オーズ

orzって、最近まで何を意味するのか知りませんでした。(^ ^ くらいは見た目で解るんですが、orzは見た目では判断できませんでした。何かのスラングかと思っていました。

 

でも、若い人の中にも知らない人がいて、「昔のネット文化」みたいに言われてて、ちょっとだけ安心しました。知らなかったのは、私だけではなかった‥‥と。

 

ちなみに、私は子供の頃に耳にした「あじゃぱー」(=どこで聞いたかはよく覚えていない)をずっと使い続けており、「古ッ!!」と言われたことがあります。

 

語尾を上げる口調・イントネーションもそのうち廃れるんだろうな‥‥とは思います。その口調がオジさんオバさんの特徴になるのもそう遠くはあるまい。

 

私の父は栃木地方の出身なので、語尾を上げる栃木・茨城訛りのような言葉を小さい頃から耳にしていました。なので、一時期異様に流行った語尾を上げる「‥‥じゃね?」みたいな喋り方は、北の地方の訛りにしか聞こえなくて、「今、世間では何が起こっているんだろう」と10年前くらい(だったかな?)に思ったものです。

 

ちなみに父はセブンイレブンを「イレブンセレブン」と言うなど、かなりめちゃくちゃな割に、「じゅうふくじゃない。ちょうふくだぞ。」と嗜めるような面も持ち合わせています。昔、戦争孤児で苦学生だった面影が偲ばれます。

 

 

まあ、無理に若いふりを装ったり、いまどきの流行を知ったふりをするのは、うまくいかなかった時に、結構、恥ずかしいですよネ。

 

なので、自分の現実味として「オーズ」の文字列が出ないのなら、そのまま人生を歩んでも良いかと。‥‥無理するのはよくない。

 

まあ、orzって、両手両膝をついて打ち拉がれるポーズだと思うのですが、私は打ち拉がれた時に、もっと違う反応を見せるので、そもそも自分に合わない‥‥というのもありましたネ。今更‥‥ですけど。

 

「と言いながら、おまえは4KだHDRと流行を追いかけているじゃないか」とか言われそうですが、私にとってそれらは他人事の流行じゃなくて、毎日歩む技術進化の潮流であり、自分事の現実です。「流行」とはちょっと違う‥‥んですよネ‥‥。

 

新しいiPad Proも楽しみですが、それは料理人の包丁やフライパンのようなものなので、流行とか全く関係なく、むしろ「さらに実用的な道具が出た」くらいの認識です。

 

 

 

流行じゃなくて、自分の気になるものを追いかけるのって、端から見てても、何か良いです。みうらじゅんさんの「甘えた坊主」(いやげもの)の人形コレクションとか、妙に脳裏にこびりついて今でも思い出しますし。

 

私もたまにですが、「買わずばなるまい」と買ってしまうものがあります。最近だと、手の造形だけで気に入って買った、100円ダイソーのコレとか。私はただ単に「ビジュアルだけでミトンが好き」なので、これもツボにはまって買ってしまったのです。

 

*全然怖くない。いや、むしろ、怖いか。

 

 


コンピュータ

どんなに高いコンピュータでも、「実用で一生もの」というのはありませんよネ。木製の机とは違います。

 

今日発売されたAppleの製品群も、買い替えの周期をちゃんと計画して買うのが肝です。もし業務で使うのなら、払った分の機材設備費を、ソレナリにちゃんと高い仕事をして、回収可能かどうかも考えておくのが、コンピュータと付き合い続ける秘訣(?)です。

 

清水の舞台から飛び降りて、そのまま帰ってこなくなった‥‥では、なんとも。

 

 

ちなみに、ビンテージ目的では死ぬまで持っておきたいマシンはあります。何十年も経過したコンピュータは、色々な故障パーツがでてくるでしょうから、未来にちゃんと起動するかはナゾですけどネ。

 

*このタイプのMacは捨てられないんですよねえ‥‥‥。私はPlusとSEとSE30を持っています。もちろん現役ではなく、倉庫で眠ってますけどネ。Plusは箱付きの中古完備品で、今から20年前に2万円で買いました。

 

 


歴史に思ふ

戦前、戦中における、皆が尊ぶべきものとして日々実践していた様々な規範や道徳的なおこないは、敗戦後になって180度転回して、「あれは洗脳だった」「軍国社会の忌まわしい価値観だった」‥‥と考える年配の人は多いようです。戦中を経験した父はその時小学生くらいの年齢でしたから、社会全体の風潮に異を唱えることもままならなかったでしょうし、国家権力だけでなく民衆・大衆が率先して「隣組で助け合いながら、お互いを監視しあう」ようなこともあり、父曰く「当時は社会全体が戦争反対を口に出せるような雰囲気ではなかった」とのことです。

 

私が注目したいのは、戦争の顛末云々ではなく、人の行動パターンです。日本に住んでいる人間の傾向として、世代など全く関係なく、「みんなと歩調を合わせて、みんなと同じことをしているのが、良きことだ」という感覚は、今でも根強い‥‥というか、日本人の基本的な性質のように思えます。

 

結局、アニメ業界がアニメ業界を何十年も体制維持できたのって、そうした日本人の性質に依るところが大きいと思います。「欲しがりません、勝つまでは」「進め一億火の玉」「守れ日の丸 汚すな歴史」「一億が みんな興亜へ散る覚悟」‥‥がピッタリくる業界ですよネ。

 

泥沼の戦いを何十年も続けて、いよいよ自分の身体的老化を心身とも自覚するに至った時、同時に、今までのアニメ業界の体制が傾いて日没へと向かう時、当人は何を思うのでしょうか。アニメ業界と共に死する覚悟か。またはアニメ業界は間違いだった‥‥と180度転向するのか。

 

全肯定して殉死するか。全否定して生きるか。‥‥極端なんですよネ。

 

 

 

注目すべきは、事態が悪化し深刻化するにつれて、「敵対」勢力に対して、憎悪の念を募らせることです。戦中の「鬼畜米英」なんていう言葉は、まさにそのものですが、「敵を悪虐かつ卑劣なディテールで表現」するのは日本に限ったことではなく、どんな国も敵国の描写は似たようなものです。

 

とはいえ、そこに「根性論」「精神論」的なニュアンスが多分に含まれるのは、日本的です。以下は、学徒動員壮行会の答辞からの引用です。

 

暴虐飽くなき敵米英は今やその厖大なる物資と生産力とを擁し、あらゆる科学力を動員し、我に対して必死の反抗を試み、決戦相次ぐ戦局の様相は、日を追って熾烈の度を加へ、事態益々重大なるものあり。

 

中略

 

生等今や、見敵必殺の銃剣をひっ提げ、積年忍苦の精進研鑚を挙げて、悉くこの光栄ある重任に獻げ、挺身以て頑敵を撃滅せん。生等もとより生還を帰せず。在学学徒諸兄、また遠からずして生等に続き出陣の上は、屍を乗り越え乗り越え、邁往敢闘、以て大東亜戦争を完遂し、上宸襟を安んじ奉り、皇国を富岳の寿きに置かざるべからず。

 

 

う〜ん。やっぱり、アニメ業界を支える意識と似たもの‥‥がありますネ。現実の戦争状態ではないだけで、やってきたことは同じです。

 

困難に対して、死をも顧みぬ自己犠牲の「精神力」で立ち向かおう‥‥という意識を「暗黙の総意」としている点は、酷似していますネ。

 

 

 

業界の、特に一部のベテランがもつ思考の傾向=「デジタル」は新しい敵で、「アナログ」は旧き善き味方。‥‥まあ、「デジタル」「アナログ」とか意味もわきまえず感情だけで使っている時点で、かなり冷静さを欠いているとは思います。

 

敵、味方。なんだそれ? 不自由な思考など捨てて、「科学力」はさ、最大限活用しましょうよ。

 

アニメ業界も現場も、紙と鉛筆時代の精神論だけで戦って、この先の未来、生き残れると思います? 現場を次の世代に託すことはできます?

 

自分の生きた時代を「永遠の規範」のように考え始めたら、それはもう、「終わりの終わり」です。

 

 

 

思うに、戦前戦中の軍国社会が成立したのは、牽引し統率する側だけでなく、牽引される側・統率される側も存在したからです。

 

軍国社会の中では、全体主義から脱しようものなら、反逆罪で逮捕されるようなこともあったかも知れませんが、「そうだそうだ」と軍国社会に同調していた人間も膨大にいたはずです。

 

しかし、アニメ業界に関してはさ‥‥‥、アニメ業界反逆罪に問われることはないですヨ。

 

新しい科学の力を導入しても何の罪にも問われません。同調するもしないも自由。新しいプロジェクトを新しい技術と協力者ととも開始するのも自由。今は旧体制の低賃金にあえぐ人材を、新しい技術と制作体制に迎えるのだって自由。

 

旧体制の中で拳を高く振り上げ、我は爆弾三勇士だ、私は愛国婦人だと、後戻りできない雰囲気を作ってしまうのも自由‥‥ですけどネ。

 

 

 

どんな側、どんな立ち位置でも、ただ、1つは言えます。‥‥戦前戦中の人々と同じ道をトレースする必要はないです。

 

歴史に学べるのは、後の時代の人間の特権ですもんネ。

 

 

 

科学。‥‥か。

 

壮行会での答辞文中の「あらゆる科学力を動員」する「米英」とは、中々言いえて妙です。今の時代にも言えてる。

 

明日(今日か)は新型iPad Proの発表‥‥があるみたいですネ。

 

 

 


最近のWebサーバ

セキュリティ面の観点で、昔のおおらかな「自宅のマシンを全世界に公開」みたいな方法は、今は避けるべきと思っています。少なくとも私は、セキュリティの専門家ではないですし、セキュリティに時間もお金も割ける身分でもないので、危うきには手を出さない方法でWebサーバーは構築したいです。

 

となると、普通に考えて、レンタルサーバ。

 

サーバ業者がサーバを公開するので、自宅のマシンが脅かされることはないです。

 

しかし、PHPなど、サーバサイドで動作する仕組みを活用したい場合は、テストサーバを外部非公開でローカルで動かして内容確認をするのが、ごく自然な流れとなります。動作をローカルのテストサーバで確認したのち、レンタルサーバにデータをアップロード(同期)する手順です。

 

Adobe CCには「Dreamweaver」(以後、DW)がありますので、サイトの設定をおこなう際に、リモートサーバだけでなくテストサーバも設定して、PHP活用に備えます。実際は、テストサーバと言っても、テストサーバのルートがローカルディレクトリを兼ねれば、テストのための転送なしにすぐにPHPの動作確認が可能です。

 

自分の自宅のiMacの、しかもユーザフォルダの「Sites」を使うだけのことなので、スタート時の難易度は特に気にすることはない‥‥はずでした。しかし、今はユーザフォルダの「Sites」を有効にしてmacOSでサーバを起動するのもちょっとひと手間かかります。macOSサーバを購入しても、Webサーバの設定欄は廃止されバーチャルホストもすぐには使えません。

 

 

 

前回も書きましたが、ホントに、最近のユーザのスキルは低く見られてますよネ。「我が社が開発したアプリを、我が社の設定した規範通りに、大人しく使ってろ」と言わんばかりです。でもまあ、それはそれで仕方なし。ユーザサイドもツイッターやFacebookやLineに流れちゃったし、iOSのアプリだけを使うのが「使いこなし」だと思うように変わっちゃったんだから。

 

なので、そうした状況を乗り越えましょう。塀があるのなら、越えれば良いです。低く見られているのなら、必要なぶんだけ高い位置に登って飛びこせば良いです。

 

Webサーバを自宅限定で使うにも、簡単には使えなくなった現在。‥‥ならば、簡単ではない手順を踏みましょう。簡単にできないことを理由に、安易な挫折の原因にしているから、余計、「舐められる」んですヨ。

 

ターミナルを使ってコマンドで物事を実行し、コンフィグファイルの編集はviでおこないます。

 

viはターミナル上で展開されるテキストエディタで、コマンドは昔から変わっていないように思います。私自身があまりにもviとは久々なので使い方を忘れているだけで、IIvi(名前がややこしいな)で始めてviを使った時と操作感に変わりはないみたいです。

 

 

macOS、MacOSXはUNIXの一派なので、UNIXの色々が流用して応用できます。そしてシステム構成も「隠してあるけど」、スラバー(/var)やスライーティーシー(/etc)が他のUNIXと同じようにちゃんとあります。

 

アパッチ=ウェブサーバ=httpdを動かすには、/etcの中の「apache2」の中のファイルをコチョコチョします。不可視とはいえ、OSXのFinder上でも昔からアクセスできて、

 

 

 

 

‥‥の手順で/etcをフォルダウィンドウとして開けます。その中の「apache2」がWebサーバ機能の動作を司る設定ファイルです。

 

以前、コピーして複製したのが残っていますが、これを削除するにも管理者権限が必要です。

 

 

 

つまり、それだけ重要な項目なので、不可視にもするし、いちいち何をするにも管理者権限が必要なのです。

 

可視状態のままだと誰でも手出しできちゃうので、「システムのことなど何もわかんない人が「何これ?いらね」とか言って勝手に削除して、macOSが起動しなくなって「コンピュータが壊れた」とかパニックになって騒ぐ」のを、最初からいじらせない事で防いでいるわけです。

 

サポートセンターの状況は知りませんが、最近はユーザのライブラリすら不可視になりましたから、相当「変なことをする」ユーザが増えてるんでしょうかね。「容量が足りなくなったから、ユーザフォルダのライブラリフォルダを丸ごと捨てた」とかネ。‥‥多分、Finderが止めに入ってくれるとは思いたいですが。(そんなこと、やった試しがないのでわかりません)

 

 

 

まあとにかく、あえて不可視で管理者権限が必要な領域に立ち入るのですから、自己責任です。自分の私物のMac/Winは、2度や3度、システムを再起不能なくらいにイジりまくってちょうど良いです。失敗したことのないカジュアルな経験値など、ヘナチョコ経験値ですから。

*そのためにシステムのバックアップは、Timemachineで取っておきましょう。

 

Finder上で操作すると管理者権限の入力が度々求められるので、「こけつにいらずんばこじをえず」の度胸で、ターミナルとsudoとviでコンフィグファイルを編集しましょう。

 

sudoはスドーではなく、SuperUserのDo=管理者権限での実行のことです。

 

ターミナルを起動して、

 

sudo vi /etc/apache2/httpd.conf

 

を実行すると、パスワードを尋ねられたのちに、

 

 

‥‥のようなステキなコンフィグの文面が表れるので、怖気付かずに編集します。

 

とりあえず、

 

x=1文字削除

:q!=保存せずに閉じる

:wq=保存して閉じる

 

‥‥だけ覚えれば、httpd.confの編集操作は達成できます。何故って、たった3行の行頭の「#」を削除すれば良いだけなので。

 

コメントアウト=#が行頭の文は無視される仕組み‥‥を解除する行は、「ユーザホームディレクトリごとのWebと、PHPを有効にする」場合は、以下の3つです。

 

#LoadModule userdir_module libexec/apache2/mod_userdir.so

 

#LoadModule php7_module libexec/apache2/libphp7.so

 

#Include /private/etc/apache2/extra/httpd-userdir.conf

 

英文ですが、読めば大体意味はわかりますネ。コメントアウトを外した3行目は「httpd-userdir.confをインクルードする」設定にしたのですから、

 

sudo vi /etc/apache2/extra/httpd-userdir.conf

 

で、中身を確認して、コメントアウトしている次の行頭から#を削除して書き換えます。

 

#Include /private/etc/apache2/users/*.conf

 

アパッチ2フォルダのusersの何らかのコンフィグファイルをインクルードせよ‥‥となります。どんどんたらい回しになりますが、めげずに、

 

sudo vi /etc/apache2/users/あなたのユーザアカウント.conf

 

中身をviで今度は全部書き換えます。色々な設定の組み合わせがあるようですが、私は以下のようにしました。

 

AllowOverride All

MultiviewsMatch Any

Require all granted

 

自宅の閉鎖空間のテストサーバ用途なので、上記の通りシンプルです。ちなみにviは「i」でインサートモードに入って文字を書き込んでいきます。インサートモードから抜けるにはキーボード左上の「esc」キーです。

 

コンフィグの編集が終わったら、以下のコマンドでアパッチを実際に自分のマシンで起動します。

 

sudo apachectl start

 

既にアパッチが動作している場合は、

 

sudo apachectl restart

 

‥‥で、コンフィグの変更内容が反映されます。

 

 

 

とまあ、こういう段取りを経ないと、今はmacOSではWebサーバ機能を起動すらできません。昔=10.8よりも前は「Web共有」というシステム環境設定での簡単な操作でユーザホームフォルダごとのWebが作れたんですけどネ。

 

そういえば、「iWeb」も消えましたネ。何よりもショックなのは、MacOSX Server〜今のmacOS Serverの大部分の機能が消え失せて、ほとんど何もできなくなったことです。プロファイルマネージャーとXsan(とディレクトリサービス)しかなくなっちゃって、もうサーバソリューションの売り物じゃないよネ。

 

「Apple では、カレンダーサーバ、連絡先サーバ、メールサーバ、DNS、DHCP、VPN サーバ、Web サイトなど、オープンソースサービスの macOS Server での提供を停止いたしました。これらについては、オープンソースプロバイダから直接同じサービスを利用できます。そのため、macOS Server のお客様には、セキュリティに優れた最新のサービスが公開され次第、インストールしていただけるようになります。 」

 

 

これはさ、「食材はすべて現地調達でお願いします。そのほうが新鮮な食材が手に入ります。」と言いつつ、「スーパーマーケットは閉業します。」と暗に宣言してるんだよネ。MacOSX Serverが10アカウントで10万くらいした頃から使い続けてきた私としては、「ああ、Appleのいつものアレか」と怒る気もないです。言い回しが「おためごかし」なのも、いつものAppleの感じですネ。

 

*ずいぶんとスッキリしちゃいましたネ。

 

 

Webのコンテンツはもはや自分で作るべきものではない‥‥と思われている昨今。

 

AppleのWebサービス隠し‥‥が、まさに近年の傾向を象徴しています。

 

でもさ‥‥。まさかTwitterで、

 

ezura @ezura-h ・ 7h

 

今回の仕様は、

 

3840x2160

24.0fps(23.976ではなく)

 

ezura @ezura-h ・ 7h

 

QTの場合は

ProRes4444XQ(12bit)

 

ezura @ezura-h ・ 7h

 

で、宜しくお願いします。

 

 

‥‥みたいにやるわけにはいかんじゃん。

 

まあ、もちろんPDFで配布というのが常套手段なのでしょうが、その方法ですと、PDFの文書内容がスタンドアロンになってしまいますよネ。最新情報が更新されるたびに配布し直すのでしょうか。

 

Googleのソリューションは使いこなせば相当良いのですが、印刷サイズに縛られるドキュメントはどうにもニーズに合いません。紙に印刷することなど全く考えてないのに、「A4」用紙ありきで設計されるのは困るんですよネ。モニタが広くて大きいのに、コンテンツを作る側が幅をテンプレートで決めきってしまって広く使えないのは、何のためのダイナミック(可変)レイアウト環境なのか?‥‥と思います。

 

 

 

そんな中、一方では、Webコンテンツにしろ、HTMLにしろ、一般大勢のユーザの心情が「そんなめんどくさいのは要らない」「SNSで十分」というのが現状なら、むやみに昔の流儀(といっても大した年数は経過してないけどネ)にこだわるのも不自由です。「ホームページ」の時代は終わったのです。

 

とはいえ、SNSは万能では全く無い‥‥です。どんなに皆がSNSに馴染んでも、論文や技術解説をツイッターで垂れ流すのは本末転倒。長い文でなければ表現できない濃い内容を、ブツ切れにしてツイートするのは、見苦しさこの上ないです。どんな時でもSNSを使えば良いってもんじゃないですよネ。

 

要は、適材適所、何か1つを盲信しない、状況はうまく活用してこそ‥‥ということでしょうネ。

 

少なくとも今の私に必要なのは新しい「体系を体現できる」媒体です。それはSNSではなく、何か他のもの‥‥でしょうネ。

 

 


知の獲得と放棄

GoogleドキュメントもiCloudのiWorksも、現在の私のニーズにイマイチ使い勝手が悪く、久々にWebを構築すべくmacOSのApacheを使ってみようと操作したら‥‥、最近のmacOSはサーバ機能を随分と「奥に隠して」しまったんですね。昔のようにGUIで操作してサーバを起動することができなくなり、ターミナルでの操作が基本でコンフィグをviなどで書き換える「さらに昔」のスタイルに戻っていました。

 

macOSサーバ(=MacOSX Server)も、機能をどんどん削ぎ落とされて、現バージョンはもはやスッカラカンの内容に成り果てていますし、少なくともAppleは「サーバ機能をユーザに提供するソリューションから撤退した」と言っても過言ではない状態です。

 

もちろん、内部的には今でもサーバ機能は健在なのですが、「操作ができる人だけが使ってね。解らない人は手を出さないでね。」的なスタンスに移行しています。一旦は「みんなでコンピュータを使おう!」という機運を盛り上げてみたものの、SNSの登場で一気にお手軽方向に大衆がシフトして、「じゃあ昔の通りに、コンピュータを使いこなす人間は少数の一部だけでいいや」という流れになっているのでしょうネ。

 

例えばApacheの件で言えば、macOSにおいてはシステム環境設定から姿を消し(10.8以降)、ターミナルとvi(によるコンフィグの書き換え)でサーバを操作する方法しか選択肢がなくなりました。

 

ぶっちゃけ、ターミナルなんて、パソコンを持っている人でも使っているのは少数ですよネ。私が「MacBSD」に熱中していた頃(=一部のユーザにおいて静かなブームが前世紀末にありました)の「68k Mac」を自宅でサーバとして使っていた時代‥‥つまり、マイノリティに逆戻りしたのです。

 

つまり、

 

コンピュータが普及しても、誰もがコンピュータを理解して使いこなせるようにはなったわけではない

 

むしろ、内部まで掘り進んで使える人と、提供された表面だけしか使えない人の、差別化・格差が大きく広がっている

 

‥‥という時代なんですネ。技術知識のヒエラルキーがものすごいことになっている‥‥のかも知れません。

 

今ではHTMLやWebサーバはプロ・専門分野の領域になってしまって、自分でサイトを構築する人なんてほとんど姿を消したような状態なのでしょう。ツイッターなど、ネットワークやHTMLの知識など何も必要としないで使える手段へと、人々の関心は移行しています。

 

それを「嘆かわしい」とは思わないです。考えてみれば、いつの時代も技術が進化すると、技術と知識における貧富の差は激しくなるばかりでしたよネ。視点の基点を変えれば、基盤から設計してコンピュータを作って使っていた60〜70年代の人に比べて、出来上がった製品を使っている時点で、私も「貧」の方にカテゴライズされるわけですし。

 

映像制作の現場で言えば、After Effectsだけ使えても、やがて行き詰まります。After Effectsなんて、コンポジターのスマホのような存在ですから、「使えて当たり前」であって、その先の踏み込みが個人の資質になります。「After Effectsでアニメの撮影しかできない」人と、「After Effectsやその他のソフトとコンピュータの知識で色々な仕事をできる」人では、人生の設計に大きな貧富の差が表れるでしょう。

 

現在のコンピュータ関連のものごとは、「解らないヤツは解らないままでいい。解るヤツだけが踏み込んで来い」的なスタンスに大きく様変わりしています。スマホだけ弄ってるヤツはそのままでいい‥‥という、ある種、凄い見切りの潔さと残酷さです。

 

その影響で、サーバ関連のUIがコマンドラインベースになっても仕方のない、時代背景なんでしょうネ。サーバの運用なんて普通に生きてるだけの人間には無用、ターミナルごときで怖気付くヤツは来るな‥‥的な優しくない状況でも、まあ、それはそれで良いです。「みんなで高い技術知識を持つべき」みたいなある種の平等博愛主義など、考えてみれば無理な話だったと今は悟ります。本人の意気込みと実践だけが本人の運命を分けていくんでしょうネ。

 

知の広がりを求めるのも人間の群れ、知を放棄するのも人間の群れ‥‥であると心得て、群れではない己個人がどう行動するかは、時代に関係なく、己自身で決めていくしかないんでしょうネ。

 

 

ちなみに、今回、私がmacOSのApacheを使いたいと思ったのは、「テストサーバ」としてです。PHPの動作確認をするために、ローカルで確認できるWebサーバが欲しかったのです。

 

現在のmacOSでWebサーバを起動するには、3つのコンフィグの操作が必要です。httpd.conf、httpd-userdir.conf、そしてユーザ名.confの書き換えを適宜おこない、ユーザ直下に「Sites」フォルダを作れば、ユーザごとのWebディレクトリを作れます。「Library」の「WebServer」の中を直に操作するのは面倒なので、昔のMacOSXに存在した「Sites」フォルダを復活させるのが、一番面倒なく管理しやすくて良いです。

 

表舞台からは姿を消した今でも、ユーザ直下に「Sites」フォルダを作ると、ちゃんとアイコンが自動で付与されるのネ。以下はmacOS Mojaveでの「Sites」フォルダの様子です。

 


4K HDRの時代

新しいFire TV Stickは、4Kに対応したのが目立ちがちですが、実はDolby Visionにも対応しているのも、私としては大きな注目要素です。

 

 

 

Dolby Visionは、HDR10やHDR10+とは「格」が違います。まずなによりも12bitですし輝度の変換調整もフレーム単位ですし、映像制作者サイドの観点でいえば、付け足し機能強化のHDR10+よりも、素のスペックから強力なDolby Visionのほうに軍配を上げざる得ません。

 

ゆえに、Fire TVが新たにDolby Visionに対応したのは、制作者側としては嬉しい要素です。

 

もうさ。HDR10陣営も10はやめて、「HDR12」に規格バージョンアップすれば良いのにネ。やっぱり、1000nitsを常用するようになると、12bitでPQは必須だと実感します。妙にHDR10に粘ってこだわらずに、HDR10の上位互換として早々に12bit版のHDR12を出した方が良いと思うんですよネ。

 

映像制作者として、そして映像コンテンツに対価を毎月支払って視聴している人間としても、2K SDRからのアップコンの「偽4K」「偽HDR」との差が、ハッキリと判別できる映像配信形態が望ましいです。

 

でもまあ、廉価なFire TVもDolby Visionに対応したし、今後どんどん高画質映像配信の普及は浸透して(=買ったらデフォルト)いくのでしょう。まやかしではない、本当の4K、本当のHDRのアニメーションを、家庭の4K HDRテレビにマスターモニタさながらの画質で届けられる状態が揃ってきたのは、作っている人間たちとしては良い状況です。

 

 

 

4Kのアニメ。HDRのアニメ。

 

After Effectsにもトランスフォームプロパティのスケールのパーセント拡大だけでなく、アップスケールなどの「詳細感を保った拡大」フィルタがありますし、線のシャープさを保ったスケール拡大メソッドも色々とあるようです。‥‥が、それらでアニメの描線が繊細になるわけではないですし、元素材の絶対的な面積の小ささは絵の内容でバレてしまいます。「アップコン感」はぬぐえません。

 

正当に、映像表現と映像品質に価値・価格が付与されるため=例えばアップコンか否かを見抜くためにも、家庭レベルのインフラ向上と端末(=テレビやパソコンやタブレットやスマホ)の性能進化は欠かせません。

 

現在はまだ2KのHDテレビが主流でしょうが、今後、どんどんぶっ壊れますから(液晶テレビの寿命ってヤツです)、4K HDRテレビが今よりさらにお手頃価格になった頃に、新しいペンキで塗り替えられるかのように、ごく普通に無感動に当たり前に、4K HDRテレビは普及するでしょう。

 

スマホも2K解像度が当たり前となり、高密度で手のひら画面のHDがごく普通になると思われます。

 

‥‥もしかしたら、今の2K制作現場は、スマホ用途専用になっちゃって、「スマホで見てた時は綺麗だと思ったけど、大きなテレビだとキツいね」なんて一般層から言われる日も、あながち来ないとも言えません。

 

アニメ現場もやがて、4K HDRの波を前に、進退を決する日が来るでしょう。

 

 

 

一時期の「萌えキャラ燃え」の影響で、どんな映像品質でも技術であっても、内容が萌えキャラならOK‥‥的な流れに、濁流にのまれるが如く流された時期がアニメ業界にはありました。‥‥今でも、、、かな?

 

萌えキャラだって日本の文化だ。表現だ。多様性を認めろ。‥‥という論調は、私もそう思います。額縁に飾ってある名画だけが価値のある絵ではないと思います。

 

しかし、残念ながら、そして皮肉なことながら、萌えキャラは長い期間、アニメ業界の多様性を奪う主役としても、その力を発揮していまいました。どんなに線がぶっとくて粗雑でも、どんなにレイアウトがおかしくても、「萌えキャラ主人公のアニメなら許される」的な風潮にどっぷりとアニメ業界が浸かってしまいました。私が業界を「尻馬にのりやすい性質だ」と日頃書いているのは、そういう面からもです。

 

「萌えキャラ」の次に、どんな言葉に変わっていくのかわかりませんが、「萌えキャラ」のような可愛い女の子キャラでも、映像技術の品質にはこだわるべきだと思います。キャラの嗜好性とは別のベクトル=4K、HDRなどの映像技術要素も、アニメ制作の大きな柱として取り組んでいくべきなのです。アニメ作りで未来を生きようとするならばネ。

 

このままのアニメ業界のベクトルでいくと、いつまでも制作現場は、アップコン頼みでごまかし続ける技術で停滞します。しかし、そうした「偽の新技術」で、ず〜っと未来もごまかせるとは‥‥‥‥‥思えませんよネ。

 

お客さんを「どうせわかりっこない」と馬鹿にするのも、そろそろいい加減に止めないとダメだよ。

 

「偽の新技術」と、「真の新技術」を、ちゃんと顧客に見分けてもらって、価格の差を実感してもらうことこそ、アニメの未来には絶対必要な要素です。

 

どんなに手を抜いても、どんなに頑張っても、評価は同じなんだ‥‥なんていうフィールドで、だれが頑張ってものを作ろうと思うのでしょうか。‥‥考えれば、すぐにわかることですよネ。自分たちが報われない原因は、自分たちで形作っている現場にあるのです。

 

現場の中だけだからウヤムヤになるのです。

 

「評価を分けるフィールド」が、アニメ制作現場の中だけではなく、例えば家庭の大画面4K HDRテレビの中にもあれば良いのです。

 

 

 

それに、映像作品を配信や円盤で売る‥‥という行為は、「高いお金を出して、高品質な映像体験を手に入れた」と考える「顧客との約束」でもあるでしょう?

 

4K HDR時代に、1.5Kで作画して二値化のぶっとい粗雑な線と256階調リニアで仕上げたアニメ絵を、6〜7倍にも拡大したアニメ映像と事後HDR処理で、まさか「4K HDR作品です」と売るのだとしたら、それはもう‥‥‥‥約束を破るどころか、詐欺としか言いようがないです。

 

良くて、「4K HDRリマスター」ですよネ。決して、「4K HDR作品」ではないです。

 

思うに、可愛い萌えキャラは、生粋の4K HDRで作っても、可愛いままですよ。決して、4K HDRは、可愛いキャラやかっこいいキャラの「敵ではなく」、むしろ「強い味方」です。

 

アニメ業界もさ。いつまでも、このままで作り続けられるとは思ってないでしょ? 萌えキャラを隠れ蓑にした低品質作業体制の「潮時」が近づいていると思いますヨ。

 

 

 

アニメの映像作品を購入するお客さんに対して、話の面白さやキャラのかっこよさ・可愛さだけでなく、映像の技術や品質面でも、「価格に応じた映像体験」を「約束」することは、これから未来の映像制作者の責務と思います。

 

映像高品質時代の制作者は、D1時代の意識では通用しません。

 

新時代の制作者の責務は、Fire Stick 4Kなどの新しい映像体験手段によって、お客さんに対して果たされ、そして然るべき報酬にて還元されるのです。

 

 

 


通時と共時

通時的なものの考え方と捉え方、そして経時的なものの考え方と捉え方は、どちらかを選択しておけばOKということではなく、両方をバランスよく自分の思考に取り入れることが肝要と心得ます。座標にはX軸もY軸も必要だもんネ。

 

昨日書いた「紙」の問題も、アニメ制作現場はそれこそ私が生まれる前から紙で作画してきたので、現場においては紙に対して通時的な捉え方がほとんどで、共時的に捉えることはほぼゼロ‥‥と言っても過言ではありません。「今までそうしてきたから、今もそうしている」という考え方です。それが「無意識」なので、余計に「気づき」の機会が得られず、共時的に紙を活用するアイデアは全くアニメ業界からは出てきません。

 

思うに、アニメの作画で用いられる紙は、考え方を共時的な発想へと変えれば、ものすごいお金を生み出すオンリーワン足り得ます。アニメーターを一気に金欠病から救いだす大きな可能性を秘めているだけでなく、現場ではなし得なかった変動的な技術価値も付与できるかも知れません。

 

しかし、旧来の現場は旧来ゆえに、通時的視点から逃れられないので、いつまで経っても、紙はただの紙。今では、レタス二値化線における、イニシャルコストの安価な入力手段にすら成り下がり、かつての描線のマティエールやニュアンスをAfter Effectsで再現しているありさまです。

 

デジタルデータでは到底太刀打ちできない「紙の価値」は、残念ながら、通時性に凝り固まった人々では見つけ出して創出できないでしょう。通時的にしか思考しないから、「マッチで火をつけて、ポンプで水を汲み上げて消す」ような行為に終始するのです。

 

紙を扱う人々が共時性に目を向けたら、紙はむしろ金を生み出す魔法の書みたいになって、紙の仕事イコール金の稼げる仕事‥‥にすらなる可能性を秘めています。‥‥でも、それは紙を扱う当人たちが実践すべきことなので、「デジタルデータ志向」の私が紙活用に関して色々とアイデアを出すのは変な話です。紙を愛する人が頑張るしかないです。

 

作画だけでなく、アニメ業界の全行程は、通時性一本槍から逃れて、共時性を強く意識することで、未来への生き残りと足がかりが確保できると思います。まあ、それも、当事者が実践するしかないです。

 

 

私はアニメ業界だけでなく、近代社会だけでもなく、およそ2000年前の古くからの歴史からも学んで応用すると共に、Dolby Visionなどに代表される4K HDR PQ 12bitなどの新しい技術もたっぷり旺盛に意識します。

 

通時性〜歴史からは本当に沢山のことが学べますし、共時性〜現代社会の様々な新しい出来事も重要な指針となります。つまり、自分の中に安易にスタンダードを作り上げてしまって、それ基準だけで物事を判断しがちな「悪癖」を、通時的・共時的なスタンスで相殺しようと思っています。

 

私も放っておくと簡単に「スタンダード」とか「鉄板」とか考え出すので、自分自身をクールダウンするためにも、通時性と共時性を大切にしています。

 

まあ、通時性を盲信すると「昔はこうだった」と言いがちになりますし、共時性を盲信すると「流行っているのはこれだから」とか言いがちになるので、自分自身の中に出来上がったログ的蓄積物と、通時性と共時性の「3要素の塩梅」は、悩ましいくらい難しいんですけどネ。

 

おそらく、自分自身の身の丈の思考、通時的思考、共時的思考の「配分」も、その場面や状況によってダイナミックに変わっていくこととも思います。また、適用する箇所によっても、配分は変わるでしょうネ。

 

 


10月30日

Appleの9月のイベントから2ヶ月も経たずに、また10月末にイベント。

 

これ。

 

 

 

‥‥まあ、9月のイベントに間に合わなかったのが、10月末にお目見えするんだろうか。‥‥というアウトサイダーの邪推はともかく、つまりアレが出るということか。

 

iPad Proの新型ネ。

 

 

このイベント告知のイラストを見れば、誰だって「ああ、絵具のイメージね。つまり、ドロー=描ける道具がお目見えするのネ」と、モロ判りですわな。

 

Apple Pencilの新型も出るというウワサだし、Mac miniももしかしたら‥‥なんて言われてますが、あくまでウワサで公式発表ではないので、楽しみに待ちます。

 

買う準備をして。

 

 


酒とコンピュータ

まあ、普通に考えて、目の前に1万円があって、それを酒代にするか、ソフトのサブスクリプションとiPad Proのローンに回すかで、当人の状況も変わってきますわな。

 

面白おかしく生きることと、面白きびしく生きることは、私の実感ですが、「両立は無理っぽい」です。

 

そこはどんなに隠そう、ごまかそうとしても、事実がそうだから、そうとしか言えません。

 

夢を叶えたい手段として、酒を使うか、コンピュータを使うか、‥‥‥とも言えますネ。すごく、極論ですが。

 

 

たまに酒を呑むのは良いですネ。楽しい酒は良いです。

 

では、たまにコンピュータを使うのも良いか。‥‥う〜ん、「たまに」ではダメかなあ‥‥‥‥‥。


サブスクリプションの選択

サブスクリプション、すなわちソフトウェアや各種サービスに対する課金は、お金を吸い取られ続けるだけに感じることも場合によってはありますが、考えようによっては「使うのをやめる」意思表示を初期導入費用なしに示せる手段とも言えます。

 

例えば、私はiPadにおいて、シングルスワイプ=1本の指先で摩る動作と、ペン先の入力を、機能を分けて使いたいのですが、その機能設定はドローソフトによってまちまちです。

 

紙と鉛筆を使っていた頃に、少なくとも私は、鉛筆を一旦離して机において、消しゴムに持ち替えて消す‥‥みたいな動作はせず、左手で鉛筆(左利きなので)、消しゴムを使う時に空いた右手を使う動作でしたので、ドローソフトにありがちな「消しゴムツールに切り替える」動作がいちいち面倒でイヤなのです。今では、Wacomのペンのテールスイッチすら面倒に感じるようになりました。

 

シングルスワイプを消しゴムに割り当てる機能は、今や必須となりました。対応しているドローソフトはクリスタとプロクリなので、自然とその2つばかりを常用するようになっています。

 

AutodeskのSketchBookは機能が豊富な上にシンプルな操作画面が気にいって、今までサブスクリプションでプロ版を使っていましたが、「指先消しゴム」に対応しない様子なので、サブスクリプションを停止しました。

 

 

 

もし、今までの「ライセンス買い切り感覚」ならば、数万円の対価を支払って、結局使わなくなった‥‥というオチになりますが、サブスクリプションだと月額か年額の安価な出費で済みますから、賢く使えばそんなに悪いものでもないです。ダラダラと課金することをしなければ。

 

試用期間が設定されているのも有利です。私はいくつもドローソフトを試していますが、「指先消しゴム」が設定できないと判明したアプリ・ソフトは、試用するだけで課金はしません。

 

メーカーにしてみれば、消しゴム機能1つで使用を停止するユーザがいるとは気づかないこともあるでしょうし、気づいても対応しないこともあるでしょう。単にサブスクリプションのアカウントが減るだけですが、そこから何を読み取るのかは、メーカー次第です。

 

ユーザーにしてみれば、「高い金出して買っちゃったから」と泣き寝入りせずに、「じゃあ、使わない」と明確に期間延長決済を打ち切って「否」を意思表示することができます。

 

「嫌いになった」から使わない‥‥なんて子供みたいな感情論ではなく、「使いにくいから」「使わなくなったから」という理由で、使用を停止できるのが、サブスクリプションにおけるユーザサイドの利点です。

 

AppleのMacやiPadの場合、サブスクリプション・課金の状態を操作する手順は、以下のサポート文書に解説されています。

 

定期購読内容を表示・変更・解約する

https://support.apple.com/ja-jp/HT202039

 

 

 

そのほかで、ユーザーができることは「フィードバック」でしょうネ。ただ、アプリ評価の「コメント欄」がどれだけ開発元に届いているのか無力感を感じることはあるでしょうから、本当にフィードバックをしたい=不満だけをぶちまけるクレイマーになるのではなくメーカーとユーザー双方の実益を考えるのなら、もっと別のフィードバックのルートを考える必要はありますネ。

 

 

 

まあ、ソフトウェア「税」、Apple税とかAdobe税とか言いたくなるような場面は、過去に何度もありました。小更新的な内容で、メジャーバージョンアップの数万円を支払うのか‥‥と辟易したことも、正直、あります。アドビはサブスクリプションを導入する前に、「必ず1年に1回、すべてのソフトウェアのバージョンアップをする」=「毎年お金を支払ってください」という方針を打ち出したこともありますよネ。

 

私は10年くらい前に、「使う時だけ使える料金制度ってできないのかな」と思ってましたし、以前の引越しする前のブログにも書いた覚えがあります。「サブスクリプション」なんていう言葉は当時全く知り得ませんでしたけどネ。

 

ソフトウェアを買う時に大きなお金を払って、バージョンアップに毎年1〜3万払う行為を、ソフトウェアの数だけおこなうのは、実質、個人では無理だと痛感していたのです。

 

サブスクリプションは毎月・毎年支払い続ける仕組みなので、より一層、「税」みたいに受け取る人も増えたかも知れませんが、やめたい時にはやめられる税、再開したい時には再開できる税でもあります。

 

 

 

まあ、アドビのCCに関して言えば、もう少し、料金制度が細やかだと良いのにな‥‥とは思います。特別セット980円、ソフト単体2000円、その上はいきなりフルセットで5000円‥‥とか雑な区切りではなく、単体だと2000円、自由に2つの組み合わせで3000円、そしてフルセットで5000円くらいになれば良いのにネ。5000円の月額で足踏みされるより、とりあえず使うソフトを2つだけでも使えるほうが、ユーザも「じゃあ使おう」って気になりますけどネ。

 

もしかしたら、「2つあれば足りる」というユーザが多いので「2つ」という選択肢はあえて用意しないとか‥‥、いろいろと裏事情を邪推したくもなりますが、現在の「サブスクリプション」という選択肢だけも、以前に比べてかなり有利だと感じます。

 

 

 

環境を凍結させて、例えば、2010年前後の環境のまま作り続ける選択もあるでしょう。CS6を使い続けるのも選択の自由です。

 

しかし、現在進行形の世界規模のインフラの中で、新しく出現する技術を味方につけたいのなら、制作環境の基軸として「サブスクリプション」を賢く使う選択は、必須だと感じます。

 

ユーザもソフトもハードも、映像制作会社も、映像ソフトウェアメーカーも、インフラも、ひとまとまりの社会も、何か単体で成立しているのではなく、相互に作用し影響して成立していることを考えれば、できるだけ賢くモダン=Modernな要素を活用していきたい‥‥ですネ。

 

 

 

 



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