のスケジュールがあると思っています。

 

例えば、40代までに絵で仕事をしてこなかった人間が、どうやって40代に作画を学習して上達して稼ぐところまでいくのか、「上達のスケジュール」を40代の期間で考えれば、無謀なことだとわかるでしょう。上達してプロのスタート地点に立つのが50歳?‥‥なんて、普通に考えて「勝ち目なし」です。

 

つまり逆を言えば、40代まで絵を描いて仕事をしてきた人間は、それを如何に応用するかを考えれば良いのです。絵を直接描かなかった人間も同じで、自分の能力をどう再定義して新しい何かに繋げていくか‥‥です。

 

 

 

アニメ業界はどうなるんかなあ‥‥。

 

多くの人は、2020年からようやく「考え始める」‥‥のですかネ。

 

今頃カットアウトに興味を持つようでは、さて、何年後に身につけて常用するつもりなのだろう。

 

2020年も1.5Kで作り続けて、どうやって4K時代に移行する技術やノウハウを獲得するつもりなんだろう。

 

まあ、いいか。こういうことは全て、余計なお世話ですネ。本人たちしか、本人たちの状況は変えられないです。他人がガーガー言っても、どうにも動かんス。

 

 

 

今年の仕事始めは、2020年代10年間の仕事始め。

 

アラウンド50になった私の、2020年代の10年間は、「自分も大事に扱う」‥‥です。いささか遅すぎたように思いますが、一方で、自分を大事にするための材料も揃ってきたので、ぼちぼちその材料を使っていこうと思います。

 

 

 



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