アニメブーム

今はアニメブームだそうで、私は第3次と聞いていたので、そのようにこのブログでも書いてましたが、第4次と表記しているところもあり、‥‥まあ、第何次だろうがどうでもいいわ。好きにしてちょ。第何次かどうかよりも、今がアニメブームだなんて言われていることのほうが、滑稽というか奇妙というか。

 

書きたいことはいっぱいあるけど、チキンレースの顛末なんて、書いてもしょうがないことだしネ。

 

アニメブームか。考え方によっては、淘汰の威力や速度を推進させる、思いも寄らない効能があるかも知れませんネ。

 

 

こういう混乱した時期に、動揺せずに浮き足立たずに、どう、進む方向をしっかりと見据えて実践していくか。それに尽きるよね。泥水にまみれても、たとえ迂回しようとも、到達地点をしっかりと見失わないようにしないとネ。


70年代マインドの終わり

最近、テレビの作監の仕事をお手伝いして、よくよく、身にしみて再認識したことは、レイアウト原動画システムがもはや過去の産業モデルの遺物であって、今後の映像産業にはどうにも適応しないということです。これは、ほとほと、鉛筆を持つ指先で痛感しました。

 

1960〜70年代に自分の基礎を確立した大御所さんや、1980年代に飛躍的な発展を遂げた時代に自分の基礎を確立した団塊ジュニア前半期(現在アラウンド50〜60)の人間は、レイアウト原動画システムの普遍性を疑って止まないフシがあります。何を発想するにも、絵コンテ&キャラ表、レイアウト、原画、作監‥‥で発想する時点で、完全に「70年代システム」の呪縛の中にあるわけですが、重要・重大なのは、旧時代の旧感覚である自覚に乏しいことです。

 

それでも、その70年代システムでうまく「事」が進んでいれば良いですが、今はもう各所が綻びだらけです。これは作業現場内部だけの要因ではなく、社会そのものが70年代とは大きくかけ離れてしまったことも要因です。社会が70年代とは別世界のごとく変容したのに、アニメの作り方はあいも変わらずの70年代システムをデジタルで補強しただけの状況です。内部も外部もうまくいくはずがないのです。

 

最近、私が子供時代にかつて住んでいた郵政の団地を、ストリートビューで見てみました。1970年代〜昭和40年代に存在した「粗雑だけれど生命感に満ち溢れていた」生気ある団地の姿は全く消え失せ、まるでゴーストタウンのような無残な亡骸を晒していました。

 

今思うと、昭和40年代50年代の頃は、そりゃあもう、子供たちがウヨウヨいて、やかましい時代だったでしょうネ。文房具屋でプラモは売ってるし、駄菓子屋は何件もあったし、夜7時台のゴールデンタイムは民法各局でアニメを放送してたし、ガチャガチャワイワイと大人も子供も生命感と躍動感を「無自覚に天然に」発揮していたのを懐かしく思い出します。

 

その時代に作られたテレビアニメーションの量産システムが、2020年代になろうともする今現在において綻びだらけなのは、よくよく考えてみれば当然のことだ‥‥と思うのです。アニメ制作に従事する人間を取り巻く環境も、アニメ作品を受け入れる人間も社会も、何もかもが変わっているのに、作り方の基本は全く変わっていないのは、「ガラパゴス産業」と呼んでも酷い言い方ではないでしょう。

 

まあ、百歩譲って、70年代前後に自分の基礎を確立した古い世代は、概念や思考のシフトができなくても仕方がない‥‥としても、これから先の2020年代以降に絵や映像で商売して未来を勝ち取っていこうとする20〜30代の人間が、「それがアニメの作り方だから」と70年代システムのままで思考停止して乗っかり続けて、本当にうまくいくと思っているのか‥‥は、気になるところです。

 

旧来のシステムに乗っかり続けてアニメーターになっても、そのシステムの「時代性のズレ」ゆえに、多くの人はお金なんて満足に稼げないまま、老けていくだけです。もし、30〜50代のアニメーターで貯蓄のない自転車操業の暮らしをしているのなら、その生活は改善されることもなく、むしろ悪化の一途を辿っていくでしょう。50代で貯金ができていないのなら、肉体的に衰える60代以降に貯金できるほどの稼ぎを叩き出せるはずがなく、まさに日本が抱える闇〜老後破産のど真ん中を体現することになります。

 

安い単価で作業するシステムは昔の時代そのままに、絵や動きなどの品質要求は決して時代が逆戻りするわけではないんですから、20代の若い層とて、今のアニメ制作システムでアニメーターになること自体が既に老後破産の予備軍のようなものです。‥‥そうした部分を「暗黙に触れてはいけない話題」として扱い続ける行為を、老いも若きも、今が破綻していないからという理由で今後延々と続けるつもりなのです。今のシステムに乗る以上は‥‥です。

 

自分の憧れていたアニメの仕事に就くのが夢。‥‥そんな夢のリソースは20代で自ら全て食い尽くして、後に残るのは絶望感と閉塞感だけです。「XXというアニメのOOというキャラを作画するのが夢です」なんて、その夢の実現した後に残るのは何?

 

ホントにマジメな話、業界を救おうだなんて大風呂敷など広げず、各所で独自に「方舟」的新システムを作って、大災害とその後の貧困に耐えうる術を今から準備しておく必要を感じます。今のシステムで未来がバラ色だと思っているのならそのままで構いませんが、現状に強い危機感をもっていながら今のシステムに依存し続けるのはどうなのよ? ‥‥ということです。

 

ある日、どこかの誰かが、思いも寄らない素晴らしい新システムで、業界の窮状を払拭し、状況を改善して業界の人々全てを救済してくれる‥‥なんて思っているのなら、それはマンガやアニメやハリウッド映画の見過ぎ‥‥です。団塊ジュニアのベビーブーム世代の末路、ゆとり・さとり世代の往く末は、70年代システムを基盤に据える限り、決して明るいものではないと思います。

 

ニッポン無責任野郎なんて言ってた頃の昭和30〜40年の頃と、今の日本じゃあ、あまりにも大きな落差があるでしょう。別世界といっても過言ではありません。

 

70年代システムは確かにタフな面がいっぱいあります。しかし、現代の技術から見たら、アホみたいに非効率な部分も多く抱えています。些細なことかも知れませんが、大判を作るのに紙を貼り合わせる時ほど、70年代システムのやるせなさ・骨董品的古さを感じる瞬間はありません。「バカやってるよなあ‥‥」と、スタンダードサイズの紙を裏側からセロテープで貼り合わせる時、無性に情けなくなるのです。日頃、iPadなどで作画したりコンピュータで映像制作していると、紙の作画のあまりの旧態依然としたスタイルに、逆・浦島太郎になった気分、過去にタイムスリップした気分になります。

 

 

マインドを変えられる人々、変えられない人々。

 

ぶっちゃけ、70年代システムで今後も行きたい派閥はそのまま取り残して、現代のリソースをふんだんに有効活用する流派は旧勢力と決別しちゃっても良いように思います。融和とか互換性とか段階的移行なんて言ってると、永久に70年代システムの呪縛から逃れられない気がします。

 

70年代システムは70年代のリソースを有効に活用して形成されたことでしょう。でも70年代は、もはや50年前です。50年前にリアルタイムで有益だったリソースが、現代に等しくリアルタイムで有益であるはずがないです。

 

やっぱり、行き着く答えはひとつ。

 

今の時代にアニメを作るのなら、今の時代のテクノロジーとマインドを活用すべし‥‥ですネ。

 

 

もう70年代マインドは終わりにしましょうよ。

 

新しい時代に進み出しましょうよ。

 

アニメを自分の墓場にもっていくつもりなら対話の余地もありませんが、アニメを今後も何十年も生かし続けたいのなら、50年前のシステムから解放してやることこそ、団塊ジュニア世代に課せられた「残り半分の人生の大仕事」だと思います。

 

 


徒然、雑感。

旧来のワークフローを修復して4K8K映像フォーマットに対応できるバージョンアップ・グレードアップを施すのが良いのか、はたまた、送り描きの技術に加えてカットアウト・キーフレームアニメーションを旺盛に取り込んだ新しいワークフローで、最初から4K8Kに対応できる伸びしろをもつ体制を構築するのが良いのか、最近2種類の道筋を同時期に作業したがゆえに、何とも判断し難い感慨です。

 

「旧来のワークフローを修復」。‥‥かなり困難な取り組みですよネ。ワークフローを本来あるべき姿(=各工程の作業内容として意図された状態)に戻し、かつ、今の絵柄で標準完成度を目指すと、1話あたり3〜4000万くらいの現場予算が必要になるように思いますから、ブランディングを展開できる制作母体でなければ、まあ、中々無理な話ですよネ。

 

「テレビ作品は色々と手間を端折るからこそ、制作費に収まり、放映に間に合うんであって‥‥」という意見は、まさに現場を知る人々の言葉でしょう。しかし一方で、劇場作品同等の、複雑で手のかかるキャラやメカや美術デザインをテレビに導入している作品も多く、ワークフローはどんどん端折られた低コスト傾向に呑み込まれるわりに、作品の仕様はどんどん高コスト傾向へと突き進むという、矛盾した状況も抱えています。

 

つまり、「全部のせ特製チャーシューメン」を1200円ではなく、回転寿司のサイドメニューのような350円でだそうとして、バックヤードたる厨房は大混乱し、料理するための具材の仕入れも追っつかず破綻を喫している‥‥ということなんでしょう。じゃあなぜ、「全部のせ特製チャーシューメン」を350円でお客さんに提供するような献立にしてしまったのか‥‥というと、まさにお客さんの関心を惹きたいのと、そもそも「出店」するための出資を募る際に「お店が繁盛するであろう「売り要素」のプレゼン」が必要だったから‥‥とも言えましょう。プレゼンで「ミニサイズだから350円でもイケます」なんていう言葉が被されば、居合わせた人々は「大丈夫なんだろう」なんて思っちゃったりもして、でも厨房では「350円だから大丈夫なんて話、ひとつも聞いてないよ」なんて齟齬が発生したりもして、それはもう企画時点から修羅場が見えていたりもして‥‥。

 

実現の見込みのないゴージャスな献立を打ち出して、出店して営業開始しようと企画した時点で、未来に自分らが破綻するビジョンは見えている‥‥のかも知れません。

 

 

現場に「デジタル」による「効率化」が進んで、小規模の制作母体でもアニメ制作を取り仕切れるようになった。つまり、「見かけ上」は低コストでもアニメを作れるようになり、原作をアニメ化するハードルが下がった。アニメの表現技術がこの20年で向上したことも後押しして、やがて「どんな絵柄でもアニメ化できる」と思われるようになって‥‥。

 

人間=スタッフのキャパなんて、今も昔も大して変わらないのに、技術進化で「キャパが広がった」と勘違いして、ハコだけがどんどん肥大化して‥‥。

 

あれ? これって‥‥。

 

http://yamashitamasahiro.com/archives/5683

〜より引用

景気が拡大しているにもかかわらず、
金利は依然として非常に低いまま維持されていました。

そして、安い金利で銀行からお金を借りれるので、
企業は喜んでお金を借り、そのお金を株や土地に投資するようになりました。

特に当時、土地神話というものが存在しており、
「日本は国土が限られており、土地は貴重だから価格が下がることはない、
だから、土地を買えば必ず儲かる」とまことしやかな話が信じられていました。

 

http://diamond.jp/articles/-/60475

〜より引用

なぜ、あのときバブルは崩壊したのか? 誰もがおかしいと思いながら、なぜ気づかなかったのか? 失われた20年を生み出したバブル崩壊後の世界を...

 

 

バブル崩壊の頃の日本経済や社会の様相って、「役者」を変えれば、今の「第3次アニメブーム」だなんて呼ばれるアニメ制作現場の状況・顛末に似てますよネ。

 

「なぜ、あのとき、バブルは崩壊したのか? 誰もがおかしいと思いながら、なぜ気づかなかったのか」‥‥と引用文にありますが、実は「気づきたくない」「気づくのが怖かったので気づかないフリをしていた」だけなのかも知れませんよネ。バブル当時の当事者にしても、現在の「放映落ちするかも知れない」アニメの制作現場にしても‥‥です。

 

バブル崩壊に限らず、リーマンショックもなんだか似てますネ。「サブプライムローン」を読み替えて、現在のアニメ制作現場を考えてみれば、背筋が寒くなる未来がイメージできます。アニメ業界のここ10年の状況は、「デジタルの導入によって制作効率に革新がおきた」「中小制作会社でもテレビシリーズの丸ごと受注が可能になった」「メディア展開を推し進めたい原作権利元にとって、アニメ作品制作の依頼先の選択肢が増えた」‥‥という利点とも思える点が、後々になってすべて仇となって跳ね返ってくる点で、とても「サブプライムローン」に似ています。

 

デジタルの導入されても複雑なキャラを生身のスタッフが手描きで描けば時間がかかるし、コンピュータによってアニメの工程も効率化を一部果たしたとは言え、中小企業のマンパワーや技術蓄積までコンピュータは大手並みには増幅してはくれないし、アニメ化の依頼先が増えても品質が低かったり放映落ちしたら本末転倒だし‥‥と、要は「実質を伴わない」偽装構造とも言える、まさにサブプライムローンのような様相を呈しているのが、ここ数年よく見られる、破綻しそうなアニメ制作事例の典型かと思います(放映落ちした作品はつまり、「破綻しそうな」ではなく「破綻した」事例ですネ)

 

 

原作をアニメ化したい。とは言え、作るための相応のお金は用意できていない。でも、「サブプライム的からくり」で作れるじゃないか。そして、作品が本数だけ増えて、皮肉にも「第3次アニメブーム」とか言われて‥‥。

 

うーむ。バブル崩壊もリーマンショックも、未来のアニメ業界の行く末を言い当てているようにも思います。インサイダーもアウトサイダーも崩壊するまでは一緒になって「大丈夫だろう」と楽観視していた、状況のディテールも似てますよネ。

 

 

でも‥‥です。「その時が来る」と予測できていれば、自分の動き方も変えることができましょう。「まさか」とか「ウチの業界に限って、そんなことは」なんて言う人が、阿鼻叫喚に呑み込まれるのです。「どう考えても、今の状況は異常だ」と思うのなら、周囲がどんなに平和ボケしていようと、実践が困難であろうと、別ルート、脱出ルート、突破ルートを開拓しておくべきでしょう。

 

いち個人のスタッフであるあなたが、一生懸命、作品に命を捧げたからといって、作品は単価以上にはあなたを救ってはくれず、作品に対してあなたは0.000001%の権利すら保有していないのを、自覚すべきです。作品の権利を保有する人間などごくごく少数なわけですし、どんなに作品に貢献しようが年金がでるわけでもないのです。現場の破綻や崩壊を食い止めたからと言って、未来の自分の崩壊や破綻を、作品制作組織が面倒を見てくれるわけではなく、あくまで自助努力で死ぬその瞬間まで生きていくしかないのです。

 

私は、アニメ業界の場当たり主義的な動向に巻き込まれれば巻き込まれるほど、自分自身に恐ろしい結末が待ち構えているように思えてなりません。作品制作に関わりつつも、自分の未来が破綻しない計画を、意識的に、明確に、実践していくことが極めて重要だと思います。

 

「現場は崩壊する」と言っている人々は、まさに異常な現場の状況を感じとって、ごく自然にニュートラルに分析して、「この状態が長続きするはずがない」と率直に述べているだけ‥‥なのでしょう。実際、状況が超ハードな作品に関わっているプロデューサーさんや監督さんほど、苛烈な状況を持続したままの未来の10年、20年なんて、想像できないと思うのです。

 

 

ただ、私の知るところ、テレビ放映作品であっても、準備にお金をかけて、体制も品質を重視し、相応の制作費を投入する作品も存在します。テレビ放映作品であっても、お金を集められるところは集められる‥‥ようです。ですから、「すべてのテレビ作品は乱造でやむなし」と言い切るのは、少々雑な物言いとは思います。今のテレビ作品の作り方をよく思っていない人々も一定数いて、違うドクトリンで進めようとしている人々も存在するのです。

 

 

 

今の状況、そして未来の状況は、どう判断して、どう関わっていくべきなのか。

 

判断して見極めるのは難しいけれど、お手上げしてしまったら、時代の濁流に流されて溺れ死ぬようにも予感します。アニメのスタッフはさ‥‥親方日の丸じゃないからさ。たとえ、藁をも掴む状況だとしても、その藁を掴むのは、自分の手しかないのです。

 

 

私は、一旦は作画から長く離れていた時期もあり、「昨日まで自分の人生を占有していたものが、ぱったりと途絶える」感覚を知っております。今、殺人的なハードスケジュールで猫の手も借りたい忙しさでも、未来にも等しく仕事が溢れている何の保証にも成り得ません。作業依頼が10年20年先に途絶えない保証など、どこにもないのです。

 

であるならば、業界の景気不景気なんて「一過性」の移ろいゆくものと心得て、映像制作をする人間、絵を描ける人間として、自分はどうやって生きていけば良いか、常に頭とココロとカラダで考えて行動していくほかありません。「原画マン」になったから、「作監」になったから、それで一生、生きていけると思いますか。‥‥私は、そんな少ない要素と範囲で生きていけるとは、思えません。

 

旧来技術を維持し有効に活用することも必要でしょうし、4Kや8Kの時代におけるアニメーション映像作品をイメージし続けることも必要でしょう。予知能力でも無い限り、色々な可能性を累積戦略と順次戦略で実践していくしかありません。

 

人類の営みからすれば、映像産業なんて大した歴史も無いのです。映像の技術はまだ古典として定着するには幼すぎます。「蒸気船ウィリー」からまだ100年も経ってないしネ。

 

達観することがままならないのなら、未来へ進む道に迷いながらも、思考を停止させないこと、足掻き続けること‥‥でしょうかね。

 

 


孤独死、Apple Watch

数ヶ月悩んでいましたが、Apple Watchを、結局買いました。

 

時計としてではなく、健康管理のツールとして。つまり、腕時計ではなく、ヘルスメーターです。

 

久々にテレビ作品に関わると、その制作状況の厳しさ・過酷さと制作意識の違いゆえに、身も心も痛烈な打撃を喰らいます。ココロ的には、色々な考え方があるでしょうから、ここでテレビアニメーション論をぶちまけるつもりはありませんが、カラダ的には「どうすれば健康を維持できるか」は切実な課題となります。

 

自分の健康の「標準ツール」として、何らかのスマートウォッチを探していましたが、なんだかんだ迷いつつも、結果はいつものAppleチョイス。色々と物色してみて判ったのですが、iPhoneを含めた総合的なソリューションも含めると、Apple Watchに比肩する存在はないと判断し、ここ2週間の激務も後押しとなり、いつものAppleローンで買いました。‥‥ちょうど、iPad ProとMacBook Proのローンも終わるので、購入が容易だったこともあります。

 

 

制作状況を改善できれば、健康問題も改善できる‥‥というのはあるでしょう。しかし、「制作状況の解決策」なんていう都合の良い「特効薬」は存在しないのです。様々な要因が絡みつき、現状を作り出しているので、その様々な要因1つ1つを解決していくしかありません‥‥が、「言うは易く行うは難し」です。

 

クライアントの要求を無視してキャラデザインは描けないでしょうし、制作期間がどれだけ圧縮されるかを事前に予測して絵コンテの内容を止め口パクに限定することもできないでしょう。明らかに破綻している作画の内容を見ないふりしてサイン欄にサインだけして流すことは演出も作監もできませんし、かと言って、1カットごとキッチリと修正を入れられるほどの時間的余裕はありません。野原と土管と青空を描けば済む背景美術なんてほとんどないでしょうし、どんどん圧縮されるスケジュールの余波をもろに喰らうのは最後段の仕上げ・撮影スタッフでしょう。

 

品質要求が時代とともにエスカレートして、描く内容に手間がかかって技量を要求されるようになれば、対応できる作業者の数は減り、簡単にホイホイとカットを撒くことはできないでしょうし、そもそも作画の人材不足は深刻です。デザインが複雑になって1枚絵に多くの作業時間を消費するようになっても、作業費で作業者を拘束できる時間は以前と変わらないので、速書きにより絵がどんどん溶ける傾向が強くなりますが、溶けた絵を作監が修正するにも放映までに残された時間には限度があります。かと言って、のらくろやロボット三等兵みたいな簡素にまとめた絵柄だけのアニメだけにすれば良いのか‥‥と言えば、それがまかり通る現代社会ではないです。

 

ここ最近のテレビアニメ制作事情は過酷です。複数の話数が絡み合った数週間の作業でつくずく思い知りましたが、その過酷さを抑制する術は、少なくとも私には見つかりません。

 

私の作業範囲は作画もコンポジットも含むので、作画監督も撮影監督も経験しておりますが、撮影監督をしている時には「なぜ、最近の作画は中々上がらないんだ。なぜ、ここまで後ろにズレてくるんだ」と思うようなことがあっても、実際に作画監督をしてみれば「そりゃ、上がらないって」と理由が解ります。理由は簡単で、まず、作業依頼のタイミングがすでに放映間近に迫っていますし、さらには、描く絵の内容が大変すぎるのです。

 

線の多い作品の場合(影線も含む)、マルチョンでなく、1体ごと「後の工程がちゃんと拾えるように」描こうとすると15〜20分近く時間がかかるキャラが、1画面に3〜4人いたら、1枚描くのに1時間かかるということです。そりゃあ、昔みたいにサクサク上がらないですよネ。実際にストップウォッチで描く時間を計測してみて愕然としました。

 

‥‥で、その時間を消耗する現状をクリアするために、手数を間引けば絵の完成度にモロに影響が出ますし、睡眠時間はどんどん削られていきます。つまり、品質と健康に悪い影響が出る‥‥ということです。しかし、そこまでしても予定通りに上がらない作品もあります‥‥よネ。

 

 

そうした過酷さに流されるまま流されて、健康はないがしろ‥‥というのは、数日ほったらかしでも肌がツヤツヤしている20代の頃ならともかく、40代くらいになると、確実に「死」が垣間見えます。加えて、最近は20代・30代の孤独死も増えている‥‥ともネットで報じられていますよネ。「今、何か手を打ち始めないと、確実に孤独死するな‥‥」と自覚する人は多いと思います。

 

‥‥特にさ、自分の「好き」を職業に変えてきた映像制作の人間は、歳を喰ってから孤独死する可能性はとても高いと思うんだよネ。

 

 

私がテレビ作品のお手伝いで作監を担当して得た感慨は「自分の健康」と「作品の品質」をどう保持するか‥‥です。それに尽きます。

 

ゆえに、「もう迷っている余地はない。買う。」とApple Watch Series 2 を購入した次第です。

 

 

 

「自分の健康」と「作品の品質」の2大要素は、要は「生と死」と「お金」とも言い換えられます。自分の健康に気を使う生活を実現できれば死のリスクを遠ざけることができますし、作品の品質を向上できる技量と状況を作り出せる人材となればより良い条件でお金を稼ぐことができます。‥‥とはいうものの、私は、テレビの作画に関与した場合、この2つを全うできる確固たる自信は持てません。逆に、持てる人っているのかな‥‥。必ず何かが犠牲になると思いますけどね‥‥。

 

「作品の品質」は別の機会に書くとして、「自分の健康」はどうすべきか。

 

 

まあ、とても雑な言い方ですが、「死なないこと」‥‥でしょうネ。

 

こんなことや、こんなことにならないように。

 

とは言え、人間はいつかは死にます。

 

なので、「死なないこと」とは、もう少し丁寧に言えば、「死にやすい状況に自分をハメこまないこと」でしょう。

 

でもまあ、実は、どんなに健康に気を使っていようが、結婚していようが子供がいようが、孤独死のリスクは「核家族化」が進んだ戦後の日本においては、兆しが見えていたとも思えます。

 

結婚していても、パートナーに先立たれて独り暮らしになれば孤独死の条件は揃います。子供がいても、同居していなければ、やはり突然死が発見されずに結果的に孤独死になり得ます。

 

 

ふと思ったのが、Apple Watchって、Appleのアラサー・アラフォー社員の「内なる声」も要素の1つとして、開発がスタートしたのかもな‥‥ということです。あくまで、想像ですが。

 

デスクワークが多いと座りっぱなしになります。‥‥で、デスクワークにおける病状の正式な名称はわかりませんが、「エコノミー症候群」的な体調悪化は、Apple社員でも例外ではないと思われます。くどいですが、あくまで想像です。

 

「健康管理をサポートするガジェット」としてコンピュータ開発製造を主たる業種とする会社が、社員目線で開発を考えたとすれば、合点がいくのです。Apple Watchを「時計」としてみると、バッテリーのもたない「できそこないの時計」ですが、「健康管理端末」として考えると、デスクワークの多い会社が「必要は発明の母」としてApple Watchのアイデアを想起したとして、何の不思議もありません。

 

デスクワークの多い人間が考える「あるといいな」が、Apple Watchには込められているように思うのです。

 

実際、作画机に縛られっぱなしの過酷なスケジュールのテレビ作品の作画作業において、私がApple Watchのヘルス関連の機能に注目したのは、偶然ではなく必然でした。

 

「何時間も座り続けて、緊張感と倦怠感と躁状態を繰り返していたら、いつかは、ポックリ逝くな」とひしひしと体が訴えかけてくるのですが、「じゃあ、どんなタイミングで、どんなことをすれば、身体への負荷蓄積を散らせるのか」はわからないのです。‥‥いや、多少は調べてみて「何をすべきかが何となく解って」いても、忘れがちになるのです。

 

Apple Watchは、腕に装着することは多少は煩わしいですが、「スタンド」や「深呼吸」のアプリが、「そろそろ立って、1分くらい体を動かしてみたら?」とか、「深呼吸してみない?」と、音と振動できっかけを教えてくれます。

 

私が欲しかったのは、まさにコレ。

 

 

* * *

 

仕事と生活と健康は密接に絡みついていますよネ。もし「現場を誰かが改善してくれるまで健康管理は考えない」とするならば、それは「死へのチケット」なのでしょう。

 

テレビアニメの現場制作費が3000〜5000万円になるまで健康管理はおあずけ? 人件費を圧縮することによって成り立っているとも言える昨今の制作事情を改善するには、まずはお金でしょうが、そんな簡単にお金なんて数倍に跳ねあげられるわけもなし‥‥です。

 

自分はこれからどのようなアニメーション制作を志すべきか、どのような現場を作っていくべきか‥‥という命題と、日々の健康管理は、分離して考えるのが現実的です。

 

 

私は「もし明日死ぬ」と判っていれば、あらかじめ準備していた段取りを実行するか(財産の整理や自分の死体の焼却段取りの委託)、準備がままならないのなら野山に座して死んで、肉はウジとハエとたぬきにでも喰われて体液は草木の肥やしになれば良いとも思いますが、そうはいくまい。そんなうまく逝くわけがない。

 

だとすれば、どのように死ぬか。どのように周りに面倒を見てもらうか‥‥ですよネ。

 

もっと言えば、どのようにして、自分も含めた「仲間」「戦友」の死を、死後24時間以内に発見するか・していただくか‥‥です。

 

独り暮らしの人間に限らず、誰にとっても、死は「もちつ、もたれつ」なのでしょう。結局はね。

 

かっこいい死、綺麗な死、面倒をかけない死‥‥なんて、独り暮らしでは「死んだ後の自分の始末は、自分ではできない」からこそ、何か「死ぬためのシステムネットワーク」を作らねばならんとも思います。

 

毎日触るパソコンや携帯電話・スマートフォンを24〜48時間以上操作しなかったら、仲間たちのメールアドレスにメールが発信される‥‥とか、人間を含めたネットワークとハード&ソフトウェアがこれから先に必要になってくると思うのですが、それは考えすぎでしょうか。私の危機管理の感覚で言えば、考えすぎだとは思わないんですよネ‥‥。

 

 

確かに、アニメーターやコンポジターなどの映像制作に関わるスタッフは、映像制作現場に飛び込んで、自分が好きで選択した仕事を毎日してお金を稼いで、ある意味、自由に生きてきたかもしれません。しかし、普通の公務員や会社員が想像もしないほどの辛い作業や現実も同時に味わってきたのです。

 

そして、最後は孤独死で腐乱して、「迷惑な人だ」でフィニッシュですか。‥‥私は、そんな結末を許容できません。少なくとも、自分と苦楽を共にした仲間を腐乱させたくはないです。

 

 

良い作品を作ってお金を稼いで、快適で生産的な制作現場を作る‥‥と闘志に燃えても、それは全て「生きていること」が前提です。死んだら何もできません。

 

私は制作現場で共に一喜一憂し辛酸も美酒も嘗めた同僚を過去に3人亡くしていますが、その人らが「アンタはまだ命があるんだからさ。それをうまく使いこなさないとネ。」と冗談交じりに話しかけてくるように思うことがあります。

 

テレビシリーズは過酷だけれど、自分にとって「何が大切なのか」を乱暴なまでに表に引きずり出して、「よく見ろ!」と再認識させてくれもします。

 

 

‥‥うん。よく判りましたヨ。これからの自分たちの方針が‥‥です。


釣り

さっき来たメール。

 

‥‥‥‥フィッシングかな?

 

 

MUFGカードWEBサービスご登録確認

 

弊社は、インターネット上の不正行為の防止・抑制の観点からサイトとしての信頼性・正当性を高めるため、

大変お手数ではございますが、下記URLからログインいただき、

任意のIDへの再変更をお願いいたします。

 

 

誘導する先は、mufg.onlineのドメイン、http://のセキュアなしのアドレス。

 

mufg〜三菱東京UFJ銀行の系列は調べてみると、JPアドレスのようです。mufg.onlineというドメインは三菱UFJ系列ではみあたらないなあ。

 

どうなんでしょうかネ。私は三菱UFJ系列を使ってないからわからんですけど。

 

この手のメールは、注意したいですネ。

 

 

追記:調べてみたら、フィッシングのようです。ご注意をば。「mufg」だけで判断しちゃダメよ。セゾンカードでも同じ文面のフィッシングメールが去年送られているようです。アカウント文字列(=メールアドレスの場合が多いですよネ)とパスワードの組み合わせを釣り上げる典型的な手口ですネ。


WWDC

ワールドワイド・デベロッパーズ・カンファレンス。全世界開発者会議。‥‥全世界とはいうものの、要は「Appleの開発者懇談会」みたいな内容で、新製品の発表やAppleのロードマップが示されるイベントでもあります。開発者のApple詣でのようなイベントですネ。

 

今年のWWDCで噂されるのは、iPadやiMacの新型で、様々なプロフェッショナルにアピールする8Kのディスプレイを搭載したiMacすら噂されているようです。‥‥8Kすか。ホントだったら、スゴいですネ。どんどん時代は進んでいきます。

 

4K出力が可能なAppleTVも噂され、AppleTVに限らず、時代は普通に4Kへと流れていきます。私の実家の2Kテレビはそろそろぶっ壊れる兆しがあって、買い換えるときには4Kになることでしょう。40〜50インチで10万円台前半の4Kテレビが四人家族の一般家庭の狙い目かなと思いますから(昔の37インチテレビよりも枠部分が細くなったので、同じ面積でもうちょっとだけ大画面が設置できる)、今は2Kでも次の買い替えは4Kになることはごく普通に予想されます。

 

映像の仕事には全く関係のない人でも、「2Kって近くで見てみると、そんなに細かくないんだね」と言ってるのを最近聞いて、「ああ、そういう時代になったか」としみじみ感じました。スマホの高詳細液晶ばかり見てれば、そりゃあ、37インチの2Kの解像感なんて、荒いですもんネ。

 

Apple WatchやMac Proなどの新型は、今年秋から来年だと言われているようです。実は最近、Apple Watch シリーズ2を買いかけたのですが、踏みとどまり中です。Apple Watchを常用したら、チプカシの出番がなくなる‥‥というのもありますし、そもそも私にApple Watchが必要かも判断しかねているところに、今年の秋の可能性も考えると、なかなか判断に迷うところです。実際、部屋にこもって作業作業作業作業......の毎日で、Apple Watchがあっても当座は活躍しなさそう‥‥。Suicaやカレンダー連動やMapの機能は魅力なんですけどネ。

 

 

WWDCのように、一社のイベントが注目されるのって、実はあまりないですよネ。ひと昔前は、Appleのシェアは風前の灯火なんて言われたこともありますが、見渡せば周りはiPhoneばかりだし、打ち合わせや会議ではMacBookとiPadが多いし、会社の各所に置いてあるマシンはWindowsのどこかのメーカー製でも、自分と距離が近い製品はApple製という人は結構多いんですよネ。‥‥なので、シェアの数字って、実際の生活感とはあまり結びつかない実感があります。

 

WWDCが注目されなくなったら、Appleも黄昏時なのかも知れませんが、今のところは大丈夫そうです。2017年のWWDCはどんなかな?

 

 


新じゃが

面白半分でじゃがいもの切れ端を土に埋めておいたら、芽が出てにょきにょき育って、やがてヘナっと枯れたので、次の種を埋めるために根っこを掘り起こしたら、じゃがいもが収穫できました。

 

 

小さくて可愛いじゃがいも。

 

レンジで加熱して、食べました。味はごく普通でした。

 

 

園芸って、映像の仕事にも「間接的に」大いに参考になることが多いです。

 

  • 自然の摂理や自然界のシステムを無視して、独りよがりで栽培しようとしてもうまくいかない。
  • 必要な要素は、土、水、光、肥料だけじゃなく、風も必要
  • 栽培場所の条件にあった品種をチョイスしないと発育不良となる

 

‥‥うーん。言い得て妙。

 

植物が教えてくれることは、「デジタル」や「コンピュータ」や「制作システム」にも通用することが多いです。

 

 

いつか、バジルが元気に育つ土地と家に住みたいな。

 


否定されるとキレる人

わたくし、ツイッターはやりませんが、楽しみにしているアカウントはあります。見るだけツイッター。

 

全然、縁もゆかりもない職種の人(と思われる)の日々の言葉を読むのは、中々に楽しいです。考え方や価値観や、生活習慣も大きく異なるので、読んでてとても面白いし、勉強(作劇上の)にもなります。

 

しかし、たまにそういう人が発したツイートが多くの人の関心を呼び(いわゆる炎上)、いろいろと言葉を返してくるのを見ていると、「人間」を感じずにはいられません。

 

ツイートの内容が特定の人間をネガティブ寄りに指し示すと、その特定の人間から猛反発がかえってきて、「否定されるの大嫌い人間」がこの世には多いことを思い知らされます。

 

でも、ツイッターにいそしむ人間なんて、総人口からすれば、大した数ではないでしょうから、ツイッター上では目立つだけ‥‥なのだとは思いたいですけど。

 

 

否定されるのってさ、ある種、良いことだと思うんですけどネ。

 

自分が知らず知らずのうちにハマリ始めている軽めの自己洗脳を解いてくれるから。

 

「え、NO? うそ。 そんなことない。 だってさ、こういう理屈でさぁ。‥‥そう? そうかな‥‥‥? そうかもな。 そういう面もあるかもな。 その方面から考えて見たことは、たしかに今まで無かったかも。」

 

‥‥という感じで、気づきのきっかけが得られるじゃん。

 

 

自分はいつも、これが自分にとって良き選択だと判断した道筋を進んでいるわけで、別の道筋なんて、中々見えてこないもんです。私なんか、その典型です。

 

だからこそ、自分にとってネガティブに聞こえる言葉にも、許容を有しておかないと、道筋を誤ることもあり得ましょう。

 

否定されたその時は「うっ」となっても、最低でも10秒間はプールして、冷ましてから考えてみることが必要だと思います。相手がたとえ経験の浅い年下だろうが、その「NO」の理由や構造を考える許容範囲は、常日頃から用意しておきたいものです。自分は経験も知識も多いから、年下の反対意見なんて全て愚そのものだ‥‥なんていう事こそ、まさに愚の骨頂です。

 

 

否定されるとキレる人って、単にツイッターだけで目立つだけかな。現実社会では、そんなに目にしないんだけどなぁ‥‥。

 


どうでもいいことかもしんないけど

最近見かけた「帰還した爆撃機のダメージの統計を考慮して、爆撃機のどの部分を強化すべきか」という記事・ツイートは、日々の現場運用においても示唆に富む内容です。さらには、自分の作業経験を、未来にどう活かすか‥‥という命題にも、大いに刺激になるものです。

 

‥‥一方。

 

小学生の頃からの飛行機好きの私は、「これ、輸送機じゃん。爆撃機じゃないじゃん。」と1発目に思ってしまったのは、どうでもよいことでしょうかネ。

 

これです。ハセガワのプラモデル組み立て説明書。

 

 

「帰還した爆撃機のダメージの統計」の飛行機の絵は、DC-3・C-47系の輸送機のように見えます。ただ、エンジンは液冷っぽいですネ。上図の説明書の機体は、DC-3のオーソドックスな空冷エンジンです。細かい仕様はわかりませんが、いずれにせよ飛行機好きなら、輸送機のシルエットであることは、すぐにわかるはず。

 

‥‥こんなことばっかり言ってるから、オタク疲れするのかな。

 

 

原作本の図説が、テキトーにアメリカの双発機を流用したのか、よく解らんのですけど、実際、ほぼ丸腰に近い輸送機と銃座のハリネズミのような爆撃機とでは、戦闘機に捕捉され銃撃されて損傷する部分に差異が生じると思うんですよネ。

*戦時中の軍用型DC-3は、色々と防御武装のバリエーションがありますが、キモチの上で、銃座がないよりはあったほうが‥‥というような申し訳程度の武装‥‥ですネ。

 

まあ、重要なのはソコではなく、「データをどう捉えるか」ですから、ぶっちゃけ、どうでもいいことなんですけど。

 

 

ちなみに、DC-3。

 

DC-3をライセンス生産したL2D「零式輸送機」は、上図の通り、日の丸をつけて、戦時中に飛んでました。ソビエトでも、Li-2という名でライセンス生産&改造されて、2000機も製造されたそうな。

 

ちなみに、零式輸送機はハセガワから1/200が、Li-2はズベズダから同じく1/200のちっちゃいスケールのプラモが発売されてます。ハセガワの1/200の旅客機シリーズと並べられます。


ものごとは複雑だな

特徴を捉えて、単純明快に‥‥という強迫観念は、こと、短く文章が区切られるツイッターの出現によって、より一層、拍車がかかったように思います。

 

スパッと言い当てたり、グサッと核心をついたり‥‥という、言葉の快感を求めて、無理にでも「何々はこうである」と数行でまとめようとするのは、実は、とても的外れなことじゃないかと思うことがあります。

 

人間や、物事や、社会や自然界の仕組みって、そんなに単純で明快かな‥‥。私には、とてもそう思えないのです。

 

ひとりの人間って、そんなに単純じゃないぞ。極めて、複雑だぞ。

 

例えば、「人間は外見のイメージに反する内面を持っている。人とはそういうものだ。」‥‥なんていう格言めいた言葉を聞くと、「そうかもなあ」と思ってしまいますが、実際のところ、「人間は、外見のイメージ通りの内面と、イメージとは違う内面との、多様な内面を持つ」のではないでしょうかネ。「外面に反する内面」だけを語っても、「人とはそういうものだ」とは言えません。

 

ツイッターでは、文を短く切らなければならないので、「自分でも思ってもいないような浅はかな判断で言い切ってしまう」落とし穴がそこら中に待ち受けていると思うのです。ですから「そんなつもりで書いたわけじゃない」なんていう、書いてしまった後からの言い訳をツイートする事例が、そこかしこに発生してるんでしょう。

 

言葉で要約できることは要約すれば良いですけど、なんでもかんでも要約する必要はないですよネ。要約できないものを無理に言葉で要約しても、クオリティの低い(=信頼度や確実性の低い)情報が錯綜するだけだもん。

 

 

私が感じるに、言葉で単純明快に言い表わせることの方が、世の中には少ないと思います。人間だけでなく、ネコと暮らしても、そう思いましたもん。ネコとて、生まれ出でた瞬間から様々な状況に影響され、複雑な人格(猫格?)を有しますからネ。ネットの誰かさんの言葉よりも、一緒に暮らしたネコが私に投げかけた眼差しの方が、この世の色々なことを要約して教えてくれたように思います。

 

 

毎日、核心を言い当てたように吐き出される言葉の数々に対して、いちいち関心して「真実を知った」なんて思い込んでばかりいたら、カラダとココロがいくつあっても足りんです。その「ありがたい格言」を聞いたところで、今日から自分が生まれ変われるか?‥‥と言ったら、残念だけどNOですよネ。人は簡単には変われない‥‥です。「いい言葉を聞いて参考になった」とか言いながら、数年後にはサッパリ忘れてたりするでしょ。

 

自分の中に、本当に心に残り続ける言葉なんて、簡単にネットじゃ手に入らないですよネ。

 

悩み苦しみ傲りヘコみ怒り悲しみ喜びながら、謙虚に傲慢にフラフラよろめいて、ぶざまで複雑な自分と死ぬまで一緒に生きていく覚悟で、日々を送っていくだけです。

 

 



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