ショボくて、目覚める

ClipStudioでレイヤー数が999が上限ゆえに、作業ができなくなって困る‥‥というのをセルシスのWebの要望・不具合掲示板で見かけて、色々悩ましいもんだな‥‥と思いました。

 

でもさ‥‥素朴な疑問なんですけど、999レイヤーを超過する原画や動画の描き方・フロー・メソッドって、そもそも制作費やギャラの採算にあっているんですかね?

 

単に作業者いち個人が、何でもかんでもレイヤー分けしたくて、むやみにレイヤー数が増えてるのなら改善の余地もありましょう。しかし、制作技術やフロー自体が容易に999レイヤー以上を求めるのなら、それはレイヤー管理の手間的にもマシン環境的にも、そしてその作業コスト的にも、大問題ではないですかネ。

 

古今東西、制作費やギャラもわきまえず、テレビシリーズ程度の作業単価でどんどん作業を重くするような人々が、アニメ業界をここまで劣化させた大要因でもあります。私が経験してきたスンゴい内容の大変なカットは、相応に凄いお金を1カットに費やして作ってましたよ。

 

 

加えて、根本的な問題は金だけでなく、「紙時代の作業を再現する」ことの限界を暗示しています。

 

その昔、1カットの原画と動画合わせて1千枚前後、透明の衣装ケース(「おかもち」と呼ばれる)で持ち運んだようなカットがありました。まあ、劇場作品ゆえの語り草のカットですが、そんな1カットが出現した時に、ClipStudioは何レイヤー必要なんでしょうかね。

 

ペンタブによる「原画・動画」作業に移行しても、紙時代と完璧な互換性を得ることは難しく、決して同じことはできないんじゃないでしょうか。

 

紙時代の作業スタイルを「デジタル」へ移植しようとするプロジェクトそのものに難あり‥‥なんじゃないの?

 

 

さらには、未来の行き先も深刻です。

 

999レイヤーで限界だ‥‥って言ってるのって、2K24pでしかも2コマ3コマ打ちの「エコノミー」な作業形式で既に‥‥ですよネ。未来にどんどん家庭レベルの映像フォーマットが高品質化した時に、果たして、旧来の作業スタイルを踏襲するだけの思考で、2020、2030、2040年代の新時代に合わせたアニメーション制作なんて可能なの? どう考えても、無理だよね。今でも精一杯なんだからさ。

 

 

「今までの自分たちの作り方」を根本的に見直すことも必要でしょう。

 

 

限界はあってあたりまえだもん。1996〜2000年くらいの時期って、それはもう、コンピュータのスペックは何もかもショボかったよぉ。2000年のBlood劇場版の時って、劇場アニメなのにムービーチェックはD1サイズで絵のクオリティはドットバイドットの静止画でチェック、サーバは500GB(!!!現在はハンディHDDでさえ1TB)でしたよ。

 

それでも、大枚を叩いた設備だったのです。‥‥時代の限界、、、スね。

 

でも、それだからこそ、良かったのです。限界を乗り越える習慣ができて、強くなれた!‥‥と実感します。

 

 

このあたりは声を大にして言いますが、

 

ショボくて限界が立ちはだかるからこそ、新しい発想や技術が生まれる

 

‥‥のです。

 

現場がしょぼいがゆえに、目覚める能力もあるのです。

 

使いやすくて極楽極楽‥‥なんて環境では、決して新しいものは生まれず、旧来の何かにどんどん「トッピング」を盛るだけに終始します。

 

危機感があるからこそ、備えるし工夫するし開発もする‥‥のです。

 

危機感がなければ、グダグダのベロベロのユルユルに意識は野放図に緩むだけです。今のままで何がだめなの?‥‥てね。

 

 

 

999レイヤーあっても限界だ‥‥なんて話を聞くと、もはや、作画に対する基本的な概念の転換期だと感じずにはいられません。

 

旧来の「作画の基本方式」自体が時代に合わなくなってると感じます。

 

 

 

限界にブチあたったことで得られる、新しい「気づき」の機会を、作業集団がどのように扱うか‥‥で、未来の運命も分かれましょう。

 

もし、作業集団のリーダーやチーフが、その「気づき」を頑なに拒もうとするのなら、作業集団の未来はどうなるのか、考えてみることです。

 

技術集団の未来を、その集団に属する人間が、年の若さに関係なく、しかと見極める必要があります。

 

一生の中で一番才能が伸ばせる20〜30代の時期を、どんな人と集団と一緒に過ごすか‥‥は、極めて重要な自分自身の問題です。

 

 

 

 


道具の誉れ

残念ながら‥‥と申しましょうか、どんなに愛着をもってコンピュータ機材を扱おうと、1990年代からずっと使い続けている機材は皆無です。ケーブルすら全てリプレース‥‥です。

 

コンピュータ機材は、リプレース・入れ替えが宿命。

 

コンピュータ本体はダメ、モニターもダメ、ケーブル=モニタケーブル(私はD-sub15pinはもう使っておりません)、USB(1.1ね)、LAN(10baseとか)、ADBやシリアル、SCSIやIDE全部ダメ、マウスもダメ、キーボードもダメ。

 

あきれるくらい、全部ダメ、全部入れ替えです。

 

音声ケーブルだけは生き残っていますが、そもそもPC関連のケーブルじゃないし。

 

まあ、20年前のPC/AT互換機のキーボードや、D-subケーブルが辛うじて生き残っている人もいるかも知れませんが、macOSやiOS環境では20年前の機材は何も残っていません。

 

コンピュータの宿命ですね。これはガーガー言ってもどうなるもんでもない。

 

そういうもんだと思って観念して、コンピュータ機材なりの運用意識が必要です。

 

この辺にどうしても順応できないのがまさにアニメ業界で、昔の機材を使い続けるためのCS6止まりとか、そもそも道具に対する永続的維持費という概念がないのでサブスクリプションに納得できなかったり‥‥と、雇用や制作費の問題だけでなく、アニメ業界の「お金の闇」は深いです。

 

 

しかし、気持ちも判らなくもない。

 

私だって、コンピュータの「金食い悪魔」の流儀に慣れるのは、相当時間がかかりましたもん。

 

一度買ったら、道具は一生モノ‥‥という習慣をきっぱり捨て、時代の現用技術に合わせて道具を更新し、道具の運用コストも制作費に含める‥‥という思考は、そう簡単には受け入れられません。

 

日本人の美意識、職人技術者・実演者の意識として、道具は永く大切に使うもの‥‥ですもんネ。

 

 

しかし、現在の映像制作はほぼ100%、デジタルのデータが最終形態ですので、どう粘っても、どう足掻いても、最終的にはコンピュータの流儀を受け入れるのが肝要です。どれだけ個人が「反コンピュータ」を標榜しようと、その後で全てコンピュータのお世話になりますし、振り込まれるギャラだって銀行のネットワークでデータでやり取りされて口座に振り込まれて生活できてるんですからネ。

 

自分の描いた生の絵の現物を、号あたり何万で売るのでもなければ、コンピュータと「悪魔の契約」をするほかないです。そして、悪魔と契約したからには、悪魔をこき使う気概くらいが相応です。

 

コンピュータに金たま(失敬)を握られているようなヘナチョコのままでは、コンピュータに生命を吸い上げられて終わりです。

 

そういった意味で、4K60pHDRのアニメ制作は、コンピュータを馬車馬の如くコキ使うのにピッタリ!‥‥です。コンピュータは休む暇もないからネ。今まで高速だったコンピュータは「くっそトロく」なります。

 

 

 

 

で、ここまで書いといてなんですが、私とて何もかも道具のすべてをコンピュータへと移行させたわけではないです。

 

コンピュータが道具として活躍するのは、あくまでデジタルデータが支配するフィールドだけです。

 

デジタルデータを介在しないモノに関しては、コンピュータは無力です。

 

そんな中、最近ふと「惚れ惚れ」したのは、筆洗い。

 

‥‥これです。

 

 

*アマゾンでは10個まとめ売りです。いくら惚れ惚れしようと、10個はいらんな、10個は。‥‥なので、ペンテルなどの他の製品も考慮しても良いかも‥‥です。私はいつ買ったかもわからない、昔のやつを、死ぬまで使い続けると思われ。

 

 

サクラの「筆洗」。500円に満たない低価格。

 

それでも、数万、十数万、数十万するコンピュータ機器より、格段に長持ち。いつまでも、愛用し続けられます。

 

この「3重筆洗」は、容量といい、収納性といい、そもそも3重にした使い勝手の良さといい、まことに感服します。ダテに、私が子供の頃からのロングラン製品じゃないです。生き残るには意味があります。

 

私の使っているのは、厚紙のパッケージに入ってた頃の昔のもので、「サクラ」のロゴシールが貼られています。現行製品にも貼られているのかな?

 

 

 

もし、この製品の仕様が、3重ではなく、2重だったら、もう1組買うなど、面倒なことになっていたでしょう。

 

展開すると三槽になることで‥‥

 

  • 1槽目=筆の汚れを最初に落とす、水が一番汚れる槽
  • 2槽目=筆をささっとゆすぐ、さほど水が汚れない槽
  • 3槽目=筆ゆすぎの仕上げ、または、絵具を薄める用途に使う、水が一番きれいな槽

 

‥‥という必要十分な使い方が可能です。

 

各槽の容量も絶妙で、少なすぎず‥‥です。

 

大面積や十数枚など、多量の絵具を使う場合は、もっと大容量の筆洗が適していますが、私のプラモ・アクリル塗料用途では、そのコンパクトさゆえに場所もとらず、十分な洗浄力も提供してくれて、「なんてデキる子なんだ」と愛着が止みません。

 

*「重ねて収納」するため‥‥かもしれませんが、中央槽の「ちょっと大き目で多めの水の量」も絶妙。筆をすすぐ時に、水は多い方が良いですからネ。

 

 

しかも、中央槽にハンドルがついているので、重ねてコンパクトに収納できるだけで終わらず、ハンドルをSカンに引っ掛けて、「空中」に収納することも可能です。これが「なくさない」し、「邪魔にならない」しで、いいことずくめ。

 

 

 

このサクラ筆洗を下回るコンピュータ機器なんて、いくらでもあるわな。

 

すぐ故障する、大して役に立たずに旧式化する、設計のマズさから使うだけでストレスがたまる‥‥とか、コンピュータ関連機器がいくらCPUや集積回路を使って高価なシロモノだろうが、サクラ筆洗の「運用実績」に歯が立たないものは‥‥多いです。

 

比べること自体が間違っている‥‥なんて言われそうですが、道具を使ってモノを作る人間にとっては、「道具は道具」です。

 

道具に貴賎なし。

 

 

願わくば、私が使うコンピュータ機器も、サクラ筆洗と同じくらい、愛着と信頼をもてる道具でありますように。

 

 

 


Apple Pencilのチップ買い足し

Apple Pencilのチップが、作業場で残り1つになったので、買い足しました。‥‥4つ1パックで2300円くらいするので、こまめに買ってはいますが、どうせ消耗品だし、お金の余裕のある時に5〜6パックまとめ買いしても良さそうです。

 

 

同時にマウス「M187」も買い足し。ストック用です。意外に妙なタイミングでマウスって壊れますので、安い時に買い溜めておくのが一番。未開封新品のM187は現在2つ確保しております。

 

また、Apple Pencil充電用のケーブルも買い足し。現在、私の作画机にはUSB充電口が合計20個以上(!)あるので、Apple Pencil用に消費しても全然余裕があります。なので、現在Apple Pencilを2本常備して使っていることもあり、充電ケーブルを買い足しました。

 

 

現在、私は4本のApple Pencilを所有していますが、iPad1枚につき1本、かつ、場所にもそれぞれ‥‥なので、どうしても本数が多くなります。後生大事に1本のApple Pencilを使い続ける‥‥なんてことはないです。ちょうど、ギタリストのギターのように、数本を使い分けるのが、融通が利いてよろしいです。

 

ここまでiPadとApple Pencilへの依存度が高くなってくると、次期のiPad Proはどうしても期待してしまいます。マイナーチェンジでもない限り、即買いするでしょう。だって、iPad ProとApple Pencilでガチに金を稼いでるんですもんネ。性能が一新されて使い勝手が向上すれば、ダイレクトに仕事に反映されますから、新製品は期待して当然です。iMac Proならいざ知らず、iPad Proくらいの価格なら、仕事で使ってれば短期でペイしますしネ。


ドットバイドットでないにせよ、6Kくらいなら全然ストレスを感じずに作業に没頭できますから、4K仕事にも十分対応できます。iOSとmacOSの連携に慣れると、いちいちサーバ越しのやりとりが時間の浪費に思えます。

 

で、新バージョン登場でお役御免になったiPad Proは、依然として「普通のiPadとして」第2のお役目を割り当てられます。多少世代が古くなってもタブレットとしての性能は遜色ないですから、設定ビュワーなんかには贅沢とも言えるほどです。

 

iPad ProとApple Pencilって、高い買い物のように思いがちですが、実は対費用効果がとても大きいと実感します。他のタブレットに比べて多少高くても、iPad Proを使い続けているのは、実感に基づく大きな理由があるのです。

 

薄くて軽くて、取り回しが軽快で、作画机の棚にポンと置けるiPad Proは、少なくとも私にとっては「紙からタブレットへ」移行する最適の手段でした。我が物顔で机を占拠する巨大で底厚の液晶ペンタブレットは、どうしても使う気にはなれませんでした。

 

「紙に絵を描く姿勢」の延長線上にあったのは、まぎれもなく、薄型軽量のiPad Proでした。

 

 

一方、Wacomの薄型軽量の雄、Cintiq Proは、ちまたのSNSを垣間見るに色々と障害が発生しているようで、メーカーの誠実な対応が望まれます。

 

AppleとWacomのどちらが生き残るか‥‥‥なんて、ユーザにとっては不毛な戦いです。やっぱり、CintiqはCintiqでどんどん進化して欲しいもんネ。Appleは薄情なところがあって、5年後、10年後にiPad ProとApple Pencilを製造し続けている保証なんてないもんな。

 

 


静音マウス

マウスが静音で、そんなに嬉しいか? ‥‥と思ってましたが、使ってみたら、結構イイです。

 

衝動買いして自宅で使い始めましたが、なんだか気に入って、仕事場でも使うようになりました。

 

 

私が今まで愛用してたのは、ロジクールのM187です。写真の右にあるマウスで、コンパクトで軽量なので手が疲れません。既に10個以上は買い続けており、他のマウスはアップル純正も含めて全く使わなくなりました。‥‥とまあ、かなり気にいって愛用しているので、今後も使い続けると思います。

 

静音マウスのM220は、M187より大きいですが、昔でいうと「Apple ADBマウス」くらいの大きさ程度なので、「デカい」とは決して感じません。至って普通です。

 

M220で気に入ったのは、静音そのものよりもクリック感です。「クン、クン」「クニ、クニ」という優しい感触です。音を「カチカチ」出さないための何か工夫があるんでしょうけど、それがクリック感にも作用しているようです。

 

電池は単三を使っているので、単四のM187よりは重いです。ただ、マウスは机に置いて接地しつつ使うものなので、慣れれば大した差ではないように思います。実際、1週間ほど使っていますが、重さは気になっていません。ただし、M187の軽さに惚れている場合は、M220は確実に重く感じるとは思います。‥‥電池が重いんですよね、結局。

 

 

上の写真を見ると、M187は相当バッちく汚れてますネ。側面の白いラインが黄ばんでいます。重曹水で拭いてみたんですけど、全く汚れが落ちません。ホールド感を向上するためか、側面のライン部分はゴムっぽい素材なので、汚れが染み込んで取れない‥‥んでしょうかネ。

 

なので、汚れに限らず、マウスは消耗品!‥‥ということで、M187が安く売り出されている際は予備を買っとくのです。安い時は、アマゾンで600円台で買えます。

 

*853円の20%オフなど、600円台で買える時もあります。本体色によって値引きが異なるので注意。

 

 

‥‥で、今回、予備マウスを買う際に、レジ横(アマゾンのレジ横)でM220を見つけて、試しに買ってみた次第です。

 

ロジクールのワイヤレスマウスには大きな信頼を寄せていますが、今回のM220も高級感はないものの質実剛健で良いマウスです。

 

 

 

 


CC110

CC110、モデルチェンジ。

 

 

以前に情報公開されてたのが、実際に販売開始。

 

ず〜っとオフ車ばかりのってたけど、最近はこういうのでもいいや‥‥って感じになってます。

 

CCは50ccと110ccがあって、110ccモデルのみミリタリーグリーンがあります。黄色も赤も良いですけどネ。

 

私はスズキ車が好きなので、Vストロームも気になってます。

 

 

 

その昔、YAMAHAのTDR250を結局所有できずに乗れずじまいだったので、こういうマッチョなデュアルパーパスに未練が残っているのです。まあ、Vストロームは「今のバイク」なので、TDRとは比べものにならない(=優しい)とは思いますけどネ。TDRは、45馬力で2ストだもん。

 

 

まあ、でもダメだ。

 

バイクにお金を使っている余裕など、今はない。

 

 

 

 


アッポーペンシルの芯

さすがに、使用頻度が高くなってくると、みるみる、Apple Pencilの芯は擦り減りますネ。

 

ぶっちゃけ、芯先の消耗具合で、描き仕事の多さがわかる‥‥と言いますか。

 

 

でも、

 

「いや、描く時間が短くても、オレは筆圧が高いから」

 

‥‥と言うのは、マズい。

 

ペンタブで筆圧が強い描き方はご法度です。何よりも自分の体を痛めますからネ。

 

鉛筆は筆圧が強ければ芯が折れますが、ペンタブは全く折れないので、いくらでも力を込めて描いてしまい、やがて「肩」を痛めます。ペンダコも酷くなります。

 

 

通常の筆圧で、絵を描く頻度が高いと、1〜2ヶ月でApple Pencilのペン先は消耗します。金属が露出寸前になるまで、表面の樹脂がすり減るので、書き味がガリガリザラザラしてきたら、とっとと交換しましょう。

 

Apple Pencilの「チップ」は4つ1パックで2300円くらい。私が愛用していた鉛筆「トンボ8900 HB」は1ダースで350円くらい。

 

 

 

 

 

たしか、私の「鉛筆最盛期」でも1ヶ月に1ダースくらいだった‥‥はずです。記憶が曖昧ですが、たしか、2〜3日で1本使ってたので、まあ、だいたい1ヶ月12本で1ダースですかネ。

*今じゃ、1年に1本も使い切りません。変われば変わるもんです。人の日常って。

 

なので、コスト的には鉛筆のほうが(まあ、私は一番安い8900愛用者でもあり)安いですネ。高めなハイユニとか使っていると、話は変わってきますけどネ。

 

 

道具を使い込む‥‥で思い出しまたが。

 

以前に書いた「練習量」の話ですが、Apple Pencilのチップを見れば、「書いてる量」が判ります。‥‥交換してすぐ‥‥でもなければ。

 

ギターでもフレットの減り具合や指板の汚れでどのくらい弾いてるかがわかりますし、ブリッジやピックガードのネジのサビでも、どれだけ弾き込んでいるかが判ります。

 

例えば、ストラトのピックガードのリアPUあたりの上のネジ2つは、右手があたるので汗がついてサビやすく、逆に、ここがサビていないと、手をボディにつけずに弾くタイプかな?‥‥とか、他の部分のヘタリ具合を見て、フレットは減っててもネジなど金属はピカピカだと、楽器の手入れがマメな人なんかな?‥‥とか、ギターを見ただけで「ひととなり」が伺い知れます。

 

 

今も昔も、画具や楽器が新品同然なのって、「やってない証拠」だったりします。「真剣にやってれば」道具はみるみる間に使い古されていきますからネ。

 

なので、絵とかでも、新品の道具だけが並んだ机って、なんていうか、かっこ悪い。‥‥御託だけで実が伴わない感・格好だけ感が、机から匂い立つのです。‥‥ああ、この人は絵描きではなく、画具コレクターなんだね‥‥と。

 

iPadとApple Pencilは、そんなに「使い込んだ感」は表面にでませんが、些細なキズとか汚れ、保護フィルムの光沢などで、「歴戦」の様子は同業者なら見て取れるんですよネ。

 

まあ、フランケンやダックみたいまで、ヘタることはないにしても。

 

*コンピュータ関連機器って、歴戦のビジュアルになるまで「マシン性能が時代遅れになってしまって、使いたくても使い続けられない」が悲しいですネ。

 

 


本を読んでた頃

リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」が発刊40周年だとか。‥‥懐かしいですネ。

 

 

 

若い時分、漠然と命やココロの有りようを捉えていた私にとって、1980年代終わりから1990年代前半にかけて、シュレーディンガーライアル・ワトソンなどの多くの著作に触れたのは、大いなる刺激でした。

 

まあ、101匹目のサルは「構造の例え」の読み物として読めば良いし、書いてあることを自分の新たな信仰にしようとでも思いつめなければ、日本社会で漫然と生き続ける惰性的な自分にとって良い刺激になりましょう。

 

 

私は小さい頃から、「いきもの」について、どうにもよくわからなくなることがあって、床屋で切り落とされた夥しい量の毛髪を見て、奇妙‥‥というか不気味なキモチを抱いていました。髪だけでなく、爪切りで切った爪や、誤ってスライサーで切ってしまった自分の皮膚とか、「いつからソレはイキモノからモノへ変わったのか」が釈然としなかったのです。

 

一事が万事そうした「自分にくっついていた時はイキモノで、切り離された途端にモノに変わる」要素で全て構成されている自分自身‥‥が、正直、不思議でした。

 

で、そうした不思議や疑問は、日常生活では全く取り上げられることはなく(よほど変わった親でもない限り、子供にそうした話題をもちかけませんもんネ)、プロのアニメーターになってフリー作業者溜まりのフロアに出入りして、演出さんや先輩の原画さんの机においてあった上述の類いの本に遭遇するまでは、ぼんやりとしたままだったのです。

 

 

生命ってなんだろう、存在ってなんだろう、意識ってなんだろう、ココロってなんだろう‥‥と、ぼんやりながらも、他の人より強く興味を惹かれたのは、やっぱり、絵を描いていたからだとも思います。

 

原画ってさ、何もない白紙に、線で「イキモノ」を描くじゃないですか。

 

そして、その描かれた「イキモノ」は、喜怒哀楽を振りまくかのごとく、時間軸の中で「動いてみせる」わけじゃないですか。

 

ちょっでもモノゴトを掘り下げる習慣があれば、およそ絵を描こうとする人間が、イノチとかココロのメカニズムに興味を抱いても、それは必然と言えます。

 

 

でもまあ、本を読んだからモヤモヤは全て解決した‥‥なんてことはなく、一生死ぬまで、思索は続くのだとは思います。

 

新しい「コスモス」シリーズで「我々は星屑から生まれた」との一節がありますが、人間が何を悩み、何に幸せや不幸を感じ、何を愛するのか‥‥なんて、やがて皆すべて、星屑に帰すのでしょう。あまりにも長い時間の中の、ほんの些細な時間の狭間に、あまりにも小さな存在でしかない人間が生まれて死ぬだけ‥‥なのかも知れません。

 

でも、生きてるうちは、そのちっぽけなことが大事‥‥なんですよネ。

 

 

 


年長と若年

練習はどうしても不可欠。しかし、一人で練習していると7日間かかって気づくことが、既に「同じ道を歩んだ」経験のある先人から教えて貰うことで1時間で気づくこともある‥‥のは、まさに技術が人と人との繋がりによって高められる「典型」です。

 

技術習得にショートカット(=習得工程のスキップ)はないと思っています。しかし、一定の技術を習得して、次のステップに進もうとする時、新たな技術ハードルの超え方を模索する時間は「時短」できます。

 

技術を習得するのに必要な時間はどうしても必要ですが、習得に至る道を探し出す時間は、先人に「こうしてごらん」と道を教えてもらうことで大幅に短縮できるのです。

 

同じ年齢層で固まっているとどうしても気づけないことが、年長の層の厚みによって様々なヒントが得られ、ハードルの超え方を見つけ出すことができます。時には、5年かかっても見つけ出せないことが、たったの数日で‥‥です。

 

 

勘違いしてはならない‥‥のは、突破口を見つけ出した後には、突破する過程のキッツい修練が待ち構えていることに変わりはない‥‥ことです。突破口が見えたからと言って、その突破口を必死決死の行動で実際に突破するのは本人‥‥ですもんネ。

 

実際、多くの人は、ここで思い違いします。「突破口が見えたら、解決だ」と。

 

年長者や経験者は自分に突破口を指南してくれるだけです。実際に行動するのは自分です。

 

突破するための長く苦しい道のりは、本人が歩むほかないのです。そして、突破した暁には、新しい技術の世界が広がります。

 

 

‥‥まあ、新しい技術を習得しても、その先にまた新たなハードルが待ち構えていますけど‥‥‥ネ。

 

人生、突破、突破の連続‥‥‥ですネ。

 

 

 

コンピュータによる映像制作技術は、特にアニメ業界においては、フィルム時代のワークフローで固着している感があります。ツールを「デジタルに差し替えただけ」の進化止まりです。

 

現場状況の内情を考えてみれば、「オールコンピュータ時代の新しい技術」に対応するための、若年から年長の「厚い層が形成されていない」がゆえとも思います。

 

新時代の技術に厚い層なんて‥‥と思われるかも知れませんが、新時代の前段階の層は、徐々に形成されてしかるべしです。しかしながら、アニメの制作現場は「CS6でバージョンアップ停止」問題でもわかる通り、ここ10年前後の間、新時代の根底となる技術革新を無視し続けてきた経緯があります。新しい技術を持った層が育まれない状況に陥っています。

 

上述の考えで言えば、若年にアドバイスする年長者が、古いタイプの道先しか教えられないがゆえに、一向に新しい道が開けていかない‥‥とも言えます。年長者の多くが、昔のやりかたしか指南できない‥‥のです。

 

昔の技術を全年齢層が継承する‥‥というのは、「もろ刃」なのでしょうネ。慣れ親しんだ技術を継続して作業工程を流通できるが、新時代の映像技術品質には打つ手をもたない‥‥という点において。

 

例えばアニメーターについて言えば、形や動きの捉え方、情景の描き方、配置やアウトラインなどの平面構成など、豊富なアニメーション技術を、先輩やベテランに様々に指南してもらえるでしょう。‥‥しかし、4KHDRテレビや4K本放送を迎える未来社会にアニメはどのような技術を新たに獲得して実践するか‥‥は、紙時代の技術をメインに継承し続ける年長者層では具体的に指南できない現実がありましょう。

 

そうした現場の状況の限界は、アウトサイダーがどうこう言って改善されるものではありません。現場の運命は、現場の人間たちが変えていく他、ないのです。ゆえに、現場それぞれの性質が表れ、現場それぞれの未来性に変化が生じるのです。

 

蛍光灯で透過する作画机を、ペンタブに切り替えて「デジタル作画机」にすることくらい‥‥しか思いつかない年長者が、これから先の変動期において、若い人間たちにどうアドバイスするのか。

 

 

2020年代以降の道しるべを年長者がどう示すか‥‥は、実はとんでもなく重要だけれど、現状の水面下にあって、隠れて見えない極めて深刻な問題‥‥かも知れませんネ。

 

 

 

 


練習量

技術は練習量だけで推し量れるものではありません。能率や効率が悪い練習は時間の無駄に他なりませんし、肉体を使った練習は、頭脳を使った構造把握と同調して進めるべきものです。

 

一方で、苦しい練習から逃げるために、ことさらに理論に偏向するのも、技術が上達しない大きな理由でもあります。十分な練習量はどうしても必要です。頭で技術構造の概要を知り得たところで、リアルにその構造を体現する「実演技術」を駆使できなければ、単なる「耳年増」に終始します。

 

1日に10分しか練習しないで、楽器が上手くなるわけがないです。

 

1週間に2〜3枚しか絵を描かないで、絵が巧くなるわけがないです。

 

どんなに頭の中に理論を構築しようと、必要十分な練習量は必要です。ネットが日常生活に普及して、どんなに情報の量だけ身の回りに増えようと、現実に自分の体を用いて練習しなければ、絵や音楽の類いは、技術を習得できません。

 

練習を軽視して理論だけで技術をモノにできるかは、バッハのインベンションの第1番だけも良いから、実際に弾いてみれば判ることです。人体のクロッキーを一体描いてみれば、自分の観察画力の程度はすぐに判ります。

 

 

練習は辛いことも多いので、脱落者も相応に多いのは、昔からです。

 

「今はそんな時代じゃないから」と逃げても、逃げ切れるものではありません。‥‥だってさ、自分の技術の結果に、ありありとその本人の歩んできた経緯が映し出されるもんネ。結果物は、雄弁に、その人間の性質を語ります。

 

 

やみくもに練習すれば良いってものじゃないのは事実。スモークオンザウォーターの4小節のリフを毎日6時間弾いててもギターは上手くなりませんし、萌えキャラのバストショットだけ延々描いててもキャラ好きのファン感情に終始するだけです。

 

一方で、技術とは何なのか、どのような構造をもち、どのようなバリエーションや具体例があるのか‥‥を、いくらリサーチして理論構築しても、現実の自分が練習をほとんどしないのでは、描けない弾けない自分の現実からは抜け出せません。

 

 

やっぱりさ、普通の人たちよりも、格段に描いたり弾いたりしないとさ‥‥‥、一定のレベルを超えた技術習得なんて無理だって。

 

一般レベル以上の努力を積むから、一般レベルを超えた技量が身につくのです。「努力=根性論=旧時代の悪しき精神論」という安易な認識で、自分を誤魔化して逃げるか否かは当人次第ではありますが、自分の肉体から音なり絵なりを生み出す「実演技術」を獲得しなければ、どんなに理論で武装しようと「空論」です。その理論を宣う本人が、その理論を実際に実演できないのでは‥‥ネ。

 

絵や音楽の実演技術は、実演するがゆえに自分の肉体と共にあるわけで、どんなに綺麗事を言おうが、十分な練習量は不可欠です。練習なんてしなくても理論だけで上手くなれる‥‥なんてことは一切ないです。素晴らしい教則本もあるでしょうし、教え方の上手な先輩もいるでしょうが、結局は自己の修練の度合いに帰結するのです。

 

上手くなりたいのなら、練習は猛烈に必要で、理論も深く掘り下げる必要があります。

 

まあ要するに、両方必要なわけで、ゆえに、一生、修練と思索の日々が続くのです。

 

お互い、めげずに、頑張りましょう。

 

 

 


奢り奢られ

前回書いた「贈り物」で、ふと思い起こしましたが‥‥

 

ひと回り近く年上のスタッフ(まあ、監督さんクラス‥‥ですわな)とプライベートでご飯にいくと、今でも奢って頂いて、恐悦至極。

 

そうした監督さんなどの年上のスタッフの姿を日頃から見ているので、自ずと、自分がいい歳になったら、ひと回り下の年齢のスタッフには、奢らなければ‥‥と思います。

 

で、しっかりした人ほど、若くても「今日くらいは私も出します」と言ってくれるんですけど、そこはね、その若い人たちが40代になったら、20代の若い人に同じように奢ることになるんですから、若い時分はたっぷりと奢ってもらうのが良いのです。

 

つまり、奢られたつもりでいても、実は後払いなわけです。まあ、奢ってもらった人に返すのではなく、次の世代に還元するんですけどネ。

 

 

年上の人に教えてもらえるのは技術だけじゃなくて、人の繋がりも‥‥です。

 

ひと回り以内の同じ世代の仲間となら、どんどん割り勘にすればいいです。年上の人には奢ってもらって、年下には奢る。それでいいのだ。

 

 

 



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