ハイリスク・ローリターン

ちまたでは、「出資者は、利益が生じれば、出資したお金以上のリターンを手にできるが、損失が出れば、出資した額が戻らずお金を失うリスクを背負っている。ゆえに、ハイリスク・ハイリターンである。」と言う一般論を耳にします。そして、「一方、作業者は、どんなに完成品の売り上げが伸びても作業費の増額はないが、同時に、完成品が全く売れなくても正規の作業費を手にすることができる。ゆえにローリスク・ローリターンである」という事も語られます。

 

アニメの商業作品も似たような構造ですよネ。

 

例えば、原画料金は、作品が売れようが売れなかろうが、値段が変動することはなく固定です。全然売れなかったから、原画料金は1/10の500円にします。‥‥なんて聞いたことがありません。そもそも完成作品が世間で発売される頃には、原画料金の支払いは終了しているでしょうしネ。

 

 

‥‥‥‥しかし、非常に強い違和感が残ります。

 

ローリスク???

 

アニメ制作の、例えば作画の作業者は、ローリスクなのか?

 

私は作画を作業してきましたが、アニメーターを職業に選ぶこと自体がハイリスクだと思いました。それはもう、高校に在学している頃(30年くらい前‥‥です)から、強く認識していました。

 

つまり、作画の料金は、そもそもの作業費の設定が低いので、ローリスクだなんて到底思えないのです。

 

 

人生全体の観点で言えば、アニメ制作に関わることは、ハイリスク・ローリターンと言えるのかも知れません。全ての工程が‥‥とは言いませんが、私が経験してきた作画作業に関しては、ハイリスクだからハイリターンとか、ローリスクだからローリターンだったことは、ほとんど思い出せないほどです。

 

極めて少ない例で、線が少ない作品で原画が何カットもこなせた‥‥ということはありましたが、関わってきた作画作業の多くは如何にも線が多くて時間がかかるのを情熱と根性だけで突き進んで、演出さんや監督さんに名前を覚えてもらって、次はもっとギャラの高い仕事を‥‥という積み重ねでした。

 

私が、アニメの新技術だ、次世代の映像フォーマットだ、新しいワークグループとワークフローだ、新しい作業費のシステムモデルだ、云々‥‥と声高にここで書き綴るのは、私が通過してきたハイリスクローリターンのアニメ作画作業実情への悔しさ、怨念感情の表れだとも思うのです。自らを省みて‥‥です。

 

 

私の論調は、ある人から見れば、「強者の論理だ」と言われます。「色々と経験と技術を蓄積して立場を確立した人の『上から目線』だ」とも。

 

確かに、私は「食い殺されないように」「使い古されたボロ雑巾にようにゴミ箱に捨てられないように」、色々な技術を習得して、経験を武器にしようと、意識的に取り組んできました。なぶり殺される弱者のままではダメ、強者の位置に立たなければ、報酬の交渉すらまともに取り合ってくれない‥‥と、20代のフリーランスアニメーターの頃は特に思いつめたものです。‥‥その頃の感情は、今でも消えることはなく、こうしたブログの文章の端々に現れることも多い‥‥とは自覚しています。

 

ハイリスクでローリターン‥‥なんて、悔しすぎるじゃないですか。

 

弱い立場と境遇に甘んじて、どうやって自分の未来が見えるというのでしょうか。

 

だったら、強者になるよう自分を仕向けて、実際に、強い「何か」を手にするしかないでしょう?

 

 

「色んな立場の人がいて、色んな想いで仕事してるんだから、やんわり、誰も傷つかないように、あらゆる角度に気配りして腰を低く、見たことも見なかったことに、酷い事も酷くなかったことにして、皆と歩調を合わせて乱さずに」‥‥なんて続けて、何か新しい活路が見出せたのか?‥‥と言えば、ハッキリと「Noだった」と言えます。

 

ハイリスクをローリスクに変える、ローリターンをハイリターンへと流れを変えるきっかけは、残念ながらアニメ業界では自分の行動の如何だけです。作業工程の中でどんなに「和を乱さず、突出することを控えて、作業オーダーをこなし続けて」も、全体の作業の流れの中で消耗して擦り切れて、体を壊して使えないと判断されたら仕事が来なくなるだけです。

 

学校を卒業したての18歳の私など、吹けば飛ぶような「歩」の駒のような存在でしたが、そうした境遇から抜け出るには、一にも二にも三にも「技術、技術、技術」だったのです。「技術で突出することを良しとして、特別な作業オーダーで特別な報酬の作業を請け負う」ということを20代の目標にしました。だから私は技術を大切にしますし、「技術を取り扱うことは、お金を取り扱うことと同義だ」と強く認識しております。

 

 

特定の誰かが、特定の誰かを憎んで、ハイリスクでローリターンの状況が故意に形成されているのなら、解決の糸口を探すのは比較的容易です。

 

しかし、作業構造そのもの、産業モデルそのものが抱える原因で「慢性偶発的」(変な言い方ですが)にハイリスクでローリターンの状況が生じ続けるのなら、答えは2つだけです。

 

従来の作業構造そのもの、産業モデルそのものを修正するか

 

‥‥か、

 

従来の作業構造や産業モデルから抜け出すか

 

‥‥しかないです。

 

どちらも個人の行動だけでは手に余るからこそ、簡単には実現できない‥‥のですけどネ。

 

 

なので、個人の観点や行動範囲で言えば、ハイリスクでローリターンな状況に立たされた時、もしくは立たされようとする時、どのように行動するか‥‥ということになります。

 

要は、自分の人生における様々な局面で、ハイリスキーな場面が避けられないのだとしたら、その「自分のハイリスク対応力」をどの部分に注力するか‥‥がキモになってくると思います。

 

「同じことの繰り返しだ」と解りきっているのに、延々とハイリスク・ローリターンの状況に甘んじることは、果たして自分の人生の中でどれだけ有効・有益な行動でしょうか。

 

ハイリスクに対応するためのカロリーを、あいも変わらずの状況に注ぎ込むだけでなく、自分の未来を変えるきっかけを見出して、その新たな「賭け=リスク」に注ぎ込むことも重要な取り組みだと私は確信します。

 

 

 

「好きでも続けられない職業」などと言われるアニメの仕事ですが、むしろ「好きだと言うだけで続けられる職業」なんて、どれだけあるのか、知りたいです。「好きだ」という感情「だけ」あれば、仕事が成立する状況なんて、ほとんど無いように思います。「好き」より「現実」が上回った時に、「好き」を諦めて離職することになります。

 

「好き」だとか「夢」などといった要素は、持ってて当たり前です。自分の「心の核」にはなりましょうが、自分を他者にアピールする要素にはなりません。「私には夢があります」と言ったところで、「そりゃあ、誰にでも夢はあるでしょうよ」と言われてお終いです。

 

「好き」だとか「夢」とか「やりがい」という耳障りの良い甘い言葉で、自分自身を誤魔化してはいけません。

 

「好き」「夢」を「報酬」「武器」に変えていく、したたかで力強い「強者(つわもの)」になる必要があります。

 

絵や映像という「好きなもの」を「職業」にしたからには‥‥です。

 

 

 

 


UHDの前後

4KのウルトラHD&HDR有機ELテレビによるデモを仕事で見てきたのですが、業務用モニタと同等と言っても良い画質(特に色彩面で)に驚き、4KとHDRが組み合わさった凄まじさを体感しました。

 

最新の民生機器による、UHD BD(4K, HDR)によるデモは、ストリーミング映像品質が冗談と思えるほどの高品質を誇り、YouTubeなどの低い画質のコンテンツに押され気味だった昨今の状況に、何か変化が起こることを期待せずにはいられません。

*せっかく作った映像が、YouTubeなどのストリーミング公開だけ‥‥というのは、少なくとも私は「超絶ガッカリ」なのです。オリジナルのマスター映像から大幅に格段に超残念に劣化しますからネ。品質だけが映像の魅力の全てではないですが、苦労を重ねてできる限り綺麗に作った映像が流通の事情で汚くなるよりは、可能な限り綺麗さを保った状態で観る人々に届けたいのが、作った側としての(少なくとも私の)キモチです。

 

デモ映像は過去のアニメ作品で2K以下の24コマモーションでしたが、もしオリジナルが4K60pの映像だったら、さらに別次元の映像を実現できていたでしょう。現在、アニメで4K60pを作る取り組みをしていますが、ラボによるHDRグレーディングと組み合わせれば、全く新しいアニメーション映像フィールドに到達でき、そのクオリティをUHD BDと有機EL 4K-HDRテレビのの再生環境によって「マスター画質をご家庭に」届けることすら可能になることを実感しました。

 

‥‥と同時に、現在の民生テレビが全て過去の遺物に思えて、より一層、アニメ制作の往く末に思いを馳せた次第です。

 

現在「新作」として世の中に出てくるアニメは枚挙暇がありませんが、スクリーンショットを見ただけでも、「技術の更新が滞っている」のを感じずにはいられません。動いているPVなどを見ると、さらに「立ち遅れている」感慨が深まります。

 

現在、「デジタル作画」の機運はあちこちで盛り上がり始めていますが、ぶっちゃけ、「デジタルで作画」しただけに終始してしまい、4Kにも60pにもHDRにも、どれにも対応できていない作品がほとんど‥‥ですよネ。つまり、アニメ業界の内輪で「ペンタブやFlash(系)で作画だ」と盛り上がっているだけで、世界規模の映像技術進化の流れにはまるでのれていない‥‥という寂しい状況です。

 

私は実写にも関わりますし、国内外のラボとのやりとりも経験してきましたが、アニメ業界標準(=フィルム時代のタイムシートを使う作品)の映像技術は、正直、ガラパゴス状態。竜宮城と言っても言い過ぎではありません。

 

最近「クロ現」でやってた「ブラック問題」も深刻ですが、アニメ制作技術の「技術進化が行き詰まって闇(=違う意味でブラック)」な状況も相当深刻なんですよネ。1秒間を1960年代の頃から変わらずに8〜12分割してる場合じゃないってば。

 

1.5〜2K、二値化、レタス線、24コマシートで3コマ打ち(=8fps)のモーション、8bitの色彩感覚とSDR。どんな作品のスクリーンショットやPVを見ても、古さだけが目に映ってしまいます。

 

なぜ、古い映像技術とフォーマットで作り続けるのか。‥‥いろいろ理由はあるでしょうが、機材やワークフローの問題は表向きの理由であって、「新しい技術に疎いので、想像もできん」というのが実際のところでしょう。しかし、「いつまでも疎くてどうする」と思います。アニメだって、映像技術を駆使して作る作品・商品なんですヨ。

 

「デジタル作画」がアニメ業界の技術進化の本命だとするならば、それは大きな誤りです。「デジタル竜宮城」に住み続ける未来が待っているだけです。60〜80年代に築き上げられた「竜宮城」そのものから脱出することが本命だと私は思います。

 

海の底の竜宮城は、外界の喧騒も聞こえず、ゆったりとした「独自の時間」が流れて、「制作当事者」にとっては居心地が良いかも知れません‥‥が、同時に「地上の世界」の光は差し込まず、外界とのコミュニケーションも絶たれ、時間も技術も価値観も大きくズレていくことでしょう。

 

 

 

ちなみに、アニメ業界の人々は「4K」だけに反応しがちですが、4Kだけでは映像技術の進化なんて打ち出せません。4K60pHDRの3拍子が揃ってこそ、誰の目から見ても「一目瞭然」な違いが判るのです。苦労して4K相当の作画をするだけでは、「何が変わった? 線がちょっと細い? それが4Kのアニメの特徴なの?」程度の認識止まりで、労力が格段にキツくなったわりに効果が微小で、「無駄な苦労」で終わります。

 

線の繊細さ、デリケートなニュアンス、滑らかなモーション、あらゆる技術を駆使したコンポジット、HDRを見越した色彩。そうした要素を、悪魔の囁きと判断して遠ざけるか、福音として受け入れ自分たちの進む道を照らすか‥‥は、当事者次第といったところでしょう。

 

 


新しいiPad Pro 12.9インチ、iMac 5K、iMac Pro。

新しいiPad Proの12.9インチ。‥‥サクッと注文しました。私のメインウェポンの1つなので。

 

120Hz、P3、512GBのストレージ‥‥というのが、即決の決め手となりました。処理速度も速くなったようですが、初代12.9インチでも作画作業的には全然不足がないので、とにかくリフレッシュレートが120Hzというのが「買うべきだ」と考えた1番の理由です。

 

それに実は、半年以上も前から、作業が拡大するにつれて、もう1台iPad Pro 12.9インチが必要だ‥‥と考えていたので、丁度良いタイミングでした。

 

初代12.9インチのiPad Proは、もう十分「もとはとった」ので(大雑把に思い出して、iPad Proだけでン百万円前後の仕事はこなした)、新しい機種を買っても良いでしょ‥‥ということで、特に迷うこともなく買いました。これからは2台体制で、数種類の仕事をこなしていこうと思います。

 

アニメの作画でどんなソフトを使ってるかなんていう話題が度々持ち上がりますが、私はマイノリティの「Procreate」です。アニメ作画でもコンセプトボードでも設計図でも、絵を描く際はProcreateです。時には画像編集作業でPhotoshopやクリスタを併用しますが、描く作業は全てProcreateオンリーです。

 

Cintiq Proはドライバ周りでトラブってる話を結構聞きますし、Mobile Studio Proは高すぎるし、‥‥となると、大手AppleがハードもOSも自社で開発・販売・管理しているiPad Proで作画するのが、少なくともわたし的には「一番安定していて」使いやすいのです。

 

根本的な話‥‥ですが、アニメ作画だけに自分の絵を描く能力を封じこめちゃうと、ごく限られたごく少数の人たちを除いて、全然稼げない人生が約束されたようなものですから、「絵を描く能力を、自分自身でグローバルにプロデュースする」必要が人生の後期(30代後半)から必要になってきます。そうしたことを考えた場合、パソコンに繋がっていないと絵が描けない環境よりも、iPad Proのようにパソコンから切り離して自由に環境を整えられるハードのほうが、色んな仕事の展開が可能になります。WiFiありき、端末間のデータ送受ありき、Cloudありきで、作業環境やシステムを考えるわけです。20年前と全く変わらぬ、パソコンに首輪を繋がれた環境じゃなくてネ。

 

最近、アニメの作画を数ヶ月作業して、認識を新たにしたこともあって、今後は明確に「絵そのもの」で稼いでいく方法をどんどんiPad Proで実践しようと決意しました。ゆえに、120Hzの滑らかなモーションの新型iPad Proは、ホントに良いタイミングで発売されて良かったです。今のでも十分ですが、新しいiPad Proの120Hzの筆跡は楽しみです。

 

 

しかしまあ、今年のWWDCは目玉ばかりでしたネ。ハードの発表が少ない‥‥と言われていた過去からすれば、大感謝祭セールのような賑やかさ。

 

まずは、iMac 5Kの新型。

 

外見はほぼ変わりませんが、「iMac 5Kに欠けていた要素」が補われて、しかも価格が安くなりました。試しにBTOで「映像制作向け」のスペックで見積もったところ、30万を切る価格になっていました。メモリは後で増設するとして(Appleストアでメモリを増やすと凄く高くつきます)、CPUやFusionドライブを最上位にアップして、テンキーのワイアレスキーボード、トラックパッドなどで構成しても29万円台。私が買った時は33万円オーバーでしたから、3万円も安くなって、そのぶん、メモリ増設資金に割り当てられますネ。

 

特に、Thunderbolt3(USB-C)、最高64GBのメモリ、P3の色域は、新型を買うのに十分な理由です。Thunderbolt2がThunderbolt3/USB-Cにリプレースされたことで、Cintiq Pro 4Kモデルも本来の4K解像度で繋げるようになりますネ。

 

ちなみに、iMac 21.5インチの方は相変わらずの割り切りスペックで、映像制作用途には適しません。32GBメモリの環境で何年も作業しているので実感していますが、凝った映像作りをしようとすると32GBでもメモリは全然足りません。オンボードメモリで最高でも32GBメモリしか搭載できない21.5インチモデルは、実質、対象外と言えそうです。

*分解レポートによると、21.5インチMacも、正確にはオンボードではなく、スロットに差すタイプのメモリのようですが、現行のiMacを分解する事自体が、かなり厳しいですよネ。

 

 

そして、iMac Pro

 

ネットでは、「こんなスペック、何に使うんだ」との言葉も見かけますが、4Kのカットアウト・キーフレームアニメーションで、しかも60pにも意欲的に対応するのなら、「ようやく、出てくれた」感じのマシンスペックです。劇場スペックの繊細な絵作りを目指した4K映像、かつ、極めて大きな処理能力を欲する新世代のアニメーション技術においては、iMac Proでようやく「何とかなるかも」的な印象です。

 

いわゆる標準的なカットアウトアニメーションにあるような「大雑把に切り分けた、切り貼りアニメ」ではなく、繊細に描かれた絵を細かいパーツごと(髪の毛1本、まつ毛1本とか)繊細な動きで映像を作り、しかもカメラワークなども考慮して5〜6Kが基本サイズ‥‥となると、1カットのレンダリングに、従来マシンだと50〜80時間かかるようなことも珍しくないので、性能が大きく向上したマシンの出現は願ったり叶ったりです。

 

2Kで二値化で24コマなら、今のスペックでも良いんですけど、4Kで階調トレスで48〜60fpsともなると、現在のマシンは過去のスペックとしかいいようがありませんでした。ここ数年停滞していたマシンの処理速度の状況が、ようやく少し前進するかも‥‥といったところです。

 

 

そのほか、次期macOSのHigh Sierraの「APFS」(新しいファイルシステム)も気になるところですし、iOS 11で使い勝手が向上するiPadも楽しみです。

 

 

 

こういう話題を書くと、思い起こされるのが、アニメ業界の往く先‥‥です。iPad ProもiMac Proも、アニメ業界には無縁と言って、過言ないですもんね。アニメ業界の時計は、アナログ表示がデジタル表示に変わっても、ずっと70年代で止まったまま。

 

アニメ業界の問題は山積み‥‥のように思えますが、手の出しようもない「業界の総意」に思考を巡らすのではなく、ふと、フラットにニュートラルに自分の手の届くことを考えてみたら、実は解決策は身近にあったんだと気付きます。手元にiMacやiPad Proがあるだけで‥‥です。なぜ、こんな簡単なことに気づけなかったのか、最近は「ちょっと時間を無駄にした気分」です。

 

世界全体が行き詰まって停滞しているのならともかく、行き詰まっているのは旧来のアニメ制作システムなわけで、アニメ業界の実情が「そうだから」といって、気落ちする必要はないです。アニメ業界と運命を共にして、場合によっては心中しなければならない‥‥わけじゃないですもんネ。

 

15年後の自分を想像してみましょう。紙と鉛筆で原画を描いて、1カットいくらの単価で稼いでいる自分が、まだ見えますか?

 

少なくとも、私は見えません。おそらく、そうした生活を続けていたら、15年後にはこの世には存在せず死んでいる‥‥とすら思えます。

 

iMac、iMac ProやiPad Pro、iOSやmacOS、そして来年出るとウワサのMac Pro。今年と来年だけでも、どんどん新しい道具が世の中に現れます。未来に次々と出現する新しい技術と道具を無視して、いつまでも70年代マインドを踏襲し続ける未来は、私には全く思い浮かびません。

 

ごく普通に考えて、「思い浮かぶ未来」、若しくは「そうでありたい未来」に向かって、現在の行動があります。昼飯はパスタを食べたい‥‥と思っているのに、昼前にご飯を炊き始める人はいませんよネ。‥‥なので私は現在、iPad ProやMacで絵や映像を描いて作るわけです。

 

 

まあ、何はともあれ、まずはこの夏は新しいiPad Proで、またもう、ひとふた稼ぎしようと思います。

 

 

 


タップ穴あけ器、その後

ライトボックスと合体したタップ穴あけ器ですが、実はその後、既に同じ目的(=印刷した穴にズレずに穴あけする)で作られた試作品があることを聞いて、かつ製品化もされていると聞いて、オドロキと同時に自主開発する気が失せました。

 

穴あけ機 70型

 

リンク先を見てもらえば解る通り、完璧な業務用。個人で持つもんじゃないですネ。

 

3Dガイドの出力など、現場では少なからずニーズがあった‥‥とのことで、試作品を経て製品化されたようです。

 

 

まあ、実を申しまして、紙やタップとの付き合いもどんどん減らしていきたいこともあり、同じ目的で作られた製品や器具があるのなら、自分で試行錯誤するのも必要ないかな‥‥と思っております。やっぱり、「紙戻し」はできるだけ避けたいですもんネ。

 

また、一分一秒を争う作画作業・作監作業で、私がタップ貼りをするのを見かねてくれて、制作さんが援護してくれたこともあり(申し訳ない‥‥)、余計、なんとか紙の世界から脱出せねばと思った次第です。

 

 

でもまあ、昨今の作画事情、iPadやペンタブで作画しないと、色々とおっつかない部分は多いです。紙での作業は限界をひしひしと感じます。でも、色々な事情で、紙で運用し続ける現状は中々変わりません。まあ、現場における機材調達や制作システムの移行の難しさを考えれば致し方なし‥‥です。

 

作監までiPadやペンタブでできたら、すごく作業効率が上がるし、クオリティもより一層底上げできるんですけどね。まだまだ紙が主流だから、しょうがないです。

 

 


難しいランク分け

一律単価ではない、単価を変動させる試みは、原画も動画も実は過去に実践したことがあります(原画に関しては20年くらい前に)。ただそれは単なる口添えや要望で実現したことであって、システムを作って組織的に運用できたことは一度もないです。工程の監督職という肩書きと責任と権限をもって、原画や動画の単価に内容に応じた段階・ランクをつけるよう制作プロデューサーに要望して何とか実現してもらった‥‥という程度です。

 

なので、その作品が終わればまた元の通り‥‥です。

 

なぜ根付かないかと言えば、

 

  • ランクをつけるのに、根拠が曖昧
  • ランクをつける手間がかかる
  • 作業者の間で不公平感が出る

 

‥‥ということです。まず「人との繋がり」を重視するプロデューサーに「金額を分け隔てる」ことに難色を示され、作業者の何人からは(特にランクの低いカットを担当する人)不満が出るわけです。

 

変動制を導入するには、合理的な基準が必要です。

 

しかし、「原画」という工程そのもの自体が、事前に価格を決めにくい、厄介な性質をもちます。

 

とはいえ、原画を取り囲む状況は、悩ましい限り。

 

 

現在の単一単価のシステムはあまりにも理不尽です。「技量を見くびられて簡単なシーンを割り振られる作業者の方が稼げる」「手を抜いて雑な仕事をした人ほど稼げる」なんて、耳と目を疑うビックリ仰天なシステムです。

 

そんなシステムが出来上がっちゃっていて、「新人が育たない。うまくならない。中堅がいない。」なんて、当たり前だと思います。どんなにがんばっても、頑張れば頑張るほど、うまくなればなるほど、どんどん稼げない方向に追い詰められるシステムなんて、人がいなくなっても当然ですよネ。

 

派手なアクションシーンは、キャラの小芝居のカットの5倍も10倍も時間と手間がかかっても、単価は同じで、交渉すれば1.5倍程度。どんなに交渉しても2倍。難しいカットだからって、ホイホイと5倍10倍の単価になんかなりません。あからさまに難色を示されながらメゲずに交渉して2倍くらいになれば御の字です。私は、そういう交渉をずっと個人でし続けて、ぶっちゃけ、90年代を最後に擦り切れてしまったのです。

 

見方を変えれば、「簡単なシーンを担当する人にお金を回すために、難しいシーンを担当する人が負担を強いられている」とも言えるでしょう。「そんなつもりはない」と言っても実質そうなのです。

 

だったら、最初から、システムとしてカットの難易度をランク分けして、作業を受発注する際にちゃんと明瞭に料金システムを示して、「簡単な内容のカットは安いです。難しい内容のカットは高いです。」と明言すれば良いのです。

 

‥‥とここまでは、意気揚々。

 

原画のランク分けが難しいのは、これから先です。

 

 

誰がどう言う基準で、ランク分けするのか。そのランク分けする作業にちゃんとコストは払えるのか。

 

うーん。如何にも難問です。

 

作画監督が何となく自分の感性と感覚で、ランク分けする‥‥なんて、曖昧にもほどがありますよネ。

 

また、ランク分けするには、標準値を定める必要がありますが、原画作業の標準って何?

 

仮に、原画の標準作業が定義できたとして、ランク分けを標準単価のー50%〜+50%に分けたとしましょう。単価5000円だったら、下は2500円、上は7500円です。‥‥‥‥‥下は2500円? こりゃどうにも安すぎますね。レイアウトと原画(今でいう1原2原両方)で2500円なんて、私が原画を始めた30年前のレベルです。

 

つまり、ランク分けしたからと言って、現在の原画の単価が安過ぎるので、プラスはともかくマイナスは成立しないのです。現在の原画料金は最低価格なので、上乗せしか通用しません。

 

どういうことが起きるのか。プラス方向にしか原画単価が変動しない‥‥となれば、制作費全体が向上しますよね。

 

ただでさえ、「お金ない」と言ってる現場ですよ。‥‥簡単に増額できないからこそ‥‥。

 

 

 

とまあ、ちょっと思索しただけで、簡単に「アイデアは頓挫」します。

 

なので、ず〜〜っと前から書いている「新しいアニメーション技術体系」に行き着くのです。そもそも「原画」の料金云々を問う前に、「原画」そのものの存在意義と未来における有用性を問うわけです。

 

まずは、絵コンテという作画作業の出発点から見直して、作画の技術体系そのものを変革していく必要があります。絵コンテでカット割りをする事自体が、既に古い時代の技術的習慣に基づいていますしネ。After Effectsにはカメラオブジェクトという仕組みもありますし、「コマ割り」感覚だけでなく、カメラ感覚を意識したシーン・ショットを導入しても良いように思います。

 

絵コンテというカット割りシステムも変わり、原画という作業自体も大きく形態を変えます。

 

私の構想では、原画作業は、レイアウトとモーションと線画とキーフレーミングに作業分割されます。つまり、かつて原画と言われていた作業工程は消滅し、新たな工程に分かれます。ここでは細かく書きませんが、レイアウトとキャラ描きと動きを必ずしも一人で作業する必要がなくなるので、作業者の特性に合わせた作業分配が可能です。

 

私が原画単価の変動制の具体性に言及しないのは、上述の通り、原画の工程自体が分割されて、一式料金もあれば変動単価もあるので、特にこのブログで「原画作業」について積極的に語る必要性がない‥‥からです。

 

 

清書作業の作業費変動制は、すぐにでも実現したい案件です。ニーズがあるからです。

 

しかし原画は‥‥。すくなくとも、カットアウト・キーフレームのアニメーションでは、原画としての作業発注はありません。それは原画の技術が必要ないということではなく、「原画」という旧来の作業工程が存在しないだけです。原画に必要だった技術は、新技術においても変わらず必要です。新しい作業スタイル・技術体系に、絵を描く能力、絵を動かす能力が再編入されるだけのことです。

 

 

 

‥‥で、ここまで書いておいて何ですが、オールデジタル・ペーパーレスの時代になっても、原画動画のシステムはそのまま健在だと思っています。私自身、原画動画システムとキーフレームアニメーションのハイブリッドも想定しています。簡単にキーフレーム系・カットアウト系で、映像作品的叙情が醸し出せて、全カットを処理できるほど、技術の進化は容易いものではありません。

 

ですから、実は原画料金の問題は、いずれはまた立ち向かわなくてはならない難問ですが、現在は新技術のほうで手一杯です。ヨチヨチ歩きの技術を育て上げる方が責務です。

 

 

 

 

ただ、原画技術の行く末はどうなっていくのか。暗い気持ちになります。

 

1原2原というシステムが、原画技術をレベル維持する目的に関しては、どんどん悪いベクトルに邁進しているように思います。そりゃあ、デッドラインに間に合うかも知れませんが、その後は何も生まれない。育たない。

 

私は18歳の頃から原画を本格的に描き始めましたが(=学校を卒業したから)、2週間で50カットのペース、1ヶ月100カットを描いておりました‥‥が、現在の線の多過ぎるキャラでは絶対無理です。最近、原画を描いて、しみじみ実感しました。

 

まあ、ギャラが倍になったので、50カットでも良いのでしょうが、レイアウト・1原2原の原画一式で、描き飛ばさないでちゃんと描いて、50カットだってキビしいんじゃないんですかね。それに、50カットやっても、20万そこそこでしょ。世間の価格上昇の差分は計上できていませんしね。‥‥う〜〜ん、原画という作業形態の未来が見えない‥‥。

 

アニメという産業は、若者の夢を喰いものにして成り立っている産業だ‥‥と、知り合いの業界人の方が言っていましたが、現状で言えば、その言葉は決してオーバーではないのかも知れません。

 

私がアニメブームと言われる状況にどうしても失笑を禁じ得ないのは、ぶっちゃけ、現在のアニメ制作の状況が、私の30年間の映像制作の経験の中で、最悪と言っても良い状態だからです。ジジイの言い草に聞こえるかも知れませんが、正直、「昔はもっとマシだった」‥‥です。

 

アニメブームかぁ‥‥‥。キツい皮肉だよなあ‥‥。


作画から離れてたわけ

私は、2000年くらいから、それまで作画がメインだったのをシフトし、コンピュータを扱った映像制作をメインに切り替えていきました。大きな理由は2つで、1つはコンピュータの画像・映像データをベースにした映像表現に大きな広がりを感じ、かつ、コンピュータを用いた制作運用スタイルに飛躍的な効率化と合理化を見出したからです。そしてもう1つは、このところ何度も書いている話題ですが、一律単価ベースの原画作業では将来的に稼げないこと(=生活が破綻すること)が判りきってしまったからです。

 

つまり、原画単価の仕事を続けている以上は、稼げないし、貧乏から抜け出せないし、ゆえに生活がままならない‥‥ということです。やっぱりね‥‥、自分の年齢x10,000は月々稼ぎたいわけですよ。作画をはじめとした映像技術の仕事は、そこらへんにいる若者に声をかけてアルバイトで成立するような仕事内容ではなく、老いも若きも男も女も立派な技術職ですもん。

 

止め口パクやワンアクション程度のカットが多いシーンを担当するような人ならば、もしかしたらテレビの原画のみで月40万とか稼げるかも知れませんが(キャラの線が猛烈に多い現状だとかなり難しいと思いますけど)、メカとかアクションのシーンを割り振られがちな人は、原画単価が最低でも1〜2万くらいでなければ、40万の稼ぎなんてほど遠いです。

 

でも、そんな万単位の単価って、劇場アニメとかオープニングとか、クオリティを要求される作品だけで、恒常的に1万円越えの単価の作品がよりどりみどり‥‥なんてことはないですよネ。

 

なので、作品拘束(当該の作品を作業する期間は、月々の定額で作業量を支払う形態)で原画作業する「劇場作品渡り鳥」になるのが、定額でそれなりの額を得る手段となりましょう。でも、そんなに都合よく、大型作品が切れ目なく存在することもないのです。

 

現実的な路線としては、

 

  • 単価の原画を受注して
  • 作品拘束で作業する期間もあり
  • 作品初期段階にデザインやイメージボードなどの「作画の副職」も手がけて
  • 作監も引き受けたりもし

 

‥‥のような「作画のフィールド内でマルチに作業する」ことで、なんとか自分の年収を保つしかないわけです。

 

「マルチに作業する」???

 

だったら、作画のフィールド内に限定する必要ないじゃん。作画外のフィールドでも映像に関する技術を活かして仕事にすればいいじゃん。

 

作画だけでなく、映像の様々な技術を覚えて仕事にしていけば、色々な収入源を確保できるじゃん。

 

‥‥私が「作画から離れていった」大きな理由です。

 

まあ、他にも大きな理由=映像に必要な技術をひと通り習得できて、作画だけでは不可能だった作品制作の広がりを得られる‥‥というのもありますが、生きる上で大切な「お金」の話で言えば、そういうことです。

 

仕事は、自分の現在だけでなく、未来の運命も左右します。‥‥だとすれば、限界の見えすぎている一律単価の原画作業を、自分の仕事のベースにし続けるのは、如何なものでしょうか?

 

 

つまり、原画だけでは一生喰っていけないのは判りきってて、どう対策をするか‥‥ということです。

 

まさか、50代になろうとするアニメーターが経験の浅い若年の同業者に向かって、「俺は50代になっても、月20万くらいで、年収は300万にとどけば良いほうだ。それでもなんとか生活はできる。だから、みんなも同じ境遇で良いだろう。」なんて言うのだとしたら、「地獄に道連れ」な酷い話です。私は「極めて専門的な技術職の人間が、年齢x12万の年収が得られないなんて、異常だ」と思いますから、どうやって苦境から抜け出すべきか、抜け出せるのかを一緒に考えて話していきたいです。

 

キャラデザインと総作監、版権イラストなどが次から次へと依頼がある人なんて、作画スタッフ人口の中で極めて僅かな人々だけです。それに(私のように)キャラの絵柄よりも作品全体の映像作りの方面に興味があって、当人の特性も絵作りに向いている人間もいるわけですが、そんな人間は原画作業だけではとてもじゃないが、高い報酬など期待できません。

 

アニメのような映像作品はさ、キャラだけ整ってりゃ成立するもんじゃないだろ? キャラデザと総作監でもしない限り、満足に稼げない‥‥なんていう現状、何度も書くけど、「作画の未来は真っ暗だ」と思ってしまうのです。

 

 

まあ、そういう逃れられない現状があって、自分の特性も鑑みた上で、「作画一本槍」の自分の仕事を変えて行ったのです。

 

アニメ制作の作画の現場から、一歩外に踏み出てみれば、1カット・1枚・1秒で作業する仕事なんて珍しいくらいです。

 

「あなたはどのような能力をお持ちですか? ふむふむ、なるほど。 ‥‥では、このひとかたまりの仕事を、こんな内容で、このくらいの額で引き受けていただけませんか。」

 

‥‥という1ミッション単位・一式の仕事のほうが主流です。コンセプトボード一式、ビジュアルエフェクトの担当シーン一式、表示系(ディスプレイ表示などのモーショングラフィック)一式‥‥という感じです。

 

一式で作業を請け負うと、全体の内容と予測作業量を鑑みて金額の交渉ができます。

 

少なくとも、大変なカットだけを寄せ集めて、各カットの難易度がどれだけ未知数か‥‥なんていう仕事を、「単価で引き受ける大リスク」は事前に防げます。1カット1日かかるような劇重のコンポジットを、秒あたり数百円で伝票切られたら、たまったもんじゃありません。

 

以前アニメ作品で、いかにも大変なシーンを寄せ集めて、撮影作業(コンポジット)を秒単位単価で依頼されたことがありましたが、きっぱりお断りしました。手に負えないようなカットを集めて、ちょっと何割か色付けした程度の秒単価だと???? 「ふ・ざ・け・る・な」‥‥ということです。アニメ業界は単価が好きだよねぇ‥‥。

 

 

しかし、作画の現場では、その「ふ・ざ・け・る・な」が、言い出しにくい雰囲気が、一律単価制度によって形作られていますよネ。私が作画の現場が嫌になって、他に活路を開いた由縁です。作画に従事する人々は頼もしくて義理人情も厚くて大好きですが、作画の料金システムは大嫌いなのです。

 

作画の現場から一歩も外に出たこともなく、作画以外の仕事を引き受けたこともなく、アニメの仕事しか知らないと判りにくいことかも知れませんが、アニメの作画の料金システムは、相当「理不尽」ですよ。技術が向上すればするほど、大変なシーンを依頼されて、金が稼げなくなる「不思議なシステム」なのです。普通さ、技術が上がって、スタッフとしての希少度が上がれば、ギャラって高くなって当然じゃないですか。それがアニメ業界ではなかなか難しいのです。

 

 

もちろん、そうではない現場もあります。私が今の会社にいるのも、条件や環境が良く、色々なタイプの映像の仕事が豊富だからです。

 

しかし、そうした作業現場は、決して多くはないです。かなり少ないと言っても過言ではありません。環境の良い現場で仕事ばかりしていると、耳を疑うような状況の作品制作を知人たちから聞くことがありますが、でもそちらのほうが業界の現状のメイン‥‥のようです。

 

理想は、原画・動画の高い作画技術を有したら、作画作業だけで引退するまでの収入が成立することでしょう。でも、それは今の一律単価制度では作業内容に偏りが生じて無理です。

 

現実的な路線でいけば、自分の能力を足場にして、色々な仕事を受注して、アニメ作画以外の収入源を確保することです。

 

原画だけじゃ喰っていけない、老後破産は確定だ‥‥なんていう状況にあぐらをかいて成立している、今のアニメ作品の安普請で乱造状態をして、「アニメブーム」とか言うのだとしたら、失笑以外ありえないですよネ。

 

 

 

私は最近また作画作業をしていますが、新しいアニメーション技術を構築する取り組みの一貫です。決して、一律単価受注の原画作業に戻ってきたわけではなくて、新たな技術基盤を確立するためにアニメ作画の機材を用いて実践し、たまに作画の仕事も引き受けてリサーチしているのです。

 

100年前には、アニメーション映像作品は実験の域を出ませんでした。蒸気船ウィリーが1928年‥‥でしたっけ。つまり、今、当たり前のように存在する「手描きのセル重ねで作る」アニメの産業は、100年の歴史もないのです。歴史上の娯楽産業がそうであるように、アニメ産業も100年後に存在する保証はどこにもありません。

 

アニメの産業の、短い歴史における「伝統」とか「様式」とかに固執してどれだけ有効か。私とて生まれた頃からテレビアニメがあったので、何かアニメは普遍的な存在のように感じることもありましたが、100年にも満たない歴史に普遍もクソもないです。次の100年には忘れ去られている歴史の1コマかも知れません。

 

そう思えば、スッと気が楽になります。100年に満たない「伝統」「様式」なんて、変わっていって当然だと。

 

今の作り方や現場が限界だ‥‥と思うのなら、なぜ、同じことを繰り返すのか。

 

2020年代から先の未来を志向した、新しいアニメーション技術の体系作りに、各所の人々がチャレンジしてみても良いんじゃないですかネ。

 

 


70年代思考=紙=単一単価

定期的に、動画の単価は今の何倍の何百円は必要だ‥‥の文言をツイッターとかで目にするのですが、私が思うに、単価はいくらが適正か‥‥なんて固定単価の額面を議論する時点で、未来はとても暗い‥‥と感じます。

 

私が「未来の暗さ」を「一律単価の話題」から感じ取るのは、「単一単価=線が少なかった昔のアニメ制作=作業費のどんぶり勘定=70年代=解像度の小さな用紙と鉛筆で済んでいた時代」を連想し、現状とのあまりにも大きな齟齬と、過去のシステムから一向に発展できない状況に対する、強い閉塞感と挫折感に苛まれるからです。

 

横線3本の開き口(クチパク)の動画と、模様と装飾だらけのヒロインキャラの動画が、一律単価で取引されているのは、いかにも「線が少なくて品質基準も低かった」70年代のテレビアニメ量産時代の習慣の延長線上です。

 

最近、ふと気づいたのですが、70年代に基盤ができて80〜90年代に発展した日本の作画技術の中で、まさに「当事者」を自覚してやまないタイプの人は、紙を用いた作画=「紙と鉛筆」に固執する傾向が強く、現場の問題提起にしても「単価を上げろ」という論調に傾きがち‥‥だということです。

 

特に深刻だ‥‥と思うのは、当の作画する側が「単価はいくら」と「単一の単価の習慣」から離れられない強い傾向です。「単一の単価でバランスできる」と思い続ける意識の人間が現場の中枢を構成している以上、現場の未来(人材の育成や長期雇用なども含め)はどっちにしろ好転はするはずもない‥‥と、最近では強く思うようになりました。

 

 

「どうやって作業内容が大変か楽かを判断したら良いのか、基準がない」‥‥と言うのは、確かにその通りです。紙に描かれた線画をただ目で見て独自の感想を述べるだけじゃ、測定する基準がないもんネ。

 

私はカットアウトアニメーション・キーフレームアニメーションで用いる絵の、最終段階の清書を自分で作業することも多いので、線を描くのにかかる作業時間の目安・基準を把握しております。‥‥というか、誰でも、清書作業をしたことがあれば、知っているはずです。「線が多ければ多いほど、丁寧に清書すれば、時間はかかる」というあまりにも簡単で単純な作業構造を‥‥です。

 

コンピュータのデータとして線画が存在すれば、線画の画像から、線の量(=画素の量)はコンピュータでカウントできます。

 

紙のまま運用される紙の作画システムでは無理ですが、ペンタブやiPadで描いた「デジタル」の線画は、描かれた描線の量をデータから計測することができます。

 

中間値をどのように査定するかなど、アルゴリズムによって結果に多少の差は出ますが、口パクの絵とドレスを着たヒロインの絵の2枚の絵を比較して「同じ内容だ」と判断するほどズボラでマヌケではありません。どのようなルーチンでも、大体似たような結果=「絵によって内容が違い、作業時間も異なる」ことを示す計測値が出るでしょうし、透明性・公平性を保つため、スキャンアルゴリズムはオープンソースにしても良いでしょう。

 

もちろん、線の多い爆発のケムリと、ヒロインの感情を込めた顔のアップを比較すれば、同じ線の量でも、内容の重要度に大きな差はあるでしょう。動きの難易度も作業時間に影響します。でも、まずは線の量から、動画の「作業時間量」を検出して、作業費に反映させる「くらいのこと」は始めても良いと思います。「デジタル」を作画に導入するのなら‥‥ネ。

 

まあ、これは動画や清書の工程だけに通用するルーチンなので、原画やペイントや美術には独自の仕組みが必要だとは思います。例えば、原画に関して言えば、「演技」「構図」と言った、「清書」「中割り」とは違う技術が必要とされ、簡単には変動制を導入できないでしょう。とはいえ、止め口パクのカットと、キャラが銃弾と爆発を避けながら手前に走ってきて銃撃するカットが、同じ単価なのはどう考えても異常です。原画マンのモチベーションに頼るような作業システムなんて、技術レベル維持の観点から見たら危うい限りですが、アニメ制作現場は今も昔も同じことを延々と続けているんですよネ。

 

 

いったいどこの世界に、大きなマグロも小さなマグロも、同じ価格でセリ落される市場があるのか。デカいマグロは高価にきまってるじゃん。醤油ラーメンと全部のせチャーシューメンを同じ600円で提供するラーメン屋なんてどこにあるのか。新宿に往復1000円で行けるからと言って、東京から函館に往復するのに1000円の交通費しか渡さないなんてありえんでしょ。

 

内容に応じて、価格や費用なんて変わってあたりまえ。

 

そのあたりまえが、アニメ業界では、長い期間、通用しないままです。

 

 

アトムやスーパージェッターのような線の量で済んでれば、そりゃあ、一律単価のどんぶり勘定でも、どうにか受け流せたかも知れません。しかし2017年の現在、60年代当時のアトムやエイトマンスーパージェッターのクオリティでOKなアニメ作品制作って皆無でしょう?

 

もし、生産業のカウンセラーがアニメ制作現場を精査し始めたら、あまりの状態=深刻な問題だらけで卒倒するかも知れませんよネ。品質要求も作業に必要なコストも60〜80年代とはあまりにも大きく違うのに、なぜ、今まで作業基本構造に対して何も改善・改革せずに放置し続けたのか‥‥と。

 

 

 

アニメ業界はさも窮状を訴える被害者のような顔をしますが、コンピュータを始めとした現代の技術をどのようにアニメ制作の効率化に活用すべきかも考えず、効率の極めて悪い70年代の制作方法を延々と踏襲し続け、アニメーターはコンピュータ関連機器を鉛筆の代用品くらいにしか考えず、猛烈に効率が悪く損失率も高い方式を続けておきながら、「現場には金がないんです」って言っても、「まず、外界に窮状を訴える前に、ご自身の浪費と消耗の体質改善をなされてみてはいかがですか」と言い返されて「終了」です。

 

効率化って、当人たちの意識と行動次第なんですよ。アニメって、必ずしも絵コンテ・原動仕・美術・撮影の分業体制という型を踏襲しなくても作れるんですよ。作業を野放図に多人数にバラ撒かずに、少人数で効率的な作業フローを実践して完了させれば、一人に充当できる作業費も大きく向上できる‥‥と、本人たちが「自分ごと」の意識で取り組めば、効果はすぐに形になるのです。

 

効率化や近代化を「誰かが与えてくれるもの」と考えて、どっかりとイスに座ったまま作画だけしてたって、何ひとつ進展しません。作画の人間、特にキャラデザインと作画監督が近代化と効率化に向けて積極的に中心人物として動き出さない限り、作画の現場なんて結局変わらず、うわべだけ「動画の単価が数十円アップしました」という「現場の怒りを受け流す」対策に終始するだけです。

 

 

70〜90年代のままがいい。昔のアニメの作り方が好き。‥‥そうした個人の幸福感や思い出まで他人が干渉して指図するのは、「余計な御世話」だと思います。

 

しかし、そうした個人的な感情が制作システム戦略の意思決定に持ち出されて、技術や運用システムの近代化の足枷となり、現場の発展や改善を阻害するのなら、個人の感情など決して持ち込んではいけないものだと思います。むしろ、個人の感情と実質的な現場の取り組みは明確に分離すべきであって、昔の良き思い出は個人の胸の中に秘めるだけにしておけば良いです。

 

70年代システムの影響下にある、昭和30年代生まれ、40年代生まれ、50〜60年代生まれ、平成0年代(元年)生まれの人々が、2020年以降の日本において、どのような選択をして、どんな進路を進んでいくか。特に、昭和30〜40年代生まれの人間は、もうそろそろ「最後の分岐路」の前に立っているように思います。

 


最近、作画スタッフ募集の要項で「作品提出〜ただし、デジタルは禁止」という条件を、耳にしました。意外に思うかも知れませんが、私はその条件には賛成です。当人の生の画力や状態をジャッジする際に、デジタルだといくらでも「隠れ蓑」が可能だからです。デジタルは、描線をごまかせちゃうのです。

 

生の紙と鉛筆の描線は、形を捉える際の筆致・筆跡だけで、その人間の状態がわかりますし、清書かラフ描きかによって変化する線質の違いも、その人間の特性を示すからです。コンピュータに適当にアシストされるような状況では、本人が今後何十年も背負って生きる「絵」の本質が見えてきません。その点、鉛筆や水彩などで紙に描いた絵は、モロにその人間の技術力が反映されます。

 

人材の能力をジャッジする際に、何のフィルタもアシストも通用しない、生の紙と筆致による提出作品が適しているのは、とてもよく解ります。

 

過去に何度も書いていることですが、デジタルは当人の無能を補うツールではなく、能力を拡張するツールです。

 

デジタルで一時的に、自分の能力を補って取り繕っても、やがてそのバケの皮は剥がれて、より一層、辛辣な現実と向き合うことになりましょう。絵を上手く描けるよう努力しなかった人間が、デジタルの助けを借りて「コラージュ」しても、やがてバレる時がきます。

 

絵が上手くなりたいのなら、周囲の人間の「普通の価値観」なんて顧みずに、狂ったかのように無我夢中に絵を描きまくってこそ‥‥でしょう。「あの子、どうしちゃったのかしら」とお母さんが心配になるくらい、少年少女時代に絵を描いてこそ‥‥です。

 

私はコンピュータのリソースを最大限に活用するように努めますが、それは決して、「画力をデジタルでごまかす」目的ではありません。むしろ、画力を持つ人間の絵が、今まで以上に映像に反映されるようにする「拡張」「伸長」の技術です。

 

「デジタル」は、絵を描くのに挫折した人間の「集合場所」であってはなりません。私は絵が上手い! 自分は強い! ‥‥と紙やタブレットなど手段を問わず描き続けてきた人間が、これから未来の映像フォーマットにおいて十二分に力を発揮するために「デジタルを用いた作画」はあるのです。

 

なので、作画の人材選考において、「デジタル不可」はとても良い方針だと思います。当人の絵に対する生き様が、筆致から読み出せますもんネ。

 

 

ただ、今後のアニメーション映像作品制作においては、紙と鉛筆は「映像フォーマットに対して不適合」と言わざる得ません。画力を育成する際の「紙」と、現場を運用する技術基盤の「紙」は、別のフィールド、カテゴリで語られるべきでしょう。

 

私はここ最近、久々に紙ばかりと向き合ってましたが、もはやHDの現在でも、映像フォーマットに不適合であると思い知りました。線の少ない昔ながらのキャラ、例えばパズーくんやシータさんのようなキャラでもない限り、UHDに対応できる見込みはありません。

 

スキャンで潰れることがわかっていながら、細かいキャラ表に合わせて鉛筆で描くことの虚しさといったら‥‥。

 

A4〜B4サイズで150dpi・二値化の現実から目をそらして生きるのに、この先、どれだけ猶予がありましょうか。

 

我々は今後、高品質映像フォーマットと向き合って作品制作を続けなければなりません。昔話や思い出話で見ないふりしても、現実は確実に立ちはだかってきましょう。

 

私の中ではすでに「もう、紙はダメだわ」という感慨でいっぱいです。現場で用いられるA4〜B4用紙に鉛筆で線を引いても、150dpiで二値化している時点で、現行のHDのポテンシャルすら引き出せませんよネ。UHDになったら、どう運用していくつもりか、業界はまさに「ノーアイデア」でしょう。

 

春先に作業したエンディング映像の、4K60pで再出力した(iPadで4〜6Kで線画を描きました)映像を見ましたが、たとえ20Mbpsの1/100の圧縮率(オリジナルのProRes4444/4K/60pですと2.5Gbpsです)の配信用途のムービーでも、細かいディテールの1つ1つが緻密に動く別次元のニュアンスを実現しており、UHD時代に耐え得るアニメの質感を実感しました。紙では到底不可能な描画領域です。

 

描画の概念が移行し、描き方も変わり、団塊ジュニア上半期の人間たちが60代のおじいちゃん・おばあちゃんになって引退する頃に、紙の時代も終わるのかもなあ‥‥と感じます。

 

 

紙は、人材の能力を見極める際、「ごまかしのきかなさ」ゆえに、とても有効な素材となりえます。しかし一方で、紙の物理的サイズゆえに今後の映像フォーマットの進化には追随できない素材でもあります。

 

今後、制作現場はどのように紙とつきあっていくのか、成り行きは果たして如何に。

 


しみじみと

最近、色々なスタンスの仕事を引き受けて、しみじみ、アニメのような映像作品作りは、バックヤードの状況が映像に表れるものだと感じました。丁寧に長期間かけて準備するテレビもありますし、劇場スペック並みのクオリティを目指すテレビもありますし、時間の極端に少ないテレビもあり‥‥と、金ー時間ー品質の関係性は、なんだかボルトとワットとアンペアみたいなもんだなと改めて認識しました。

 

かつてのバブル経済やリーマンショックがそうであったように、第三次アニメブームなんていわれる現在の状況も偽装構造によって成り立っていると言わざる得ません。中小規模の制作母体でもアニメが作れるようになったここ10年の傾向は、その反動として、急速に業界の基盤を劣化させ、制作システムを老朽化させるに十分だったのでしょう。内部のことが解らない門外漢の人々は浮かれてもしょうがないとしても、インサイダーである制作現場側の人間は、以前のアニメブームの時と比べて、現在の「第三次アニメブーム」がどのように異なるのかを、しっかりと認識しておく必要がありましょう。

 

特に深刻に感じるのは、作画技術の層が急激に痩せている現実です。‥‥なので、ちまたでは「人材の育成を早急に」との言葉が各所で聞かれるのでしょうが、現場に金がない時点で「技術継承」「人材育成」なんて無理なんだと悟ります。技術を継承し人材を育成するにも「金ー時間ー品質」の関係性はついてまわります。

 

時間がなければ、自分の作業をストップして新人に人体やらパースやら平面構成やらの技術をレクチャーすることはできません。私がこの1〜2ヶ月、テレビシリーズの作監を請け負って全く身動きがとれなくなった様子を同僚が見て、「技術の育成、現場の技術力といったところで、仮にこのフロアに作画の新人がやってきたとして、江面さんはその新人に教えてる時間なんて、今ある?」と言われて、しみじみ納得。‥‥たしかに、テレビに関わっている以上は、毛頭無い‥‥ですネ。

 

線がめちゃくちゃ多い昨今のキャラ、ビデオグラムありきの高い品質要求度、期間の短いスケジュール。つまりは、中堅、ベテランが忙殺されるということは、新人が育たないことと同義なのです。

 

そして、パースも美術解剖も平面構成も習得しないまま中堅になってしまったスタッフが第1原画で「形だけのレイアウト上がり」を乱発する‥‥なんていう絵に描いたようなマイナスなスパイラルが発生もします。第1原画だけ作業するので、自分の原画がどのように修正されたかも解らず、技術の自己同期・フィードバックがなされないまま、どんどん歳だけとっていく‥‥というさらなる悪循環まで生じます。

 

新人の時代に右左がわからないのは、決して悪いことではないです。むしろ、当然です。問題は、そうした右左もわからない人間にたいして、技術の継承・伝達がなされず、人材育成が実質上機能しなくなった現状です。

 

で、ぎゃふん、と言われるかも知れませんが、そうした現状はどうにもできないでしょう。なるようにしかなりません。過去から現在へと続くアニメ業界は、誰かモーゼのような高潔な指導者が導いたわけではなく、なんだかんだ言いながらも、なるがままになってきたのです。

 

強固な新人育成プログラムが各現場に明確に確立されていたわけではありません。そもそもフリーランスのアニメーターが会社に席をおいて作業する際に、いきなり新人を指導する立場になるわけもないです。フリーの集まるフロアになんとなく新人や若年を育てる「隣組」みたいな雰囲気があっただけです。会社に所属しているアニメーターが新人を指導することもありましたが、腕が立ってくると独立して、さらなる広範囲な技量を習得するためにも、色々な現場を渡り歩くようになっていきました。

 

そうしたなんとない「人が育つ気風」が、いつしか「人が育たない気風」に変化しただけで、誰かが意図的に操作したものではないのです。世代人口の経緯、アニメブームの浮き沈み、人との関わり方における社会的な気風の変化も、影響していることでしょう。

 

人材を育成‥‥といっても、いきなり他社や他人の自宅に踏み込んで、技術指導するわけにもいかんじゃないですか。「じゃあ、このままで良いと言うのか?」と焦る気持ちもわからないではないですが、育成のメカニズムや実践のコストを計画しもせずに、ヒステリックに焦燥感、危機感だけを募らせても、状況は何も変わっていきません。「キモチの問題」だけで済むような甘い話ではないのは、一定の経験を有していればわかります‥‥よネ。

 

「じゃあ、滅びるしかないじゃん」と思う人もいるでしょうが、滅びるのをアホみたいに指をくわえて待っている人間だけで業界が構成されているわけでもないです。要は、滅びるところは滅び、生き残るところは生き残り、新たに台頭するところは台頭してくる‥‥という野生的とも言える自然淘汰がまた今回も作用するだけです。

 

滅びたくないのなら、滅ばないようにアクションすれば良い‥‥です。当事者たるそれぞれの、人、グループ、会社が‥‥です。

 

最近、テレビの作監を手伝ってしみじみ思ったのは、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」‥‥です。安全地帯で制作現場の未来を語っていても、結局は机上の空論ですもんネ。アニメーション作品制作の未来像を得るためには、キリングフィールドに立ち入って、未来のビジョンを見極める必要があったと痛感します。50代に入る前に、非安全地帯=危険地域の現状を身を以て体感したのは、未来を切り開く上での大きな指針となりました。

 

 

第2次世界大戦でドイツが失った人口は800万人で、現在のドイツにおいてもその影響は続いているらしい‥‥と同僚が話していました。同じく、アニメ業界がこの10年で失った事の影響を、この先の10年20年で嫌という程、思い知ることになるのかも知れません。

 

しかし一方で、日本では第2次世界大戦=太平洋戦争の反動として、団塊、そして団塊ジュニアの世代を形成したのも事実です。滅び、終焉というのは、新たな誕生のサインでもあるのでしょう。

 

ある一定の人々は、現在の状況に対して即物的に反応しがちですが、そうした日和見的感覚に巻き込まれることなく、大局を見据えてこそ、未来に「自分の望む生き方」を実践できるというものです。

 

ずっとアニメを作って生きていきたい? 映像作品に関わって一生を全うしたい? ‥‥だったら、その願いが成就するように、未来をしかと見つめ、順次的・累積的にアクションするしか‥‥‥ないですよネ。

 

私は、未来を諦めるどころか、逆に現状が見えたことで見通しが立って、どのようにすべきかが、数ヶ月前の自分より、明確に意識できるようにもなりました。新しい技術分野をどのように活かすか、そして「戦いの原則」をどのようにこれから未来の制作現場に当てはめて実践していくか、むしろ以前より積極的なキモチです。

 

ドラッカーの言う「基本と原則に反するものは、例外なく破綻する」という言葉は、個人の中にも、組織の中にも、技術体系にも制作運用にも言えることなのでしょう。

 

落胆や悲観などに限りある時間を費やす暇などありません。やることはいっぱいあります。「戦いの原則」を過去の歴史から学びつつ、どのように新旧の技術と織りなしていくか‥‥ということでしょうネ。

 

 


スタイル探求

アニメのキャラは、アニメーションの制作工程の制限を多く反映し、その制限事項がアニメキャラのスタイルを特徴付けています。‥‥なので、新しいアニメーション技法で制作する場合は、必ずしも、旧来の制限事項に沿う必要はありません。もちろん、新しい技法の制限事項に沿うことにはなりますけども。

 

では、新しい技法において、どんなキャラデザインのスタイルの広がりがあるのか。

 

それはもう、描いた人、次第。‥‥という、中々にワイルドな状況です。新しい技法で実現できれば、何でもあり‥‥ですもんネ。

 

iPadを始めとした「デジタル」で絵を描く利点は、様々な試行錯誤を様々なツールを用いて、様々にバージョンを保存しておけることです。何の気になしに描いてみた一枚の絵を、目鼻のバランスや髪型や色彩など色々とイジくってみたりと、A4用紙程度のiPad Proの中で自在に試作できます。

 

昔から、アニメキャラは鼻と口を非常に小さく描く傾向がありますが、最近のキャラクターはその傾向がより一層顕著です。とある監督さんが「そんなに鼻と口を描きたいくないのかなぁ」とおっしゃっていましたが、描きたく無いかは別として、今の時流の感覚として「人間の生きてるナマっぽさ」「実在感」よりももっと他の部分を引き立たせたいが故に、口と鼻には「遠慮してもらっている」のかも知れませんネ。「存在感」は欲しいけど、「実在感」は不要‥‥的な。

 

時流は時流として、何か違うアプローチはないものか、度々、iPadで落書きがてら試行錯誤しています。みんながみんな、同じ絵を描いて、「前に習え」する必要もないと思いますし(今の絵が好きな人が好きなように存分やれば良いのです)、せっかく今までの制限が消えた新技術においては、色んなスタイルのアプローチを試してみようと思っています。

 

例えば、「くりん」としたまなこの、可愛らしい顔立ちのキャラを、目をアニメっぽく大きくするでもなく、鼻と口を点と線で処理するのでもなく、違うスタイルで表現できないものか、iPadで時折描いています。実は、私の好みだけで言えば、大人っぽくて激しくてズルい女キャラ(Lady Double Dealer的な)のほうが好きなのですけどネ。以下は最近描いたもので、一枚の絵から色々とバリーションを作っています。

 

 

生産性にはほど遠い、いかにもスケッチのような状態ですが、線画からイメージすると「元の木阿弥」になることも多いので、あえて使用するペンは制限せずに、描きたいように描いています。新しい技術を前にした時、時には線画で絵を想像するクセから脱することも必要だとも思うのです。

 

それに、実制作においては一旦は線画の描き方に戻って生産性を確保して、その後のコンポジットの技術でこうした水彩画風・イラストタッチのスタイルで動かすことも可能になるので、キャラクター描写のコンセプトボードという意味合いもiPadで試せます。また、髪型を変えるような場合は、紙の場合は一枚の絵から変更するのは難しいですが(絵の具を除去したり上塗りするのは面倒ですし紙が痛んじゃいますもんネ)、iPadなどのコンピュータベースの絵なら大したことでは無いです。

 

 

去年と今年と、テレビアニメに久々に関わって感じたことは、テレビには絶対に死守すべき放映日という防衛ラインがあって、その中で様々な工夫が凝らされているということです。今の時流の絵は、逆の言い方をすれば、淘汰に生き残ったデザインとも言え、どんなに新しい技術が出てこようと、おいそれとはデザインやスタイルを変更できないし、変更するわけにもいかないのです。内情を知れば知るほど、関われば関わるほど、絵に全部色がついて、放映に間に合うだけでも、相当なものだと思います。

 

しかし一方で、新しい技術の取り組みも不断で続けなければ、世の中の映像技術についていけなくなり、旧式化の一途を辿るのも明白です。いきなりテレビアニメで斬新な技法を全面的に取り入れるのではなく、徐々に地ならしを進めることが肝要でしょう。

 

現在こなしていかなければならない仕事と、未来に生き残るための技術開発と、苦しい両面作戦をどのように展開していくかは、誰にも課せられた命題だとも思います。

 

そんな中で、私は、キャラにしてもストーリーにしても、普遍的なスタイルのものをいつしか志向するようになってきました。現在流行している絵にとびついても、10年後には古くなっていることでしょう。今、20代の人も、20年後には40代です。要は、時代性を象徴するようなデザインやスタイルは、必ずその反動が出て、古めかしくなっていくのです。

 

だったら、極端な味付けは極力抑えて、いつの時代に描かれてもおかしくないような絵柄に落ち着いて、丹念に熟成させるスタイルもあって良いかと思っています。もちろん、全てそうあるべきだと言うつもりはなく、数多いスタイルの中の1つとして‥‥です。

 

まあ、言うなれば、ジャズやクラシックのような絵でしょうかね。Bill EvansやWes Montgomeryのような音楽は、今でも色んなところで耳にしますし、ちょっと楽器のチョイスを変えてアレンジを小変更しただけで現代的な味付けも可能です。

 

音楽にも色々なジャンルがあるように、アニメにもこれからは色々なジャンルがあっていいように思います‥‥って、もう40年前に誰かが言ってたような気も‥‥しますネ。

 



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