HDR

HDRには、HDR10やHLG、DolbyVisionなど数種類あり、現在の民生テレビの対応状況を検索していたところ、やっぱりといえばやっぱり、「HDRは不要」論なども検索結果で見かけて、「どんな時代でもそんな人」はいるんだな‥‥としみじみ思いました。SDからHDに移行した時も、「テレビはSD(720px)で十分。HD(1920px)の高画質はオーバースペックで不要だ!」と言っている人を数多く目撃しましたよネ。‥‥そういう人って、今、HDの仕事をどんな面持ちで受注しているんでしょうネ。

 

HDRは、自動車で例えれば、馬力とトルクが格段に向上することを意味します。つまり、日頃使い、街乗りの「パワーの余裕」が生じるのです。勾配のキツい峠道も楽々走行できますし、空気の薄い高山を貫くハイウェイでも息切れなしで高速走行できます。

 

HDRは、何も、街中を120kmで暴走するためにパワーやトルクを与えられているわけではないです。‥‥まあ、もちろん、狭い生活道路をこれみよがしに暴走したい人もいるかも知れませんが、どんなにパワーに満ち溢れていようと、やはり街中では40〜60kmで走るのがヨロしいです。HDRは、有り余るパワーとトルクにより、取り回しが俊敏で5人乗車でも性能不足を感じさせない「乗用車の新基準」に例えられます。

 

一方、今までのSDRは、いわば1950年代の自動車で、プアパワーであるがゆえに、街中を60kmで走っている分には問題ないですが、峠道ではオーバーヒートの連続、街中では信号待ちから発進の流れにおいて動作がトロく、4人乗車しようものなら格段に走行性能がダウンしていました。

 

私の好きなスバル360。可愛いですが、馬力は16馬力。

 

 

ちなみに現在のヤマハのこのスクーターは15馬力で、馬力はほぼ同じ。

 

 

つまり、馬力やトルクというのは、街中を暴走するための性能ではなく、余裕をもって車を操作するための「安心性能」ということです。

 

話を映像に戻すと、SDRは緑の発色が著しく劣り、特に「緑色の表示系」はSDRの発色の限界の影響をモロに受けていました。緑に限らず様々な色相でも、映画館のフィルム上映の時より格段に色が濁っていました。

 

要は、オリジナルのクオリティが、SDRの色域によって大幅にカットされていたのです。本来の美しさを損失していたわけですネ。

 

しかし実際のところ、SDRのDVDやBDしか手元になく、テレビもSDRなら、「こんなもんだったけか‥‥」と納得せざる得ないです。単純に、比べようがなかったわけですから。

 

馬力もトルクも少ない自動車に毎日乗り続けていれば、

 

峠道でオーバーヒートするのはあたりまえ

スタートストップやターンの挙動が緩慢なのはあたりまえ

 

‥‥というわけで、すなわち、

 

色が濁っていても、それしか見てなければ、そういうもんだと思う

 

‥‥ということです。

 

 

 

しかしHDRが登場して、SDR時代の負の側面〜オリジナル品質の損失・損傷〜を、飛躍的に抑制することが可能になりました。HDRによるフィルムアニメ作品の画像・映像データを見ると、「映画館で見た時の印象に近い」感じ、もっと言えば、「撮出し部屋で見たセルや背景のプリプリ感=発色が濁っていない」記憶の印象に近いんじゃないか‥‥と思いました。

 

ただ、現在の「デジタルアニメーション」は、sRGBやRec.709色域でデータが作られているのでもともとレンジが狭く、「オリジナルの色域の品質」が低いです。ゆえに、HDRコンテンツにする時は、HDR色域に対する新しい要素(演出的なテコいれ)、HDRグレーダーの表現力に依存することになります。

 

そして、これから作る4K HDRのアニメ作品においては、潜在的な色の表現力が格段にアップした環境で、あくまで人間の美意識に基づいて色彩を表現することになりましょう。

 

300nitsですら、100%の白は見ていて眩しすぎて疲れます。「自分の眼は何でも見れる」からと言って、太陽を何分何時間も裸眼で直視する奴はいまい? 街中を時速180kmで暴走し続けるようなアホなHDRの使い方をする必要は全くないのです。

 

いくら300〜1000nitsあろうと、そのダイナミックレンジを必ずいつも使わなければならないわけ‥‥ではないです。やっぱり、人間が普通に見ていられる明るさや、落ち着いて鑑賞できる彩度の収まりは、モニタやテレビがHDRに変わっても同じですもん。

 

HDRに変わったからといって、アクセルペダルをベタ踏みしてパワー全開で走る必要などなく、余裕の走りをすれば良いのです。

 

いつでもエンジン全開で走っていたSDRは、車内に響くエンジン音もうるさく振動も絶え間なかったでしょう。しかし、ちょっと踏むだけでスル〜っと走り出すHDRなら、様々な部分に余裕が生じてストレスなく映像を鑑賞することができます。

 

 

16馬力のスバル360から、100馬力のフィットに乗り換えたら、「100馬力を操作する」運転に切り替える必要があります。100馬力を街中でフルに使い切る必要はなく、0から100の馬力の範囲をうまく使いこなせば良いです。

 

 

「映像のドライバー」視点で言えば、16馬力から100馬力に進化して、その馬力を何に使うか‥‥ということです。

 

HDRの出始めは、「こんなに鮮やかでっせー」「こんなにハイコントラストでっせー」とアピールするでしょう。ちょうど、新型車がテストコースで高速性能を披露するように。

 

しかし、HDRの真髄は、たっぷりと余裕のある色域で、今までとは別次元の快適性をユーザに提供することです。

 

16馬力のSDRでは息切れして到達できなかった山頂のハイウェイから、見たことのない美しい景色をHDRは見せてくれるでしょう。

 

 

100馬力のホンダ・フィットがお手頃価格の現代の大衆車であるのと同じく、今はイロモノ扱い・オーバースペックの揶揄の渦中にいるHDRも、やがて大衆のスタンダードになっていくでしょう。

 

技術者視点、表現者視点で言えば、新しい技術を「ハンデ」にしかできず、マイナス面しか列挙できない人は、どんな時代や場面においても、自身の技術力や表現力ではなく、単なる「現場の慣習」で仕事をするだけの人です。「現場の慣習」で物事をジャッジするような人間は、自力では新しい未来など到底切り拓けないし、むしろレッドオーシャンの引き金にもなるような類いの人間‥‥とも言えます。

 

HDRを前にした時、自分の「素性」が自己診断できる‥‥とも言えますネ。

 

 

技術者、表現者たるもの、妙な作業慣習の色眼鏡で新技術を過小評価するのではなく、良い要素も悪い要素もフラットに見定め、悪い要素を抑制し、良い要素を拡張して、今までとは意識の異なる新しい次元の作品作りを目指せば良い‥‥と思います。

 

新技術は、新しい武器にしてこそ‥‥です。

 

 

 


変わる

ちまたでは、業界貧困のツイートや記事に事欠きません。文章を読めば危機意識も相応に高まりますが、当座の意識が高まるだけでやがて消沈して日々の「いつもの生活」に戻っていきます。ツイートでいくら「改善していくべき」と盛り上がっても、それは「ネットの肴」みたいなもので、実効案を実践するところまでは到達し得ないことが多いです。もし、ツイートの通りに皆がアクションしてたら、とっくのとうに、改善が進行しているはず‥‥ですもんネ。

 

思えば、今のようにネットで業界貧困のツイートや記事で溢れていなかった昔でも、粛々と「次の準備」「未来への取り組み」をすることはできました。つまり、時代に関係なく、「変える人」と「そうではない人」に二分されるだけの話‥‥ということなのでしょう。

 

 

トイレの便座に座っている時は何もやることがないので、沸沸と色々な事に思いを巡らすことが多いのですが、ふと「変わる」という命題を考えた時に、大きく分けて4つのパターンがあるのではないか‥‥とトイレのドア板を眺めながら、ふと最近思いました。

 

  • 変える人・集団
  • 変えない人・集団
  • 変えたい人・集団
  • 変えられない人・集団

 

こと「変える」命題を前にしても、4つくらいのアプローチや状況が思い浮かびます。

 

「変える」人と集団は、実際に変える取り組みを実行している人々です。当人らの意志と技術の両方が「変える」「新しくする」というベクトルを指向し、実際の仕事でも実践している状態です。新時代の技術をどんどん取り入れ、旧来の作業慣習から脱出し、「惰性と慣習を断ち切って、新基準を形成していく」強い信念が必要です。

 

「変えない」人と集団は、「あえて、変えない」意志を明確に実践している人々です。変えないことで逆に、変わっていく時代の中で生き残っていく戦略を打ち出す方法ですが、それには、むやみに新しいものに惑わされない強い意志が不可欠です。時代と逆行することでもブレずに、「老舗」の技術で生き抜いていく、確かな技術に支えられた強い自信が必要となりましょう。同時に、過去からの諸問題をどう解決するかも命題となります。

 

「変えたい」人と集団は、実際に変える取り組みを実行しているものの、現在は足踏みしている人々です。理想(=目標)と現実(=技術・経験)がまだ一致しておらず、さらには実践・実働のチャンスにも恵まれない状態にあり、本人らの自助努力でかろうじて未来への道を模索しているような状態です。ただし、「変える意志」は強く、やがて技術も高まりチャンスが到来した時には、諸々を意欲的に実行に移すことが可能です。

 

「変えられない」人と集団は、現状に対する危機意識を抱いているものの、集団全体の旧来技術基盤や昔の慣習は如何ともし難く、実情として「変わらない現実」を延々と繰り返す人々です。例えば、監督やプロデューサーが未来の展望を案じて、「このままではマズい。たち往かなくなる。」と危機意識を抱いて、現場に新しいアイデアやアプローチ、異なった気風と技術をもつ人材を投入しても、現場既存の「変わる意識をもたない多勢」にかき消されて、「変えようにも変えられない」現実が続く‥‥といった具合です。どんなに決定権を持つ人間が未来を指向してアクションしようが、現場の旧態依然とした人々の前に屈して挫折します。

 

「変える」と「変えたい」、「変えない」と「変えられない」では、大きな意識の隔たり、そして、現状の差異があります。

 

 

‥‥まあ、思うに、アニメ業界の状態は、最後の「変えられない人と集団」に当てはまる事例が多いでしょう。旧来のアニメ技術に対してはあくまで無批判で、ギャラをあげることが解決策だと思っているような類いの人は、未来の現場イメージなど全く見えておらず、「変えられない人」そのものと言えます。

 

ちょっと考えれば判ることですが、単純に単価を上げると、今以上に「簡単な仕事と難しい仕事」の格差が広がり、やがてみな「簡単な仕事だけやりたい」と行動するようになるでしょう。つーか、今が既にそう‥‥ですかネ。たとえ、動画が1枚1000円になっても、クチパクの1枚とキャラ3〜4体が1枚の動画の値段が均一で1000円だったら、アンバランスかつ不公平感はどんどん酷くなる一方です。‥‥しかし、旧来の現場に「変動単価制」を取り入れる度胸と気概のある人間なんて‥‥‥いまい?

 

思うに、変わろうとしない基盤の上で、どんなに張り切っても、結局は変えることは不可能なんだと思います。それが監督やプロデューサーであっても、です。

 

酸性の土壌で、申し訳程度のひとつまみの石灰を撒こうが、アリカリ性にはなりませんよネ。

 

つまり、「変える・変えない」は、土壌を変えるか否かの、根本的な決定を意味し、その土壌で育つ生態系をも左右します。いわゆる「エコシステムの問題」です。マグァンプ苦土石灰を少々バラまく程度で解決することではないです。

 

土壌を変える‥‥とは、現在の土地から離れて新天地を獲得すること、または、現在の土地を全部掘り起こして大々的な土壌改良をおこなうこと‥‥のどちらかです。

 

「‥‥無理だ」と思う人も多いでしょうが、例えば農作物は、旧来日本の酸性の土壌に様々な改良とメンテを施し、アルカリ性の野菜が大量に生産されています。「リアルな土壌改良」の実例です。未開の原野に、一大農作地帯を築いた例だってありますよネ。

 

 

 

私は、土壌を変えることは、十分可能だと思っています。なので日々、粛々と事を進めているわけです。

 

「土壌から変えるなんて、どうせ無理だ。昔のままでいい。今までのやりかたで十分だ。」と思うことは、決して慎重さや賢さと同義ではないです。むしろ、「どうせ無理」とは軽率さと愚かさの同義とすら思えます。

 

現状が苦しいから新しい道を‥‥というのは、一時的なモチベーションとはなりますが、テーマではないです。苦しい現状から抜け出るのなら、アニメに拘る必要はないですもんネ。

 

あくまで根っこには「アニメーション作品」を作りたいという人間の意志があり、その意志を成就し続ける手段として、技術や運用上の土壌の改良、そして働き方と報酬の問題解決があります。

 

人材雇用や人事は、まさに当人らがどれだけ未来を見据えているかのバロメーターです。人材募集要項で、未来を「どう見ているのか」が判ります。

 

20代の人材を採用する‥‥ということは、すなわち、その人材が40代50代になった頃の活躍ぶりを思い浮かべる‥‥ということです。「人手が足りない」だけでイメージするから、おかしな話になるんだと思っています。人材の採用は、まさに採用する側もされる側も「一生モノ」です。集団や組織を形成する「エコシステム」の未来像とは、まさに「人の集まり」そのものです。

 

 

 

私は、新しく現場を変えていきたいです。‥‥ゆえに、今は、粛々と、粛々と、状況を進めていくのみです。

 

もし、あなたが現場を変えたい‥‥と思うのなら、ツイートだけじゃ変わりませんヨ。そんなことは言われなくても誰でも判ってます‥‥よネ。

 

実際に、リアルに、行動しなきゃ。

 

 

 


Blackmagic

Blackmagic社から、お手頃価格の4K60pHDRムービーカメラが発売されますネ。

 

■画期的な新しいBlackmagic Pocket Cinema Camera 4Kは、誰もが待ち望んでいたカメラです!

 

 

15万円のボディで、「12-bitの可逆圧縮RAW、または、さらに高フレームレートの60fpsの4Kで撮影する」とか、凄すぎるでしょ。

 

しかも、ニコンマウントやEFマウントのレンズをアダプタ経由で装着できるから、手持ちのMFTマウントレンズが心許無くても、とりあえずはなんとかなりそうだし。

 

DaVinci Resolveの有償版も同梱(アクティベーションキーとして)なので、すぐに実写制作が個人単位で可能になります。

 

ちなみに映像コーデックはProRes422(HQ)やCinemaDNG RAWで、完全に「現場仕様」です。アマチュア画質のAVCHDとかHEVCとかではないです。さすがに4K60pとなると、記録装置の速度は要求されるようです。

 

ExFATだけでなく、HFS+にも対応しているのは、驚きです。でもまあ、アニメ業界では珍しいMacも、実写では普通に使われてますもんネ。たしかに、実写の打ち合わせとかにいくと、みんなMacBookばかりだもんなあ。

 

 

4K60pでHDRにも対応する現場仕様のムービーカメラが15万円。‥‥‥すごい時代になってきましたネ。

 

もはや、アマチュアが粗末な画質に甘んじることなく、家族を撮るホームムービーでも、iMac 5Kと、このCinema Cameraと、Resolveで、品質の高い一生物のムービーが作れる‥‥ということですネ。昔とは確実に、お金のケタが1桁2桁少ないですネ。

 

 

今後、私らの制作グループでAdobeの次に仕様頻度が高くなるのはBlackmagic社の製品かも知れません。

 

小中規模だけどプロスペックを要求される制作集団にとって、Adobe、Blackmagic、EIZOは、とても頼り甲斐のある会社‥‥と言えそうです。

 

 


AE

After Effectsはこの20年間、私のメインツールであり、アニメの撮影はもちろんのこと、作画作業にも大いに活躍してきました。アニメだけでなく、実写作品、3DCG作品、CMなど、「映像」に関わるものはもちろん、パッケージやポスターなどの「版権物」にもAfter Effectsを活用してきました。

 

そんな中、「After Effectsで作画?」と、ほとんどの人は思うかも知れないですが、妙な色眼鏡や固定概念を捨てれば、After Effectsでも十分作画は可能です。

 

作画はもちろん手で描く、ドローソフトで描く、さらにAfter Effectsなどの2Dムービーを扱うソフトウェアでも描く、そして3D空間を扱うソフトウェアでも描く‥‥というのが、これからの「作画」だと思っています。

 

紙やドローソフトだけに閉じ込めずに、様々なソフトウェアを使って作画するのが、未来を生きる道と心得ています。

 

After Effectsはアニメ撮影のためだけに存在するわけではなし。‥‥アニメ制作現場だと、After Effectsって、「撮影」のツールの印象が強すぎる‥‥というか「撮影=After Effects」の認識に固まっていますが、After Effectsの設計自体、アニメの撮影用に作られているわけではありません。「2DCG」に関する広範な活用が可能です。

 

実際、私は今週来週で、After Effectsで2000枚規模の作画(&ペイント・撮影相当含む)をすることになりますし、今後も映像制作全般においては「いざとなればAfter Effectsで」という心強いツールとして活躍することでしょう。ハデな肉弾戦のアクションも4K8Kの繊細なモーションも、After Effectsを用いれば可能です。

 

After Effectsは「こと2D」に対して、基礎ツールが充実している分、2Dのことは大体何でもできてしまいます。After Effectsの機能をあらためてフラットに精査すれば、どんだけのことが可能になっちゃうんだ‥‥とわかるはずです。After Effectsを長年使ってきて、After Effectsの性質をよくご存知の人なら。

 

 

 

ただ、After Effectsで作画までやる‥‥というのが一般的でないのは承知していますし、今後の効率化のことも考えれば、After Effects万歳思想は危ういとも思っています。After Effectsで作画をするには、After Effectsの機能にかなり深く突っ込んだ知識と経験が必要なので、習熟には相応の時間が必要ですし、そもそも当人の適した素質が必要です。

(素質なんて話をしちゃうと、何にでも言えることですけどネ。)

 

なので、従来の作画方式、After Effectsを用いた作画方式、そしてさらにいくつかの作画方式を組み合わせた「総合作画技術」を推し進めるべく、体制を強化しようと計画しています。クリスタやProcreate、After Effectsに加えて、アレやコレやをさらに導入して、死角や弱点を克服する技術に育てていこうと思っています。

 

技術そのもののバリエーションだけでなく、技術習得の経緯においてもバリエーションを考慮すべし‥‥と考えます。1つのツールやメソッドに縛りつけるのではなく、「After EffectsよりXXのほうが得意だ」という人間がすくすくと成長できる幅広さが必要でしょう。

 

人は、何か1つのソフトを習熟すると、そのソフトに固執しがちになります。アニメ業界がまさに「紙と鉛筆」というハード&ソフトに固執してきたように。

 

私もAfter Effectsを使い続けているので、無意識に固執しがちになりますが、それじゃあ、アカンのです。

 

 

 

思うに、2DCGは、その負荷の軽さから、4K8Kに対して現在かなり有利な位置にいます。

 

3DCGは今でもレンダリングの重さに悩まされている話をよく聞きますし、「2Kだと重いからハーフ(1280〜1440)でやらせてくれ」と2Kドットバイドットを断念する状況を、2018年の今でも結構色々なところから聞き及びます。4Kなんてとんでもない‥‥との話はかなり耳にします。

 

2DCGも、そりゃあ4K8Kになれば、かなり重くなります。しかし、いくら何でも1フレーム1時間ということにはなりません。合理的かつ計画的な運用技術次第で、レンダリングをかなり軽くすることもできます。スタッフ全員が自己流‥‥というアマチュア制作のようなレベルから脱して、基礎制作技術を効率的なメソッド基盤で再編成すれば、「なぜ、同じ内容なのに、かたや20時間、かたや2時間なんだ?」というトホホな状態から脱出できるでしょう。

 

旧来の作業慣習に固執せず柔軟に機材を導入する、合理的で計画的な運用を命題とする‥‥といった方針を、それこそ企画当初から意識することで、アニメーション制作はまだまだ未来を切り拓いていけましょう。

 

実写(純粋な実写)に次に、4K時代、そして8K時代に対応できるのは、描いて動かせばゴールにたどり着く2DCGだと考えています。実際に4K60pなども制作してみた実感です。

 

その「描いて動かす」ことについて、昔からのハード&ソフトである「紙と鉛筆」からスッパリ頭を切り替えれば、私ら技術集団だけでなく、色々な人々が4K8Kへの有利なスタンスを実感できると思います。

 

昔にこだわっているからこそ、自分が馴染んだツールに固執し過ぎているからこそ、未来が見えてこない‥‥のです。

 

 

私にとってAfter Effectsが、いざとなれば何とでもなる問答無用の心強いツールであることに変わりはありません。とは言え、After Effectsに束縛されることなく、2020年代視野の映像制作においては、色々なツールと方法論を柔軟に積極的に取りいれていく所存です。

 

 


基礎

恐らく、2020年代のアニメーション技術において決定的に必要になるのは、基礎技術の更新・刷新でしょう。応用や高度化はあくまでその先です。

 

技術をハイレベルに積み上げるにも、まずは基礎の堅固さが必要です。ゆえに、目下の私のターゲットは、新しい基礎技術の確立です。それはとてつもなく地道な作業の繰り返しで、範囲も広いです。

 

基礎技術にショートカットなし。

 

でも、基礎技術の構築は必ず成し遂げられるとも思います。先人の成し得た「体系作りの経緯」から、謙虚に学べば良いのです。

 

焦りは禁物です。地道に克服していくことだけが、ゴールへの道です。

 

新しい技術、新しい映像フォーマットと聞くと、得体の知れないハイレベルな何かを想像しがちですが、それは当人の「未知の何かに対する恐れ」から生み出された幻であって、実は地に足をつけて1つずつ解決できるものです。

 

逆に、浮き足立っていると、行動が散漫になって、何一つカタチにならないです。あれも作りたい、これも作りたい‥‥と未完成のプラモだけが増えていく子供のように。

 

決戦兵器、秘密兵器、特効薬。‥‥どれも、「何かスゴいものを用いて、諸問題をイッパツ解決できる」と夢想する浅はかな思考の象徴です。幻の秘密兵器を作ろうと時間を浪費するのなら、その時間を地道な基盤作りに割いた方が実現のメドも立とうというものです。

 

 

4K時代は、今までの基礎技術では太刀打ちできない場面と数多く遭遇します。最適解そのものが旧来の基礎技術の中に存在しないことも多々あります。

 

技術のステップアップが必要とされるのなら、何も迷うことはないです。必要に応じて、ステップアップするだけ。ですネ。

 

4K、60p、HDR。それぞれの言葉に踊らされているようでは、何も掴めません。

 

ステップを一段二段高くして、実際に、リアルに、手で1つずつ掴んでいけば良いだけ‥‥です。

 

 


色々終了。

今まで、自己所有の複数マシンでAdobe CCを使うために、2つライセンスを契約していましたが、更新日を前に1つ解約し、ライセンスを減らしました。よくまあ、自腹で年間12万円(+税)もAdobeに貢いできた‥‥とは思いますが、今年度は色々と節目となる年なので、自己開発モードの負担を軽減し、現場作りの方にシフトしようと思います。

 

自腹で何台もマシンを所有し、色々なソフトをこれまた自腹でいくつも買い揃え、昼夜違わずモクモクコツコツと映像技術開発に勤しむ‥‥というライフパターンを、私自身、しかと見直す時期なのでしょう。内に蓄積したエネルギーを2020年代に向かって外へと放射する時代のタイミングでもあり、それをすべき自分の歳でもあり‥‥ということなんでしょうネ。

 

そのほか、ドメインのいくつかも更新終了。‥‥年間数千円なので大した額ではないですが、今や使用目的を消失したドメインを抱え続けていても意味がないので、逐次終了します。

 

お試しで使っていたAmazonのKindle Unlimitedも終了させます。私は本に関しては、そもそも読む周期にムラがありますし、購入して何冊も常時ストックしておきたいので、10冊制限のあるUnlimitedはどうも性に合わないようです。

 

あと‥‥やっぱり、旧来運用スタイルの仕事は、今引き受けている作業を最後にフェードアウトするように思います。何を言うても、ペーパーレスの完全デジタルデータ運用に移行すると、「紙」ベースの作業意識とは齟齬がどうしても増えてきます。

 

 

2020年代を前にして、終了するもの、継続するもの、そして新しく開始するもの‥‥と、3つの岐路が色々な物事に待ち構えているように思います。

 

 


単価?

単価制で無理があるのなら、拘束料金や社員雇用だ。‥‥というのは、大雑把でしょ。

 

単価制の限界だ‥‥なんて軽々しく言う人もいますけど、今までのアニメ業界において単価制の限界や可否を問えるほど、単価について色々なアプローチをしてきたでしょうか?

 

アニメ業界の大きな問題として、私がフリーランスの原画マンだった頃から捉えているのは、単価制そのものではなく、「均一単価制」、単一価格の単価制です。

 

アニメ業界の単価制は異常です。

 

例えば、どこのラーメン屋さんに、餃子3個、ラーメン、味玉ラーメン、チャーシューメン、チャーシューメン餃子セットの単価(売価)が全て同じ店があるでしょうか。普通、内容やグレードによって単価は分けるでしょ。

 

アニメ制作の場合、口パク1枚絵と、巨大ロボ3体1枚絵の単価が同一だ‥‥というのが異常過ぎるんですよ。

 

まあでも、今の現場では、何をどうやってグレードを分けたら良いかも判らんですよネ。多くの場合、「見た目のさじ加減」になってしまうでしょう。紙に描かれた絵の作業量を計量することはできませんもんネ。だから、ずっと単一単価制です。

 

一方で、制作期間中に単価では計り知れない作業を依頼する場合は、いわゆる「一式」料金の方法があります。前述の飲食店で例えれば、「食べ放題」価格のことですネ。仕事を依頼する側は、単価のつけようもない難易度の高いシーンを頼めるし、受ける側は自分の能力を期間中に発揮できるしで、金額の折り合いがつけば「均一単価」の悪所を回避できます。

 

でも、多くの場合、単価制がデフォルトで、「均一単価制」になります。

 

作画よりももっと酷いな‥‥と思うのは、撮影作業を単価で扱う時です。「秒単価」で内容の濃いアクションやスペクタクルシーンを依頼された時は、正直、殺意が芽生えたものです。「倍の単価? いい、いい。いらん、いらん。 元の単価=半分の単価でいいから、芝居のシーンをちょうだい。そっちの方が数倍稼げるからさ」‥‥なんて言うから、私は仕事を干されるんだろうけど、実際「撮影はもうやりたくない」なんていう中堅〜ベテランの人は結構周りにいるんですよネ。色んな経験と技量を蓄積すればするほど、どんどん割に合わない仕事が増えて‥‥という状況に辟易している人は、作画だけでなく撮影作業者でもいます。

 

表現力の技量が低く、簡単なシーンばかりを振られる人間ほど、作業実績が上がるシステム。‥‥誰だって、アホらしいキモチになって、やってられないでしょ?

 

 

私の考える未来の現場は、均一単価制は廃止です。苦労して技術を磨いた人間がバカを見る制度なんて、新しい現場で継承するわけがないです。新しい現場を組む時に、なぜ自分が辛酸を舐めた状況を、新しい現場作りに導入しちゃうのよ。普通、過ちは繰り返すまい‥‥とするでしょ。

 

ではどのように単価のランク付けをするか‥‥ですが、作画に関しては既に具体的なアイデアがあります。何なら、自分でソフトウェアのプログラムコードを書くこともできます。私はあくまでサンデープログラマーレベルなので、自分で作った画像処理プログラムが高速に動作するかは別として‥‥ですけどネ。

 

事前の単価分けが難しい場合は、やはり「一式」方式が基本となりましょう。一式料金の場合、受発注両者の合意の上で金額を決めていく「人と人との関係」は一層重要です。

 

ただまあ、今のところ、アウトソーシングをするつもりはなく、内製化で体制を作るので、変動単価制はもうちょっと先の話です。

 

 

自分の能力が上がると、お金がより多く貰えるようになるんだ。

 

大変なカットをやれば、普通のカットの数倍、十数倍、数十倍、お金が出るんだ。

 

‥‥そんな、あまりにも普通のことを、未来の新しい現場で実現しないでどうする。

 

変動単価制はそれこそ私が20代の頃に監督と話していましたし、今から10年前には違う切り口で実現できそうなアイデアも思いついていました。ただ、それは旧来現場の色々なしがらみで出来ませんでした。恐らく今でも、旧来から様々な因習を継承する現場では、変動単価性は、感情的にもシステム的にも技術的にも無理だと思います。たとえ「デジタル作画」に変えても、です。

 

でも、新しい技術体系でゼロから作れる現場なら、因習を断ち切れますし、昔の常識は亡きものにできます。ルールも意識も違います、過去の常識はここにはありません‥‥と、新しい技術体系の現場なら言い切れるでしょう。デジタルデータを基盤とする運用スタイルであれば、データを総当たりで解析することだって、コンピュータが高速処理化した2020年目前の今なら出来るのです。

 

 

もう2年待たずに2020年代です。

 

ゼロから組み立てることで育っていく新技術の現場ならば、色んなことを仕切り直せると確信しています。私は残りの半生を新しい現場に注ぎ込む覚悟です。

 

一方、旧来の慣習を引き継がないと成立しない現場は、長きに渡る大問題を根本解決したいのなら、一旦全部要素を取り外してバラして、ゼロからの組み立て直し‥‥になるんでしょうけど、それはもう、大変なことですネ。誰がそれに着手するのか。それとも誰もしないのか。

 

未来の様相は様々‥‥ですネ。

 

 

 


BG透過光

HDRで使えなくなる演出&作画技法は色々ありますが、特に「BG透過光」はその筆頭です。

 

イメージ・心象としてのBG透過光は使い方次第でHDRでもイケると思いますが、「露出オーバーで白とびして透過光」というのはダメです。BG透過光がむやみに目に刺さるだけです。

 

そもそも「露出オーバー表現のBG透過光」は、暗部から明部に至るダイナミックレンジ=DRが狭いゆえに、暗い部分に露出を合わせたら、明るい部分が露出過多になってフレアを伴って白くとんじゃった‥‥という表現の簡略表現ですから、DRがHigh=HDRになった映像技術・フォーマットにおいては「意味不明」になりやすいのです。

 

HDRで眩しいから‥‥といって明るさを鈍く抑えたら、なぜ白くとばしているのかコンセプトが崩れますし、300〜1000nitsのレンジをもつHDRでレベルオーバー表現をしようものなら、視聴者の目を殺す気か‥‥ということになります。安易にBG透過光など使おうものなら、見てて眩しくて疲れます。

 

「露出オーバー表現のBG透過光」は、やがて「SDR時代の遺物」となりましょう。

 

例えば、心情のショック表現で赤色のBG透過光‥‥というのは、HDRでもありでしょうネ。アニメーションの画面設計は、グラフィックデザインとしての一面も担いますから、なんでもかんでも現実に縛られる必要もないので、「心象のデザイン」としてのBG透過光はHDR時代でもアリだと思います。透過光の色も、心象の表現ならば、必ずしも目に刺さる眩しい色にしなくても表現は成立しますしネ。

 

BG透過光に限らず、すぐ先の未来の高性能・高品質の映像フォーマットにおいては、今までのアニメ作画や演出の手練手管は、通用しなくなるものも結構増えると思います。

 

新しい表現技術は、旧時代の慣習を引き合いに出して「何がOK、何がNG」という比較によって獲得するのではなく、あくまでHDRや4K、そして60pの特性を鑑みた上で、新たに構築していくものです。「昔と比べることばかり」の思考では、新しい技術を積極的・効果的に作劇に取り入れることなど、ままならないですからネ。

 

新しい技術に「対応」しようとする人は、ぶっちゃけ、古いタイプの人です。「対応」という考えが根っこにある時点で、やがてフェードアウトしていく類いの人でしょう。必要な意識は、「対応」じゃなくて、「活用」ですからね。

 

BG透過光をHDRで見て、「ああ、この表現はもう使えないね。HDRならではの新しい表現を考えよう。」と即座に頭を切り替えられる人こそが、新しい技術で新しい時代を切り開ける人です。

 

そういった意味で、ここ5〜6年の期間は、そこら中に「未来への試金石」が転がっています。そのいくつもの試金石を前にして、先に進める人、立ち止まる人、去る人‥‥を分けていくでしょう。

 

 


CG319X

やっと発表されましたネ。CG319X。(つーか、型番は今日知ったんですけど)

 

 

 

「いつ出るか」とヤキモキしていましたが、職場のシステムの方から「今日発表」と知らせてもらって、胸を撫で下ろしています。今年の夏、秋‥‥とかだったらどうしようかと思ってましたが、6月には出回る感じですかね。

 

ぶっちゃけ、4KでHDRで作業用モニタ‥‥‥って、選択肢が極めて少ないのですヨ。4Kテレビはあくまで家庭用テレビで、作業用モニタにはなりませんし、24インチじゃ小さいし、PQやHLGに対応となると、かなり製品数が限られます。

 

まあ、アニメ会社の作業場は、ポスプロさんの「お洒落でラグジュアリー」な空間はのぞめないものの、部屋の照明に気を使って間接照明にしたり、「お部屋のマスモニ」をちゃんと置いたりと、当人たちの意識があればできるだけのことはできるはず‥‥です。

 

アニメーターは作画のプロではあるが、映像のプロではない

撮影スタッフはアニメ撮影のプロではあるが、映像のプロではない

 

‥‥とか、どれもイヤじゃないですか。アニメーターも撮影スタッフも、映像プロフェッショナルの集合の中に居るべきと思います。少なくとも2020年代の未来においては、です。

 

ちゃんとしたモニタで映像を見る習慣を「あたりまえ」にする環境は、これから先の未来は必須でしょう。テレビでラッシュチェックして喧々囂々なんて、(何度も書きますが)揺れる小舟の上で水平の基準を得ようとするがごとくです。

 

今のアニメの現場はRec.709やsRGBでまだ済んでいますが、未来はそうはいきません。アニメの全ての現場にBT.2100とかST 2084が必要とされるのはまだ先のことかも知れませんが、今度の「リプレース」の際はテレビで誤魔化すんじゃなくて、せめてカラーマネージメント系のモニタを購入すべきでしょうネ。

 

そして、制作環境をプロ基準たらしめるシステムスタッフも、アニメ制作には重要な存在となりましょう。

 

 


意気込みの盲点

自分たちが実現するんだ! 自分たちこそソレを可能にできるんだ! ‥‥という意気込みは、特に新しい何かを掴みかけている時には、作業時のテンションも上がり、現場のモチベーションも高くなります。

 

しかし、それが一方で「孤立主義」に傾倒するのなら、「調子にのるなよ」と自ら醒めて、自ら冷や水を浴びせる意識も必要です。

 

昔、ベータマックスがどんどんソニーの孤立主義に傾き、やがて消滅したのをリアルタイムで見ていたので、「技術の自信が孤立を生む」危うさの教訓として思い出すようにしています。

 

ベータに限らず、色々な技術の産物を見ていて、技術的な過信かは判りませんが孤立するメーカーのプロダクトが絵に描いたように終息に向かっていくのを見て、「普通、そうなるわな」と10〜20代の頃の私でも思ったものです。

 

でもまあ、勝者のVHSも今では社会から姿を決して久しいので、「長いものにまかれりゃ、安泰」というのも不正解なんですけどネ。ベータには勝ったVHSですが、時代には勝てず、今やVHSで録画しようなんていう人は相当珍しいくらい、社会から忘れ去られています。「D-VHS」なんてのもありましたが、もはや民生の意識はビデオ「テープ」から離れており、「デジタルデータ化」しようが消滅は必至だったと思います。

 

アニメの作り方で言えば、新技術を過信するのも危ういし、旧来技術に巻かれたままでも社会の流れから取り残されるし‥‥で、ええ感じの舵取りは必要になりましょう。

 

意気込みや自信、あるいは打算や習慣だけでは、未来は切り開けんです。

 

 

「でもさ。Appleの事例もあるじゃん」‥‥という人はおりましょう。

 

たしかにね‥‥、Appleはとても強いですよネ。今のところは。

 

しかし、その強さゆえに、崩れ始めると連鎖崩壊するような危うさを、私はずっと製品を使い続けながら感じています。伸び続ける成長なんてありえません。成長の行き詰まりや技術信仰の限界を、どこでどうシフトしていくのか、アウトサイダーの私としては、Appleの今後を見守るほかないですネ。‥‥まあ、今はうまくいってる気なのでよいですが、お手本にはならんですネ。

 

 

今年度は、私ら新技術を推進するグループにとって、大きな飛躍の年になりましょう。しかし、その飛躍の爽快感に我を忘れるようでは、行き先は危ういです。

 

艦載機は空母から発艦して攻撃目標を攻略するだけはダメです。ちゃんと、着艦の進入コースをしかるべきノットで進み、アレスティングフックがワイヤーを掴んで着艦するまでが、ミッションの全行程です。さらに言うならば、戦果の報告、そして艦載機部隊を積んだ空母が次の「戦地」へと進路を変えるところまでが、ミッションの全て‥‥とも言えましょう。

 

こんなではコマるわけです。

 

 

 

跳んだら、ちゃんと着地する。そして、その次も続けて跳ぶ。

 

ソニーやAppleなど、「いい意味でもわるい意味でも」お手本にすべき過去をもつ企業、そして歴史上の人物や国の興亡を、最良の教訓として活かしつつ、今年2018年、そして2019、2020年‥‥と粛々と進んでいくのが肝要。

 

と、日記には書いておこう。

 

 



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